2014年5月9日金曜日

「『終活』無用のすすめ」

「文藝春秋」五月号に梅原猛は書いている。それは「世の中何が起こるかわからない『終活』無用のすすめ」。

メディアを賑わす「終活」、このキーワードはパソコンの変換ですぐには表示しない。使用しているパソコンが古いのか、それともこの言葉が新しいためか。いずれにせよ、この言葉は好きではない。

ところがヒトと話したりすると、ご丁寧にこの作成云々を言われることがある。それを聞くたび、うんざりする。

昨日、図書館でざーっとこの頁に目を通す。数え年90歳になるという梅原。「好きな本を読み、ものを考え、ものを書くことだけをして暮している」とか。これまで生きてきて「世の中何が起こるかわからないということである。死ぬ準備をしても、あと十年生きるかもしれないし、明日コロッと死ぬかもしれない。人生は思いがけないことが起こるから楽しい」という。

これを読んで気分もスッキリ。死ぬことばかりを考えてその準備をしておくなんて到底考えられない。

かなり前、そう、こういう話題すらなかった時代、吉行あぐりのエッセイを読んだことがある。ヒトから先々を心配する言葉をかけられることがある。そのたび吉行の書いていたことを話題にした。

それは日本の社会は犬や猫が道端に倒れていても、誰かが何とかしてくれる。ましてやヒト様がそうなっていると、ほっておくはずがない、というような内容だった。

これを読んだ時、さすがに生き方が偉い、と思った。吉行は100歳を越した今でもご存命。

一先日、スリランカで知りあった宮崎のお坊さんからお寺の機関紙が送られて来た。2月に旅行されたトルコが素晴らしかったらしく、その余白に「トルコ最高でした」と書いてある。

中を読むと、お坊さん側から「人生に必要な友は医者に坊主に警察官」と書かれている。これらはいずれも公共の職だという。

この3人の考えからすると、先を思い煩って「終活」することはとんでもないお話になる。

誰がこういう言葉を考えるのか、嫌な言葉はなるべく目にしたくないし聞きたくもない。当然、話題にもしたくない。それよりも毎日を楽しく過ごしたい!

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