2020年6月3日水曜日

井上靖の本から

 井上靖の歴史エッセイ集『歴史小説の周囲』と『歴史の光と影』を読んだ。この2冊は30数年前に買って読まずにいた本である。井上作品も司馬作品同様に読めない漢字や理解できない漢字が多々ある。これをノートに書き記す。ネット記事によると高田純次もコロナ禍の間、本を読み、わからない文字を書き留めている。同じようなことをする人がいると思って記事を読んだ。

 『歴史小説の周囲』の「肯定と否定」を読むと「願真卿」が出てくる。中国の書家である願真卿。近年、この名前を人から聞いて知ったばかり。井上靖は「願真卿に関するものを読んでいて、最も興味深く感じたことは、顔真卿が多くの信奉者、礼賛者を持っている反面、かなり強烈な否定者をも持っているということであった。顔真卿の流れをくむ柳公権もまた然りである。しかし、これは顔柳ニ家に限ったことでなく、中国の書道史にその名を遺しているすべての書家たちが、同様に烈しい肯定と烈しい否定に支えられ、その中を生き抜けて今日に至っているに違いないのである」(168p)。

 さらに「顔真卿は死後、時代時代によって、否定と肯定の批評を浴びているのであり、そして否定的批評をすらいつか己が名声の道具に使うという結果になっているのである。傑作が生き遺るということは、おそらくこういうことなのであろう」(169p)とある。

 書は全くわかない。が、顔真卿の名前くらいは知っておきたい。

 続いて「揚州紀行」を読む。3年くらい前になるだろう。揚州に出かけた。東山魁夷の絵を見た後だったので、揚州の町を訪ねるのを楽しみにしていた。ところが、旅の始まりから飛行機が遅れて飛ぶ羽目に陥り、揚州に着いたのはその日が終わろうとする頃だ。翌朝も早く揚州の町を眺めることさえままならなかった。井上靖は揚州について「揚州は土まで香ると昔の詩人に謳われたが、私はいまも香気を持っているに違いないその土の上に立ってみたかったのである」(235p)と書いている。再度、ゆっくり揚州に行ってみたい。

 「万厯帝の墓」では明の十三陵の件がある。実際に出かけたことがある場所だが、はっきりとしたことを知らずにいた。「明の時代は一三六ハ年より一六四四年まで二七六年間である。その間に十六代の皇帝があり、北京の十三陵はその中の十三の皇帝の陵墓である。三人の皇帝の陵が欠けているが、初代皇帝の陵である考陵は南京にあり、二代皇帝は行方不明になって陵を欠き、そして七代皇帝は玉泉山の背後に葬られてあって場所を異にしている。従って明の十三陵というのは、初代、二代、七代を除いた、それ以外の十三人の皇帝の陵の総括的呼称である」(258P )。こういうことさえも知らずにいたとは情けない。

 もう1冊の『歴史の光と影』の「私の東大寺」に書いてある三月堂の本尊不空羂索(ふくうけんさく)観音、東大寺戒壇院の四天王、そして「塔・桜・上醍醐」の醍醐寺、の3か所へ行きたくなった。さらに「若き日の高野山」に収めてある「一番強く心打たれたことは、高野山が美しく、きびしく、きよらかな、大師の山であるということであった」(211p)とあるように、今一度、高野山へも行ってみたい。

 国内の旅はもうそろそろ出かけられると思ったが、コロナは収まりそうにない。コロナが早く収束するのを願うばかり。今日は図書館へ行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

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