2020年6月9日火曜日

『項羽と劉邦』(下)

 『項羽と劉邦』(下)(司馬遼太郎 新潮社、昭和63年19刷)を読んだ。以下は気になる箇所の抜粋から。文が長くなった。30数年前は途中で読むのを中断した『項羽と劉邦』全3巻。今回は何とか読み終えることができた。中国の古い言葉がそのまま現代にも息づいている。下巻では「虞美人」や「四面楚歌」など。一度読んだくらいではなかなか理解するのがむつかしい。その意味でも気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この作戦は劉邦自身が自分の肉をえさにして項羽という虎を奔命に疲れさせるというもので、餌になっている劉邦のおびえは、当人でなければわからない。劉邦の戦略は――張良ら幕僚たちが立案するとはいえ――自己を弱者であると規定し、その恐怖感情から発想されたものばかりであった。43p

★「人間はな」言ってから、劉邦は言葉をとぎらせた。人が悲しんでいるときに顔をすり寄せてきて、お悲しいことでございましょう、とおっかぶせてくる奴ほどこまった手合いはない、と言いたかった。……「唱だ」唱はこういうときのためにあるのだ、と劉邦はいった。55p

★戦国のころ、合従策(がっしょうさく)を説いた蘇秦、連衡策を説いた張儀などがあらわれ、その雄弁と奇計をもって諸国の王に説き、おもうがままにころがした。この両人以後、この種のけれんに富んだ外交技術を研究する学派を縦横家という。舌一枚で国の方針が左や右にころぶというなどとおい戦国のころの昔ばなしで、こんにちに通用するはずがない。73p

★酈生は、烹られた。斉王も田横も戦わずして逃げ、斉は韓信によって占領された。86p

★知識人のことを、「生」と尊称する。87p

★策士は、みずから王や帝になれないし、なろうともしない。この学派のひとびとは王や帝になれそうな素材をさがし出し、その者に食い入り、その者のために表裏の工作をし、権変のかぎりをつくしてその者を広大な領土の支配者に仕立てあげるという政治の魔術師ことである。88p

★他の者に対しては、「以後、虞姫(ぐき)を美人とよべ」とふれを出した。美人とはよき人という意味で男につかわれる場合もあり、この時代はまだ性別として不確定なことばで、この場合は項羽の後宮の一階級ということであったろう。ただし項羽には正室はいなかった。138p

 注・この件を読んで虞美人草という言葉を思い出す。これはヒナゲシの別名だそうだが、虞美人が自決したときの血が、この花になったとされる伝説がある、と辞書にある。虞美人草の由来が虞姫にあったと『項羽と劉邦』を読んで初めて知る。

★彭越には後日の運命がある。かれは高祖(劉邦)によって梁王になったが。高祖の妻呂公に嫌われ、謀反の疑いをうけて誅殺された。その肉は塩漬けにされ、ハムのように切りきざまれて、諸侯に洩れなく贈られた。憎しみを共にせよ、という寓意であったが、この塩漬けとそれを啖(くら)うという形式にはこの大陸に食人の習俗があったことを想像させる。151-152p

★刑余ノ罪人ヲシテ項羽ヲ撃滅セシメシ、という刑余者とは、入墨(鯨=げい)をさす。漢軍の陣中にはかつて項羽を裏切っていま劉邦の将である英布(えいふ)がいる。英布は入墨者であるため鯨布(げいふ)とよばれているのだが、このあたりの意味は「鯨布にでもやらせるわい」ということであろうか。165p

★食人之食者死人之事(人ノ食ヲ食セン者ハ人ノ事ニ死ス)。というもので、はるかな後世、日本の静岡県興津の清見寺境内にこの文句を刻んだ碑がのこっている。……記念碑の碑面に、かつての旧幕艦隊の長であった榎本武揚が、旧幕の壮士の死が義によるものであることを一言であらわすために韓信が引用した右の俚諺を刻みつけた。咸臨丸の死者たちの場合の「人」とは徳川将軍家のことである。食を分けあたえられた者はその人のために死すべきものだ、という「人」とは韓信の場合、劉邦であった。劉邦のためならば死なねばならない、と韓信はいう。この大陸の戦国時代がつくりあげた「侠」という激越な倫理はこのみじかいことばのなかで凝縮している。200p

★劉邦が項羽に抱きついてその心臓を刺しつらぬくか、項羽が一刀をもって劉邦の首を刎ね落とすか、どちらかしかない。……項羽は輿に乗って、山道を降りた。……野に降りると、急に士卒たちの様子が萎えて見えた。いままで比較すべき人間を見ないために気づかなかったが、野良で働いている農夫たとくらべても、顔は黄ばみ、足どりは弱々しかった。……項羽の最大の失敗は兵を飢えさせたことであった。かれらの多くは流民あがりであり、食をもとめて故郷を流離するうちに項羽の兵になっただけで、食が尽きれば他へ移っていく習性をもっていた。……かれ(項羽)は楚軍の士卒の中にただよいはじめている死臭に気づかない。266-268p

★敗れれば敗れるほど劉邦の兵がふえるというのは、張良などの苦心があったとはいえ、劉邦の不思議な徳をいうほかはない。277p

★項羽はあくまでの楚人であったということである。
中原からは多分に未開、異質の印象をうけている楚の地のひとびとは、古代の部族国家時代の慣習や道徳習慣、さらには古代的な閉鎖性をその気質や思考法のなかに継承しているのか、血族を尊ぶのである。……が、中原はすでに広域社会になってからの歴史がふるく、血族中心主義だけでは社会も政治もあるいは軍事もうまくゆかないことを知りすぎていた。劉邦などはむしろ血縁の者に生理的な嫌悪を感じているのではないかと思われるほどであり、心から他の才質や勇気を尊び、さらには他人の誠実を信じた。項羽はその逆であったために、かれの唯一の謀臣であった范増さえその忠誠心を猜疑されて去ったのである。289p

★義という文字は、解字からいえば羊と我を複合させて作られたとされる。羊はヒツジから転じて美しいという意味をもつ。羊・我は、「我を美しくする」ということであろう。古義では「人が美しく舞う姿」をさしたともいわれるが、要するに人情という我を殺して倫理的な美を遂げる――命がけのかっこうよさ――といということを言い、この秦末の乱世では、庶民のはしばしまでこの言葉を口にした。290p

★この「義」で結ばれたきずなは、それぞれのあるじの劉邦や項羽といえども嘴(くちばし)を容れることができないほどに、個人間の峻厳な倫理なのである。292p

★張良はその無欲のために漢帝国成立後の功臣や権臣の没落からまぬがれ、すべてのひとびとから敬愛された。そういう留侯張良の家でさえ二代はつづかなかった。張良の死後、その子、不疑が不敬罪に問われ、封地を没収された。305p

★侍女たちは彼女を「虞美人」とよんでいる。生殖する以外に人としてのなんの機能(はたらき)も禁じられている虞姫に対してこれを美人と敬称することはあまりにもその存在の本質を言い当てすぎているようではあったが、しかしこの敬称は容姿をさすのではなく、後宮の女の階級名であった。美人は正夫人をのぞいては最高の位置にあり、漢代になると地方長官の食禄であるところの二千石の冷遇をうけ、収入もその程度の実質をもつ。320p

★楚の国は言語が中原と異なっているだけでなく、音律もちがっている。その音律は悲しく、ときにむせぶようであり、ときに怨ずるようで、それを聴けばたれの耳にも楚歌であることがわかる。しかも四面のごとく楚歌であった。328p

★――天が楚王項羽を亡ぼしたのだ。……戦国末期からこの大陸の文明にあっては、ひとびとは歴史にどう語り継がれるかということで現世での言動を意識して規制する風が出てきている。項羽もまたそれを意識したのである。337p

★項羽の体が、地ひびびきをたてて地にたおれた。……項羽の死骸のかけらを獲ることによって諸侯に封じられた者の名前がのこっている。……以後、烏のほとりのひとびとは、人間の欲望のすさまじさについても物語ることになる。……晩年、かれは(司馬遷)は『史記』を書くにあたって、その諸侯たちの名をさり毉毉げなく書きとどめ、そのことによって人間の欲望という課題についての饒舌を節約した。
 さらには五人の名とかれらが栄達した職名を記すことで、漢楚の戦いというものの本質のひときれを象徴してみせたかのようでもあった。……この愚劣な五個の名前の男たちに対し、劉邦は約束どおりの恩賞をあたえた。……項羽の死は、紀元前二〇二年である。340-341p

 注:五個の名前は項羽の死骸のかけらを獲ることによって諸侯に封じられた者である。5人の諸侯は楊喜(赤泉候)、王翳(杜衍侯)、楊武(呉防侯)、呂勝(浧陽侯)、呂馬童(中水侯爵)だった。

★日本に水田稲作が入ってきた早々か、あるいはそれより少し前の時代が、項羽と劉邦の時代である。春秋・戦国という農業生産力の騰がった時代をへて、中国古代文明が、形而上的な諸思想をふくめて熟成しきったころといえる。……中国史は、ふしぎなところがある。後代のほうが文化的の均一性が高くなるのは当然であるとして知的好奇心が衰弱することである。後漢の末ころからいわゆるアジア的停頓がはじまり、その停頓が、驚嘆すべきことに、近代までのながい歴史のなかに居すわりすづける。が、いわゆる先秦時代からこの時期までの中国は、べつのひとびとによる社会であったかと思えるほどにいきいきしている。344-345p

★……その首領も五千人の食を保証しかねるとなると、首領は四方を探し、五万人の食を保証する者のもとに流民ごとなだれこみ、その麾下に入る。ついには百万人の食を保証する者が最大の勢力を持つことになるのだが、こういう種類の存在を中国では英雄という。日本ではこの定義のように正札のついた英雄はかつて存在したことがない。日本は降雨量が多く、山野に水が涸れることがまれで、たとえ飢饉があっても狭い地域にかぎられ、大陸全土が流民を載せて渦をまくような中国的現象というのはかつておこったことがない。(あとがき)347p

★あえて一息に要約するなら『項羽と劉邦』は、人望とはなにかをめぐる明晰な考察の集大成なのである。(解説 谷沢栄一)362p


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