2016年11月25日金曜日

「優游涵泳」

 ブログを開設して約7年半。そのうち2年間は以前のブログ。何のためらいもなく更新を日課にしてきた。ところがこの頃、疑問を抱く。誰でも閲覧可能なため、時によっては見てもらいたくない人もでてくる。ブログそのものは悪いことではない。ただ、何でもかんでも公にしていいモノかどうか。疑問を抱きながらも非公開を解除して公開にする。人がどういってもええ。ここはもう居直って続けられる限りブログをアップしよう。そして、いい人とだけ接すればそれで由!!気を取り直して今朝もブログを投稿する。

 中西進の『ことばのこころ』(東京書籍、2016年)を読む。その中に「優游涵泳」がある。この本で知った言葉だ。朱子が『論語』を解釈した『論語集注』(ろんごしっちゅう)。その中に見えるコトバだとか。

 「孔子が人間の成長過程にしたがった勉強の仕方を教え、『七十にして、心の欲するところに従いて、勅を越えず』(七十歳になったら気持ちのままに勉強するのがよく、一定の基準を超えてはいけない)といったのに対して、朱子が説明を加えた。それが『まさに優游涵泳して、等を躐えて進むべからず』というものであった。『優游涵泳』とは、優しく、遊び心を持ち、体に水を浸すように学問の中に入り込み、ゆったりと泳ぐような勉強の態度である。焦ったり、無理をしたりして勉強してはいけない。年齢相応の学び方があるはずだから、それを重んじて勉強するのがよいというのである」。95-96p

 筆者はこう述べ、これは七十歳に限らず「ゆったりと事の本質の中に身を委ねることが、いい結論を生むのではないかと思う」という。

 人との闘争心に欠けている。その自覚があるためか、争い事は嫌い。いつも言うように煩わしいヒト・モノ・コトが大嫌い。もうほっといてくれ!とどれだけ言ってもわからない輩。困ったものだ。

 「優游涵泳」とはちょっと意味が異なるかもしれない。昨日も泳ぎに行く。だが、ゆったりとは泳げない。どうじゃ、こうじゃと言っても水の中では和気藹々としている。もうすぐこのプールに通って丸3年がやって来る。時の流れはゆったりどころか急ぎ足?「優游涵泳」、いい言葉だ!

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