WHOは3年3か月続いたコロナ緊急宣言を「コロナ緊急事態終了」と発表した。終了してもコロナウイルスがいなくなったわけではないのでこれからも油断大敵だ。コロナ禍の間、遊びにも行けずよく本を読んだ。一番読んだ本は司馬作品。他にも図書館の新刊が出るとすぐに予約を入れて読んだ。そのうちの1冊に『ただ生きる』(勢古浩爾 夕日書房、2022年)がある。この本のタイトルに魅かれて借りた本だが、本にあるように「人生そのものを愉しむ生き方」だ。
もっと年齢を重ねて動けなくなったとしよう。その時、「毎日楽(愉)しく過ごしたなあ~」と思えれば何の悔いもない。そういう風に生きられたら最高の人生になる。まだ先は長い。「元気で楽しく」のモットーどおりに生きよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は気になる箇所をメモしたものである。
★考えてみると、「ただ生きる」とは――、ほんのちょとの前向きの意思。ほんのちょっとの生き甲斐(愉しさ)。そのためには、余計なことは考えない。余計なことはしない。余計なものを欲しない。ひとのため、社会のために役立つことをしなければ、とも考えない。無意味な観念に振り回されない。「ただ生きる」の考え方の基本は、人は立って半畳、寝て一畳、胃袋は一つ、である。観念は「自由」ひとつがあればいい。
※「楽しさ」とはパーティーやBBQみたいなもの。「愉しさ」とはそれこそ「持続可能な」、静かなもの。(はじめに 7p)
★「ただ生きる」とは、人生それ自体が目的、つまり人生そのものを愉しむ生き方なのである。そしてその人生を彩るために、金や仕事や恋愛や趣味があるのである。(65p)
★「人生の目的はなんであるか」「人生には目的や意義がかならずなければならぬなどと、私は臆断しない。『こうして生きている、それだけで充分だ。』とウオールト・ホイットマンもいっている。生きている、それだけでけっこう――おそらくまだ何十年も生きてゆくであろう――ここに人生というものがある。それだけでけっこう。こういうふうに考えれば、問題はおそろしく簡単になり、二つの異なる答えが出てくる余地がない。ただ一つあるだけである。すなわち、人生を楽しむこと以外に、人生になんの目的があるか」(林語堂「生活の発見」坂本勝訳『世界教養全集4』平凡社、一九六三)(135p)
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