昨日電話をもらった人と何年ぶりかで会ってきた。結婚式以来?というとそうでもないという。いずれにしても長く会っていない。見た感じでは元気そう。ホッとする。
市内中心部で会う。高い場所がいいというのでホテルの上でランチ。食べながら病気について話し始める。昨日の電話で聞いたとおり、10分遅れれば命とりの意味がわかる。
元気になったので会えるうちに、会いたい人に会おうと思ったらしい。そして元気なうちにしたいこともすると話す。大病をすればそう感じるのも当然かもしれない。旅行にも行くと話していた。出かけられるときに出かければいい。
その旅行、今日聞いて改めて知ったことがある。海外旅行である。彼女と知りあった頃、海外へ行こうと誘われても頑なに行かないと言っていたらしい。そして、自転車も水泳もすすめたと言う。自転車と水泳に関しては彼女の言うとおり。海外旅行に関してそうだったとは意外である。
今や、この3つは私の人生で欠かせない。それがすべてその人の影響を受けていたとは・・・。まだ他にも大事な恩恵を受けている。それはいずれまた・・・。ますます我が人生の恩人である。思わず「大明神!」と言ってしまった。
その大明神であるその人はもうその効き目がないかもしれないと笑って言う。そういわずにこれからもよろしく!
そして彼女と反比例するように「ますます元気になるね」と言われる。全くその通り。我ながら元気だと思う。最近の喉の調子を除いては・・・。その喉も彼女に言わせると前と同じ声だと言う。自分ではまだ本来の声ではないと思うけど・・・。
彼女は県北に住んでいる。これからも時々暇を見て会おうと話す。それには元気が・・・。ともあれ元気なうちに会えてよかった!近いうちまた会いましょう!
ブログ投稿後、メールをチェックする。嬉しい知らせがあった。何と今日、無事四川省へ手紙が届いている。メールには送った商品のデパートのロゴを見て広島で過ごした日々を懐かしく思い出したという。そしてメールの最後には「〇〇さん、〇〇さんは私たちのよい友人で、是非もう一度来てくださいね。」と書いてある。
機会を見てまた伺いたい旨のメールを送信する。
今日は何もかもいい日となった。ホッとする!
2012年5月31日木曜日
2012年5月30日水曜日
懐かしい人からの電話
先ほど今日のブログを投稿する。ところが、ところが・・・。先ほど夕飯を済ませ、片づけをしているとき、何気なく携帯電話を見る。何と懐かしい人から電話がかかっている。
携帯電話にかかることはあまりない。そのため家にいるときは適当なところに置いている。当然電話があってもわからない。
すぐに電話をかけなおす。その人にはお世話になっている。またいろいろと影響を受けた人。5歳も年下だが、お姉さんの感じがする。30代まで、あまり積極的なほうではなかった。その私をぐいぐい引っ張り出してくれた人。泳ぐきっかけを作ってくれたのも彼女。ほかにもブログに書けないほどの恩恵を受けた。もしかして今までの人生で一番の恩人かもしれない。
お世話になったことを忘れてはならない。ところが、その人とはもう何年も年賀状だけで電話をしても通じず心配していた。それが先ほどの電話である。もうびっくり!
かけなおすと元気な声。だが、昨年10月、生死をさまよったとか。大きな手術をしたらしい。
今どこ?と尋ねると市内にいるという。住まいは県北。暇が出来たら一番に会いに行くべき人だった。それが明日、やっと実現する。もうかなりの年数会っていない。もしかしたらその人の結婚式に出席して以来かもしれない。
話の中で中国に行った?と聞かれる。やっぱり中国のイメージは私から離れないようだ。
今日は一日じっとしていた。やっぱり神様は私をじっとするようにはなさらない。明日はその人と久しぶり会ってランチを共にする。まだ声は変だけど・・・。
携帯電話にかかることはあまりない。そのため家にいるときは適当なところに置いている。当然電話があってもわからない。
すぐに電話をかけなおす。その人にはお世話になっている。またいろいろと影響を受けた人。5歳も年下だが、お姉さんの感じがする。30代まで、あまり積極的なほうではなかった。その私をぐいぐい引っ張り出してくれた人。泳ぐきっかけを作ってくれたのも彼女。ほかにもブログに書けないほどの恩恵を受けた。もしかして今までの人生で一番の恩人かもしれない。
お世話になったことを忘れてはならない。ところが、その人とはもう何年も年賀状だけで電話をしても通じず心配していた。それが先ほどの電話である。もうびっくり!
かけなおすと元気な声。だが、昨年10月、生死をさまよったとか。大きな手術をしたらしい。
今どこ?と尋ねると市内にいるという。住まいは県北。暇が出来たら一番に会いに行くべき人だった。それが明日、やっと実現する。もうかなりの年数会っていない。もしかしたらその人の結婚式に出席して以来かもしれない。
話の中で中国に行った?と聞かれる。やっぱり中国のイメージは私から離れないようだ。
今日は一日じっとしていた。やっぱり神様は私をじっとするようにはなさらない。明日はその人と久しぶり会ってランチを共にする。まだ声は変だけど・・・。
TV映画を見る
昨日と違って今日は過ごしやすい。午前中、自転車で買い物に出かけた後は家にいる。よく利用する図書館も整理月間に入り休みが続く。声も治ってきた。だが、完全になおすため人とも会わずに家にいる。
午前中、大丸・松阪屋の通販カタログで電話注文する。デパートのカタログは、母を介護していて手に入りにくいものを買っていた。買い始めたのは訪問看護師に教えてもらったことによる。一度買うと年に何回か送付されてくる。
今日は久しぶりに注文する。昨日眼科に行った際、教えてもらった鏡を購入。鏡は偶然カタログに掲載されていた。そのほかにも2点買う。モノを増やさないようにと思う。だが、見ていてつい誘惑に負けて買ってしまう。
注文を終えると昨日出されたスペイン語の課題をする。6月初旬までに出す課題なのにすぐにやる。習いはじめて2ヶ月。それなのに日本語をスペイン語に訳す課題がB5のプリントで一枚ある。すんなりと訳せず教科書と辞書とで悪戦苦闘。
それを終えると新聞のTV欄を見る。「遥か群衆を離れて」という映画がある。映画はほとんど見ない。それなのに映画のタイトルに惹かれTV映画を見る。1967年のイギリス映画。
1時から3時間近くもある。その間、少し中断があるものの終わりまで見る。今日ほど集中して映画を見ることはなかった。いい映画だった。映像ではランプの生活。電気のない時代だろう。
農場主の姪とそれを取り巻く人間関係を描いている。主役の農場主の姪はとても美人。美人の周りにはさまざまな男性が取り巻く。主に3人の男性との話。さすがに配役はその役にふさわしい人がなっている。
見ていて、イギリスの牧歌的な風景が気に入った。広々としている。イギリスといえば、ずいぶん前ロンドンに2泊しただけで行ったとは言えない。当然広々としたイギリスを知らない。映画に誘われて行きたくなってくる。
見終わってTVの前でじっとして見ていたなあと一人感心する。かなりこの映画に惹かれたのだろう。
午後1時からNHKBSで毎日映画があるようだ。あまり気に入って映画ばかりを見るようになると外へ出なくなる。これも困ったものである。とはいっても喉が治れば家でじっとしていない。それまでは家でゆっくりするのもいい!?
午前中、大丸・松阪屋の通販カタログで電話注文する。デパートのカタログは、母を介護していて手に入りにくいものを買っていた。買い始めたのは訪問看護師に教えてもらったことによる。一度買うと年に何回か送付されてくる。
今日は久しぶりに注文する。昨日眼科に行った際、教えてもらった鏡を購入。鏡は偶然カタログに掲載されていた。そのほかにも2点買う。モノを増やさないようにと思う。だが、見ていてつい誘惑に負けて買ってしまう。
注文を終えると昨日出されたスペイン語の課題をする。6月初旬までに出す課題なのにすぐにやる。習いはじめて2ヶ月。それなのに日本語をスペイン語に訳す課題がB5のプリントで一枚ある。すんなりと訳せず教科書と辞書とで悪戦苦闘。
それを終えると新聞のTV欄を見る。「遥か群衆を離れて」という映画がある。映画はほとんど見ない。それなのに映画のタイトルに惹かれTV映画を見る。1967年のイギリス映画。
1時から3時間近くもある。その間、少し中断があるものの終わりまで見る。今日ほど集中して映画を見ることはなかった。いい映画だった。映像ではランプの生活。電気のない時代だろう。
農場主の姪とそれを取り巻く人間関係を描いている。主役の農場主の姪はとても美人。美人の周りにはさまざまな男性が取り巻く。主に3人の男性との話。さすがに配役はその役にふさわしい人がなっている。
見ていて、イギリスの牧歌的な風景が気に入った。広々としている。イギリスといえば、ずいぶん前ロンドンに2泊しただけで行ったとは言えない。当然広々としたイギリスを知らない。映画に誘われて行きたくなってくる。
見終わってTVの前でじっとして見ていたなあと一人感心する。かなりこの映画に惹かれたのだろう。
午後1時からNHKBSで毎日映画があるようだ。あまり気に入って映画ばかりを見るようになると外へ出なくなる。これも困ったものである。とはいっても喉が治れば家でじっとしていない。それまでは家でゆっくりするのもいい!?
2012年5月29日火曜日
暑くなる!
部屋の気温28度4分、湿度45%。電波時計は快適を示さず蒸し暑く感じる。
今日も3コマ目の講義を受けに大学へ行く。最寄のバス停を降りると先ず向かう先は図書館。広い図書館内を入ると涼しく感じる。ところが講義室に入ると暑さは半端ではない。授業開始まで一番前の席を陣取ってセンスで顔を仰ぐ。
しばらくすると先生が入ってこられる。さすがに暑いらしく、授業開始と同時に、このご時勢、当分エアコンは入らないから衣服で暑さを調節するようにと話される。とはいっても、先生も暑いらしくハンカチで顔を拭きながらの講義だ。
人一倍汗かきなのでその気持はよくわかる。
大学も経費削減とかでいろんなところにしわ寄せが来る。
以前は寒いより暑いほうが好きだった。ところが最近の暑さに対しては全く逆で寒い方がいい。
これからますます暑くなる。今から暑いといっては夏本番はどうなるものやら・・・。
今日は隣のかわいい女性と食事に行く話をする。来月一度休講がある。大学内に市内の一流ホテルがレストランを出している。そのランチを食べることにする。
先週金曜日、フルートの先生のコンサートに出かけた。フルート仲間がかなり聞きに来ている。だが皆とゆっくり話しをしていない。その中に、広島で芸能活動をしている人もいる。その人から翌日メールをもらう。
メールには今夜6時10分頃からローカル放送で取材を受けた放送があると書いてある。食事を終えて久しぶりTVをみる。テーマは「悲しみを乗り越えて 笑いを届ける女性落語家 葡萄亭わいん」。
癌に冒された旦那さんに付き添い、人に笑顔で落語を語る。偉い人だ。逆に落語があるから不幸に見舞われても人に笑いを届けられるのかもしれない。
いずれにせよ素晴らしい!
先ほどTVを見終えるとメールでそのことを報告する。本人もどんなふうに放映されるか知らないとか。いい番組だった。
ブログ投稿中、電話がかかる。福岡からだ。中国からの絵葉書を首を長くして待っておられる。余りにも気の毒なので、先日、その断りの葉書を書いて出した。それが届いたらしい。中国からの葉書はもう待たないと話される。
中国へ送った品物も届いたという連絡が来ない。もう先方には届かないだろう。
今日大学で『小室直樹の中国原論』を借りる。これを読んでも中国は理解できないかもしれない。しかし、それにしても・・・。不思議な国だ!
今日も3コマ目の講義を受けに大学へ行く。最寄のバス停を降りると先ず向かう先は図書館。広い図書館内を入ると涼しく感じる。ところが講義室に入ると暑さは半端ではない。授業開始まで一番前の席を陣取ってセンスで顔を仰ぐ。
しばらくすると先生が入ってこられる。さすがに暑いらしく、授業開始と同時に、このご時勢、当分エアコンは入らないから衣服で暑さを調節するようにと話される。とはいっても、先生も暑いらしくハンカチで顔を拭きながらの講義だ。
人一倍汗かきなのでその気持はよくわかる。
大学も経費削減とかでいろんなところにしわ寄せが来る。
以前は寒いより暑いほうが好きだった。ところが最近の暑さに対しては全く逆で寒い方がいい。
これからますます暑くなる。今から暑いといっては夏本番はどうなるものやら・・・。
今日は隣のかわいい女性と食事に行く話をする。来月一度休講がある。大学内に市内の一流ホテルがレストランを出している。そのランチを食べることにする。
先週金曜日、フルートの先生のコンサートに出かけた。フルート仲間がかなり聞きに来ている。だが皆とゆっくり話しをしていない。その中に、広島で芸能活動をしている人もいる。その人から翌日メールをもらう。
メールには今夜6時10分頃からローカル放送で取材を受けた放送があると書いてある。食事を終えて久しぶりTVをみる。テーマは「悲しみを乗り越えて 笑いを届ける女性落語家 葡萄亭わいん」。
癌に冒された旦那さんに付き添い、人に笑顔で落語を語る。偉い人だ。逆に落語があるから不幸に見舞われても人に笑いを届けられるのかもしれない。
いずれにせよ素晴らしい!
先ほどTVを見終えるとメールでそのことを報告する。本人もどんなふうに放映されるか知らないとか。いい番組だった。
ブログ投稿中、電話がかかる。福岡からだ。中国からの絵葉書を首を長くして待っておられる。余りにも気の毒なので、先日、その断りの葉書を書いて出した。それが届いたらしい。中国からの葉書はもう待たないと話される。
中国へ送った品物も届いたという連絡が来ない。もう先方には届かないだろう。
今日大学で『小室直樹の中国原論』を借りる。これを読んでも中国は理解できないかもしれない。しかし、それにしても・・・。不思議な国だ!
2012年5月28日月曜日
声
声が出にくくなってもう4日目。昨日よりは良くなったものの変な声である。昨夜、3ヶ月近く会っていない近所に住んでいる友人から電話がかかる。声を聞いてびっくりする。
声を出しにくいので人と電話で話したくない。それなのに話したいことがあるからという。今朝もその人からTELがある。午後我が家に来るという。来るな、とも言えず困ったな、と思っているとその人は我が家にやってきた。手には母への花を持って・・・。
話は2年前まで彼女が勤めていた会社の同僚のこととか。知っている人だが、喉の調子が良くない。そのため、申し訳ないけど他人のことはどうでもいい。それなのに延々と話し続ける。夕方になっても帰ろうとしない。
いくら話が好きといっても元気でないと話も出来ないことがよくわかった。
その後、いつも我が家に来る幼馴染にTELする。声を聞いて彼女も驚く。話をしていると今の声のほうがいいという。そういわれてもこの声、やっと出している。
話がしにくくなることはこれまでなかった。当分、休養せよということだろう。
元気なことのあり難さを思い知らされる。さすがに遊ぼうとは言えない一日だった。
声を出しにくいので人と電話で話したくない。それなのに話したいことがあるからという。今朝もその人からTELがある。午後我が家に来るという。来るな、とも言えず困ったな、と思っているとその人は我が家にやってきた。手には母への花を持って・・・。
話は2年前まで彼女が勤めていた会社の同僚のこととか。知っている人だが、喉の調子が良くない。そのため、申し訳ないけど他人のことはどうでもいい。それなのに延々と話し続ける。夕方になっても帰ろうとしない。
いくら話が好きといっても元気でないと話も出来ないことがよくわかった。
その後、いつも我が家に来る幼馴染にTELする。声を聞いて彼女も驚く。話をしていると今の声のほうがいいという。そういわれてもこの声、やっと出している。
話がしにくくなることはこれまでなかった。当分、休養せよということだろう。
元気なことのあり難さを思い知らされる。さすがに遊ぼうとは言えない一日だった。
2012年5月27日日曜日
やっぱり変!
まさに今日は五月晴れ。家にじっとしているのが勿体ない。だが今一歩喉が変。変なところは喉だけでなく頭も!?
昨日、喉の調子がおかしいのであっさりしたものを食べようとした。お昼前スーパーに出かけ、テナントとして入っている魚屋さんの刺身と寿司を買う。他にもそのスーパーで買い物を済ませ家に帰る。その後、夕飯を食べようとすると買ってきたものがない。
おかしい。しばし考える。レジの人が寿司だけ別に袋に入れてくれたところまでは覚えている。だが家にはそれがない。冷蔵庫を開けてもない。購入後すでに6時間たっている。勇気を出してスーパーにTELする。声は出ない。先方に声が出ない旨伝えながらどうにか用件を話す。
応対した人は親切な人だった。折り返し電話がかかる。スーパーに忘れていたらしい。すぐ取りに行くというと明日でもいいという。翌日ならば新たなものを渡せるからだとか。
今日昼前スーパーへ行く。新たなお寿司を受け取る。
それにしてもやっぱり何か変。この喉は頭までボケさせるのか。これではいけない。ボケにはまだ早い!
気を取り直してお勉強、となる。だが今一歩気が乗らない。そこでパソコン登場と相成った。
先日借りてきた『われ日本海の橋とならん 内から見た中国、外から見た日本-そして世界』(加藤嘉一 ダイヤモンド社、2011年)を投稿する。
この人の話は先日大学の講演会で聞いた。本の内容もその話とダブル。もちろん本人の本だからそれも当然だろう。
著者は自身を「ランナー」と称する。そして「この先何年中国の地に留まることになろうと、僕が中国の色に染まることなどありえない。」(8p)と言い切る。さすが若者。
だが筆者は広島の講演会で今年8月からハーバード大学の研究員になると話した。ということは中国から離れることになる。
「走り続けるからこそ、僕は何色にも染まることなく、自分でいることができるのだ。」(9p)そこから「中国の『今』を伝えたい」(9p)という。
日本に対して「目に見えないタブー」(23p)が山のように存在する。その例として先の震災後の自粛ムードがある。即ち「空気」としてのタブーだと。
反面、自由がないとされる中国には「半径5メートル」の自由がある。(24p)それは自由がないとされる中国の「国内世論」にあり「党内世論」ではない。(26p)
中国の人々の求める自由は「自分の幸せ」。(29p)だからたとえ北京大学の学生といえども自らのキャリアを棒に振ってまでの民主化運動に身を投じようとする学生は少ない(31p)。天安門事件がかなり尾をひいている。
中国の愛国教育はこの天安門事件を受け、江沢民の政策により始まる。それは反日教育として進められる。「反日」は中国式ダブルスタンダードとか。日本が嫌いといっても一方では日本製品、日本文化に触れている。(49p)
中国の人々は日本に対する本音と建前がそこにあるのかもしれない。
講演会でも筆者は言っていた。語学にお金をかけないと。やはりそれはこの本にも書いている。大学の売店のオバチャンと人を替えて一日8時間話す。読む本は『人民日報』、聞くラジオは中国語。(64p)
この徹底した勉強法はさすが、としかいえない。大学でスペイン語を学ぶ、とはいえなくなる。学ぶのは自分自身で、と言う意味だろう。見習わなくては・・・。そこは学ぶ国に住んでいるからいえることだとも思う。ならば日本を離れてスペインへ行けばいいのかもしれないが・・・。
「僕は中国での生活、中国人との接触を通じて、あらためて『国家』を意識するようになった。自分が日本人であること、そして自分が心の底で日本を愛していたことを、つくづく思い知らされたのだ。」。(73p)
中国と言う外部との接触でアイデンティティに目覚めたという。
その彼はひょんなことから香港フェニックステレビのコメンテーターとなり「中国で最も有名な日本人」になる。(76p)
彼が中国メディアに登場するときのストライクゾーンとして4点挙げている。(78p)
①自分は日本人であること
②ここは中国であること
③政府・インテリ層にとって価値ある提言であること
④大衆に伝わる言葉であること
こういう中国での生きかたは先にも述べた「半径5メートル」の生き方になる。すなわち国がどうであれ、自分の幸せを重んじる。自分の半径5メートル内だけを重視する。だから日本のように「空気を読む」必要はない。(144p)それは「無関心」である。
そして「面子」が中国文化だという。この「面子」、先日中国へ行った際に同行の女朋友と交わした言葉にも出てきた。面子を重んじる国だから、それはありがたいほどの接待を受ける。お土産もそう。申し訳ない。今回の旅で中国の面子文化を実感する。
この「面子文化」のからくりをよく理解しないと中国との外交交渉はもちろん、ビジネスだって上手くいかないらしい。(152p)
彼は北京に行く前と後での違いを「自信がついたことかな」。(166p)彼は言う。「北京で培った自信を胸に、僕は世界に挑戦し続ける」。彼にとっての世界とは「自分が日本人であることを再認識させてくれる場所のことだ」。(186p)
彼はまだ若い!世界で羽ばたいて欲しい!
他にも2冊著者の本を借りている。多分に同じ様なコトが書いてあるのだろう。暇を見て読もう!ボケないためにもせっせと!
昨日、喉の調子がおかしいのであっさりしたものを食べようとした。お昼前スーパーに出かけ、テナントとして入っている魚屋さんの刺身と寿司を買う。他にもそのスーパーで買い物を済ませ家に帰る。その後、夕飯を食べようとすると買ってきたものがない。
おかしい。しばし考える。レジの人が寿司だけ別に袋に入れてくれたところまでは覚えている。だが家にはそれがない。冷蔵庫を開けてもない。購入後すでに6時間たっている。勇気を出してスーパーにTELする。声は出ない。先方に声が出ない旨伝えながらどうにか用件を話す。
応対した人は親切な人だった。折り返し電話がかかる。スーパーに忘れていたらしい。すぐ取りに行くというと明日でもいいという。翌日ならば新たなものを渡せるからだとか。
今日昼前スーパーへ行く。新たなお寿司を受け取る。
それにしてもやっぱり何か変。この喉は頭までボケさせるのか。これではいけない。ボケにはまだ早い!
気を取り直してお勉強、となる。だが今一歩気が乗らない。そこでパソコン登場と相成った。
先日借りてきた『われ日本海の橋とならん 内から見た中国、外から見た日本-そして世界』(加藤嘉一 ダイヤモンド社、2011年)を投稿する。
この人の話は先日大学の講演会で聞いた。本の内容もその話とダブル。もちろん本人の本だからそれも当然だろう。
著者は自身を「ランナー」と称する。そして「この先何年中国の地に留まることになろうと、僕が中国の色に染まることなどありえない。」(8p)と言い切る。さすが若者。
だが筆者は広島の講演会で今年8月からハーバード大学の研究員になると話した。ということは中国から離れることになる。
「走り続けるからこそ、僕は何色にも染まることなく、自分でいることができるのだ。」(9p)そこから「中国の『今』を伝えたい」(9p)という。
日本に対して「目に見えないタブー」(23p)が山のように存在する。その例として先の震災後の自粛ムードがある。即ち「空気」としてのタブーだと。
反面、自由がないとされる中国には「半径5メートル」の自由がある。(24p)それは自由がないとされる中国の「国内世論」にあり「党内世論」ではない。(26p)
中国の人々の求める自由は「自分の幸せ」。(29p)だからたとえ北京大学の学生といえども自らのキャリアを棒に振ってまでの民主化運動に身を投じようとする学生は少ない(31p)。天安門事件がかなり尾をひいている。
中国の愛国教育はこの天安門事件を受け、江沢民の政策により始まる。それは反日教育として進められる。「反日」は中国式ダブルスタンダードとか。日本が嫌いといっても一方では日本製品、日本文化に触れている。(49p)
中国の人々は日本に対する本音と建前がそこにあるのかもしれない。
講演会でも筆者は言っていた。語学にお金をかけないと。やはりそれはこの本にも書いている。大学の売店のオバチャンと人を替えて一日8時間話す。読む本は『人民日報』、聞くラジオは中国語。(64p)
この徹底した勉強法はさすが、としかいえない。大学でスペイン語を学ぶ、とはいえなくなる。学ぶのは自分自身で、と言う意味だろう。見習わなくては・・・。そこは学ぶ国に住んでいるからいえることだとも思う。ならば日本を離れてスペインへ行けばいいのかもしれないが・・・。
「僕は中国での生活、中国人との接触を通じて、あらためて『国家』を意識するようになった。自分が日本人であること、そして自分が心の底で日本を愛していたことを、つくづく思い知らされたのだ。」。(73p)
中国と言う外部との接触でアイデンティティに目覚めたという。
その彼はひょんなことから香港フェニックステレビのコメンテーターとなり「中国で最も有名な日本人」になる。(76p)
彼が中国メディアに登場するときのストライクゾーンとして4点挙げている。(78p)
①自分は日本人であること
②ここは中国であること
③政府・インテリ層にとって価値ある提言であること
④大衆に伝わる言葉であること
こういう中国での生きかたは先にも述べた「半径5メートル」の生き方になる。すなわち国がどうであれ、自分の幸せを重んじる。自分の半径5メートル内だけを重視する。だから日本のように「空気を読む」必要はない。(144p)それは「無関心」である。
そして「面子」が中国文化だという。この「面子」、先日中国へ行った際に同行の女朋友と交わした言葉にも出てきた。面子を重んじる国だから、それはありがたいほどの接待を受ける。お土産もそう。申し訳ない。今回の旅で中国の面子文化を実感する。
この「面子文化」のからくりをよく理解しないと中国との外交交渉はもちろん、ビジネスだって上手くいかないらしい。(152p)
彼は北京に行く前と後での違いを「自信がついたことかな」。(166p)彼は言う。「北京で培った自信を胸に、僕は世界に挑戦し続ける」。彼にとっての世界とは「自分が日本人であることを再認識させてくれる場所のことだ」。(186p)
彼はまだ若い!世界で羽ばたいて欲しい!
他にも2冊著者の本を借りている。多分に同じ様なコトが書いてあるのだろう。暇を見て読もう!ボケないためにもせっせと!
2012年5月26日土曜日
我慢!
我が家の隣は小学校。今日は運動会とあって大人も子供も学校に集まってくる。お蔭で町はにぎやかだ。
小学校の運動会といえば一年のうちでその日が一番嫌いだった。なんといっても走るのが遅い。その点、姉が羨ましかった。母に似て運動神経は抜群だ。
子供心に覚えている。その年の運動会が終わると翌年のことまで気になる。それほど運動は全く駄目だった。だが長く走るマラソンは嫌ではなかった。放課後は近所の子供が集まるとそこら辺りをぐるぐるとよく走り回っていた。
その運動嫌いが何が狂ったのか人生後半になって泳ぎ始める。これがよかった。ただ泳げるというだけで体を動かすことが嫌いでなくなる。人生、何がどうなるかわからない。元気である。
その元気も2、3日のどの調子が悪くて困っている。
昨日はフルートの先生たちのコンサートに行く。ところが、最寄の駅で何となくバッグの財布を確かめると入っていない。もうびっくり!すぐに家に帰って財布を捜す。他のバッグを見てもない。コンサート開演時間も迫ってくる。仕方ないので他の財布にお金を入れて再度駅に向かう。
会場に着いてもコンサートチケットがない。わからなくなった財布にチケットを入れている。受付でチケットを忘れたといって入れてもらう。
本来ならばそういって会場に入れない。それを無理に言ってしまった。
コンサートはピアノ、オーボエ、クラリネット、フルートのアンサンブル曲。ほとんど知らない曲ばかり。開演ぎりぎりに到着したので空いていた前から2番目の席に座って聞く。一つ横には先生のご両親も聞いておられる。
知らない曲ながらも素晴らしい演奏だった!
演奏後、4人で食事に行く。とはいっても食べていた2名はコーヒーのみ。尾道の人はJRの時間を見計らって先にご帰還。3人で10時までしゃべる。声も出ないのに見苦しく話す。申し訳ない!
その中の一人とは久しぶりに話す。声が出なくても元気だと言ってもらう。またもう一人は親の介護などで忙しい。話を聞くたびその人の気持がよくわかる。それなのについついフリーになったら遊ぼう、といってしまった。
楽しかった!調子が悪いから家でじっとすればいいものをチョロチョロしている。さすがに今日は近所へ買い物に出かけるだけにする。喉の調子が良くなるまでおとなしく!
とはいっても泳ぎたい!でも今泳げば肺炎になりそう!我慢!我慢!
さて財布です。真夜中、家の中を探すと、パソコンのデスクに引っかかっている。良かった。昨日のブログを投稿するとき、コンサートチケットを出してみたことがコトの顛末。まだボケるには早い気もするけど、もしかして・・・。
小学校の運動会といえば一年のうちでその日が一番嫌いだった。なんといっても走るのが遅い。その点、姉が羨ましかった。母に似て運動神経は抜群だ。
子供心に覚えている。その年の運動会が終わると翌年のことまで気になる。それほど運動は全く駄目だった。だが長く走るマラソンは嫌ではなかった。放課後は近所の子供が集まるとそこら辺りをぐるぐるとよく走り回っていた。
その運動嫌いが何が狂ったのか人生後半になって泳ぎ始める。これがよかった。ただ泳げるというだけで体を動かすことが嫌いでなくなる。人生、何がどうなるかわからない。元気である。
その元気も2、3日のどの調子が悪くて困っている。
昨日はフルートの先生たちのコンサートに行く。ところが、最寄の駅で何となくバッグの財布を確かめると入っていない。もうびっくり!すぐに家に帰って財布を捜す。他のバッグを見てもない。コンサート開演時間も迫ってくる。仕方ないので他の財布にお金を入れて再度駅に向かう。
会場に着いてもコンサートチケットがない。わからなくなった財布にチケットを入れている。受付でチケットを忘れたといって入れてもらう。
本来ならばそういって会場に入れない。それを無理に言ってしまった。
コンサートはピアノ、オーボエ、クラリネット、フルートのアンサンブル曲。ほとんど知らない曲ばかり。開演ぎりぎりに到着したので空いていた前から2番目の席に座って聞く。一つ横には先生のご両親も聞いておられる。
知らない曲ながらも素晴らしい演奏だった!
演奏後、4人で食事に行く。とはいっても食べていた2名はコーヒーのみ。尾道の人はJRの時間を見計らって先にご帰還。3人で10時までしゃべる。声も出ないのに見苦しく話す。申し訳ない!
その中の一人とは久しぶりに話す。声が出なくても元気だと言ってもらう。またもう一人は親の介護などで忙しい。話を聞くたびその人の気持がよくわかる。それなのについついフリーになったら遊ぼう、といってしまった。
楽しかった!調子が悪いから家でじっとすればいいものをチョロチョロしている。さすがに今日は近所へ買い物に出かけるだけにする。喉の調子が良くなるまでおとなしく!
とはいっても泳ぎたい!でも今泳げば肺炎になりそう!我慢!我慢!
さて財布です。真夜中、家の中を探すと、パソコンのデスクに引っかかっている。良かった。昨日のブログを投稿するとき、コンサートチケットを出してみたことがコトの顛末。まだボケるには早い気もするけど、もしかして・・・。
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