2013年5月20日月曜日

『旅だから出逢えた言葉』

昨日は雨の中、泳ぎに出かける。雨の降る日は泳いだ後、ドライヤーで髪を乾かしても乾かない。だが、昨日を逃すと当分泳ぎに行かれそうにない。そう思ってプールへ行く。

雨が降っていてもさすがに日曜日の午後。大・小2つのプールは子供連れの親子などで賑わっている。プールに入ると先客がいる。その人に泳ぎが遅い旨、断って泳ごうとする。すると「よく泳ぐね」と泳ぐ前に言われる。そう聞いて不思議がると「いつも見ている」といわれる。

泳ぐとき度入りのゴーグルをつけている。だが、それでもコンタクトほどよく見えない。そのためプールで声を掛けてもらっても顔を覚えていない。次にプールで会っても知らぬ振りをしてしまいそう。目が悪いことも断って泳ぎ始める。

昨日は泳ぐ人が多かった。18往復して早めに引き上げる。家に着くと友だちから電話がかかっている。すぐに掛けなおすと放送大学にいるという。それにしても友だちは精力的に動き回っている。いつ、ゆっくりしているのだろう。見習わなくてはいけない。

以下はいつものように図書館で借りた『旅だから出逢えた言葉』(伊集院静 小学館、2013年)を読んで抜粋したもの。ここに記そう!

筆者の今の奥さんはカトリックの信者。そのためか、この15年位前から出かけた外国への旅もスペインなどのカトリックの国の話が多い。その旅を通して出逢った言葉を話題にして文を書いている。

「人間は何かを失ってはじめて、その大切さ、その慈愛に気付く。家族、肉親、友との死別がそうである。母国語にはそれと似た普段は見えない言語の愛のようなものが内包されている。この国の言葉は、その国にしかない風土、暮らす人の精神がさまざまな言葉、音韻を生み、長い時間をかけて熟成し、民が守り続けたものである。言葉にはその国の人々の祈り、希望、忍耐・・・・といった生きてきた証が宿っている。私たちは自分たちの言葉を大切にしているだろうか。日本語が失せるということは日本人がこの世からいなくなることである。」(58-59p)

「この本(小泉信三著『読書論』(岩波新書版))のなかで、森鴎外も同じようなことを言っていた段が紹介してあった。本を閉じて、昼間のモネとモーダンのことを思った。子供の描いた風刺画はすぐに褒められ、小遣い稼ぎにもなる。しかし、それはすぐに失せてしまう類のものだ。“すぐに役に立つものはすぐに役にたたなくなる”、至言である。旅先で読んだ本が偶然に物事を教えてくれた。印象的な旅となった。」(73p)

「若い人たちに旅をすすめるのは、広く見聞を深めることもあるが、私は若い時に、自分が一人であるのを知ることが一番大切なことのように思うからである。一人とはすなわち個であり、孤独であるということだ。・・・自分という存在は先ず独りで歩いて行かねばならないことを身を以って知るには、誰一人知り合いのいない海外での一人旅はいいのかもしれない。(若い女性にはすすめられないが、と筆者は断わって書いている)・・・孤独を知れば己の弱さも見えるし、何より家族の愛情、仲間の友情というものがいかに素晴らしいものかがわかってくる。これを経験した人と、そうでない人はやがて生きる姿勢に大きな違いが出てくる。海外に旅に出て、寂しさを感じるときは間間ある。」(75p)

「人は善き大人でありたいと願う。善き大人の条件のひとつにその人が善き友を持っているかが挙げられる。そしてその友の中に、その人より歳が若く、しかも尊敬できる友がいるなら、その人はいい出逢いをしたと言えるのではなかろうか。若い人と出逢い、語らい、さまざまなものを教えられる時、私は人生はなかなかのものだと思う。」(133p)

筆者のいう「その人より歳が若く、しかも尊敬できる友」はいる。大半の友は若い。そしてどのヒトも尊敬している。筆者にいわせれば「いい出逢い」をしているのだろう。

「ピレネー山脈を下った場所にパンプローナというちいさな町がある。・・・このパンプローナから南へ行くと、ハビエルというちいさな町がある。そこに古いお城がある。ハビエル城。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの生まれたい家が、このハビエル城である。この城の中のちいさな部屋に、古い椅子があるのを何年か前に知った。・・・今は聖人となり、オーストラリア、ニュージランド、ボルネオ、中国、東インド諸島、日本のキリスト教守護聖人となっているザビエルが少年時代に思索する折、座っていた椅子である。・・・椅子に座るとたったひとつの窓から外を眺めることが出来た。そこにピレネー山脈と青空が広がっていた。」(38-39p)

2年弱前にスペインへ出かけた時、ハビエル城へ行った。この「ピレネー山脈と青空が広がっていた」はまったくその通りだった。何か物寂しげな城だけれど、この青空にそびえる廃墟の城はとても新鮮に目に映っている!

「ヨーロッパに日本人の人となりを最初に伝えたのはザビエルだった。ゴアにいる友人にあてた手紙にザビエルの率直な日本人の印象が記してある。『日本についてこの地で私たちが経験によって知りえたことをお知らせします。~この国の人々は今まで発見された民の中で最高であり、異教徒で日本字より優れている人々は見つけられないでしょう。』~」(40p)

「『プラド美術館の三時間の訪問がもたらす最高の成果は、きっともう一度訪ねねばならないと感じることであろう。』(『プラド美術館の三時間の』の序章でドールスが語った言葉)九十年も前にひとりの美術家が語った言葉が、私には今、まさに真実だと感じられる。・・・美術館とは不思議な世界である。そこの足を踏み入れた途端、現在の時間は止まり、ゆっくりと過去が寄せてくる。」(204-205p)

プラド美術館では筆者の述べているように3時間から4時間は訪問した。今でも鮮明にこの美術館を思い出す。知人とパンフを手にして、掲載されている絵画などほとんどは見て廻ったことを・・・。

「運が良かったのだと思う。不思議と手を差しのべてくれる人が次から次にあらわれ、青年は旅へ身をおく生き方ができるようになった。旅へ出てみると、そこには自分が見も知らないものがあふれていた。文明、文化以上の、ここに人間が生きている証がいかなる土地にもあった。・・・それでも旅を続けたのは、自分がどこか何かが待つ土地があるのではと思ったからである。」(219-220p)

「なぜ人は旅に出るのか。
なぜ人は旅に焦がれるのか。
何故人は故郷を離れようとするのか。
それは永遠の謎のように思う。人類がこの土地に誕生した時から、私たちの体のどこかに“旅へ出なさい”と言う声が消えずに残っているのではないかと思う。」(220-221p)

もう少しするとまた旅に出る。ツアーの旅なので本来の旅とは趣を異にするかもしれない。とはいっても最後のこの筆者の言葉は当てはまる。なぜ異郷に出かける旅をするのだろう。ともあれ楽しい旅をしよう!そして今日一日も楽しく過ごそう!

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