2023年10月25日水曜日

「遼」2023年秋季号から

  あとふた月もすれば司馬遼太郎記念館友の会に入って丸1年になる。昨日、記念館会誌「遼」2023年秋季号が送られてきた。今月初めに司馬遼太郎記念館を訪れているので「遼」を読むとさらに司馬遼太郎に愛着がわく。と同時に、大連の旅が人の生き方を変えた、とも思う。コロナ禍前まではいろんな国や場所に出かけていた。その中でも自分の生き方を左右するほど変えた旅は大連の旅かもしれない。たった4日間の短い旅だった大連。10回以上も中国に出かけているのに大連へ行くのは今から5年前と遅かった。

 大連は中国近代史を学んだことと、また、フルートを習った人の親が満州に住んでいた、とのことでその人と一緒に行こうと思った。

 ところが出発まじかで同行者は怪我をして参加できなくなる。広島発着の旅で添乗員はつかず現地ガイドがつく。一人参加で添乗員がつかない旅はその頃、あまりしたことがなかった。が、大連に行きたい気持ちが勝って一人で旅に参加した。参加人員は8名。中国の旅は中華料理。8名であれば一つのテーブルになる。朝食は各自いただくがお昼と夜は中華のテーブルになる。おのずとツアー仲間の会話も弾む。

 二百三高地を見学した際、ツアーの人たちから『坂の上の雲』を読むように勧められた。それは一人ではなく参加したほとんどの人から何度も言われた。

 これがきっかけとなり帰国後、『坂の上の雲』の単行本6巻を201812月中旬から20192月にかけて読んだ。分厚い単行本全6巻を3か月足らずで読んだ。如何にこの作品に魅了されていたことか。それ以降、これまで99作品を読んでいる。そして司馬作品を読むうち、司馬遼太郎の全作品を生きているうちに読み終えたいと思うようになった。

 自分で意識せずしてやったことが結果的に自分自身の生き甲斐になっている。そう思うとナニゴトもまずはやってみる、に尽きるかもしれない。

 また大連の旅にもどる。もともと大連の旅は11月の予定だった。ところが参加人数が集まらず旅は中止。12月になってJTBから電話があり急遽、8名で旅を催行するという。すぐの返事なので同行者の意見も聞かず一人参加でお願いした。後で同行予定の人に聞くと怪我が治らずやはり参加は無理だった。

 もしも大連へ行かなかったならば司馬遼太郎にこれほどハマることもなかったかもしれない。そう思うと何が自分にとって幸いするかわからない、そう思うようになった。

 これ以外にももしかしたら自分が気付かないだけでたくさんの幸いがあったかもしれない。というかこれからあるかもしれない。そう思うとモノゴトをあまり深く考えず自分がこれっ、と思ったことは行動するに限る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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