2020年2月10日月曜日

『逆襲される文明 日本人へⅣ』

 3月に予定している国内3日間バスツアー。この決済をクレジットカードでしようとした。ところが今月末でカードが更新される。新たなカードが届いた。では旅行社に電話して代金決済を、との段階で気分が乗らず足踏み状態。新型肺炎が終息しないと気分が落ち着かない。そしてどこかへ行こうとの気も失せる。これは自分一人でなく誰もがもつ感想では……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 『逆襲される文明 日本人へⅣ』(塩野七生 文藝春秋、2017年)を読んだ。以下は気になる箇所の抜粋。

★ルネサンスとは、疑いから始まった精神運動である。一千年もの間キリスト教の教えに忠実に生きてきたのになぜ人間性は改善されなかったのか、という疑問をいだいた人々が、ならばキリスト教が存在しなかった古代では人は何を信じて生きて来たのか、と考え始めたことから起こった運動だ。だからこそ「古代復興」が、ルネサンスの最初の旗印になったのである。となれば頭の中はルネサンス人的になっていた私の次の関心が、古代に向かったのも自然な流れであった。
  ところが、『ローマ人の物語』を書く勉強を始めながらあることに気づいたのである。……キリスト教がなかった古代を専門に研究しているにもかかわらず、この人々の論調に、ヘソの緒が切れていないとでもいう感じをもつようになったのだ。かれらはどうあがこうとキリスト教徒なのである。……私はキリスト教徒ではない。……こう考えたら、気分は一挙に軽くなった。キリスト教徒でないのだからキリスト教が存在しない時代に生きた古代人を理解するのはより簡単に違いないと思ったら、気が軽くなったのである。(13-14p)

★多神教の古代が終わって中世に移ったら、そこはもはや多神教ではなく、一神教の世界である。神となれば最高神だから、他の宗教の最高神とは敵対関係になる。おかげで中世、キリスト教とイスラム教が激突する世界。それで、なぜこうも宗教ばかりがはばを利かせる社会になってしまったのかという想いで過ごしてきたのだが、その歳月も十二月の半ばに刊行される次作で終わりになる。
 というわけで、ルネサンス、古代と書いてきたがゆえに到達した結論も書いておこう。
 宗教は、人間が自信を失った時代に肥大化する。宗教が人々を助け救おうという本来の姿でありつづけるべきと思うならば、政治でも経済でも機能していなければならないから、これらの俗事をバカにしてはならない、ということ。(15-16p)

★歴史事実は一つでも、その事実に対する認識は複数あって当然で、歴史認識までか一本化されようものならそのほうが歴史に接する態度としては誤りであり、しかも危険である、と答えたのだった。……譲れない一線は誰であろうと譲らない、いや譲ってはかえって、相手の知性を軽視することになると私は思っている。(83p)

★五十年も歴史を書いていながらこうも平凡な結論にしか達せないのかと思うとがっかりするが、それは、自らの持てる力を活用できた国だけが勝ち残る、という一事である。(221p)

★ちなみに、持てる力とは広い意味の資源だから、天然資源にかぎらず人間や技術や歴史や文化等々のすべてであるのは当たり前。つまり、それらすべてを活用する「知恵」の有る無しが鍵、というわけです。 
 わが祖国日本に願うのも、この一事である。(222p)

★西洋の歴史に親しむことで得た確信には、もう一つある。それは、強圧的で弾圧的で警察国家的な恐怖政治は短命で終わる、ということであった。(223p)

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