2023年4月7日金曜日

『歳月』(下)

 コロナの新規感染者が下火になり、外へ出かけることが多くなった。それとともに家でおとなしく本を読む機会が減っている。生きてるうちに司馬遼太郎全作品を読むつもりでいる。が、ゆっくりしているとノルマが達成できなくなる。できなければ全部読むまで長生きせねばならない。しかし、こればかりは自分の意志で適えられるとは限らない。どうであれ本を読むようにしよう。幸い今日は雨。

 『歳月』(下)(司馬遼太郎 講談社、2005年新装版第1刷)を読んだ。以下は気になる箇所をメモしたものである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★(江藤だけは、私怨と権謀だけでうごいている)と、大久保は憎悪をひそめつつ観察していた。……大久保から見れば江藤はおのれの権謀のためには国家の運命をぎせいにしてもかまわぬという、いわば国家というサイコロに細工をするいかさま賭博しであった。こういう種類の才人を、大久保は「権詐機巧(けんさきこう)の才」とよんでいる。このあたりが人間の微妙さであった。なぜならば「権詐機巧」ということにかけては大久保は同質同類の才質をもち、しかもその点において江藤よりはるかに巨大なタレントであった。(57-58p)

★革命である以上足すべき敵が存在する。敵の名はすでにあきらかである。有司専制派(官閥絶対制派)の大久保利通であった。その大久保政権をたおす以外に第二の維新はありえない。このあたりに、この当時の時勢の批判者であった勝海舟のいう「剣呑な男だよ」ということばがでてくるのであろう。(97-98p)

★大久保は家康がすきであった。しかしながら、日本史上、家康と大久保ほど、その実力や業績の割には好かれない人物もいない。かれらは周到すぎるためにその印象に爽快さがなく、爽快感がなければひとびとは詩情を感じないのかもしれない。(205p)

★(――、まさか西郷は)と、江藤はおもった。世を絶ったのか、世から隠れて高士のまねをしているらしいが、冗談ではない、とおもった。世の中がどうみだれるかわからぬ時期に、西郷ほどの政治的威望をもった者がひとり隠者の歳月をおくろうとしても、天も人もそれをゆるさない、と江藤は腹が立ってきた。自分はすでに矢弾をくぐってきた、という気持ちがある。おなじ征韓論の同志であるのに、西郷だけが閑日月をたのしんでいいはずがない。(293p)

★「忍人(にんじん)」であると、晩年の大久保はとくに西郷の一派からいわれた。忍人とは、公的な目的のためにどういう非情残忍なこともできる人物という意味である。大久保の側からいわせれば、忍人のもっている強烈な正義心はなまはんかな感傷家たちのうかがい知るところではないということかもしれない。(405p)

★江藤新平は、大久保という敵に対する想像力を欠いていた。大久保の背後にある法律だけを見、大久保という人を見ず、さらに江藤のおもうところ、大久保もまた江藤のように法律と道理に服する人間であるあろうと思い、半ばはそう信じていた。が、大久保の思案は、江藤の想像外のところにある。かれにとって、必要なのは法律ではなく政略であり、是が非でも江藤を刑殺せねばならず、江藤を断固として殺すことによって天下に充満している不平の徒に対し東京政府の威権をさとらしめ、さらには薩摩にいる西郷とその徒党に対して反逆の無駄であることをさとらしめねばならない。それには江藤前司法卿に対する処刑はできるだけ惨刑であることがのぞましく、そういう判決をくだす法律がないとすれば、法を無視するほかない。大久保は、最初から無視してかかっていた。(409-410p)

★大久保はこのさい、天皇を欲した。天皇には日本国の官民に対して絶対的権力があるというこの当時信じられていた多分に神話的で多分に道義上的な世界だけの思想を、人を殺す法律的世界へ一挙にもちこもうとした。天皇の権威を藉(か)りるという飛躍的な手段をもって、大久保は江藤裁判の法的不完全さを覆(おお)おうとし、その非合法判決を権威づけようとした。(418p)

★執行場で、江藤はおなじことばを三度さけんだ。弁論を封ぜられたまま死なざるをえぬかれとしては、自分のいうべきことをできるだけみじかく象徴化して叫ぶしかすべがなかった。天のことを皇天と言い、地を后土という。「ただ、皇天后土のわが心を知るあるのみ」と、江藤は叫んだ。三度さけんだ。天地だけが知っている。この日本語世界がうんだ最大の雄弁家の最後のことばである。(433p)

0 件のコメント:

コメントを投稿