2015年3月8日日曜日

『聴覚思考』

予報では今日の最高気温16度。春になった。春はまた野球のシーズン到来でもある。昨日はマエケン登板。雨男、マエケン。どうにか試合はできても、中継ぎが乱れて、うん?の勝敗。今日のオープン戦は黒田の登板。

昨日は野球は見たし、泳ぎに行きたしで、泳ぎを優先。家にかえってテレビを見るとなんじゃこりゃ。今日はテレビ観戦。夕方からはベトナム旅行の反省会に出席。楽しい一日が始まる。

以下は外山滋比古の最新エッセイから気になるところをメモする。

『聴覚思考』(外山滋比古 中央公論新社、2014年)、サブタイトルは「日本語をめぐる20章」を読んだ。

・何をするか。これは、本を読むよりずっと難しい。本は目の前の文字を読めばいいのだが、未来は読みたくても、字に書いていない。どうしたらいいのか、考えていると、当面のことが重要であるように思われる。62p

・目に見えるのは、いま、である。65p

・明治になってなにごとも外国に倣えという風潮の中、浮世絵は紙くず同然と扱われた。捨てる代わりに輸出陶器の詰め物に利用されたという。ヨーロッパの人が、それを見ておどろき、衝撃を受けたらしい。フランスの印象派なども浮世絵に刺激されたといわれている。99p

・文章では、書き出しが難しい。ことに日本人は書き出しが下手のようである。大作家がはじめの書き出しに苦労して、書き損じの原稿用紙が山のようになったというのが美談のように伝えられたものである。そういう人も、作品の最後のところで書きあぐねててこずることは少ない、そういう話はない。つまり、日本人は書き出しに弱い、ということであって、末尾に強いというわけではない。117p

・イギリスで人気のあった童話に「セレンディップの三人の王子」というのがあり、主人公の三王子がそろって、思いがけない発見の名人であったというところからヒントを得て、偶然の発見をセレンディピティと呼んだ。そのころ、セレンディップというのは、のちのセイロン、いまのスリランカのこと。セレンディピティは抽象名詞化した造語である。171p

・知的雑談でするどい興味をかきたてられるのは、小さなセレンディピティがおこっているのである。三点乱読のセレンディピティがあると同じように乱談にもセレンディピティがある。182-183p

・”ことだまのさきはふくに”かつてそう言われたことのある日本である。新しい”ことだま”飛び交うところから、新しい文化があらわれる。そう願うのは決して悪いナショナリズムではない。208p。

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