2013年11月21日木曜日

『「思考」を育てる100の講義』

今朝は変な夢で目を覚ます。夢は矛盾している。母と台湾で出会う。周りには誰もおらず、車輪のない車椅子を見つけて母を乗せようとする。車輪を探すのだが、母はしっかりしていない。尿パッドも何もかもない。どうすればいいのか途方にくれる夢だった。

 忙しさに紛れて親のいない淋しさも慣れてくる。その間隙を縫って夢を見る。母とも、もう夢でしか会えない。その夢の母は相変わらず介護をしていた時のまま。介護はしつくして今となっては夢であっても出来そうにない。

年末近くになると年賀状の欠礼葉書がとどくようになる。今朝も1枚届き、これまで計4枚受取る。年末までには何枚になるのだろう。 この葉書も今のところ、家族の訃報を知らせるものが多い。これもいつの日か、直接の知り合いを知らせるものになっていくのだろう。

昨日は用事もなく家で大人しくする。いつもの如く狭い庭に出てみる。レモンの木も葉っぱを黄色くし始め、落ち葉となっていく。今年のレモンは4ヶ実ったと思っていた。何と、黄色くなった葉っぱの蔭で、緑色の新たなレモンを見つける。これで実ったレモンは計5ヶになった。

何といっても我が家のレモンは市販のものと比べて大きい。少数精鋭主義!?

この5ヶのレモン。いつとればいいのだろう。我が家のレモンは市販品のようには、なかなか黄色くなりそうにない。ただ、毎日、木に実っているのを見るだけで楽しい。 来年は葉っぱを切らずに上手に育てよう。

昨日は、他にも夏に出かけた研究会の打ち上げの写真が送られて来る。いろんなところへ出没すると、写真も増えてくる。旅行に出かけても自分自身は写さず、風景などを写している。人に写されるのは仕方ない。送られた写真を見るたび年齢を感じる。やっぱり若さはいい。とはいってもこれからを思えば今が一番若い日。

年齢といえば昨日読んだ森博嗣『「思考」を育てる100の講義』(大和書房、2013年)にも書いてある。

この中の37番目に「どうして年寄りになると風景が綺麗なことが嬉しいのだろう。」がある。

★年齢もそうだし、距離もそうだが、自分にとっての「稀少さ」を人はいつも意識している。しっかりと意識していなくても、それを感覚的に尺度の一部、つまり評価のファクターに取り入れているようだ。・・・自分を感動させることは、このような場の条件をどう捉えているか、という思考でコントロールされているのである。だから、これを利用すれば、常に緊張して、豊かな感受性を持って受け入れることもできる。090-091p

★女性を見て美人だなぁ、と感動するのも、やはり年寄りの方が多いのではないかと思われる。これは、評価基準が下がったというわけではなく、やはりこれから見られる機会の差だろう。若者は、「いや、まだまだ僕が出会っていない、凄い美人がいるはずだ」と思う。これは、可愛い犬を見て、僕が考えた想像の理由である。091p

年齢ではないが47番目に「「知った顔」も「知らない顔」もいけないのだったら、どうすれば良い?」がある。

★他人の態度にまで気を遣って文句を言うのが、このごろの風潮であって、あまり上品とはいえない。思っていても口に出さないのが洗練された人格というものではないだろうか。空気が読めないとか、上から目線だとか、見かけの表情、態度といたもので非難するのではなく、その人が話している内容について、問題点を指摘するならすれば良い。どんな顔で言おうが、そんなことは雑音だと受け流せるくらいの余裕を持ちたいものである。113p

★「感じが悪い人」というのは、えてして「感じ方の悪い人」の前に現れるものだ。逆にいえば、「感じ方の良い人」の周囲には、「感じの良い人」が集まってくる。どうして自分の周りには、こんな嫌なやつばかりがいるんだ、と感じたら、自分のことをもう一度振り返ってみると良い。自分というのは、振り返っても見えないが、見ようと思えば、いつでも見られる。誰もいなくても、自分は必ず最も近くにいるはずだ。113p

今日も一日元気で楽しく!

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