2021年6月5日土曜日

『いいかげん、馬鹿』

 図書館の予約確保された『いいかげん、馬鹿』(中野翠 毎日新聞出版、2020年12月)を読んだ。2019年10月から2020年10月まで「サンデー毎日」に連載されたエッセイをまとめた本である。著者と同時代を生きている。本の「あとがき」に次のような件がある。

 <「老い」は認めているつもり。受け入れているつもり。それなのに……時どき、ハッとする。「あれっ、私、何歳だったっけ!?」と。「あら、レッキとしたバアサンじゃないの。ウソみたい。私、十七歳の頃から全然、成長も成熟もしていないみたい。ちょっと頭おかしいのか?馬鹿なのか?」と。……もう一度、生まれ変わっても、結局のところ、同じ人生を歩みそうな気もする。というわけで、タイトルは『いかげん、馬鹿』ということに――>、とあり、その最後に「コロナ禍による人生初の引きこもり生活の中で――」と締めくくっている。

 「あとがき」にあるバアサンの件、非常によくわかる。世にいう高齢者の域に十分間に合っている。カープの負け試合を見るのはやめてこの本を読む。エッセイは読みやすくすぐに読める。が、読みながら「そう、そう」と感心してしまう。

 <「仙人というのは山の人と書く(谷の人と書いて俗人ね)」(094p)>の件も読んでいて気づかされる。

 <しきりに母のことを思う。母が今の私と同じ歳だった頃、どんなふうだったのかなあ、と。……今や私、その時の母の歳を超えている。……歳を重ねるたび「この歳の時、母はどうだったっけ?」と思うのだが、……忘れっぽくなっているのが……コワイ」(201p)>、もよくわかる。自分自身が何も不安なく楽な生活をしていると思う時、こんな気持ちになる。そして母が怪我をしてすぐに家をリフォームした。それはまるで母のためでなく今となっては自分自身のためであったような気がしてくる。母は何も心配しないようにやってくれたんだ、と思えて仕方ない。

 さらに共感する箇所がある。<自分でもトシヨリらしくなってきたなあと感心する(?)のは、墓参りを欠かさないようになってきたこと。……私も墓に向かって心のうちでだが、話しかけている(223p)>、とあるのもうなづける。母が健在だったころは年に1,2度くらいしかお墓参りをしたことがなかった。ところが、母がなくなると49日の間は週に1度、それも明けると月命日にお墓に参っている。その時の天候などでずれは出てもほぼ毎月、お墓に参る。

 これから先も中野翠の本を読もう。そういえば、この人、パソコンで本を著さず手書きだそうだ。機械音痴らしい。ブログはWEB上の日記だから手書きでアップは不可能。おのずとパソコン頼みになる。もしも手書きで文を書くとなるとすぐには文になりそうにない。その点、パソコンは思いつくままキーボードの上を手が動く。

 話は変わる。昨夜、松本人志のお笑い番組を見た。そのなかで「旅人のうた」の話題になる。この歌を初めて知った。先ほどから中島みゆきの歌を検索するがいい動画が見当たらない。この歌、「旅人のうた」とあるように旅好きとしては暇つぶしもかねて覚える!?いいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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