2023年1月31日火曜日

電気料金

 電力会社から電力使用量のハガキが2通届く。1通は12月分まで口座引き落としにしていた明細書でもう1通は1月分からクレジットでの引き落としの通知書だ。ネット上で電気代云々の話題が多い。昨日の12月と1月の使用量を見てびっくり仰天してしまった。12月は2万円、そして1月の請求額はなんと3万円になっている。3万円台の金額は母の介護で24時間、エアコンを点けていた時の額だ。(なぜこれほど高い?)と思って友だちに電話して聞くとハガキの調整額の欄をみるようにと教えてもらう。これまでそういった箇所を個別に見ることはなかった。友だち曰く「わが家は5万円!」と。

 電話を切った後、ネットで調べると地元の電力会社では33%の料金アップとある。年が改まって物価の高騰云々の話題も多々ある。食料品のアップも大変かもしれないが電気料金の3割越えと比べればどういうことはない。アップを夏場にすればそれほど響かないのに電力量が一番多い冬場にするから余計、貧乏人に影響がある。いくら電気代が高くてもこれを質素倹約することは出来ない。元気でいるにはある程度の暖かさも必要だし、暖かいお風呂にも毎日入りたい。また家にいて寒さを我慢するほど惨めなことはない。それよりもここまで元気に生きてきて今さら電気代をケチっても仕方がない。そう思えば料金がかさんでも良しと潔く諦める!?高いじゃどうじゃと気を揉む方が病気になりそうだ。

 昨日は他にも某金庫から「抜粋のつゞりその八十二」が送付されてきた。45万部も日本のみならず世界各国に無料で送付とか。この会社がいつまでも発展し続ける意味がこの冊子を見てもよくわかる。

 今日もいいお天気になりそうだ。明日は15度の予想気温でさらにいいお天気のようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年1月30日月曜日

「消えた故郷へ帰るとき~高知・椿山 50年の記録~」を見る

 携帯を機種変更してから丸4か月が過ぎた。その間、変更後の携帯があればパソコンは不要?と思った。しかし、ブログはパソコンで編集している。ブログの入力を携帯で済ませるには無理がある。お笑い芸人の見取り図リリーはブログでなくNOTEを使用している。NOTEならばパソコンがなくてもいい!?ネットでこの2つの違いを調べると同じようだが両方で情報発信をすればいいみたいな意見もある。2つのSNSで情報発信するほどの人間ではないのでこのことを考えるのはもうやめよう。
 
 この4か月間はパソコンはブログの編集が主だった。その次にパソコンの利用はNHKプラスやTverなどの見逃し配信がある。昨日は〈ETV特集 消えた故郷へ帰るとき~高知・椿山 50年の記録~〉を見る。番組HPによると〈ある集落と家族、50年近くの映像記録。高知の椿山(つばやま)は、平家の落人が開いたと伝わる急しゅんな山の里。焼き畑農業を行い、山に祈る生活が受け継がれてきた。しかし、高齢化が進み消滅集落に。そこに3年前、男性が一人戻って暮らし始めた。草を刈り、イノシシを捕まえ、山に祈る。今は亡き家族の記憶が生活に満ちる。やがて元住民たちが椿山で集うように…日本人にとって故郷とは?里に伝わる太鼓踊りの景色と共に描く〉とある。

 椿山は2019年に最後の住人が去り無人となった。そこに一人の男性が街に家族を残して移り住む。すると次第に先祖の墓参りなどに訪れる人も現れてくる。徐々に椿山に元住人の家族が訪れるようになり集落で行われていたお祭りでの太鼓踊りもできるまでになった。

 50年前に取材したのだろう。その映像と映像に残る50年後の家族のその後を映し出す。これぞドキュメンタリーと思ってテレビ(パソコンの)を見た。太鼓踊りが近づくとただ一人住む男性宅ではこれまでの先祖の木でつくられたお札をテーブルに並べて祀る。このなかに椿山が好きだと話していた最愛の息子をバイク事故で亡くした新たなお札もある。何百年の歴史が多くの木札の数になっている。これを見て消滅集落でなくこれからも住み続けて集落を遺してほしいと思った。これも当事者でないから思えるのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年1月29日日曜日

『街道をゆく』(十四)「南伊予・西土佐の道」

 (立春までは寒さも厳しい?)、と思って先の天気予報をしらべると2月1日の水曜日は14度となっている。2ケタ台の気温であれば春はすぐそこまで、と思えてくる。暑さ寒さを思うとき昨年の8,9月ころは寝る時刻が早かった。夜10時まで起きるのに耐えられぬほど早く寝ていた。今思っても不思議だ。暑さに草臥れ果てていたに違いない。その点、この冬は寒くても早くから寝なくなった。しかし、起きる時間が遅すぎる。この齢になってもよく眠るのでこれはこれでいいのかもしれないが。

 泊を伴う旅を申し込んだら早くも昨日、旅の案内と振込用紙が届く。利用する旅行社はコンビニでの振り込み手続きをする。手数料はかからず、家の3軒先はコンビニがあるのでその点は便利である。今朝は振り込みに行ってその足でスーパーまで散歩を兼ねて出かけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『街道をゆく』(十四)「南伊予・西土佐の道」(司馬遼太郎 朝日新聞出版、2008年新装版第1刷)から気になる箇所をメモする。

★県名をえらぶのは、嫌味をふくめての苦心があったらしい。この点、愛媛県は幸運だった。『古事記』に、イザバギ、イザナミの夫婦神が国生みをする記述がある。最初に淡路島を生み、次いで四国を生んだ。四国という島については、「身一つにして面四つ有り」とあり、それぞれ男女の人名が命名された。讃岐は男性で飯依比古(いひよりひこ)であり、阿波は女性で、大宜都比売(おおげつひめ)となっている。大冝は大食(おおけ)で食べものの豊かな土地というイメージらしい。土佐は男性で建依別(たけよりわけ)――雄々しい人――という名であり、伊予は愛比売(えひめ)で、文字どおりいい女という意味である。(15-16p)

★禅をやるから禅坊主が悪くなったんだと私は思っている。柳宗悦の民芸運動はよかったが、戦後、その思想をかんばんに軒なみに似たような商品をつくりはじめたことが、日本の焼物をわるくしたのではないか。江戸期のものでは染付がいい。呉須(ごす)が広地に浮きあがったり、逆にしみとおったりして、白地が呉須の藍色によって玉のようになめらかになっている。(50p)

★盤珪は、生涯、不生禅をとなえつづけた。不生は本来「生じない」ということだが、曹洞禅ではときに不とは否定の意味ではなく、こんにちの言葉「絶対」という意味に使われる。盤珪は「不詳の仏心」などと言い、自由自在を得る絶対的主体性という内容をこめて使ったらしい。盤珪は、禅者がこけおどしのように愛用する漢語の問答がきらいで、すべて日本語を用い、それも口語で語った。かれはその住山である播州網干の龍門寺(りょうもんじ)で、元禄三(一六九〇)年、各宗の僧千六百八十三人を前に説法した。そのときの速記が、右の全集の冒頭に出ているが、当時の播州あたりで話し手があらたまった場合、どういう口語が使われていたかということで、重要な参考になるかと思える。(75-76p)

★「これが開明小学校ですか」「土地では開明学校といっています」小学校のことを単に学校とよぶのは明治期のならいで、私にも多少はなじめる。ともかくも現在生きている学校ではなさそうに思えたから渡辺さんにきくと、明治十五年に建てられたものだという。あとでわかったことだが、現存するわが国最古の小学校建物なのである。卯之町は大変な文化財を持っている。(82p)

★周知のことだが、葦も葭も、一つ植物を指す異称である。葦が悪(あ)しに通ずるために、わざと葭に言いかえて中世の農民たちは排水のわるい湿地の開墾をしはじめたのではないか。葦・葭は、水辺に生えるイネ科の植物だから、この植物が密生した土地にこそ、一条件さえ適えば水稲を植えるにふさわしい。一条件とは、排水である。排水についての農業土木が発達するのは平安中期以後の関東平野においてであると私は思っているが、『仙覚抄』によるとアシをヨシに言いかえたのも関東においてであるという。……ともかくもそれほどに言葉の縁起をかついだというあたりに、農民の賢明なねがいが籠められているいっていい。葭田の 腐り水を他に排かせる工事をしつつ農民たちはよき田になってくれとねがい、成り終えた田にさらに好字(こうじ)を当てて吉田と名付けるようになったのではないか。(126p)

★宗紀は幕末の文久三(一八六三)年においてすでに七十を越えていた。「いままで質素倹約でやってきたが、もう多少の贅沢をしても天が赦してくれるもではないか」といって、面積一万二七七ハ・〇九平方メートルという周遊式の大庭園をつくり、そこに住んだ。天赦園がそれである。伊達家の祖の政宗が、江戸期に晩年をむかえ、少壮のころは戦場ですごしたが、生き残ってこのように老躯を保っているのは天の赦すところである、大いに楽しむべきではないか、という意味の詩をつくった。

馬上少年過グ

世平カニシテ白髪多シ

残躯天ノ赦ス所

楽シマズシテ是ヲ如何セン

宗紀はこの詩からとって、天赦園とした。(176-177p)

2023年1月28日土曜日

「山と原野とスケッチと~農民画家 坂本直行~」

 昨日、Eテレの日曜美術館「山と原野とスケッチと~農民画家 坂本直行~」をNHKプラスの見逃し配信で見る。また夜にはNHKのBSで「山と原野とスケッチと~坂本直行さんをめぐる旅~」を見る。同じ日に同じ人を扱ったテレビを見るのはめずらしい。が、興味をもってどちらも見た。坂本直行はテレビの番組欄ではじめて名前を知った。その名前が坂本龍馬と関連していると知って関心を抱く。坂本龍馬の本名は直柔(なおなり)というらしい。それで坂本家の子孫である父の弥太郎は息子すべてに「直」をつけている。しかし直行自身は坂本龍馬と関係があるとは誰にも話さなかったという。

 2つの番組は一部違う個所もあったがほぼ似ていた。人の生き方に興味がある。坂本直行の生き方も当然興味を持ってテレにを見た。直行の父である弥太郎は満州で鉄道敷設の際の枕木などをあつかう材木商で財を築いた。その子供の長男は満州鉄道の技官、次男は大学教授、そしてその下に直行がいる。しかし、人生はいいことばかりではない。直行が学生時代から魅せられた登山に夢中になっている頃、父は経済破綻に陥る。

 仕送りもままならぬようになると直行の生き方も変わってくる。直行は開墾した原野を耕して農業をしながら好きな絵を描いていた。その頃、彫刻家の峰孝が彫刻のモデルを探しに訪ねてきた。峰は直行の絵を見て感動し、是非とも札幌で個展を開催させようと奮闘する。直行が絵を本格的に描こうとしたのは56歳。札幌に出てからである。札幌の展示会で絵はすぐに売れ、普通であれば一列に展示するところを縦3列に作品を並べても売れたという。

 ほかにも六花亭の主人と直行との馴れ初めもある。六花亭の包装紙に花の絵が描かれている。これは直行が描いた花の絵をモチーフにしている。さらに子供向けの本の表紙の絵も無償で直行が描いた。そのくだりや登山などについては映像が流れる。NHKの番組HPによると以下のようだ。

 〈北海道土産の「花柄のお菓子の包装紙」でおなじみの画家・坂本直行。北海道を南北150キロに渡り貫く雄大な「日高山脈」に魅せられ、日高の山々が見渡せる原野を耕しながら絵筆をとり続けた農民画家として知られる。坂本龍馬の一族の末裔ゆえの家との確執。開墾生活での壮絶な自然との戦い。とりつかれたように登った北海道の山々。貴重なスケッチやエッセイ、映像を味わいながら、「山と原野」を愛した画家の生涯に迫る〉

 またNHKの北海道放送局でも以下のようにある。

〈釧路で生まれ、十勝の原野を開墾しながら絵を描き続けた画家・坂本直行(1906~1982)の足跡を辿るシリーズ「山と原野とスケッチと」。北海道の山や草花をこよなく愛し描き続けた“チョッコウさん”は、どんな人生を歩んだのか。生涯で1000枚以上描いたともいわれる「原野と日高山脈」の絵には、どんなメッセージを込めたのか。シリーズで直行さんの魅力に迫ります〉

 何年か前、高知の龍馬記念館では坂本直行展を開催している。昨年秋、坂本龍馬記念館へ初めて出かけた。が、その頃は直行を知らなかった。またその時は時間がなくて記念館を思うように見ていない。春になれば再度土佐へ行こう。
 
 どこかへ行こうと思うと元気が出る。昨日は先日申し込んだ日帰り旅に加えて同じ旅行社に1泊2日の旅を申し込んだ。しかし、日帰り旅と日程が重なるため日帰り旅の日程を変更。今朝は寒いわりには日差しがまばゆい。遊びに行こうと思えば気持ちが晴れる。元気なうちはいろんなことに興味をもって外へ出よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年1月27日金曜日

「北の果て一人生きる 浜下福蔵92歳」

 昨夜、BS1で「北の果て一人生きる 浜下福蔵92歳」を見る。これは1月3日の再放送だが見逃していた。番組の概要を見ると「ニシン漁で栄えた礼文島。そこで生まれ育った漁師で詩人の浜下福蔵92歳。花々が咲き誇る季節から、コンブ漁の夏、秋の終わりまで、礼文島で生きる孤高の漁師を見つめる」とある。

 久々にドキュメンタリー番組を見た。92歳の坂下さんは礼文島のある集落で一人暮らしをしている。漁師として生まれ育ったが詩人でもある。毎日、墨を使って大筆で詩を書く。書くのは詩ばかりでなく日記もつけている。コンブ漁が始まると離れて暮らす息子夫妻が持ち帰るコンブを出荷する仕事に追われる。例年ならば息子夫妻とコンブ漁に出かける。ところが年齢的なこともあって昨年は一緒に漁に行かれなかった。その無念さを詩に書き留める。時には数年前に亡くなった奥さんが海を見渡す浜辺で座っていた石を見て奥さんと過ごしたひと時を懐かしむ。

 コンブ漁の季節には全国から若者がアルバイトでやってくる。その際、若者と毎夜のように酒を酌み交わして楽しいひと時を過ごす。若者たちも坂下さんを毎年のように訪ねてコンブ漁を手伝うのが楽しいらしい。礼文の春から夏は花々が咲き乱れて美しい。その時季を過ぎると厳しい冬がやってくる。しかし、坂下さんはどんなときにも自分の気持ちを詩に書いている。

 番組を見て漁師もそうだがむしろ詩人の方がぴったり合っていると思えた。墨での大書も素晴らしく一つくらい詩を書き留めておけばよかった。残念。

 いい番組がないと思っていたらそうではなく自分が見逃していただけだ。今朝、番組欄を見るとまたも見逃している番組がある。それは1月22日の日曜美術館。坂本龍馬の子孫が画家となっている。その人を取り上げたドキュメンタリーである。今夜BSで放送される。ネットで番組の概要を調べるとEテレの日曜美術館で放送されていた。総合やEテレならばNHKプラスでいつでも見ることができる。今夜遅く見るよりもネットのNHKプラスで見よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年1月26日木曜日

『街道をゆく』 (二十七)「因幡・伯耆のみち」

 今朝は雪は降っていない。しかし、昨日の朝よりも冷たい気がする。我が家の裏の小さい庭に降った雪は一日たっても解けもせず真っ白いままだ。今日の最高気温は7度の予想。昨日は外に出ずに、と思ったが午後になって日差しがあり外に出てみる。が、途中にある裏道に雪が積もったままだ。そのまま家に戻る。

 以下は『街道をゆく』 (二十七)「因幡・伯耆のみち」 (司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九六年第二刷)から気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「人間は、自由でなければならない。しかし、そういうたてまえと相反するほど重い義務を負わせられている。義務は、それを感じる人によって存在するのだが、そういう倫理感情のつよいひとびとのおかげで、私どもの社会が保たれてもいる。自由という大原則まで、そういうひとびとのおかげでまもられているのである。(19p)

★妙好人というのは、禅でいう悟りの境地を得た人のいわば”民芸版”ともいうべき精神の人のことである。(61p)

★禅を世界に紹介した鈴木大拙博士が、知識人として最初に妙好人に注目したひとだが、柳宗悦もまた妙好人をかれの美学的世界にとり入れた。……『柳宗悦全集』(筑摩書房)の第十九巻に「妙好人 因幡の源左」がおさめられている。……他の文章のなかで、金具の美しさにふれている。「ものを強固にする金具である。それゞのものはこの目的に忠実である。之等のものヽの美しさは、その誠実さから来てゐるのである」とあるが、宗悦は古い金具や錠に見出した美を、人間において妙好人のなかに見出したのである。(64-65p)

★日本人は、ゴビ砂漠やシルク・ロードの西域の流沙、あるいはサハラ砂漠に、他の国のひとたちには理解しがたいような甘美さを感じてきた。たとえば、ゴビ砂漠においては、紀元前から遊牧国家と農業帝国(中国の歴朝)とが争闘をくりかえした骨組みのあらあらしい歴史がある。またシルク・ロードのオアシス国家を中継地としておこなわれた東西文明の交流の歴史もあり、あるいは中近東の砂漠にあっては世界のいくつかの大宗教がおこった歴史もある。それやこれやを日本列島という湿潤の地でおもうとき、太虚に立つ虹のようなおもいをもってしまう。私も少年ころ、その思いが甚だしかった。中年になって、はじめてそこへ行ったときも、感動した。ゴビ砂漠やシルク・ロードへの日本人のあこがれも、つきつめれば、砂漠という巨大な空虚への憧憬が基礎になっているのではないか。鳥取砂丘は、戦後、大きな観光資源になった。湿潤の民が、無いものねだりとしてえがいていた砂漠思想のいわば代替物だった。(90-91p)

★砂丘を楽しむなど、古今・新古今以来の日本の美学的伝統にはなかった。風景におけるこのあたらしい切り取り方は、俳人や歌人がそれをやったのではなく、むしろ写真家の功績であったように思える。砂丘やそのなだらかな稜線、あるいは風紋などは、写真芸術としてはかっこうの対象だった。「鳥取砂丘を天然記念物にしてほしい」という運動は、昭和初年にはあったらしい。が、実現するのは、昭和三十年になってからである。ごく一部が指定された。(92p)

★人間の営みの遺跡というのは、価値観を越えて保存されねばならない。しかし、ひとびとが道を遠しとせずにそこへ出かけるのは、遺跡に接することによって生きることの荘厳さを感じたり、浄化されたり、あるいは元気が出てきたりすることを期待してのことである。(128p)

★私は城跡を見ることを好んでいる。しかしわざわざ鳥取城跡にゆく気がしないのは、どうも、江戸二百数十年、ぼう大な数の家臣団が、百姓の米を食ってきただけの痕跡を見て、明日から元気に生きましょうという気がおこりそうにないからである。「まあ、敬意を表するだけで」とどめておきましょう、と編集部の藤谷氏にもいった。実際、車の中から独立した山である城跡の山を見た。ずいぶん山の斜面が急なようで、鳥取平野に屹立する平山城としては、たくましい防禦力をもっているようにおもわれた。(128-129p)

★伯耆の国にきて、静(注:静御前)のことを書く必要はない。が、倭文(しとり)ということばと地名から連想した。五万分の一の地図をみていて、東郷池の東北角の丘陵上に、「倭文神社」という古社があるのを知ったのである。伯耆の一ノ宮だという。さらには上古、その辺りに倭文部(しとりべ)が集落をつくっていて倭文郷とよばれていたことを知り、そこへゆくことにした。(178-179p)

★石段の上に、名刹がある。三徳山三仏寺である。大山とならぶ霊場で、大山と同様、修験(山伏)の山である。山伏は、正規の僧ではない。……伯耆・因幡には、大山・三徳山だけでなく、山伏が割拠した山々が多い。かれらは、山々には霊があるとし、そういう山々をさがしては、「山(せん)」とよび、里から財をあつめて寺を建てたのである。鳥取県の山に「山(せん)」と音じさせる名が多いのは中世も山伏たちの痕跡といってよく、言いかえれば、嵐気のある山が多いともいえる。三徳山三仏寺もそうである。(208p)

2023年1月25日水曜日

最強の寒波到来

 最強の寒波到来で今朝は雪景色。ブロック塀の積雪は5㎝を越えているようだ。プラスチックのゴミ出しに出ようとしたが3,4歩玄関を出てあきらめる。もしも雪で滑ってひっくり返えれば骨折となる。それよりもゴミが溜まっている方がいい。いくら雪が積もってもお昼前後には雪解けになる。ところが今朝は雪が解ける気配がない。外は日差しがあるがかなり冷え込んでいるに違いない。

 1年のうち、家から1歩も出ずに家でじっとする日は数えるほどしかない。今日はその日に当たる!?

 こんな日は『燃えよ剣』を読めよということと思ってせっせと本を読もう。司馬作品を読んでいて読んでいる本が図書館の予約に入ることはなかった。ところが『燃えよ剣』に関しては予約客がある。29日まで借りている。今日を入れて700頁ある残り250頁を5日間で読まねばならない。いつもならば無理して急いで読まなくても貸出延長ができた。ところが次の予約客がいてはそれができない。先日の司馬遼太郎記念館の読み継がれる「好きな司馬作品」の10位までにこの本が入っている。読む人が多いのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!