「犬も歩けば棒にあたる」、昨日はまさにそうだった。
昨日の午前中は姉夫婦と一緒に墓参りをする。姉は庭先に咲いているグラジオラス、カラー、芍薬などを手に抱えて我が家にやってくる。その一部を仏壇前の大きな花瓶に活ける。
墓参りを終えると自転車に乗って再度外に飛び出す。初夏の風に吹かれて気持いい。
午後からは、友人が出品する絵画展を見に美術館へ出かける。特別展のない美術館は静まり返っている。だが、美術館の地下の展示室4室はいずれもどこかのグループが展示している。友人のところは油彩、水彩やデッサンなどだ。友だちは昨年出かけたイタリアの風景をバックにした人物画を5点出品。
絵画に疎いモノにとって何がいいのか悪いのかよくわからない。だが、見ていていいと感じるものはいいのだろう。友人も上手に描いている。習って5,6年になるらしい。だが他の人は何十年選手だとか。上手いはずである。
左隣の展示室を覗くと七宝展。この焼き物も小物ではなく絵画として創作している。なかなか見る機会もなくすばらしかった。創作方法を知りたくなるほど緻密にできている。だが、係りは接客中で聞けず。後でネットで検索しよう。
右隣の展示は墨画展。30数年前、水墨画を習ったことがある。会場を見渡すと今年から教えているというヒトから名刺を貰う。そしてしきりに、「電話をかけてください」と言われる。どうも習いに来てくださいという意味らしい。だが展示してある作品を見ても墨は薄く、作品の大半は書だった。
書の書体も好みでなく習いたい気持にならない。だが名刺をくれた人と話すとその人がはじめについた先生と私の以前の先生は同じ人だった。だがその先生も4年前に他界されている。
3箇所の展示を見終えて友人と受付で話をする。話している間にも会場に人がやってくる。そのなかには隣の美術館の一番偉い学芸員も見に来られている。友人はその人としきりに会話する。後で知ったことだが、となりの墨画についても話したらしい。もうこれ以上書くのはよそう。
友だちは昨夜遅く、電話をかけてくる。その墨画を習うのでは?と心配してくれる電話だった。その場でその感想を一言ももらしていない。それくらい疑問に感じていた。だから習う気持ちはさらさらない。そう告げると安心してくれる。
昨夜の友人はコーラスをすすめてくれた人。会うとすぐ、来週から始めるコーラスの会場までの地図をくれた。その人は出品した人物画や水彩、油彩も同じ先生に習っている。その先生は広島でも有名な先生で自宅アトリエで習っているという。油絵もすすめてくれる。だが一度に新たなことを始めるのは大変。その人もそういってくれる。
しかし、いつか油絵も習ってみたい。新たなことに挑戦する気持ちがなくなったら老いぼれてしまう。そう、好奇心がなくなってはいけない。
長沼氏の昨日のツイッターを見ると「好奇心」を「おもいやり」とともに人間の持つ美徳だとスペシャル・インタビューで話している。
それは情報オピニオン誌「水マネジメント 2013 VOL.21」。ネットで見ると「ホモサピエンスはどこへ向かうのか 人間の本質を理解することから始めよう 長沼毅」。
その一部を引用すると「経験から得られる思いやりと好奇心」では、「思いやりは、人間が持つもう一つの美徳である『好奇心』と裏腹の存在です。好奇心は人間に特有のもので、私は一番美しいと思っています。過去を参照しながら新しいものをイマジネーション、イノベーションを起こすのが好奇心だとすると、相手のこころの中をおもんばかり、想像し、検証し、自分の言動を軌道修正するのが思いやりです。想像力の欠如と思いやりの無さは、根本的に同じことだと思います。」。
昨日の友人は思いやりのあるヒト。昨夜は午後8時まで当番の受付らしく、一人途中で会場を後にする。ところが、何と嬉しいニュースが目の前に飛び込む。
美術館を出る間際、情報ボックスのところで古澤巌が岩国シンフォニアでコンサート開催のチラシを見つける。嬉しかった!すぐにそれを手にして友人のところへ引き返し、知らせる。
そこでまた他の人も加わってコンサートの話になる。そのとき、友人と一緒にいた人の口から「マーブリング」を聞く。初めて聞く言葉。「マーブル」といえばマーブルチョコレートくらいしかわからない。
その初対面の人から美術館へ来るまでしていたというマーブリングのマーブル・ペーパーをもらう。これで絵を描くようにとのことらしい。
そして昨夜遅くかかってきた友人の電話では昨夜知り合った人と3人でいつか食事に行く話も出る。
「犬も歩けば棒にあたる」、昨日はそんな一日だった。やっぱり家でじっとしていてはいけない!?
今日も元気で楽しい一日にしよう!そして古澤巌のチケット、早く入手しよう!
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