2013年10月31日木曜日

「涙活」

一時期、なんでもかんでも「~力といって持て囃された。ところがこのごろは「~活」が使用される。最近目にしたものは「涙活」。涙にある種の活力があるらしい。

この涙。何と「涙語」まである。「~活」が一通り活用されたならば、「~語」が流行るのだろうか。 いずれにしても誰がこのような新語を生み出すのだろう。

新語ではないけれど、昨日、図書館で読んだ日経新聞に掲載されたある諺に思いを馳せる。

利根川進が「私の履歴書」に書いている「禍福」である。 

一世を風靡し、世間からは何不自由なく幸せに思える人たち。だが、よく知ると実際はそうとは限らない。昨日もそう感じた。 ノーベル賞を受賞し、きれいな奥さんと結婚し、2男1女を授かる。どの子供達も聡明でまるで絵に描いたような生活。そういう一家だと昨日まで思っていた。

ところが、新聞を読んで吃驚。 

1,2ヶ月前、徹子の部屋に出ていたデヴィ夫人。その人も艶やかな衣装をまとい、何不自由なく暮して幸せそうに見える。ところがTVで話した内容はそうではない。

自身がインドネシアで暮す際、日本との連絡を1年間断つよう促される。その時、母と弟の2人の家族を採るか、大統領をとるかを選択。選んだのはインドネシア。だが、連絡は一切ダメ。 

その間、早稲田大学に通っていた弟は自ら命を絶つ。夫人にとってはそれが自らに課せられた一生の十字架だと話す。その為か、インドネシアで暮らした宮殿は弟の名前をつけたヤソオ宮殿

 これは、利根川も同じことをいっている。彼の次男も18歳の若さで自ら命を絶つ。 

利根川も次から次へと幸運に恵まれる。時に「大丈夫かな」という気がしていたとか。その矢先の次男のアクシデント。

利根川は宗教を信じていないが、天が禍福を調整したのではないか、と。もしそうならば、ノーベル賞はいらないから子供を返して欲しいという。そして一生十字架を背負って生きていくという。 

母は弱音を吐くといつもこう言って慰めてくれた。「すべてが揃った家はないし、すべてが揃った人はいない」。

 どの人も何かを抱えて生きている。

今こうして元気でいられるのも、小さい頃の弱かったという「禍」がもしかして「福」になっているのかもしれない。そう思う。だがそれもいつまでも続かない。そのことも知っている。「禍福はあざなえる縄のごとし」。

 さっきNHK第二放送で聞いたラジオ体操の最後の言葉、「今日も元気で頑張りましょう!」。ここまで書いて「涙活」になってしまった!今日も元気を出そう!

2 件のコメント:

  1. 台湾に行っていたんだね。僕も忙しくて北海道から戻り今日月末締めの業務を終わらせて久々にブログ読んで知りました。言葉も掛けられずすいませんでした。無事に楽しく行かれた様子を見て安堵したところです。また写真のアップ楽しみにしていますね。さて明日から11月、元気を出して頑張りましょう。。

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  2. 舛井様
    コメントありがとうございます。毎日お忙しそうですね。ブログから伝わります。台湾へいってきました。楽しい旅でした。台湾はいい国です。しかし、いろんな問題も抱えています。知らないことも多く、旅行記を書いてそれを理解したい、そう思っています。またブログにアップします。ありがとうございました!元気で頑張ります。

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