2021年6月4日金曜日

『城をとる話』

 コロナ禍の緊急事態宣言が20日まで延長された。この間、図書館の整理月間も重なって昨日までの数日間、予約の貸し出しはなかった。今日からそれも終わり貸し出しが始まる。1冊ほど予約確保のメールが入る。ほぼ司馬作品ばかり読んでいる。時に、他の人が書いた本を読むのはいい気晴らしになる。降り続く雨も止みそうだ。これからスーパーと図書館へ行こう。

 以下は先日読んだ『城をとる話』(司馬遼太郎 光文社、2002年第2刷)から気になる箇所を記したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★大人とは、現実の限界を知った者の称だ。子どもとは、それを無視して華麗で壮大な夢を追うことのできる者の称である。人類がはじまって以来、人類を押しすすめてきたいわゆる選ばれたるものは、釈迦にしろ、玄奘三蔵にしろ、織田信長にしろ、上杉謙信にしろ、また数多くの天才的建築家や画家にしろ、すべて大人ではない。あれは子どもの精神を大量にもっていた連中だ、と車藤左はおもっている。(ここで崩れてはいかん)と思うのは、大人の心に侵されてはならぬという自戒であった。(128-129p)

★「あれが男だと思うのよ」つまり、男という生きものの原型のようなものが車藤左だというのである。男の情熱というのは、第三者からみればつねにむなしくばかげている。物ぐるいとしかみえない。その目的のむなしさ、行動がばかばかしくあればあるほど、その、糸口としてひきだし男は、もっとも「男」にちかい男なのだ、とおううは思うのである。(156p)

★(城をとるということは、もともと悪人の仕事なのさ)ひとをどうだますか、ということにかかっている。(181p)

★藤左には藤左なりの理論がある。方途もつかぬときには、考えているよりもむしろ動きまわって敵を攪乱することだ、ということだった。敵は混乱のなかで、ふと隙を見せる。それをこちらが機敏にとらえ、糸口として引き出し、その糸口をたくみに戦術化すればいい。そのために敵を斬る。(203-204p)

★(人生とはなんだろう)という、この楽天的な男にしては、ばかばかしいほどに陰鬱な想念にとりつかれた。(なんのために生きている)前面は崖である。……(おれは疲れているのかな。だからこんなことを思うのか)「疲れているときに物を思うべきではない」というのが、車藤左の少年のころからの信条だった。……ものは白昼陽の照る下で思うべきである。……城をとる、という夢のような計画は、最初樹てたときは藤左なりに理路整然としていた。……藤左は自分に言いきかせた。方法をうしなったとき、人間はその目的にまで疑問を抱きはじめ、つぎには自暴自棄になるものらしい。(逆に、だ)これとは逆に、藤左の最初がそうであったように方法が明快な場合、目的の意味無意味などにはさほど心を用いぬものだ。ときには、――勝てる。と思えば、命をさえ人間は賭けてしまう。人間は、目的に情熱を抱くよりも、方法に情熱をもつものらしい。だから方法を失ったときに、絶望的になるのだろう。……(が、思案をしても思案などは沸かぬ)行動することだ。めったやたらと行動して、行動のなかでなにか思案の火をともす火だねを見つけることだ、と藤左は思った。(222-224p)

★(甲州の武田信玄がそうであった。信玄は若いころ実父を国外に追って政権をうばった男だ。単に実父を殺しただけなら悪人だが、政権をうばい、武田家を相続し、甲州の守護大名となり、士民を撫育し、武威を天下に張ったればこそ信玄は英雄の名をほしいままにした。大悪は大善に通ずるものらしい)と、赤座刑部は考えた。(さればおれがこの城を奪る)……よほどの策をもちいなければ城はとれない。(車藤左を使うことだ)論理は自然、そこへゆく。(288p)

★藤左は、本丸を見あげた。(おれはこの城をとった)そのまき添えを食って何百人の人間が虫のように死んだか、いまの藤左には、それについての感懐はない。おそらく藤左の生がつづくかぎり、それについては、藤左はほんのわずかしか思わないであろう。……かれにひきこまれ、かれの野望のために死んだ亡魂どもが、かれのそういう点を責めることはできない。責められるべきものは藤左ではない。神であろう。なぜならば、神はときどき気まぐれにこういう型の男を地上に生む。人々はその種の男を見ると理性も打算も忘れて礼賛し、熱狂し、ついには乱をおこし、ともどもに破滅してゆく。……藤左は山上にいる。この城のぬしである。が、城のぬしである時間が永久つづくとは藤左はおもっていない。いずれ終わるときがくる。(399-401p)

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