暦の上では今日が一番暑い大暑とか。それでも朝方は曇っていたので涼しい。その頃を見計らって去年から気になっている4箇所のカーテンを洗う。だが、2階へ上がったり下りたりするたび顔から汗が吹き出る。朝から3回も顔を洗う。
今日から買い物は夕方に行くことにして午前中は家にいる。元来、色は白くない。自転車で外に出かけるたび、真っ黒になりそうだ。陽を浴びることはからだにいい。それでも昼前に外に出るのはやはり暑すぎる。
やらなくてはいけないことが多い。それなのに昨日図書館から借りてきた大原麗子の本を読む。タイトルは『大原麗子炎のように』(前田忠明 青志社、2011年)。読後感はいいものではない。何故、こんな生き方なのか、誰かにすがればよかったのに、余りにも孤独を求めすぎていたのでは、等等、考えさせられる。本人の著でなく、大原の弟とレポーターが書いている。
完全にミーハーになって週刊誌の感覚で読む。同時代を生きるものとして何か言い表せない感情が残る。
世の中のスポットライトを浴びたものは老いて行くことが許せないのだろうか。あれほどきれいな人なのに晩年になって整形手術をしている。それは失敗し、結果的に表舞台に立てなくなる。美人に生まれることもいいことばかりではなさそうだ。
ヒト・モノ・コトに理想を求めすぎるのか、本の最後に彼女の衣裳部屋の机に自筆で書かれた紙が貼ってある。それは「孤独な鳥は高く飛ぶ」。
昨年春、親を亡くして一番避けたかったことは「孤独」。意識して家から外に飛び出し、動き回っている。家にこもっていては何もいいことが浮かばない。それなのに彼女は逆に「孤独」を求めていた。
その反動かどうか、人生後半ごろは誰彼となく真夜中に長電話をしている。話す言葉は男言葉。それも一方的に話すらしい。それに耐えられない人は彼女から去っていく。そして、ますます孤独になっていく。
本の冒頭にも電話から物語が始まる。こうなると、本人にその自覚がなく、精神をわずらっていたとしか思えない。有名人と言えども人に言えない悩みがあったのだろう。それにしても・・・。
感じがいい人だった。それだけに残念!頭も良かったのだろう。こんな言葉をモットーにしていたのだから。「孤独な鳥は高く飛ぶ」。ここに書こう。
感じがいい人だった。それだけに残念!頭も良かったのだろう。こんな言葉をモットーにしていたのだから。「孤独な鳥は高く飛ぶ」。ここに書こう。
孤独な鳥の5つの条件
一つ 孤独な鳥は高く飛ぶ。
二つ 孤独な鳥は仲間を求めない。同類をさえ求めない。
三つ 孤独な鳥は嘴を天空に向ける。
四つ 孤独な鳥は決して決まった色を持たない。
五つ 孤独な鳥は静かに歌う。(236p)
先ほどこれを検索すると以下のように書いてある。「1990年にメキシコの詩人オクタヴィオ・パスがノーベル文学賞を受賞した際に、新聞夕刊に掲載された記事の中に引用されていた、中世スペインの詩人サン・ファン・デ・ラ・クルス(十字架の聖ヨハネ)の詩である」。 (http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/labs/plantdevbio/memb_araki_StJ.htmlより引用)
まだまだ煩悩の塊のモノにとっては、この5つを見習わず「孤独」を跳ね除けて同類や仲間を求めていこう!
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