2020年2月16日日曜日

ミャンマー大周遊6日間の旅

 ミャンマーの旅のブログは下手の横好きで今回も文が長くなってしまった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 某文化交流学会一行16名は2020年(令和2年)1月9日(木)から2020年(令和2年)1月14日(火)までの6日間、ミャンマーへ旅行した。ミャンマーといって思い出すのはビルマの竪琴。この「ビルマ」の呼び方はビルマ語「バマー(Bama)」が口語的、「ミャンマー」が文語的といわれ、語源や意味はほぼ同じで、脈絡的に使い分けられてきた。ここでは現在の国名の「ミャンマー」で統一する。地図は外務省HPより引用。

 連日雲一つなく、真っ青な空に高く聳える黄金の仏塔(パゴダ)や寺院建築が私たち一行を迎えてくれる。これまで出かけた東南アジアのどの国よりもお天気に恵まれた旅だった。また夜は満月と蝋燭の灯りのもと、屋外のレストランで夕食をいただいたこともある。観光中はハンカチで汗を拭い、扇子で涼を取ることもなく季節的にも快適な旅だった。楽しかったミャンマーの旅の模様をここに記そう。


ミャンマー
 
第一日目 2020年1月9日(木)

 旅の朝は早い。午前4時に起床後、「おとなび」利用の3人は始発の新幹線に乗車して福岡空港国際線のベトナム航空カウンターに向かう。皆と合流後、いざ出国、とその前に人生初の経験をする。出国審査がこれまでと違って各自、顔認識と押印は機械操作で実施された。10時半、ベトナム航空VN357便搭乗後、5時間のフライトでハノイのノイバイ国際空港に到着(ここからは現地時間表記)。日本とハノイの時差は2時間遅れ。16時半、トランジット後、ハノイからベトナム航空VN957便でヤンゴン国際空港に向けて離陸する。途中、飲み物と軽い機内食が出た。

 機内トイレを利用しようとすると待つ人が多い。前にいる人がどこの国かも知らず英語で話しかけるとスペイン人だった。スペインと聞いて暇つぶしに片言の英語で話す。こちらの年齢を告げると驚かれる。20歳も若い女性でマドリッド在住という。マドリッドとバルセロナは仲が良くないらしく、しきりに両手の人差し指で双方の地を✖印で表現する。トイレの番が回ってくると先にどうぞ、と勧められる。トイレから出るといきなりのハグでびっくり。こういうことも旅なればこそだ。後で気づく。せっかく習ったスペイン語を一言も発せず。どこの国から?くらいは言えたのに残念。とはいってもその後は返答できそうにない。

  18時、ヤンゴン国際空港に到着(ベトナムとの時差は30分遅れ。ここからミャンマー時間表記)。ホテルに向かう車内で、ガイドのピューさんから各自5000円をミャンマーの通貨チャットに両替する。5000円×13=65000チャットだった。この日は朝早い起床で、時差が2時間半あり夕食は4回目の食事になる。レストランでの夕食は 次々とミャンマー料理がテーブルに並ぶ。美味しくても全部はいただけない。翌朝も早いため22時半就寝。これは日本時間だと25時。宿泊はヤンゴン ベスト ウエスタン グリーンヒルホテル。旅の初日は長い。


ヤンゴン到着のベトナム航空

ヤンゴンのレストランで夕食


ミャンマー料理の夕食の一部
 
ミャンマー料理のご飯
第二日目 1月10日(金)

  4時に起床。パガンで一泊するとまたヤンゴンのホテルに戻ってくる。1泊分の荷物を持参して飛行機に乗る。朝早くホテルで飲んだカプチーノは目が覚めるほど美味だった。ホテルで用意されたサンドイッチ、ゆで卵、バナナ、ジュースのパック詰めは朝食として持参する。5時、ホテルを出発。ヤンゴン空港に着くと給湯器があり、ペットボトルに入れる。7時、ゴールデンミャンマー航空K7208便はヤンゴン国際空港離陸。機内から朝日を拝む。8時20分、古都の面影が漂うマンダレー空港到着。

機内から朝日を拝む
マンダレー 

  マンダレーはミャンマーのほぼ真ん中に位置し、ビルマ王国最後の王朝があった街。かつての隆盛ぶりが色濃く残る。現在も文化と宗教の中心地であり、ヤンゴンに次ぐミャンマー第2の規模を誇る都市として発展を遂げている。

  バスに乗車して観光が始まる。旅の初日の前夜は満月だった。ピューさんはこの日が母の月らしく、お坊さんを招いて法要したという。通りの両側には合歓の木が植えられ、敬虔な仏教徒の寄進によって今でも植樹されている。

古都の趣があるマンダレー空港玄関

旧王宮

 10時半、旧王宮到着後のバス車窓の彼方からマンダレーヒルが見える。仏教国ミャンマーはどの観光地に出かけても黄金のパゴダや寺院建築が輝きを放ち、裸足になって観光する。だが、裸足に慣れておらず大理石の廊下や屋内の木廊を歩くと小さい石や砂などが足の裏を刺激する。痛さだけでなく石の上を歩くと熱さを感じたり、また冷たさを感じたりと子供のようにはしゃぐ。

  旧王宮はミャンマー最後のコウバウン朝の王宮で正方形の敷地の一辺は約3kmある。第二次世界大戦で王宮は焼失し、城壁のみ現存する。旧王宮は1990年に再建され、現在は軍施設となり、その一部が一般に開放されている。高さ8mの城壁内の建物上部には物見の塔がある。旧王宮を見学しているとヤンゴン大学で学ぶ聡明なお坊さんや修学旅行中の賢そうな私学の中学生と出会う。言葉が通じない私たちに代わってピューさんはその人たちに話を聞いてくれた。
向こうに見えるのがマンダレーヒル
  11時半、旧王宮を後にしてレストランに向かう。レストランの建物は開放的で食事後、庭の樹木にはリスがいた。お昼の飲み物はマンダレー生ビールをいただく。生ビールは生ジュースよりも安く2000チャット(日本円150円)だった。
美しく再現された旧王宮

旧王宮内部
物見の塔(上の白い建物)



タマリンドの木
シュエナンドー僧院


 シュエナンドー僧院に向かう道には果物や籠に入れた小動物を売る露店などが並ぶ。ここは19世紀のミンドン王が住んでいた場所で現在は僧院となっている。建物はチーク材で造られており、外壁は緻密な木彫りが施され、屋根や入口の周囲も手の込んだ彫刻が施されていた。僧院の木の廊下を歩いていると入口にモデルらしき美女が蓮の花束を抱えてポーズをとっている。紫の開花した蓮を見て思わずカメラで写す。後でその花束をくれるという。しかし、粗末になるので受け取らなかった。シュエナンドー僧院傍の民芸品店の人は顔に「タナカ」を塗っている。民芸品を購入する人や顔にタナカを塗ってもらう人もいて楽しそうだった。


チーク材をふんだんに使ったシュエナンドー僧院



緻密な木彫りが施してある外壁
クドードォド・パゴダ
 
 クドードォド・パゴダにはユネスコ世界の記憶に登録された世界最大の経典がある。大理石に刻まれた仏教経典を祀った730個の塔が並び、730番目の石板には「世界最大の経典」が造られた経緯が刻まれている。2013年、この729枚の石板はユネスコの世界記録に登録された。真っ白な白亜の世界にいるとこの世のものとは思えないほど幻想的な雰囲気に包まれる。白い小仏塔の間に生える緑のスターフラワーの樹も彩を添える。ピューさんは落ちているスターフラワーを拾って掌に載せて見せてくれる。仏塔を回っていると大きな鐘が目に入る。ピューさんに鐘の突き方を教わって3回鳴らす。鐘を突く木の棒は紐で結ばれておらず、鐘の下に置いてある。鐘に拝礼後、鐘の下方の縁をめがけて突く。皆で順に鐘を鳴らした。

クドードォド・パゴダ入口



仏教経典が納められた730個の小仏塔



白い仏塔に生えるスターフラワー
黄金のクドードォド・パゴダ


金箔工場
  
  クドードォド・パゴダを後にしてバスで金箔工場に向かう。バスを降りると大きな音が響いてくる。中に入ると上半身裸の男性が大きなハンマーでひたすら竹の皮を叩き、薄く伸ばしている。重々しいハンマーの響きを聞くと見るに忍びない。手間暇をかけてやっと金箔が完成すると功徳を施す人々によって仏像や仏塔に寄進される。


ひたすらハンマーで叩く上半身裸の男性

 15時40分、バスでマンダレー空港に向かう。プロペラ機で座席は自由。飛行機は前から自由に座る。これは初めての経験だ。マンダレー空港✈バガン空港はマン・ヤダナルポン航空7Y241便が飛行する。18時、離陸後30分間のフライトでバガン空港到着。満月が一行16名を歓迎してくれた。

  バガンの夕食はホテル屋外のレストランでいただく。満月と蝋燭の明かりが灯る中、近くで行われている得度式の余興が聞こえてくる。拡声器のボリュームを目一杯にしているのか、半端なくにぎやかな夜の宴となる。暗闇の中、鳥、豚などのカレー料理がテーブルに並ぶ。写真に写そうとするが、暗くて写せない。マンゴーの生ジュースを記念に撮った。生ジュースは6000チャット(460円)。

  ホテルの部屋はコテージ形式で趣がある内装だった。ただ、どの部屋もいろいろと問題があったらしく、翌朝、そのことで笑いが絶えない。泊まった部屋はトイレの水が出なかった。これは困った、と部屋から電話しようとするが電話機が壊れて使えない。フロントに出向いてピューさんに告げると係が部屋に来てくれた。水をためるタンクの浮きが変だったらしく、すぐに修理完了。だが、夜中に利用するとまたおかしくなる。浮きを触ると直った。バガンのホテルはダジンガーデンホテル。



バガン空港に満月で迎えてくれた



バガン空港




満月と蝋燭の灯りで屋外で夕食をいただく


第3日目 2020年1月11日(土)

 5時半 起床、6時 朝食。朝食を終えると昨夜の夕食場所へ〇〇さんと散策する。暗くて何も気づかなかったが、ホテル内のパゴダが見える場所での食事だった。レストランの敷地には花弁で”WELCOME ”などの文字があしらってある。朝食後、ホテルロビーでは宿泊した部屋のトラブルやアクシデントで笑いが絶えない。

前夜の夕食場所

旅のこぼれ話その1

 幹事の〇さんは隣室との出来事を面白おかしく話される。皆、笑って涙を流して聞いていると〇〇さんが来られて同じことを話される。〇さんの隣室は〇〇さんと〇〇さんの部屋で、閂一つで隣室と一部屋になる。隣は誰?と部屋割り表で調べると一つ先は〇さんの部屋だ。では隣は誰?とこっそり閂を外す。10㎝くらい開けて隣を覗き見るとトイレとバスが見えた。だが、人の気配はない。外に出て隣室のドアをノックすると〇さんだ。この話を聞いた人は問うた。「〇さん、襲われなかった?」。〇さん曰く「襲われなくてよかった!」。このやり取りを旅の間、何度聞いて笑ったことだろう。

 バスはホテルを出発してニューバガンでの得度式に向かう。その前に、パガンのマーケットに立ち寄る。マーケットには日本では見られない茄子が売られ、殻付きの落花生など購入されていた。

得度式見学

 
 得度式はミャンマー仏教徒の最高の功徳の一つとされ、親族や地域の子供を集めて合同で行われる。この日は12歳前後の女児の得度式だった。式の前から親類縁者を呼び寄せ、当日は地域の人々や知人など数多くの人を招待して食事などの世話をする。また式当日の前日から、自宅近くに設営した無数の電飾に輝く大きな仮設舞台で夜通しのショーが繰り広げられ、地域の人々を楽しませる。幸いこの日の得度式の主催者はピューさんの昔のガイド仲間で現在は会社経営者ご夫妻だった。食後に訪れた私たち一行にまで食事の用意がされていた。

 僧侶を招いての得度式後は華やかな余興が繰り広げられる。この中心的なものが司会者の声とともに打楽器を中心とした楽団を招いて夜通し行われる。これが1週間もある。このスピーカーの大きな音が前夜の夕食会場にまで響いていたようだ。
 


得度式の子供たちと参列者



楽団を招んで繰り広げられる得度式のショー
バガン遺跡
 
 近年、観光の目玉として建設されたバガン ビューイング タワー。ここに上って眺望すると360度遮るものがなくバガン遺跡を見渡せる。それは見事な絶景だ。バガン遺跡は内部空間を持たない仏塔であるパゴダ、内部に仏像を安置したり壁画が描かれたりする寺院建築、そして僧侶が起居する僧院建築の3つから構成されている。バガンはビルマ族によるミャンマー初の王朝が開かれた土地で寺院や仏塔などの数は3000以上もあるそうだ。2016年8月に発生したミャンマー地震によりパゴダの損壊が発生した。これを適切な処置で修復したことから、2019年7月 ICOMOSにより「バガン」の名で正式登録された。ピューさんは移動する車内で寄進するモノの順番を話す。まずはお水、道に植えてある合歓の木などの樹木、そして金銭などがあり、究極は仏塔などの功徳を施すことだという。

バガン ビューイング タワーからの眺め


ビューイング タワーから眺める絶景のバガン遺跡群
 
タワーから眺めるシュエズイーゴオン・パゴダ






タワーから眺めるダマヤッズイカ・パゴダ



タワーから眺めるスラマニ寺院




タワーから眺めるスラマニ寺院
 
シュエズイーゴオン・パゴダ

 シュエズイーゴオン・パゴダはピューさんによると「勝利」の意らしく、バガンを代表するパゴダの一つである。台座の上に黄金の塔が建ち、ビルマ式仏塔の建築様式の基礎となった。釈迦の遺骨と歯が納められているといわれ、仏塔の4隅にある小仏塔には、高さ4mほどの仏像が納めてある。

シュエズイーゴオン・パゴダ



高さ4mほどの仏像

アーナンダ―寺院 

 バガンで最も美しいといわれるアーナンダ―寺院。本堂は正方形で、入り口が4つあり、東西南北それぞれに4体の黄金仏の立像が納められている。高さ9.5mの4体の立像は見る者の立ち位置によって微笑まれて見える。南北の仏像は1091年の創建時のものだが、東西の仏像は再建されたレプリカ。寺院の中央にある高さ51mの尖塔は均整がとれた華麗な美しさで訪れる人を魅了する。




 
バガン一の美しさを誇るアーナンダ―寺院



南側 迦葉仏
西側 釈迦牟尼



北側 拘楼孫仏

東側 拘那含牟尼

 12時20分、バスは移動してレストランに向かう。入口にはミャンマー文字が記されている。ミャンマー文字33字は「〇」を正確に書く練習から始まる。文字を見ると確かに「〇」が基礎になっている。お昼の食事はどれも美味でミャンマービールで乾杯!


レストラン前に掲示されたミャンマー文字
バガン漆工場見学
 
 昼食後、漆工場へ向かう。バガンの漆は植物学的には日本で利用される「ウルシ」とは別の属に分類される「ビルマウルシ」のようだ。そのためか工場の人たちは手で漆を触って作業していた。漆は漆器の他にも寺院や仏像、傘、托鉢用の器などにも
使われ、高価だが、お土産として購入されていた。


タビィニュ寺院

 タビィニュ寺院は65mの高さを誇るバガンでは最も高い美しい寺院である。「タビィニュ」とは全知者を指し、仏陀を意味する。寺院1階に入ると金で覆われた仏像が鎮座する。寺院の外では一角に陣取って絵を描く画家が数人いた。絵は布地に描き、揉んでもすぐに元通りになって破れないそうだ。何人かはお気に入りの絵を購入された。

 タビィニュ寺院には日本人墓地があり、タビィニュ僧院の僧侶が管理している。第二次世界大戦で命を落とした日本人兵を供養する慰霊碑は寺院の管理者が用意してくれる線香を供えて手を合わせた。あたりには誰彼となく唱え始めた般若心経が響き渡る。今の幸せはここに眠る人たちのお陰かもしれない。
 



タビィニュ寺院



金で覆われた鎮座する仏像
 
日本人墓地
ダマヤンジー寺院

 ダマヤンジー寺院は12世紀、15代ナラトゥー王によって建立された。ナラトゥーは自分が国王になるために父と兄を殺した。その罪滅ぼしのため、細工を施した変わった形の寺院を立て始める。だが何者かによって暗殺され、未完のままで現在に至る。地元では夜になると幽霊が出ると噂されている。ダマヤンジー寺院は、基壇一辺の長さが約78mあり、バガンで最大規模の寺院である。


ダマヤンジー寺院
ダマヤンジー寺院の仏像
スラマニ寺院

 ダマヤンジー寺院の近くにあるスラマニ寺院は1183年に建てられ、寺院の姿も洗練されている。1階には東西南北に向いた仏像がある。内部の壁画を見ると仏像などをモチーフにした11世紀のフレスコ画があり、当時の生活や風俗が描かれている。寺院入り口には大きな栴檀(せんだん)の木が繁っていた。


スラマニ寺院
東西南北4体の仏像の1体目
東西南北4体の仏像の2体目




内部の壁面にある11世紀のフレスコ画
 
東西南北4体の仏像の3体目



東西南北4体の仏像の4体目




寺院入り口の栴檀の木

 バガンの観光を終えてバスでバガン空港に向かう。空港まで15分のところには夕陽スポットがあり、多くの人々が集まって夕陽を眺めている。また、パゴダの絵をスケッチする画家もいた。

 18時45分、マン・ヤダナルポン航空7Y241便はバガン空港を離陸し、ヤンゴン国際空港に20時05分到着。空港に着くと数人はトイレに向かう。その間、旅のハイライトともいえることがあった。空港ロビーで〇〇さんと〇〇さんは飛び上がって喜んでいる。誰とも握手しないと大騒ぎだ。ナニゴトがあった?と思って後で〇さんに教えてもらうと……。

旅のこぼれ話その2。

 マン・ヤダナルポン航空7Y241便に搭乗後、ピューさんはCAに機長は誰かを尋ねる。知り合いだった。ピューさんはCAに日本人が搭乗していると告げて日本語の挨拶である「こんばんは、ありがとう」を教えた。CAはこのことを機長に知らせる。飛行機がヤンゴン空港に到着する前、機長は機内放送の最後に「こんばんは、ありがとう!」と日本語でアナウンス。そして、飛行機から降りた機長はロビーで日本人一行に出会うと「こんばんは、ありがとう!」と言って握手を交交わした。また〇〇団長はピューさんのスマホに機長とのツーショットを写されている。機長と握手した人は〇〇団長以下、〇さん、〇〇さん、〇〇さん、〇〇さん、ほかにもいらっしゃるかもしれない。〇さんからこのお話を聞いてその場に居合わせなかったことを悔やむ。今回のミャンマー旅行の目的の一つである日緬文化交流&友好はこれで少しは達成されたかもしれない。

 夕食は一人ずつ膳に並んだシャン料理をいただく。シャン料理は脂っこい料理だがミャンマービールで乾杯!ホテルは初日と同じくヤンゴン ベストウエスタン グリーンヒル ホテル。

 ここでミャンマー料理について一言。『ミャンマーを知るための60章』によるとミャンマーの人々は「米食い」であり、「油食い」だそうだ。ミャンマー人の食用油消費量は大人1人につき年間20㎏。これに対し日本人の1世帯当たりの年間購入量は約8㎏。国産の食用油だけでは「油食い」国民の需要をみたすことができず、マレーシアやインドネシアからヤシ油を輸入しているそうだ。食事後は油で手がベトベトになる。


お膳に並ぶシャン料理(一人前)
第4日目 2020年1月12日(日) 

チャカワイン僧院

 8時にホテルを出たバスは日帰りでバゴー観光に出かける。バゴーはヤンゴンの北東にあり、13~16世紀頃、モン族のバゴー王朝の都として栄えた。チャカワイン僧院入口には騎馬に乗ったアウンサン将軍の像がある。馬は片足を上げている。この足の上げ具合で暗殺、病死などの死因がわかるらしくアウンサン将軍は暗殺だった。

 1000人以上の僧が修行に励む大規模なチャカワイン僧院。お昼前には托鉢を終えた僧が戻ってくる。それまで僧院内を見学すると犬が何匹もうろついている。どの犬も目の前に食べ物があっても決して近寄らず、人を見て吠えたりしない。殺生を嫌う敬虔な仏教徒であるミャンマーの人々は犬と共生し、犬も飼いならされているのだろう。僧院内には広い台所や、ここで修業した歴代の高僧の写真が掲げてある大講堂があった。

  しばらく廊下で待っていると鐘が打ち鳴らされ、托鉢を終えた僧がお鉢をもって入ってくる。僧のなかにはまだあどけない顔の少年もいる。廊下を通る托鉢僧に信者や観光客からの托鉢もあった。



歴代の高僧の写真が掲げられた大講堂
犬も托鉢僧を出迎えた

 お昼のレストランに向かう通りには「YBS」のロゴ入りのバスが行き交う。YBSはイエローバスの意らしく、車体は黄色。このバスはエアコン付きでミャンマーの人々はバスができた時、大変喜んだそうだ。お昼のレストランではパパイヤジュースをいただく。3000チャット(230円)。
 
シュエターリャウンパゴダ

 全長55m、高さ16mのシュエターリャウン寝釈迦仏はバゴー王朝滅亡後、イギリス植民地時代に発見されるまで密林に覆われていた。大きな目を見開いて参拝者を見守ってくれているようなシュエターリャウン寝釈迦仏。ピューさんによると足の裏に模様があれば生きておられる寝釈迦仏だそうだ。寝釈迦仏の周りには寄進した人々の名前が掲示され、背面には寝釈迦仏を物語るレリーフが続く。この日は日曜日とあって家族、友だち、僧院で仏教を学ぶ子供たちなどのグループが円座になって食事をし、参拝後にくつろぐ姿も見られた。



シュエターリャウンパゴダの寝釈迦仏

円座になって食事をするグループ
寝釈迦仏の足の裏に模様がある!
 
チャイプーンパゴダ

 入り口には地元でとれたヤシやココナッツの実をジュースにして売っている。高さ30mの柱の4面のチャイプーン座仏。もらった旅のしおりによると「仏像に従事した4人の女性のうち誰かが結婚すると仏像が壊れるといわれており、1人が結婚したら本当に西側の仏像だけが崩れてしまった」とある。今は修復されて美しい姿を見せている。チャイプーン・パゴダを観光中、大きな木の下で楽しそうにしている若い女性数人にピューさんは声をかける。ミャンマーに進出する中国企業で働くミャンマーの人たちだった。人懐っこい女性たちは私たち一行とも記念写真を撮っていた。
四方を向いた4体の座仏

 16時、バゴーの観光を終えると予定を変更してバスはヤンゴンに向かう。翌日予定のボージョーアウンサン・マーケットが月曜日休業のため、この日に振り替える。ヤンゴン最大のマーケットは観光客と現地の人たちでごった返す。ピューさんはマーケットに1か所だけあるドーム型アーケードの時計下を集合場所と決めて時間まで各自買い物をする。両替した現地通貨を使い切るため珈琲やクッキーなど購入。皆、購入されたようで品薄だった。
 
ここで旅の余談。〇〇さんご夫妻の旦那さんは用があり、奥様はマーケットで一人待っておられた。その時、ミャンマー人ではなさそうないかつい顔の数人が周りによって来る。ピューさんからあらかじめ声をかけてくる人は要注意と聞いていた。奥様は周りに近寄る人たちを不気味と感じ、あたりに響き渡るほど大きな声で「うるさい!」と叫んだそうだ。それでも離れようとしない。何度か「うるさい!」と声を発するとやっと逃げたという。
 18時、市内のレストランでミャンマー風中華料理をいただく。この夜は全員、ボトルの赤ワインで乾杯!またビールで乾杯と楽しい旅の晩餐だった。食事後、敬虔な仏教徒であるミャンマーのNPO(?)が販売する民芸品を購入する人もいた。ホテルは前夜と同じくヤンゴン ベストウエスタン グリーンヒル ホテル。なんと〇〇さんと〇〇さんはライトアップされたシュエダゴォン・パゴダを眺めながらお休みされている。

第5日目 2020年1月13日(月)~第6日目 2020年1月14日(火)

  ヤンゴンのホテルロビーにはミャンマー独特の化粧であるタナカの実演コーナーがある。タナカの木(ミカン科)は乾燥地に生え、この樹皮の粉末を顔に塗ると日焼け止めにもなるようだ。ピューさんも毎日塗っていた。またタナカ以外にもピューさんはミャンマーの民族衣装であるロンジーをその日に合わせて着こなし、身に着けるポシェットも衣装と合わせていた。

  ロンジーは動きをしとやかにさせるのかピューさんは常に冷静だった。『ミャンマーを知るための60章』によるとミャンマーの公務員は「指定の服」着用義務がある。女性は白いブラウスに綿または絹のロンジー姿。男性は白いシャツに指定の色の綿または絹のロンジー姿とされ、履物は男女ともにミャンマー草履。ほかにも政府機関によって服の色が決められている。いわゆる労働者の服装はピューさんによると仕事着で、ロンジーは着ないそうだ。

シュエダゴォンパゴダ


 10時にバスは出発してシュエダゴォン・パゴダに向かう。途中、車窓から船上レストランが見える。シュエダゴォン・パゴダはヤンゴン北部にあるミャンマー仏教の総本山。境内まで上がるエレベータ付近であたりを見渡すと雲一つない空の青さと黄金の建造物、そして長い廊下の蒼い屋根は何ともいえず美しい。エレベータを降りると各自参拝用のお花を受け取る。これをもって誕生日の祠にお参りする。

  ミャンマーの暦は日本の七曜日と、水曜日を午前と午後に分けてそれぞれを一日と数える八曜日の伝統的な暦もある。各曜日には守護動物が決まっていて、皆の誕生日の曜日をピューさんに教えてもらって参拝する。土曜日生まれの守り神は竜。祠の水がめの水を柄杓ですくい、願いを込めてお水をかけた。

  「聖なる」の意をもつシュエダゴォン・パゴダは多くの参拝客を惹きつけてやまない。境内の中心にある黄金の塔は高さ約100m。建物全体には金箔が施され、上部には6000を超える宝石で装飾されている。天高く聳える黄金の仏塔(パゴダ)の前に立つとこれがこの世の現実、と見間違えるほど厳かな気持ちになる。仏塔の周りでは仏像を磨き、功徳を施す人々の姿もあった。

  ここからはピューさんに教えてもらったお話から。お供え物について、ローソクは知恵、花は美しくなる、線香は評判がよくなる、水は悩みが少なくなる、の意味がある。また「お釈迦様はいいことをすれば運命がいい方になる」と説かれ、さらにお釈迦様の教えを話す。それは「悪いことはしないでください。良いことをしてください。自分の心を清らかにしてください」の3つである。観光中もお参りするだけでなく自分の善い行いが大切である、と何度か聞いた。その傍にはインドの聖地であるブッダガヤから木の種を運んで植えたという大きな菩提樹(Bodhi Tree)が繁っていた。

  シュエダゴォン・パゴダの境内には2500年の歴史ある洗髪の井戸がある。持ち込まれた聖髪を最初に洗ったとされる井戸は立派な覆いで囲まれて現在、中は確認できない。シュエダゴォン・パゴダの境内を出る手前でミャンマーの大きなカレンダーを購入する。大半の人が買われたようだ。カレンダーはなんと1000チャット(80円くらい)と恐縮するほど安い。これでは寄進にもならなくて申し訳ない。



空の青さと黄金の建造物、そして蒼い屋根



菩提樹(Bodhi Tree)



シュエダゴォンパゴダ

誕生日の祠



洗髪の井戸

 チャウタッジー・パゴダ

  観光を終えてバスでお昼のレストランへ移動し、円卓で飲茶をいただく。その後、ミャンマーでの最後の観光地、チャウタッジー・パゴダに向かう。高さ17m、長さ70mという巨大な寝釈迦仏は穏やかで美しいお顔だ。足の裏に描かれている108の絵は涅槃の世界を表現している。足の前に立つ看板には英語で書かれた模様の解説があった。
 
 チャウタッジーパゴダ寝釈迦仏
チャウタッジーパゴダ寝釈迦仏の足の裏

 15時45分、ヤンゴン国際空港へ向かう。ベトナム航空VN956便は19時にヤンゴン国際空港を離陸後、ハノイのノイバイ国際空港21時半到着までに機内食が出る。ところが〇〇さんと〇〇さん、そして私の3人は機内食をスルーされる。周りの乗客は食事を終え、CAが飲み物を配っている。機内のボタンで知らせるも梨のつぶてだ。飲み物を配るCAに話してもさっぱり反応がない。何度か機内食がないと告げてやってきたのは「ソーリー」の一言。がっかりした3人はやっとのことで食事をいただく。何度も飛行機に乗るが、こういう経験は初めてだった。ハノイのノイバイ国際空港でトランジットのため空港ロビーでしばらく待機。その後、日付が変わって1時20分ベトナム航空VN356便は離陸し、福岡空港へ向かう。福岡空港までは4時間足らずと短いフライトだった。

 ミャンマー大周遊6日間の楽しい旅は終わった。敬虔な仏教国、ミャンマー。ピューさんが発する言葉にはアウンサン・スー・チー女史に期待するミャンマーの民主化がある。その反面、スー・チーさんの年齢的な面を考慮する。また天然資源が豊富なミャンマーに押し寄せる中国企業の野望を懸念する。そして心に残る言葉はお釈迦様の教え。ミャンマーの人は寺院や仏塔(パゴダ)を寄進することが最も大きな功徳を施すと考えられる。これは『アウンサン・スー・チーはミャンマーを救えるか?』によるとミャンマーが仏教国であっても輪廻転生を重く見る小乗仏教にあるようだ。小乗仏教は人が亡くなるとその瞬間に生まれ変わり、遺骨は持ち帰らない。お墓がないから仏塔に帰依し、お参りする。手に入れた富は固執せずに喜捨し、寄進する。訪れたどの仏塔にもミャンマーの人々が心のよりどころとして共有するお参りの場所があり、また、お参りする人々の姿が絶えなかった。これもお釈迦様の教えによるのだろう。
 
 心洗われたミャンマーの旅。ベトナム航空VN356便は7時(ベトナム時間5時)に福岡空港到着。朝早い到着は皆さん、悟りを開かれたお顔だったかもしれない。いや、眠かった!?旅を企画してくださった皆様、そして旅をご一緒した皆様、楽しありがとうございました。また、皆で楽しい旅に出かけましょう!

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