2023年5月27日土曜日

『宮本武蔵』

 コロナ禍にあって毎日の新規感染者の報道がされなくなり、自ずと家にいるよりも外に出かける機会が増えた。その分、本を読む時間が減っている。文庫本で520頁もある『豊臣家の人々』(司馬遼太郎)を図書館貸出期限の2週間を延長してやっと今日中に読み終えそうだ。豊臣家の一族の繁栄と衰退ぶりがこの本を通してよくわかる。と同時に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の生きざまもわかってくる。

 同じ時代を宮本武蔵は生きている。以下は以前読んだ『宮本武蔵』(司馬遼太郎 朝日新聞社、1996年第1刷)から気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★宮本武蔵の生涯と、そしてその後世への名誉を決定したのは、一乗寺(いちじょうじ)の決闘である。この一戦で、かれの名は天下に喧伝された。(39p)

★仏教では忌がないが、神道にはある。穢れ、不浄を忌みきらい、浄(きよら)なることをよろこぶというのは神道の基本姿勢であり、神道そのものといっていい。穢れ・不浄のなかでも神道がもっとも忌むのは人や動物の死とその死骸あるいは血などであった。たとえば肉親の死後喪に服し神社の境内には立ちよらぬというのは神道からきたものであり、仏教の思想ではない。死に穢れた者が浄域に入ることを神は忌むのである。(61-62p)

★武蔵は、「兵法の道念の涯(は)てには宗教がひろがっている」としか思えぬようになっている。これは武蔵にとって生涯の課題になったものであり、かれは兵法を通して生きながらに成仏しようとし、その点では禅の始祖達磨大師以来の禅の系譜のなかでは不思議人というべきであろう。実は奈良の宝蔵院にきた目的のひとつにはその点で啓発されたいというところがあった。が、この点ではむだであった。(63p)

★「わが兵法は」と、武蔵はつねづね言う。「間合の見切り、ということこそもっともかんじんである。極(ごく)の極の極意といっていい」この場合、間合とは敵の太刀さきと自分との距離をいう。その間合を見切ってしまえば敵に負けることはない。……――見切って撃つ。この見切りの修業こそ兵法修業の眼目である、と武蔵はいうのである。その間合は一寸が理想である、と武蔵はいう。……武蔵は、小次郎との勝負において自分の理法を実証した。あのとき武蔵がそのひたいに結んだ鉢巻の結び目は一寸弱の高さがあったであろう。その間合だけをかれは見切った。見切ったうえで小次郎の虎切刀をゆるした。虎切刀は武蔵の結び目を斬って武蔵は斬れず、そのまま大地へ落ちたのである。(195-196p)

★武蔵が少年にほどこしたのは自己催眠の法にすぎないが、多くの勝負の切所をくぐってきてついに兵法は自己を信ずる以外にないということを知ったのであろう。(200p)

★武蔵の兵法は、かれの死後、二刀流、円明流(えんみょうりゅう)、武蔵流などと言われてこの尾張名古屋や豊前小倉、肥後熊本などに残ったが、ほどなく絶えた。武蔵と同時代の、武蔵よりもやや先輩にあたる伊藤一刀斎が、うちたてた一刀流が、その後かずかずの流派にわかれて日本剣道の正統として栄え、数世紀をへたこんにちにまでひきつがれていることをみれば、武蔵の兵法体系には欠陥があったとしか思えず、その欠陥は、武蔵存生当時、かれ自身がその固有の気で埋めていたとしかおもえない。(242p)

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