2013年5月6日月曜日

西国街道沿いの旧宅を見に行く


武士の家で使用されたという棺

屋根まで届く大きな石の手水鉢

旧宅の広い庭園

今朝の地元紙を見ると「GWも終わるよ。これからは旅のシーズンだ!」とでもいわんばかり。全紙面34pのうち紙面一面の旅広告は5p、一部紙面の旅広告は7pもある。

その紙面を飾るのは大手旅行社と2,3番を競う旅行社。だが不思議と近畿ツーリストはない。近畿はどちらかといえば全国紙で宣伝して地元紙ではほとんどしないのだろうか。後で図書館で今日の全国紙を見てみよう。

これまで海外に出かけて利用した旅行社、旅行地と日程をメモしている。その大半はJTBと近畿日本ツーリスト。だが後者は10年近く海外に行かないうちに忘れさられてしまった。それでも相変わらず忘れられず、旅の案内の葉書をよこすのは日本特殊旅行。昨日も葉書が届く。パキスタンへ行ったとき利用した会社だ。あれから23年。その旅行社は「みんぱく」の機関誌の宣伝で知る。文化人類学専門の「みんぱく」はマイナーな地の記事が多い。そのため、この旅行社の募集先はかなり辺境の地。今では辺境の地へ出かける勇気もない。

昨日は先月から月に3日、一般公開される広島県指定文化財、広島県指定名勝の「旧千葉家住宅」を見に行く。行くといっても歩いても10分足らずで行ける場所。小さい頃から誰が住んでいるのだろうというくらい大きな石垣の塀の家で外から見るとまるでお城だ。それを見に行ける、と思って一般公開日の昨日見に行く。

旧山陽道(近世山陽道)の西国街道沿いにある一軒の家。個人では維持管理に限界があったのか、一昨年持ち主から町に寄贈される。

もらったパンフに寄ると文化財に指定されている屋敷棟は1774年の建築で戦時中、一部が撤去され今では半分の大きさになっている。

50年近く前から住居として使用されていない。旧宅の横に2階建ての家が建っている。そこに20年前まで主が住んで屋敷の管理をしていた。今ではそのすべてを町に寄贈する。

自宅最寄駅からすぐの場所にこういう風情ある家があるとは・・・。中に入ると広い日本庭園で鯉も泳いでいる。庭には大きな樹木も植えてある。山奥ならまだしも、JR駅から数分もかからない場所にある一等地だ。

一番驚いたのは甕の棺。係りの人に教えてもらってそれを見る、「西太后」の映画で東太后が甕に入るところがある。まるでその甕のように大きい。その高さは1.3か4mくらいあり、その直径も1m以上もある大きな甕。係りに聞くと昔の武士は甕の棺だったとか。その家の主が自分用にと購入していたものらしい。

次に部屋に上がり、お風呂とトイレを見る。トイレの後の手水鉢。これにはびっくり。家の高さほどもある大きな一枚の石でできた手水鉢だった。昔の人が何にお金を掛けていたかがわかってくる。

この旧宅もこれから手を加えられて観光地となるかもしれない。

我が家の家の周りを見ると今は家も建て代わり、主のいなくなった家は売りに出て更地となる。そしてその後には必ずといっていいほど某住宅会社の30年借り上げ賃貸住宅になる。その建て方はすべて同じ。30年たてば、我が家の周りは同じ建物に取って代わるのだろうか。

しかし、昨日の家のように代々受け継がれる家もある。

海外にばかり目を向けず、たまには昨日のように地元にあるよさも再認識しよう。とはいっても今朝の地元紙の宣伝にある「中欧」などの外国や「恐山」、「利尻・礼文島」といった日本の秘境にも惹かれてしまう。是非一度は行ってみたい場所だ。

いつか行く日のためにも、元気を出そう!今日も張り切って!

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