2011年6月18日土曜日

古詩「駆車上東門」から

今日はアサちゃんが亡くなって丸4ヶ月になる。朝早く、お寺からTELがかかってきた。月忌参りはどうするかというのである。四十九日法要で月忌参りはお寺でお願いする旨話していた。再度そう伝えたが、お盆はお願いすることにした。

アサちゃんは14年位前、ノートに自分の死後について数条走り書きしている。そこには「月忌参りはするな」の一文が書いてあった。きっとお寺が参られる日はアサちゃんにとって大変だったのだろう。

アサちゃんの夫が亡くなって以後、月忌参りは昨年7月まで続けていた。ところがアサちゃんに手がかかり、それどころではなくなった。考えた挙句、月忌参りはお寺で…とお願いに行った。それから一度も月忌参りはしていない。最近の法要もお寺で済ませた。

それにしてもこのご時勢、マンションなどに住む仏壇のない家はどうするのだろう。特に都会の人は…。

すっきりしない気持ちでいると、アサちゃんの長女夫妻が孫2人を連れて我が家にやってきた。今日はアサちゃんの月命日。5人で車に乗って墓参りに出かけた。

3歳と5歳のアサちゃんのひ孫はやっとアサちゃんがお墓にいるのがわかってきたようだ。通っている幼稚園がお寺の経営であるためか、3歳の男児は仏様の歌を歌っている。歌うたびに墓にぴょこんと頭を下げる。付き添ってきたものがするとおりの恰好で花など活ける。それもまたかわいい!

午後は、今日から始まった県立大学の最初の講座「酒の文化誌」を聞きに行った。会場は大学でなく、市内にある市の交流プラザ。休憩を挟んで1時間ずつの講義である。席はひな壇形式。

2人の先生はともにパワーポイントを駆使して講義する。2年余り前まで大学に通っていた。大学に入った8年前は全部が全部メディアを使用してはいなかった。ところが前期と後期の講義後のアンケートで必ずメディア使用の有無を記入する欄があった。国の進める政策かどうかは知らない。当時はパワーポイントは若い先生が使用する程度だった。年老いた先生はメディアといえばTVのビデオ位であった。それが次第にパワーポイントになっている。

講義を聞きながらふと思った。生涯学習とか公開講座とか言いながら、状況はまるで大人を預かる幼稚園ではないのかと。特に無料の講座はそう思う。もちろんその中に我自身も含まれているのだが…。

きっと若い現役の学生と共に学んだ経験から公開講座が物足りないのかもしれない。

それでも今日1つ収穫があった。家に帰ってもらったレジュメを再度読んで気づいた。

それは「古代中国の酒宴」というタイトルの講義の中の文である。古代中国で酒が楽しまれた場に目をむけた講義である。前漢時代後半期頃から、死後の世界に触れる場所でも、世俗と変わりない酒宴が繰り広げれている。そうした社会現象がどのような経緯で生じたのかを論じた。この死後の世界…は今のようなその時の酒宴とは意を異にするという。

その文は、まさに我が置かれている状況にふさわしい。

古詩「駆車上東門」(『文選』巻29「古詩十九首」其十三)

駆車上東門  車を駆って上東門から街を出て、
遥望郭北墓  はるかに遠く、城郭の北に横たわる陵墓群を眺めやる。
白楊何粛粛  白楊のなんとさびしげに風に吹かれていることだろう。
松柏夾広路  常緑の松柏は大通りを挟んで茂っている。
下有陳死人  その下には久しく死後の世界に住む人々がいて、
沓沓即長暮  ほの暗い茫漠とした空間の中で、ひっそりと眠りに入り、
千載永不寤  千年もの長きに渡って永遠に目覚めないのだ。
浩浩陰陽移  果てしなく時は流れた季節は移ろい、
生命如朝露  その中に浮かぶ命は、日に照らされて消え失せる朝露のようだ。
人生忽如寄  人の生涯は、天地の間に仮住まいするようにはかなく、
寿無金石固  その寿命には金石のような牽牛さはない。
万歳更相送  幾万年もの歳月が、交互に送別を繰り返しながら過ぎてゆき、
聖賢莫能度  聖人賢者でさえ、その長久の時間を渡って生きながらえることはできない。
服食求神仙  薬を服用して神仙への道を求めても、
多為薬所誤  多くの場合は薬のために道を誤ることになってしまう。
不如飲美酒  そんなことをするよりは、美酒を飲み、
被服紈与素  美しい白絹の衣を身につけ、この世の楽しみを存分に味わうほうがずっとよい。

アサちゃんの月命日にこのような古詩に出合った。中国文学の入門程度はかじったことがある。だが、あまり触れたことがない古詩には古より今に当てはまることが記されている。すばらしい!特に後半部分が…。せいぜい今を楽しもう!

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