2016年10月16日日曜日

東山魁夷展講演会記事から

 県立美術館で開催中の東山魁夷展。展示作品の中に唐招提寺の障壁画がある。これについての講演会が先日催された。しかし、会場に着くと講演を聞く人がすでにオーバーし、会場の外の通路で聞く羽目になる。アナウンスの声は聞き取りにくい。これでは講演者の顔も見えず、声も聞き取りにくいとあっては聞く価値がない。聞くのをあきらめた経緯がある。幸い、そのときの講演内容が昨日の朝刊に掲載されている。

 講演を聞く時点では”揚州”に行く予定とは知らずにいた。旅の案内も碌に把握せずいい加減な状態のままでいた。ところが東山魁夷展に合わせてなのか、揚州の旅が旅程に入っている。講演内容を新聞で見ると揚州は鑑真和上の故郷で、魁夷は76年に訪れて取材している。揚州は古くから交易で栄え、城壁が張り巡らされた古代都市らしく、隋の皇帝煬帝が造営した運河が流れ、魁夷の障壁画「揚州薫風」に見られるような楊が並ぶという。尚、講演者は唐招提寺石田副執事長。

 石田は魁夷が「唐招提寺への道は長い道であったと、私は自分の心に語りかける」と述べる。障壁画を描くことは、修行にも匹敵する長い長い道のりだったのだろう。さらに魁夷は「私が自然を見て絵にしようと思うのは、生命」だとか。これについて石田は「長い冬に耐え、乏しい光の中から出てくるような生命。生半可な苦痛にへこたれてはいけないという思いを、見る者に抱かせる」という。新聞に写っている講演者のなんという優しそうなお顔。やっぱり生で講演を聞きたかった!

 魁夷の描いた揚州。近いうちそこに行く予定。あまりにもタイミングが良すぎる。しっかり揚州の空気を吸って…。これも何かのご縁!?

 話は変わって昨日の日本画教室。来年の展示会用では全員が同じパネルを使って一枚の絵を描く。早速、パネルに貼る大竹和紙の予定を変更して、先生が持ち込まれた色とりどりの和紙にさらに他の和紙を重ね、それに地塗りをするまでを行う。先生曰く「次からは自分一人でするように!」。日本画は画用紙さえあれば描けるものでなく、あらかじめ用意が必要。昨日も地塗りの前に和紙にのりを水で溶いて刷毛で糊付けしていく。これを2枚の和紙で行う。その後で地塗り。いつもながらどの工程も慎重にやらないといけない。こうなると日本画は職人仕事!?一枚の本画に仕上げるまでの行程が長い。そして丁寧さも必要。

 今日は地元の秋祭り。年々、お祭りも地味になる!?自分自身が小さい頃と比較してそう思う。小さい頃はどの家の子も着物を着せてもらい、舞妓さんが履くようなぽっくり下駄で地元の神社へお参りしていた。衣装も貸衣装に代わる時代。今では和服を着る子供を見る事さえできない時代になった。何でも合理化がそうさせる!?とはいっても七五三では着物姿を見かける。

 ともあれ、今日も元気で!

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