2017年2月28日火曜日

トリル

 火曜日のフルートレッスンを変更して月曜日に♪目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ♪をさらう。装飾音やトリルなどが随所につく。トリルも短いのと長いのが区別してつく。”レ”のトリルは右手小指を動かす。ところが、指に力が入る。何もないところで小指だけ上下に動かしても薬指が同時に動く。かなり慎重に小指だけを意識すると動きが鈍い。これも練習、練習。

 今日で今年の2月が終わる。寒い季節は暇を持て余すと思い、2月は市内のコンサートなどの予定を入れた。ところがそれも動きすぎるスケジュールとなる。先日会った東京の姪も動く姿を見て「元気じゃ!」と言ってくれる。無理は禁物。だが、今のところはじっとしているより動く方が楽しい。今日も動く!

2017年2月27日月曜日

第367回広響定演を聞く

 第367回広響定演を聞く。今回の演奏会のテーマは「ロマンの謳歌」。当初予定されていたピアニストのケマル・ゲキチに代わって清水和音がピアノを弾く。いずれにしてもともに素晴らしい演奏家だ。席は前から10列目の右端。この頃はこの席が定位置になりつつある!?なお、昨日の演奏曲目は下記のようであった。

 ♪メンデルゾーン 序曲「美しいメジルーネの物語」Op.32

 ♪リスト ピアノ協奏曲1番 変ホ長調S.124/R. 455

 ピアノに清水和音を迎え、アンコール曲として清水のソロはリスト作曲のペトラルカのソネット104番

 ♪シューマン 交響曲第1番 変ロ長調Op.38

 今回の指揮者はドイツ・ミュンヘン生まれのクレメンス・シュルト。指揮する姿はまるで指揮台で一人踊るダンサーのようだった。躍動的な指揮ぶりに圧倒される。なお、指揮者によるアンコール曲はメンデルスゾーン作曲弦楽八重奏~スケルツオ(管弦楽版)だった。

 寒い季節に行われる午後3時の演奏会はこの季節に打ってつけ。帰りの時間を気にせずにゆったりした気分で音楽が聴ける。アンケート用紙にこのことを書こう。だが、次回は行かれない。いずれにしてもいい演奏会だった。音楽に華がある!否、演奏テーマどおりロマンがある!?

2017年2月26日日曜日

「みんなが競争しているのにノンキに構える平気な心構え」


 某会の人の昨日のHPに上記の写真が添付されている。水木しげるのNHKの番組の一コマだ。途中からこの放送を見る。この言葉はいい!HPにアップされた人は「ぼく前から好きなのは、”好きなことをやりなさい”・”小さなことでも楽しむ”です」と書いておられる。これに同感する。また勝手に引用させていただこう。

 発表会でフルートを吹くとき、この中の真ん中の言葉の心境になれたらいい。ついついその場の雰囲気に圧倒されそうになる。そうならないようにとその時は皆から離れた場所にいる。「みんなが競争しているのにノンキに構える平気な心構え」、この言葉、自分にとっては大事なことだ。

 昨日は日本画教室でサムホールに葉ボタンを本画にしていく。だが、仕上がるまでにはだいぶかかりそうだ。絵も人のことを気にしていたら描けない。ましてや元来描くことは苦手なジャンル。なにごとも我が道を行くに限る。これも大変だけど「独自な生き方をしていい」ようだ。

2017年2月25日土曜日

忍耐!

 プールの点検期間も終わり、2週間ぶりに泳ぎに行く。週に一度泳いでいる。2週間といえば2回ほど休んだに過ぎない。だが、長くプールに行っていない気がする。人が多いと浅いプールで泳ぐ。ところが、そこには変なおっさんが陣取る。プールに入る際、見えない目ながらもそれに気づく。これはいけない、ととっさの判断が働く。いつもとは違う場所からプールに入る。

 歳を取るにつれて人を見て素早く判断する癖がつく。嫌な輩かそうでないかとっさの判断が働く。これは我ながら怖いほど働く。仕方なく、深いプールでクロール優先で泳ぐ。背泳ぎと比べてクロールは疲れる。それもかなり疲れるのか今朝の起床の遅いコト。無理は禁物!

 無理まではしなくても、ナニゴトも続けるには忍耐が必要だ。旅で知り合った人の最近のブログに以下のように書いてある。勝手に引用させていただこう。

私は毎朝、3時半に目覚ましで起きだして約1時間半近くを黎明ウオーキングを続けています 冬の暗くて寒い時期の約1時間半のウオーキングは私には相当の忍耐です」
 
 毎日早朝からのウオーキング。到底真似のできないことだ。早朝のサハラ砂漠をお元気に歩かれた源はここにある!そう思えば日中の、それも温水プールで泳ぐ。元気を出して続けよう。

2017年2月24日金曜日

『試行錯誤に漂う』

『試行錯誤に漂う』(保坂和志 みすず書房、2016年)を読んだ。

★カザルスの演奏は彼に先行した弦楽器を鳴らした人たちの試行錯誤を一緒に鳴らす。優れた奏者というのは、自分に先行した楽器をいじった人たちの試行錯誤を鳴らす人のことで、”歴史”や”記録すること”が人間の営みの中心だと思っている人は、「カザルスの演奏家らは彼に先行した人たちの試行錯誤が一緒に響く。」と、歴史に名を残す人=特異点を主にした言い方をし、私もまたそのような言い方ばかりを子供のころから浴びて育ってきたために、ふだんはついついそういう言い方をしてしまうのだが、「先行した人たちの試行錯誤の厚みの中からカザルスの演奏が響く。」あるいは、「先行した人たちの試行錯誤の厚みがカザルスの演奏を響かせる。」という言い方が、きっと本当のところだ。13p

★作家に限定せず人は書くという行為によって社会とつながる。人々とつながるのではなく社会とつながる。人々とつながりたいのなら声だけでじゅうぶんだ。言い方を換えれば、書くという行為に習熟すればするほど人は社会化される。ということは、どれだけ自堕落なことを書いたり、反社会的なことを書いても、書くという行為をするかぎりにおいて社会の側に立つことになる。「言葉(文学)とはこんなにも自由だ」とか「言葉(文学)はこんなにも危険だ」とかいう言い方はよく聞くが、書くという行為においてなされるかぎり本当の危険も自由もない。――いや、この言い方は大上段に構え過ぎだ。人は書くという行為によって社会とつながる。人々とつながるのでなく、社会とつながる。…それはいま、ブログによってとてもよくわかる。ブロガーはみんな最初に自分の関心領域を明らかにして、ブログの文章それ自体でなくブログが属する関心領域で読者を得ようとする(私はそのことを批判していない)。104p

★私は平坦で中立的な文章が好きでない、バイアスがかかって癖があって多少、あるいはかなり、読みにくい文章が好きだ、一つに私は気が散りやすく油断しやすい、私は車の運転をしないが運転をしてい…210p

 読み進めて、どこまでが一文?と疑問を持つ。もしかして「、」ばかりの文章で「。」はないのか、と読むのをやめて書き方ばかりが気になりだす。それについては3番目に挙げたように筆者ご本人が「読みにくい文章が好きだ」と書いていることでもわかる。確かに読みにくい。どうやったらこれほどの長い文章が書けるのか、それも気になる。

 「一文は短く書け」が基本と思う。だが、プロの人はそうでもないのだろうか。ともあれ何とか本を一冊読み終える。「人々とつながるのではなく社会とつながる。」と筆者は傍線を示す(本文では傍点で示している)。ブログで社会とつながる、ならばそれはそれでよいこと。あまり深く考えずブログを開始してもうすぐ丸8年になる。ブロガーといわれるほどのブログではない。だが一応ブログをアップしている。筆者は「ブロガーはみんな最初に自分の関心領域を明らかにして、ブログの文章それ自体でなくブログが属する関心領域で読者を得ようとする」というが、我ブログは、ただ暇つぶしをかねて自分の関心領域をほぼ毎日アップしているに過ぎない。とはいってもブログを見た!と言ってもらうとなぜか嬉しい!

2017年2月23日木曜日

「 皮肉屋はボケやすい…」

 某会でよく資料をいただく人のHPを閲覧する。20日、ご自宅の庭で鶯が鳴いたとある。16年間、鶯が鳴く初聞きのデータでは「早い年で2月14日、遅い年で3月28日」だそうだ。

 鶯のきれいな話題とは打って変わって昨日のネットには以下のことが記されている。日刊ゲンダイDIGITAL 2/22(水) 9:26配信「 皮肉屋はボケやすい 脳の活性化促す『笑い』でリスク回避」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170222-00000011-nkgendai-hlth (参照)

 人付き合いで一番嫌な輩がこの皮肉屋。今はそういう人たちから離れた生活なので周りにそういう人はいない。いつも思うのは幸せな人にはこういう人はいないということ。嫌味や皮肉、人を見下げた物言いの人は言われる側というか聞く側は逆に不幸な人とみなしている。とはいってもここまでになるには時間がかかった。言われる度、聞く度、つまらぬことを気にしていた時代があった。歳を取ってふてぶてしくなったのか、今では決してこういう人にはかかわらない。

2017年2月22日水曜日

♪ 目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ♪ ( カンタータ第140番)


 ♪そりすべり♪を終えて次にさらうはバッハの♪  目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ♪( カンタータ第140番)。初めて吹く曲と先生に話すと発表会の全体合奏で吹いているとか。だが、まったく覚えがない。その返答は「その回の発表会は出席していない!」と言ってしまう始末。ともあれ、練習、練習!

 フルートのレッスンを終えて帰宅中、近所の人が原木に椎茸の菌を植え付ける作業に遭遇。菌も初めて見る。1個づつ穴をあけた箇所に植え付けるのは大変な作業だ。椎茸ができるのは2年後らしい。話の途中で、レモンの話題になる。20個実ったと話すと驚かれる。先日、妹にレモンを渡しそびれて家に10個ある。蜂蜜レモンにした残りの3個をあげる。レモンの実は葉っぱの色と同じ。ましてや上になるのでなく下に垂れ下がって実をつける。他所の人が見てもわからないようだ。さてさて今年は何個実をつける!?

2017年2月21日火曜日

『生きづらさからの脱却 アドラーに学ぶ』

 昨年NHKで放送されたアドラー心理学。最近は民放でもドラマ化されている。だが、ドラマは見ていない。かなり前に岸見一郎の『生きづらさからの脱却 アドラーに学ぶ』(筑摩書房、2015年)を読んだ。以下はその中からの抜粋。他者に惑わされず、自分自身を信じて「今を生きる」や「よく生きる」に尽きそうだ。それには今まで通り「毎日元気で楽しく」。

★内村鑑三は、誰もが残せるという意味で、「最大の遺物」は、お金、事業、思想ではなく、生き方を残すことである。しかも、「勇ましい高尚なる生涯」である、といっている。(『後世への最大遺物』)          
 自分が不死であるということよりも、「生き方」を残すということが重要である。形として何も残されていなくても、後世の人がその人の生涯を思い起こす時、その人が生涯をかけて伝えようとしたものが理解できる。そうすることが亡くなった人を忘れないということの意味である。
 死を怖いものとは思わないからこそ、後世に何かを残そうと思えるのである。死の恐れにとらわれている人は、自分が死んでからのことを考える余裕はないだろう。それは死の恐れのためというよりも、生き方自体が自己中心的だからである。166p

★われわれは他者の期待を満たすために生きているわけではない。213p

★他の人に評価されることを恐れる必要はない。相手の評価より大切なのは、自分が今しようとしていることに対して自分自身が「YES」といえるかどうかなのである。214p

★人目や他者からの評価を恐れないために必要なのは、他者の人生ではなく、自分の人生を生きる勇気である。215p

★アドラーがいうように、sachlich(即時的)に生きることができれば、そして生をエネルゲイアとして捉えれば、最期の日を待つ必要がないと答えることができる。エネルゲイアとしての生は今ここで完成している。人は刻々の「今」を「生きてしまっている」のである。237p

★「大切にしなければならないのは、ただ生きることではなく、よく生きることである。」(プラトン『クリトン』)237p

2017年2月20日月曜日

演奏会&総会出席

 年に一度の某総会、楽しいうちに終わる。会への出席率が高く「こういう会はなかなかないよ」との声がある。その人は楽しい人たちの集まりに「こういう楽しい会はない!」と強調される。確かに楽しい。どの人も旅が好き!遊びが好き!

 総会へは1時間遅れての出席。会の前に「音楽の花束~広響名曲コンサート」に出かける。定演は毎回聞いてもこちらの方は出かけることがない。今回はヴァイオリニストの前橋汀子の演奏がある。地方にいると有名人の演奏を聞くのはまたとないチャンス。早くからチケットを購入していた。指定席にも関わらず、早めに席に着く。ところがこれが大失敗。席は4列目の真ん中。なかなかいい席、と思って座っていたら、開演前に席の間違いに気づく。A席と思ったらそこはAA席。定演場所と会場が違う。その為、AA席があるとは知らずに座っていた。幸い開演前でなんとか大事に至らず。

 演奏を聞いていても次の予定が気になる。幸い聞きたかった前橋汀子のヴァイオリン演奏は前半にある。それを聞くとすぐにバスで移動して某ホテルへ向かう。会長の講演は終わっていたが、他の行事は何とか参加できて一安心。

 宴会の始まる前に、叙勲を受けられた人の祝杯をあげる。その後で宴会が始まる。食べて飲んで騒いで、と次第ににぎやかさを増す。そのうち、席を離れた人たちとの会話が弾む。中には細かくファイルをされている人がいる。その人はいつも資料やお話などで知らないことを教えてくださる。有難い!昨夜も資料をいただく。後でゆっくり拝見させていただこう!

 皆さん、どういってもその道の第一線の人。そして旅が好きな人。昨夜も会っていきなりの言葉が「3月に卒業します。卒業旅行はチェコ・ハンガリー…」と言葉が続く。他の人も卒業する人がいる。この卒業は定年退職のこと。定年まで同じ職場とは素晴らしい。次に出かける海外の予定を告げるとぜひ一緒に、とのこと。旅好きはいい!皆で行くのは10月。これについては考慮中。どういっても1年ちょっと前に出かけた場所。でも楽しい人たちなので、また行こうかなと思ったりする。

 会も盛り上がったところで終わりとなる。数人で二次会へ。場所は居酒屋。だがすでに満腹で何も欲しくない。居酒屋には珈琲もなく酒粕のジェラートをいただく。元気な人はそこでもまた一杯やっている。楽しい時間はあっという間に過ぎる。次に会うのはさてさて…。

 尚、昨日の演奏会プログラムは下記のようであった。。

♪ドボルザーク 序曲「謝肉祭」OP.92

♪メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲Op.64
ヴァイオリンに前橋汀子を迎える。アンコール曲の演奏曲目は分からず。

♪ドボルザーク 交響曲第9番ホ短調Op.95

 ヴァイオリンの前橋汀子、ほんとうに華がある。舞台に出た瞬間の華やかなコト。イエローのロングドレスはスパンコールで光り輝く。黄色は好きな色だ。一生に一度はああいうドレスを着てフルートを吹いてみたい!とはいっても顔がついていかずきっと似合わない!?

2017年2月19日日曜日

習い続けるだけで由!?

 忙しい日々が今日まで続く。一日に2つの予定は入れないことにしている。だが、今日は先にコンサートのチケットを購入済み。その後に、某総会への出席予定が入る。総会は秋の叙勲を受賞された人のお祝いもある。手伝うようにと言われていた。ところが、前橋汀子のヴァイオリンも前から楽しみにしている。仕方なく、ヴァイオリンを聞いた後、素早く総会へ移動しよう。それにしても気ぜわしい。怪我をしないように、落ち着いて、落ち着いて!

 昨日は日本画教室へ。習っている場所などの行事があり、久しぶりの教室だった。今年になって葉っぱのデッサンに集中する。昨日はそれに水彩絵の具で色付けして本画の下絵にする。水彩絵の具も習い始めに一式そろえた。だが、これもこれからどんなに生きても有り余るほどある。せっせと描け、ということ?

 笛も絵もナニゴトも同じことかもしれない。それは習えば習うほど基本が大事とわかって来る。笛はこの2,3年、音を出すことに集中。大分いい音が出るようになった。いい音が出ると曲も吹きやすい。絵ももっとデッサンして水彩の下絵にしよう。そうすれば本画も描きやすいはず。だが、笛は毎日練習しても、絵は教室だけしかやっていない。これじゃ、駄目じゃ、と思う。だが、もともと絵は好きなジャンルでない。習い続けるだけで由!?そう思うことにしよう。

2017年2月18日土曜日

『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠』

 『ポーランドに殉じた禅僧 梅田良忠』(梅原季哉 平凡社、2014年)を読んだ。先日『梁啓超』の本を探す際、隣にあったのがこの本。日本の禅僧が何故ポーランドで殉じたのかを興味を持って読む。本の裏表紙には次のように書いてある。「彼は、禅の修行を積んだ仏僧だった。しかし、海を渡り、ポーランド語をはじめとする外国語の達人となった。歴史・考古学者として学籍を残した。ヴァイオリン弾きで、詩をもものとした。外交官として大物と渡り合ったかと思えば、新聞社に頼まれ、異国の戦地だったブルガリアの首都ソフィアから特派員としてレポートを送った。女性たちをひきつける素顔も持っていた。人を愛し、人に愛された。美しきものを愛でた半面、人道にもとるような悪、特に戦争を憎んだ。日本人として生まれたが、ポーランド人として死ぬことを願い、その願いに殉じた。ただ、謎が残っている。それは彼が『スパイ』だったかどうか。これは、梅田良忠という、日本と欧州を生き抜いた男の実話である」。

 第一次大戦が終わったころに祖国を再建するため世界各地のポーランド人は国に帰って来た。同時代に梅田はそれを目の当たりにする。それは「この駅(国境駅ズボンシン)で列車を換えるのであるが、帰国の群れのうちには、ポーランドの地にひざまずいて――あたかもサン=ペテロ大聖堂の内で今日もみうけるように――大地をいだき、これに接吻するものすらいたのである」。37p

 梅田は欧州へ行く際、欧州航路に乗船する。その時知り合ったミホウスキのようにシベリア・ロシア極東に住んでいたポーランド人の孤児がいた。このような「シベリア孤児」たちを救援してほしいと要請を受けた日本赤十字社は7百人以上の孤児を救出した。その孤児たちを日本に連れ帰り面倒を見た後ポーランドに送り返す。この温かい行為がポーランドで知られるようになり、孤児たちは「極東青年会」を作って日本とポーランドの交流の機運が盛り上がった。こうした経緯のあったポーランドへ梅田はその時期に飛び込んだ。46p

 元はヴァイオリンの腕を磨くためにドイツへの留学が目的だった梅田。それがポーランドへと国も目的も変わる。第二次大戦後の梅田はポーランドではじめて日本語を教えた日本人となる。苦学の末、ワルシャワ大学を卒業した梅田はポーランドの人たちの支援を得てポーランド外務省の管轄の教育機関に勤め日本語を教える。55p

 第二次世界大戦でポーランドは自らの意図に反して独ソ不可侵条約でヒトラーのナチス・ドイツととスターリンのソ連に分割される。1939年ワルシャワを離れる時点で梅田はポーランドにとどまる決意をするが、ルーマニアへ脱出する。68p

 戦後、日本に帰国した梅田は紆余曲折の末、関西の大学で教授として勤めている。しかし、ワルシャワを離れる時点で交際していた女性との間に娘が生まれていた事実を知る。ドイツ系ポーランド人の母親は亡くなっていたが成人した娘が日本を訪れ、闘病中の梅田と対面。しかし、日本に帰国後、梅田は縁ある人と結婚した。禅僧として修業を積み、欧州に渡ってからもずっと「異教徒」としてキリスト教世界に接していた。その梅田も死の床にあって洗礼を願う。それにはポーランドへの思いが残っていたようだと筆者はいう。234p

 「洗礼名はスタニスワフ。自分との交友を罪に問われて『スパイ』として処刑され、この世を去っていた親友、ミホフスキと同じ名だった」。235p

 この本を読む前から日本とポーランドは友好的と聞いたことがある。これには梅田のたどった人生が少しは影響を及ぼしているのかもしれない。

2017年2月17日金曜日

フラグシップ・コンサート”Music for Peace”を聞きに行く

 2月は寒いのが勝って外へはあまり出かけないだろうとの思いがある。そのためか、せめて市内で音楽を聞きに行こうと3回コンサートを計画。そのはじめは昨日のコンサート。ところが2,3日、家の行事に気を取られて慌ただしく過ごす。その結果はコンサート会場で睡魔に襲われる。

 昨夜のコンサートは日本・ポーランドプロジェクト2016-2020広島交響楽団フラグシップ・コンサート”Music for Peace”と銘打っている。席は前から5列目の真ん中あたり。席はいいのだが、前に大男が座って前が見えない。後半はあいた席に移動して聞く。演奏曲目は以下のようだった。

♪藤倉大 Infinite string
♪ショパン ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21
♪ベートーベン 交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」

 ピアノに2015年ショパンコンクール第2位のシャルル・リシャ―ル=アムランを迎えての演奏会。アムランはアンコール曲としてバッハのアリオーソ(チェンバロ協奏曲第6番第二楽章)を演奏。この人の追っかけもいた。演奏後、バスで広島駅まで移動すると駅付近がわからない人から声をかけられる。岡山から聞きに来たという。昨年も聞いたから今年は広島で…と話す。

 この春、ポーランドへ行く予定にしている。そのこともあってコンサートを聞きに行く。ポーランドついでに今読んでいる本は、梅田良忠、という人について書かれた本。ポーランドについては何もわからない。これを読んで少しはポーランドを理解しよう。それほど昔の話ではないが、日本もポーランドも先の戦争で甚大な被害をこうむっている。幸い、日本は皆の努力で早めに国が立ち直った。東欧はどうなんだろう。

2017年2月16日木曜日

行事は終わった!

 無事、お寺での7回忌は終わる。場所を移動してお墓参りへ。その後、新幹線口へ移動してテーブルを囲んで和気藹々とすごす。何かコトがあると利用するグランヴィア内のレストラン。姪の提案で今回は個室のある煌蘭苑。母がいなくなって丸6年。皆、元気!後で姪と話すとこれも皆、「ばあーが護ってくれる」、という。姪は特に自分自身の最近の朗報でそう感じたらしい。姪だけでなく、自分自身も母が護ってくれる気がする。有難い!

 駅前は10日に駅シティーがオープン。その様子を見たいと豊中に住む妹の提案で皆で見に行く。だが、一部オープンでまだ街らしくない。どういっても大阪と広島では規模が違う。妹夫婦と別れた後、姉の旦那の車で急きょ13年ぶりに姉宅へ。ところがどっこい、姉の長女のチビタチ3名はインフルエンザで学校閉鎖。インフルエンザがうつっては大変。どういっても姪の一番上のチビが生まれた年に母とお祝いに出かけて以来の自宅訪問。賑やかなことこの上ない。

 東京の姪は今回の広島行きでお好み焼き、酔心の牡蠣の釜めし、上野のアナゴ飯、因島のはっさく大福と広島で食すミッションがあると喜んで話す。初日、2人で酔心の牡蠣釜めしをクリア。因島のはっさく大福は火曜日は入荷しないとのことで昨日新幹線口でゲット、お好み焼きは姪の姉が昨日、購入してくれた。残るは上野のアナゴ飯。先ほど、ホテルを出て三越でゲットしたとの報告が入る。これで今回のミッションは成功!?2泊3日の旅気分だとかで満足そうだった。

 それにしても以前は広島といえばもみじ饅頭。時代も変わってそれも薄れた!?今やはっさく大福とアナゴ飯。だが、それもブランドによって味も異なる。すべてはTVの力によるのだろうか。

2017年2月15日水曜日

「こだわりの中国江南地方を巡る5(?)6日間の旅」

 旅の一行14名は20161022日から「こだわりの中国江南地方を巡る5日間の旅」に出かける。ところが上海方面は折からの悪天候に左右されて6日間の旅となる。怖いモノの例えとして「地震、雷、火事、親父」がある。それにこの頃は台風も加わる!?旅の前日、鳥取地方が震源のM6.6の最大震度6弱の地震が発生。広島も震度4の地震に見舞われ、それ以降も地震が起きるとのメディアの予報がある。その夜にかかる電話は旅の集合時刻変更のお知らせ。集合が遅くなるのはいい。だが、その後に起こるであろうことを誰が予測しただろうか。

 トラベルトラブルといわれるように旅にはトラブルがつきものだ。そんなトラブル続きの旅も楽しい旅に変わりなく、こういう経験も願ってできることではない。いつまでも記憶に残る旅となった。これから旅の話を始めよう!  


第一日目 20161022日(土) 広島上海🚌揚州 晴れのち曇り

 広島空港に8時半集合。しかし、飛行機はいくら待っても飛び立つ気配がない。情報によると中国から到着するはずの飛行機はまだ中国から飛んでいないという。不安を隠し切れないまま空港で待機する。その結果は大幅な遅れとなる。各自¥1000の昼食用の金券が配られ、お昼を済ませる。これは初めての経験で初めて尽くしはその後も続く。                      

 正午過ぎ、上海からの飛行機が到着するとの知らせが入る。定刻より4時間遅れ、出発ゲートも変更となって搭乗が始まる。機内食は軽食でヨーグルト、サンドウィッチ、フルーツ、お菓子などが出る。離陸後、飛行機は大きく揺れる。それも何度か揺れる。前日の地震も揺れが大きかったが、飛行機の揺れも大きい。


 1415分、上海到着(ここからは現地時刻表記。日本との時差は1時間遅れ)。気温22度、曇り。この日以降、日本に帰るまで太陽は拝めなかった。16時半、専用バスに乗って長いバスの旅が始まる。初日の揚州の夜の夕食は何と22時。日本時間では23時と遅い。長時間のバスの移動と遅い夕食でお腹は空いている。テーブルには26種類の美味しい料理が並ぶ。ほかにも麺類がある。この頃、日本シリーズでカープが日本ハムに31の勝利、と〇〇さんから朗報を聞く。皆でカープに乾杯!夕飯を終えると雨による高速道路での事故を怖れて慎重な運転となり、夜遅く無事ホテル到着。その時刻は深夜だった。揚州のホテルは皇冠暇日酒店。

広島空港で各自渡された金券

第二日目 20161023日(日) 揚州🚌南京🚌杭州 雨 

 日付がずれての遅い就寝も午前6時起床と旅の朝は早い。バスは7時半にホテルを出発する。初日にずれ込んだ旅の日程は大幅にカットされて揚州の大明寺に向かう。車内で1万円≒628元を両替。揚州は昨年秋、広島県立美術館で開催された東山魁夷展でも馴染み深い。魁夷は鑑真和尚の故郷を唐招提寺の鑑真和上座像が安置される御影堂内の襖絵に「揚州薫風」として描いた。

 大明寺は唐の高僧、鑑真和尚が住職を務めた日中交流の源である。鑑真和尚は聖武天皇の要請でたびたび日本へ渡航を試みるが失敗する。盲目となった鑑真和尚は日本において仏教徒の守るべき規律を伝えるために来日して唐招提寺を建立。その後、日本で亡くなる。1973年の日中国交回復後、揚州の大明寺に唐招提寺を模した鑑真紀念堂が建てられて鑑真座像も安置された。大明寺の門をくぐるとどこからともなく響き渡る読経の声がする。これは録音された音だった。


大明寺入口

 










大明寺

 





お参りする人の線香の煙

鑑真和尚紀念堂


 揚州はどこを観光しても街が新しくてきれい。聞くところによると15年前までは農地であったところを大通りに改めたという。中国では政治的な権力者の出身地が特別な街となって発展するそうだ。ここ揚州は江沢民の故郷で大発展するのも頷ける。揚州の特産は剃刀、歯ブラシ、漆などがあり、槐が市の花。
 
 大明寺の見学を終えて南京にある中山陵に向かう。途中、揚子江には一大都市をなす長い中洲がある。この上を潤揚大橋が架かる。この橋の名は揚州と鎮江を結ぶ鎮江大橋だった。ところが「江沢民を鎮める」との意から政治的考慮がされて潤揚大橋と名称は変わる。

 1時間バスに揺られて中山陵到着。ここでバスを降りて専用の小型車に乗り換える。広い中山陵内では小型車乗り換えが3度あった。

中山陵の観光は小型車に乗り換えて 
 中山陵は中華民国の初代臨時大統領だった孫文(孫中山)のお墓である。孫文は中国(中華人民共和国)と台湾(中華民国)の両方から尊敬されており、絶え間なく観光客が訪れる。1925年に孫文は北京で亡くなる。彼の遺言により、本人の遺体を臨時政府発祥の地である南京に埋葬するため、1926年~1929年の間に広大な中山陵がつくられた。

中山陵へ向かう道



孫文誕生の地



中山陵の頂上までは険しい階段が続く
 

中山陵の頂上付近から見下ろす  
 昼食は南京の16種類の料理をいただく。昼食後は杭州までバスで移動する。車内で通しの中国人ガイドの話を聞く。「上には政策あり、下には対策あり」とか。これは中国国内の経済対策の意だろう。ガイドは自身のマンション購入を例にあげて話を進める。この時のキーワードが「2億円」。なお、中国のマンションは国が土地を所有し、個人は建物を70年借り上げるとか。ガイドはマンション購入時の話から始まり、売却すれば2億円と話が大きくなる。この2億円は日本に帰ってからも話題となるほど盛り上がった。

 途中、ドライブ・インでトイレ休憩。まるで日本を思わせるドライブ・イン。店内の「便利店」は日本のコンビニだろう。だが、一つ違うのはトイレにトイレットペーパーがない。これは今回の旅行中、ホテル以外、どんな立派な建物であってもそうだった。



トイレ休憩で入ったドライブ・インの店内 
 
便利店はコンビニだろう
 
 19時半 杭州のレストランに到着。夕飯をいただきながらお店の人は自家製という干梅を私たちに売るのが忙しい。この梅は前菜の一つで、皆さん、購入される。 この日も遅くなってのホテル到着で就寝も遅くなる。しばし、短めの反省会もある。この日の万歩計は翌日教えてもらうと16951歩だった。杭州のホテルは海華大酒店。

第三日目 20161024日(月) 杭州🚌寧波 曇り

 8時にバスは出発して西湖に向かう。西湖遊覧で乗船前、日本シリーズを戦っているカープ勝利の報告が入る。中国に来てから3日目。だが、ガイドによるとそれよりも数日前から晴れの日はなく、お天気が良くないらしい。旅の間の天候の悪さを〇〇団長は「成都の犬は太陽を見て吠える」と話される。面白いと思ってこれについて調べると司馬遼太郎や柴田錬三郎の本に書いてあるとか。お天気の良くない成都では太陽を見ると犬は驚いて吠えるのだろう。

 杭州の西に位置するから西湖と名がついたらしく、うまく言い表している。20分ほど西湖を船で遊覧して島に上陸する。湖の大きさは南北3.3km、東西2.8km、外周15kmあり、1周するにはマラソンで1時間半かかるそうだ。「健康は足から」が中国の人の今の健康観とガイドは話す。
西湖
 西湖は昔から西湖十景といわれて断橋残雪、平湖秋月、曲院風荷、蘇堤春暁、三潭印月、花港観魚、南屏晩鐘、雷峰夕照、柳浪聞鶯、双峰挿雲がある。30年前には杭州市が西湖新十景を加えて2011年に西湖は世界遺産に登録された。


西湖



西湖に浮かぶ九獅石



西湖遊覧船から眺める
 
 島に上陸するとどこを見ても風光明媚。中国近代の水墨画家である黄賓紅像も建っている。
 
黄賓虹像

黄賓虹像の掲示
 
 旅のメモに「千山万水」と書いている。調べると「たくさんの山や川。山や川が続くこと。深山幽谷の形容。また、旅路の長くけわしいことの形容」とある。これはもしかしてハードスケジュールのなか、よく歩いた旅のことを誰かが話されたのだろう。

 10時、ケンタッキー・フライド・チキンでトイレ休憩。「KFC」は「肯徳基」と表記。あたりを見渡すと赤いジャージ姿の人を多く見かける。この赤い団体はいったい何者、と思って一人に声をかける。メモに記してもらうと簡体字だった。後で調べると「木蘭拳」であり、重慶からやって来た女性の団体だった。木蘭拳は唐の時代から1400年以上伝承されてきた「花架拳」と呼ばれる中国武術であり、遺跡に描かれた壁画の飛天の姿から編み出されていた。
 

赤い団体
 
中国のKFC

 バスは六和塔へ向かう。宋代に建築された六和塔は銭塘江の高潮を鎮め、また灯台の役目もする国宝級の塔である。生憎、時間がなくて塔には上れない。だが、上から一望しなくても目の前は銭塘江だった。お昼は上海ガニをいただく。この辺りは樹齢500年の古木が保存されていた

六和塔入り口





六和塔



樹齢500年の古木

 お昼を済ませると紹興酒と魯迅の故郷である紹興に向かう。紹興はかつて越国の首都であり、「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」発生の地域でもある。途中、バスに合流した現地のガイドによると紹興は3つの特徴があるという。
  
 ①   美人が多い。
    水の都であるため醸造業や紡績加工の従事者が多い。
 ③   魯迅や王陽明、王義之などの有名人の出身地。
 紹興の美人を「珍魚の美しさ」と表現し、北方からの移住者も多い。現地ガイドはどう見ても漢族には見えず、話を聞くとシルクロードあたりの血が混じっているという。「象潟や雨に西施が合歓の花」と芭蕉が詠んだ西施は紹興の生まれで春秋時代の越の伝説上の美女。象潟は秋田県にあり、秋田美人で知られている。

 大書家王義之の聖地である蘭亭を見学する。参加者には書を極めておられる人もいる。園内に掲示してある見事な文字をカメラで写す。中でも行書の手本として有名な「鵞池」は王義之の直筆と伝えられる。石碑亭には文字を彫った石碑が建ててある。園内は樹木に覆われ、清流が流れていて自然にあふれる。「鵞池」と名がつくとおり、池に遊ぶ鵞鳥を見かけることができた。蘭亭は義之が名士らと曲水の宴を張った庵であり、『蘭亭集』の序にまとめている。



蘭亭碑

蘭亭に入る道

王義之直筆と言われる「鵞池」の文字

鵞池で遊ぶ鵞鳥

王義之はここで曲水の宴を張った


 蘭亭を後にして紹興酒の工場を見学。紹興酒は米と小麦から造られ、アルコール度数は15度前後。紹興酒の古い年代物は「老酒」といわれる。見学した工場の名前は『阿Q正伝』からつけられる。工場内に入る前からお酒の匂いがする。それもそのはず、醸造中の多数の壺が辺りに置いてある。製造過程を聞いた後は5年物と10年物の2種の紹興酒を試飲する。長く寝かせたお酒は価値があるそうで試しに飲んでも美味。いずれも年代物に比例してお値段も上等になる。ふと横を見れば工場の傍を列車が走る。この列車で紹興酒は各地へ運ばれるのだろうか。

 1時間の工場見学を終えてバスは寧波に向かう。寧波での夕飯をいただくお店辺りは新しくできた街らしく、繁華街のイルミネーションも綺麗に飾りつけされている。街を散策して気分よくバスに乗る。ところがホテルに着く寸前の21時前、バスは故障する。数人ずつに分乗してタクシーでホテルまで帰る。中国の大通りは日本と比較できないほど広い。小雨降るなか、行きかう車は多くてもタクシーは止められない。やっと乗り込んだタクシーはかなり走っても11(11×16=176)だった。もらったパンフによると3kmまでの初乗り運賃は11元と明記がある。夜遅くの慣れないタクシー乗車で疲れも増す。この日の万歩計は9313歩と後で知る。寧波のホテルは陽光豪生大酒店。




紹興酒を醸造中の壺



工場の傍を走る列車


左は10年物、右は5年物で古いほど色は濃くなる
 

 寧波の夜の繁華街

第四日目 20161025日(火) 寧波🚌上海 曇り

 朝早くバスは出発して寧波にある天童寺に向かう。寧波は遣唐使の着いた港として日本と結びつきが深い。中国のなかでも有数の禅宗寺院である天童寺は日本人僧侶で臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元が修業を積んでいる。前日夜、夕食前後に寧波の街を散策するとお店が新しい。5年前、建築ブームに乗って寧波も新たな街となったそうだ。

 天童寺ではガイドにお参りの方法を倣って参拝する。各自9本の線香をもらい、3本ずつを3箇所に立ててお参りする。その仕方は33礼。1回拝むごとに両掌を交互に裏表にひっくり返し、五体投地のように頭や体をひれ伏して拝礼する。ガイドに続いて教わった方法で〇〇さんが「手が治りますように!」と大きな声で参拝される。この後、ツアーの参加者もこれに倣って真剣にお参りする。ひれ伏して参拝すると日本での参拝よりも不思議とご利益が増す気がしてくる。

 参拝後辺りを見るとまたも赤い団体を目にする。先の団体と違って背中には上段に「凱国際」、下段に「優美赢天下」の簡体字が見える。聞くところによると「凱麗」は ”KALLY ”で化粧品会社の団体だそうだ。下段の意味を辞書で調べると「美しさは天下に勝つ」の意だった。    
背中に記された「凱麗国際」「優美天下」の簡体字


 天童寺も小型バスに乗り換えてお参りする。広い境内は大きな箒を手にして清掃する人の姿もある。環境美化に努めているのか、どこでもこの光景をよく目にした。境内を一通り回ると2時間以上が経過する。天童寺の周りは天童森林公園になっているらしく遊歩道も整備され、瓢箪などのお土産屋もあった。

チケット売り場


大きな箒で境内を清掃する人



ふもとから見る天童寺全景




ふもとからの光景






天童寺天王殿






日本道元禅師得法霊蹟碑

 






天王寺天王殿
 
天王寺法堂








降龍泉







瓢箪を売るお店

 11時前、バスは「天童寺を出発して昼食場所に移動する。旅の途中、あまりにもスケジュールがハード過ぎるとのことで行く先々の予定は大幅にカットされる。それでもバスの移動は結構ハード。旅の疲れを癒すかのようにバス車内では無錫出身のガイドが無錫旅情をアカペラで歌う。歌が終わるとガイドとここでお別れ。バスの故障で運転手さんは翌朝3時までバスの修理をして朝早く起きている。睡眠不足は否めない。ましてや寧波から上海までの長いバスの旅をこのガイドは心配してくれる。とにかくバス車内をにぎやかにして運転手さんが睡魔に襲われないように、との言葉を残してバスを降りる。これを聞いてすぐに中国滞在中の通しのガイドに報告する。状況を察してくれたガイドは上海に着いた日に話した「2億円」の話題などでバス車内は賑やかさを増す。お昼をいただいた後、ひたすらバスは上海に向けて走る。

 寧波から上海に向かう途中に杭州湾海上大橋が架かる。この橋は全長36㎞の長さがあり、杭州湾を南北に縦断する海上大橋である。6車線あり最高速度は100㎞/時。2003年の認可から5年後の20085月に開通する。13時半の寧波出発から途中1回ドライブ・インでのトイレ休憩がある。その後、ひたすらバスは上海に向けて走る。上海に着くまでガイドは夕食のお店の予約タイムを気に掛ける。予約時刻にいなければ予約はアウトになるらしい。このお店は人気店で予約確保は困難を極めるという。17時、無事上海到着。旅の最後の晩餐はガイドが選りすぐったという30種類の料理が食卓に並ぶ。美味だった。





36㎞の道が続く杭州湾海上大橋

 上海のホテルは静安寺というお寺のエリアにある。このエリアは繁華街であり、昔から定期的に開催していた廟市(お寺主催の自由市場)に始まる。静安寺はお寺の境内だけではなくこの界隈全体を指すらしい。どういってもホテルから見下ろすと目の前に繁華街が広がる。夕食後、ガイドと一緒に数人で街へ繰り出す。薬局、文房具店、スーパーなどのお店を覗きながら人込みの中を歩く。通りではストリートミュージシャンが奏でる楽器や歌でにぎやかなことこの上ない。上海の夜を満喫する。この日の万歩計は12129歩だった。 上海のホテルは王宝和大酒店。


静安寺の通りの表示

第五日目 20161026日(火) 上海🚌上海 雨


 旅の最終日の朝も早い。旅の参加者は上海には何度も来ている。スケジュールを変更して豫園の観光はせず、アーケード街の豫園旅遊商場を散策。どういっても旅の間中、お天気が良くない。ましてやこの日は冷たい雨が降り続く。アーケードを抜けたあたりに湖心亭がある。ここに入るまでの橋は「九曲橋」といわれ、真っ直ぐでなくジグザグに架かる。これは「人間はジグザグに歩けるが、まっすぐにしか進めない悪霊を池につき落とす」という中国の古い言い伝えによるらしい。池の中心に浮かぶ湖心亭の茶館で一休みする。ガイドの話では「いいお値段」、とのこと。百聞は一見に如かずで、ここはお店に入ってお茶を飲む。ましてや冷たい雨の中の散策で体も冷え切っている。茶館の入口で茶葉を決めて入ると茉莉花茶@68元≒1100円。確かに高い! 出てきた温かいお茶とお茶菓子。いきなり飲むとお店の人はお茶をいただく作法があると教えてくれる。お茶碗に付く蓋を茶器に添え、茶葉を口に入れないようにする飲み方だった。

湖心亭は釘を一本も使っていない建物として有名らしく、1855年に上海最古の茶楼としてオープン。2010年に改装されて今のようになる。2階に上がると席は130あり、テーブルや椅子はアンティークだった。お客は私たち以外、ほとんどいない。冷たい雨も降っていて温かいお茶を飲んでホットする。




夕飯前のテーブルのセッティング

ジグザグの橋を抜けると湖心亭


湖心亭のお茶とお菓子

湖心亭の店内


お店の入口に並ぶ茶葉の見本



湖心亭の入り口

 昼食場所は昨夜と同じレストラン。だが、メニューは異なる。人気店らしくお昼もお客は多い。広いレストランは個室も備わり、部屋番号はすべて800番の数字で始まる。「8」はお金がもうかり縁起が良いとされる中国語の発音の「発財」に似ていることによる。だが、「発財」の言葉は日本語にはない。日本語でも末広がりの「8」は縁起が良いとされているのでこれと同じ意味かもしれない。とはいっても「804」や「814」などの「4」が付く数字は部屋番号になかった。




上海の有名人気レストランの個室

 お昼を済ませると空港に行く時間までスーパーに立ち寄る。ここで、茶館で飲んだ茶菓子を探すが見当たらない。店員に尋ねると似たものを探してくれる。他にもお茶の葉の売り場を聞くと先の店員が率先して連れて行ってくれる。以前の中国にはないことで「何と親切」、と感動する。その後、早めに上海浦東空港へ向かう。この時点ではまさかこの日の広島への飛行が取りやめになると想像した人は誰もいないだろう。だが、その後に待っていたのは出国準備が済んだ後の飛行取りやめだった。


情報不足のまま空港で待機する。先に椅子に腰かけていた若い女性が手にするのはスマホ。カープの日本シリーズの試合が気になる。てっきり日本人と思って声をかけると中国の人だった。話す日本語は流暢。ましてや今どき珍しいほどの清楚な女性。〇〇さんの奥様と2人でその女性のスマホを借りてカープ情報を知る。11の同点だった。スマホの女性は日本人がなぜ野球に興味を示すのかわからない様子だった。まずはCarpの説明から話をする。幸い〇〇さんの奥様のショルダーバッグがカープのグッズだった。その説明から日本のプロ野球へと話題は尽きない。

 話している間も若い中国の女性からこぼれる笑み。日本と中国の関係はいいとはいいがたい。しかし、一人一人と接すればとても良好な関係になる。その日に飛行機が飛ばないとの情報のなか、話をしていると気持ちがほぐれる。楽しい時間を共有した。若い女性は会社の同僚数人と5日間、広島へ出張するとのことだった。

 広島空港行きのゲートで待っていると〇〇団長を見つけて声をかける人がいる。今回の旅を扱った旅行社の敦煌の旅御一行の添乗員だった。その人に指示されるまま、同一行動をする。しばらくすると、というかかなり待った後、飛行機はこの日に飛ばないとのことで夕食のお弁当の配給が始まる。どういっても「配給」の列に並ぶのも初めての経験。お昼をたくさん食べてもなぜか一気にお弁当を食べる。それでもお世話をしてくださる人は食べる暇もない。後でホテル到着後、お弁当と同じものがお皿に盛られて出る。遅くなってそれをいただいた人もいた。

 すでに出国審査は受けている。当然、旅行の荷物は機内に預けたままだ。だが、その荷物を再度受け取ることに時間がかかる。カートで運ばれる山積みのスーツケース。一定の箇所にスーツケースは投げ出される。その周りを旅行者が立って待つ。簡単には運ばれてこない荷物。全員が荷物を受け取ったところで中国への入国手続きを済ませてホテルに向かう。とはいってもどのバスに乗るのかわからない。先の添乗員がスマホに写した車番を探してバスに乗る。やっとこの日に泊まるホテルに到着。

 ホテル到着後は遅い夕飯を食べ、ビールを飲む人もいる。いろいろとあった上海空港での慌ただしい一日もどうにか落ち着く。ホテルの部屋割りがされ、広島便に乗る予定だった各国の人は入り乱れて遅い就寝となる。この時点では翌日の飛行時刻も定かでない。いつでも起きられる体制で寝るように、と先の添乗員の話を聞いてこの日は眠る。

第六日目 20161027日(火) 上海🚌広島 晴れ

 4時、けたたましいモーニングコールで飛び起きる。まだ明けやらぬ暗いうちからホテルを出て空港に向かう。上海を離陸した飛行機は無事広島空港に到着する。広島に着くと晴れている。太陽が燦々と輝く広島。改めて太陽のありがたさを知る。

 上海空港で知り合ったスマホを手にする清々しい若い女性。名前の一字に「潔」がある。まさに名前通りの人だった。広島空港で荷物を受け取るとその人がやってくる。広島へのお土産を持参したのだろうか、中国特産の缶入りの茶葉を〇〇さんの奥様と私にくれるという。だが、こちらは何も持っていない。女性によるとこれほどまでによく接してくれた日本人は初めてだと話す。これを聞いて涙が溢れそうになる。どういっても〇〇文化交流が目的の旅の参加者は中国に関心を持っている。親子以上も歳の差がある若い女性。その人から広島空港到着後にこんな言葉を掛けられるとは。そして中国の立派なお茶までいただくとは。これは以前、ある文化人類学の先生から聞いて感動した「民族と出会うのでなく、一人の人間と出会うのです」にあてはまる。

 今回の旅は都市を新たに作り直すなど観光地のインフラ整備が進められ、高速道路、大通り、ショッピングセンター、ドライブ・インなど以前、目にしたあのゴミゴミとした雑踏は感じられなかった。通りを走るバイクは日本では見かけない電動バイク。そのため音もせず、街が静か。これには驚く。中国は観光に力を入れている。しかし、日本人観光客と出会わなかった。また、テレビの日本語放送もチャンネルは知らされてもほとんど見られなかった。これは今の日中関係を表しているのかもしれない。


 ここで旅の話も終わりになります。旅立つ前から中国付近では台風の影響か、お天気の良くない日が続いていました。そのこともあって旅の初日から帰国日までトラブル続きの旅でした。先日の旅の反省会で〇さんから「こういう経験もそうそうあることではない」と労りながらも笑って話されました。確かに願ってもできることではありません。いつまでも記憶に残る記憶遺産の旅となりました。また、旅の間、カープが日本シリーズで戦ったことも記憶に残るでしょう。そして、のちのちまで楽しい旅の話題となるでしょう。トラブル続きの旅をその都度ご配慮くださった〇〇団長をはじめ〇〇さん、そして旅をご一緒した皆さま、本当に楽しい旅をありがとうございました。これからも元気で楽しい旅を続けましょう!