2020年6月22日月曜日

『峠』(上)

 今、読んでいるのは司馬遼太郎の『峠』(中)。これは上・中・下の全3巻がある。この本の前は『項羽と劉邦』全3巻を読んでいた。中国の、それも古代の話で知らない漢字も多々ある。また登場人物も項羽と劉邦以外は初めて聞く名前がほとんどで読むのも大変だった。その点、『峠』は登場人物も日本人が大半なので読みやすさは『項羽と劉邦』とは比べられない。以下は『峠』(上)(司馬遼太郎 新潮社、平成19年12刷)から気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★鴉は、朝は昇ってゆく朝日にむかってまっしぐらに飛び、夕は、沈んでゆく夕日にむかって目をそらさずに飛ぶ。鳥の種類は幾千幾万あるか知れないが、太陽に向かって飛びうる鳥は、鴉のほかない。
「俺は、そう心掛けている」
 継之助のいう意味は、自分の決めた生涯の大目的(おおめあて)にむかって目をそらさずに翔びつづけようということなのであろう。(112p)

★日本の攘夷思想は夷人をけものであるとし、それゆえに穢れているとするのは、もとはといえばこの牛肉である。夷人は牛の血をのみ肉を啖(くら)う。そういう穢れたる者に神州の地を踏ませぬ、という宗教的感情から出発している。(181-182p)

★継之助の知りたいことは、ただひとつであった。原理であった。……それを知りたい。知るにはさまざまの古いこと、あたらしいこと、新奇なもの、わが好みに逆(そむ)くもの、などに身を挺して触れ合わねばならぬであろう。だから、スイス人の招待を承諾した。(193p )

★「人間には、心のほかに気質というものがある。賢愚は気質によるものだ」
 わからない。
 それを、継之助は懇切に説いてくれた。気質には不正なる気質と正しき気質とがある。気質が正しからざれば物事にとらわれ、たとえば俗欲、物欲にとらわれ、心が曇り、心の適応力が弱まり、ものごとがよく見えなくなる。つまり愚者の心になる。(222p )

★上代の日本人はそのすめらみことの位置を漢訳して天皇とよんだ。日本の天子の位置には宗教性が濃く、たとえば中国の皇帝とはちがっている、と感じたところから、きわめて宗教性のつよいその呼称をえらんだのであろう。
 奈良時代までの天皇は、現実の政治家でもあった。平安時代に入ると、藤原家のような世襲の首相の家が威権を確立し、天皇の政権を代行した。この代行者の歴史が、日本の権力史であった。
 鎌倉期には、武家に移った。天皇は京にあり、日本人の血統の宗家としての神聖権をもつにすぎなかった。以来、足利、織田、豊臣、徳川と権力はつづく。かれらは法律的には天皇家が持つ政権の代務者であったとはいえ、しかしながら現実的には日本の支配者であり、中国や西欧における皇帝とかわらない。(278p)

★家康は死ぬとき――わが屍を西にむかって埋めよ。と命じた。西国大名――長州毛利家と薩摩島津家――に対して関東をまもらん、という意味であった。(281p)

★上代ではいまの北陸道だけでなく、北方の日本海岸すべてを、越とよんだ。……――越人(こしびと)の住む地帯ということであろう。越人とは蝦夷種族のことであり、皮膚の白い、目鼻だちのくっきりした、現在のアイヌ語の古代語のようなものを喋っていたらしい辺境の人種のことである。(356p)

★……河井家は勘定奉行までは昇れる家格なのであった。が、継之助の意志はそうではない。
(人の世は、自分を表現する場なのだ)とおもっていた。(380p)

★「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」(408p)

★継之助は路上に土下座した。土下座し、高梁川の急流をへだてて師匠(注:山田方谷)の小さな姿をふしおがんだ。この諸事、人を容易に尊敬することのない男が、いかに師匠とはいえ土下座したのは生涯で最初で最後であろう。(425-426p)

★「古来、諺がある」
 田舎の三年・京の昼寝――ということわざであった。田舎で三年懸命に学問するよりも京で昼寝しているほうが、はるかに進歩するという。(427p)

★「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」
 継之助は、言った。叡山をひらいて天台宗を創設した伝教大師のことばである。きまじめな小器量者こそ国宝である、というのである。(445p)

★この男(注:継之助)が、幕末の風雲のなかで最初にやった事業は、皮肉なことに藩主の官職をやめさせることであった。皮肉にも、その仕事で腕をみとめられた。(491p)

★日本人がずいぶんの昔から身につけている思考癖は、「真実はつねに二つ以上ある」
というものであった。これは知識人であればあるほどはなはだしい。(496p)

★……無数の矛盾を統一する思想が鎌倉時代にあらわれた。禅であった。
 禅は、それらの諸真実を色(しき、現象)として観(み)、それらの矛盾は「それはそれで存在していい」とし、すべてそれらは最終の大真理である「空(くう)」に参加するための門であるにすぎない、だから意に介する必要はない、とした。(497p)

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