2024年2月21日水曜日

『司馬遼太郎を読む』

 天気予報では100%雨と出ているが今のところ雨は降らず曇り空である。『司馬遼太郎を読む』(松本健一 新潮社、平成二十一年)を読んだ。またいつものように気になる箇所を記そう。

★つまり「私を見てくれ」ではなく「彼を見てくれ」という小説であります。ですから、彼の物語り、つまり「his-story」は「history」、すなわち「歴史」の小説が多い。多いというよりも、それが司馬文学の本質である、ということができるだろうと思います。(13p)

★日本人はいざとなったら神風が吹いてくれるのではないかと思う。もちろん「神風」は元寇の役のときに博多湾で吹いて、元軍と朝鮮軍の船がほとんど沈んでしまい、危ういところで日本は侵略から助かったという歴史があります。そこで「神風」という言葉はいつから流行っているのか、ということを調べる。昔から日本人は使っていたのか?われながら奇妙な関心をもつ者だと思っていますが、元寇の時に吹いた風を「神風」と呼ぶようになったのは、じつは昭和九年からなのです。(18p)

★司馬さんが描いた物語は、日本人がみんな知っている、徳川幕府と言えば家康、明治国家といえば維新三傑、それとは別なものです。それは日露戦争においてもいえます。日露戦争は日本の国家意識、ナショナリズム、天皇の威信が発揮されたものでした。軍人の乃木、東郷。そういう歴史を明治政府。またその後の政府も国民に伝えています。しかし、司馬さんは、日露戦争を名も知られないような国民一人一人が重荷をになって『坂の上の雲』を目ざして登る、そういう国民の物語なのだとしました。司馬さんが国民作家と呼ばれるようになったのは、そういう国民の歴史を描いたからです。(30-31p)

★歴史学者たちは、そのときにどのような文献があったか、どの文献とどの文献を比べてみたらどこが矛盾するか、そのようなことは詳しく調べていますが、そういう古い時代の文献が国民の中にどういうふうに物語り(story)として受け継がれていくか、ということを研究する人は誰もいないわけなのです。ましてや空海から日露戦争までを書くなんてことは、ありえない。とくにマルクス主義が流行っていたころは「歴史は事実である」という考え方が非常に強く、「事実」を徹底的に推し進め、「誰がどこで何時」しか残らないことになった。だからいま中学の歴史の教科書でもそういうことが多くなって、高校入試でも大学入試でも、これは「何年か」、「それはどこの土地か」、そしてそれは「誰がやったか」、つまり人名とか地名とか年号とか、それしか試験で問わなくなっています。(32p)

★織田信長の軍隊と武田勝頼の軍隊が戦ったとき、織田信長軍と徳川軍は織田や徳川の旗を掲げたりしていますが、連合軍を組んで二の丸も掲げているわけです。武田軍も日の丸を掲げている、われこそ=日本を担うのだという意味です。……とにかく日本の文化では、白旗を掲げているから降参するわけではない。日本では、白旗は源氏を象徴していました。ですから、ペリーが来たとき、白旗を掲げたら敗北というイメージが、初めて日本文化史の中に登場した、と私は当然考えました。しかし、ここで問題が発生するのです。……私がこの「白旗」の問題を相談してみようと思ったのは丸山真男さんと司馬遼太郎さんでした。丸山さんはそんなことは知りません。白旗のことは知っていますけれども、と答えてきました。……ただ学識の人ですから『日本書紀』に素旗(しらはた)は出てくるという別の例を出してきたのです。白い旗は敗北の旗ではなくて、何者にも所属しないという意味ですね。古代の人間はみんな自分たちの色や印を決めたのです。……そういう色に染まっていないのが白旗なのです。……ところが、司馬さんからの手紙も負けず劣らず多いわけでして、私の世代で司馬さんから、たくさんの手紙をもらった人間はあまりいなのではないでしょうか。司馬記念館から「松本さんが一人だけ持っていないで、記念館に納めてください」といわれているわけでありますが、もったいないという気持ちもありまして(笑)。……戦争のときの笠は鉄の陣笠、要するに日本風のヘルメットですね。それを載せて左右に振る。馬の上で振るのですから、六メートルくらいのところで陣笠が振られるわけです。そんなところに人間の首があるわけないのです。そうすると当然、相手がいいたいことがあるのだな、ということが敵に伝わります。これが降参や使者を出すときの「見えるしるし」です。そう教えてくれました。(35-38p)

★司馬さんは「私のことを見てくれ」という「look at me」ではなくて、歴史の裏側に隠されていた、そしてじつはその時代そのものを支えていた私ではない「彼」、高田屋嘉兵衛とか土方歳三とか、軍人の乃木、東郷ではなくて秋山兄弟とか正岡子規、そういう人々、「彼」の物語りを書きつづけていたのです。それは”無私の精神”というべきかもしれない。私は司馬さんの文学を読みながらそう思うのであります。(40-41p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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