プールに着いて自転車から降りると頭から顔から暑くてたまらない。着替えてプールに入るとやっと暑さも収まる。その時、係がプールのそばにいる。この人から久しぶり、みたいな声を掛けられる。ゴーグルを買い替えた時、度数を以前よりも1度あげた。そのためか話をする人の顔がはっきり見える。「1年3か月ぶりに先月から泳ぎを開始した」、と返答する。その際、余計なことを話す。「コロナ禍で泳がなかった以外は40年近く泳いでいる」と。その人曰く「そんなに泳ぐイメージがない」、と。これを聴いて「やっぱりね」と妙に納得する。
人間が地味すぎるせいか存在感が薄いのは自分自身よくわかっている。しかし、久しぶりと声をかけてくれた人から「そんなに泳いでいるイメージがない」とは残念。プールでの存在感もないということ!?
500mを泳ぎ終えて更衣室に行くと別の人から声を掛けられる。見知らぬ人だ。水中歩行と水泳を30分ずつするとか。しかし、25mをやっと泳ぐとその人は話す。存在感のないものが話しても説得力はないと思うが、スポーツセンターのスイミング教室に通うと泳げるようになると教えてあげる。どういっても小学校の時の体育の成績は「1」だった。もうここまで生きていると子供時代の成績云々はどうでもよくなる。それよりも自分が毎日を元気で楽しく過ごせれば御の字。
体育の成績は最低であっても何ら恥じることもない。その思いから50歳で区のスポーツセンターのスイミング教室に通った。それまでは友だちに誘われて我流で泳げるようになっていた。しかし、もっとうまく泳げるようになりたい気持ちから教室に通った。たった10回のコースなのに初歩から丁寧に教えてもらう。クロール、背泳ぎ、平泳ぎを習ったが平泳ぎはクリアせず。それでもクロールと背泳ぎは泳げるようになった。今のところ、週1回500mほど泳ぐように決めている。
話を戻して成績「1」は小学校時代の体育だけで中学、高校時代は体育は「3」だった。実技よりもペーパーで稼いだ点数だ。
家に帰って暑さも収まった頃、庭に出るとムラサキカタバミが咲いている。100円ショップの土のためかこの季節、草茫々の庭になる。なかでもムラサキカタバミが幅を利かせる。咲き始めは抜いていたがたくさんの花を見ると草花であってもかわいい。その周りでこれまたシソが我が物顔ではびこる。シソは香りもよく、買ってでも食べるので抜かずにそのまま生やそう。
0 件のコメント:
コメントを投稿