2022年8月14日日曜日

BSシネマ「ひまわり」を見る

 2日前、NHK・BSシネマで「ひまわり」が放送された。この映画は何年か前にもBSで放送されて見ている。今年になってロシアがウクライナに侵攻し、今も争いが続いている。これを見計らったかのように市内の映画館でこの映画が上映された。一面のひまわり畑の下には先の戦争で亡くなった夥しい数の人たちが眠っているという。

 映画の最後に戦場に赴いた元夫は別の人と結婚。その後、元夫は元妻とつかの間の再会を果たす。最後の言葉が戦争の怖さを物語る。「戦争とは過酷なものだ」「実に悲惨だった」と。

 映画を見た後の昨日の地元紙に〈プーチンの「戦争」(中)〉のタイトルで記事がある。この(上)を読んでいない。前日に(上)があり今朝は(下)がある。紙面を読んでも字面を追うだけで意味がつかめない。じっくり読んでも結構難しい。結果、3日分のこのコーナーを切りとって意味がつかめるまで読まないといけない。それくらいロシアとウクライナの関係は難しそうだ。メディアの報道で知る限り、一方的にロシアが悪いと思っていた。が、この両国のことは簡単なことではなく根深いものがありそうだ。

 そんな矢先、知り合いからウクライナを支援するはがきが舞い込む。あるイベントでのウクライナの応援らしい。何かコトがあるといかにも訳知り顔でボランティアをやる。それはただ、(コトに便乗したイベントではないのか)、と変に勘ぐってしまう。

 もう一度切りとった新聞を読んで理解したい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月13日土曜日

塔婆をもってお墓参り

 昨日、蒸し暑いなか、元気を出してお寺へ塔婆を取りに行く。お寺で声をかけても返事がない。中に入ってチャイムを鳴らすとお上人の奥様がおられた。塔婆を受け取ると「お茶でも……」と話される。言葉に甘えて麦茶をいただく。冷たいお茶を飲みながら「娘さんは大学を卒業された?」と聞くと2年前に卒業して塾の講師をしているという。いつの日かこの娘さんがお寺を継がれるのだろう。

 話していると次々に塔婆を取りにやってくる。長居は禁物とお寺を出て、半端ない蒸し暑さの中を我が家に拠らず、その足で塔婆をもってお墓に参る。お寺を出るとき安芸門徒特有の盆灯篭を建てなくてもいいかをどうか尋ねると建てなくていいとのこと。母が亡くなって以降、お墓に盆灯篭を建てなくなった。我が町辺りは大半が浄土真宗で我が家のような日蓮宗は少ない。そのためお盆のこの時季、盆灯篭がお墓にない家もほぼない。それに代わるのが塔婆と思うので盆灯篭を建てなくてもいいと思うようにした。

 そんな風潮の波もこの頃は変化してきたようで盆灯篭を建てないお墓もあるようだ。スーパーの店頭で売られる盆灯篭は年々、少なくなり、市販の小さい塔婆を売るようになった。お寺で頂く塔婆は1.5m×10cmでその家に関することが筆で書かれている。ちなみに@¥3000で市販の塔婆とは比べられないほど高い。

 塔婆をもってお墓へ行く。蒸し暑さも半端でなく汗がしたたり落ちる。お盆以外の涼しい日にと一瞬頭を過ったが勇気を出してお墓に参る。幸いカンカン照りでなく蒸し暑さがあった。家に着くと何か一仕事を終えた感じになる。

 お寺で2枚印刷物を貰った。落ち着いたところでこれを読む。「お盆と花火」と題した文がある。この続きは、後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月12日金曜日

塔婆

 働かなくなって20年も経つと以前にはなかった祝祭日が何の日?と気づかされる。昨日も新聞の日の丸を見て祝日と改めて知る。祝日であればゴミ出しが気になる。幸い昨日は平常のゴミ出しだった。

 今朝はこれからお寺へ塔婆を取りに行く。本来ならばお寺でのお盆法要(盂蘭盆会施餓鬼大法要)に参列して受け取る。が、だいぶ前に一度それに参加してうんざりしたことがあった。こういう気持ちでの参加は罰当たりというか罪作りに思えてそれ以降、参加していない。お寺での法要はこれ以外にも年に何回かある。一年のお寺のスケジュールは郵送されてくる。お寺の行事にほぼ参加しないけれども、どうしてもかかわらないといけないこともある。お盆の塔婆がそうである。

 塔婆は本来ならば年に3度ある。春と秋のお彼岸とお盆である。数年前にお彼岸の塔婆は断り、お盆だけにした。そのお盆もこう暑くてはお寺へ塔婆を受け取りに行くだけでも大変と思うこともある。そう思っていると罰が当たりそうだが……。

 巨樹や山、大自然に触れると神が宿っている気がする。とはいっても今、世の中を騒がしているような宗教にすがって信心する、これはない。しっかり高齢者と言われる域に達していても何かにすがりたい気持ちが湧いてこない。これはなぜ!?信心深くないのかもしれない。これから塔婆を取りに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月11日木曜日

『長安から北京へ』

 蒸し暑い日々はいつまで続くのやら、と思いながら家でおとなしく本を読んで過ごしている。読む本と言えば飽きもせず司馬作品が多い。今から30数年前に買ってそのままにしていた本もある。テレビの「街道をゆく」にあわせて読んでいたがそれも終わり、先日は新たな「街道をゆく」だった。その合間に『長安から北京へ』(司馬遼太郎 中央公論社、昭和62年7刷)を読む。

 長安は今の西安。だが本にある延安は訪れたことがない。今から40年前に中国語を習い始め、それから4年後に中国へ出かけた。最初の海外旅行が中国ということもあり、またその旅が楽しかったこともあって中国にのぼせていた。ところがこの頃のロシアや中国の状況を見ているとのぼせるどころか脅威さえ感じる始末。何がどうなったのか、自分ではわからないが世の中が確実に変わってきている。

 不安を煽るような話題はこの辺でやめよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下はいつものごとく気になる箇所をメモする。

★「延安では、質問は革命ということに焦点をあわせていただきたい。質問をすると言うより、学習をする、という気持ちで。――」と、日本側から中学生に対するような注意をうけていたのだが、このことは自分のなかにいっぴきのコドモを同居させているような人間たちに、ひどく酷なことであろうとおもった。好奇心というものは、焦点も脈絡も文脈も本来なくて、所かまわずでてしまうものであり、延安滞留中これをおさえつづけることに自信がなかった。延安では、川に沿って、家屋その他の建造物がある。例の黄土の山寄りにはあまり建造物がなく、家屋は、「窰房(ヤオファン)」とよばれる洞窟である。(54p)

★漢民族は多種類の民族の血がいるかいないかで自他を区別した。もし入りまじって民族の成立をみたためもあって、相手が何民族であるかよりも相手が華夏の文化に浴しているかいないかで自他を区別した。もし夷荻の生まれであっても漢民族の衣服を着、その礼の習慣をもち、漢民族の言語を使うという文化性さえ持てば、華夏の民であるとした。(106p)

★遣唐使がゆくまでは、日本には定まった国号がなく、それまでは美称もふくめていろいろ呼び方があったが、中国で知られている呼称は倭国であった。遣唐使の派遣がはじまった以上、対外的に国号をきめておく必要があり、結局は日本になったわけだが、このことについては『旧唐書』の「倭国自ら其名の雅ならざるを悪(にく)みて、改めて日本と為す」が、よく引かれる。(107p)

★漢朝から清朝までにいたる中国の官僚組織の伝統は世界に冠たるものがあり、組織だけでなく官僚他紙が残した詩文や政治論もまた中国の文明の遺産であるといっていい。しかしたとえば日本の江戸末期あたりの諸藩の役人の感覚からこれを見れば、目を蔽うような汚職の歴史であるともいえる。地方長官などは、まれに清潔な者がいたとしても、清潔でもなお在任三年で子孫三代が食えるだけの利を得るとされた。……清末以来の中国の憂国のひとびとにとっての苦しみは、この儒教が存在するかぎり近代国家が成立しえないというところにあった。(116p)

★「隋唐時代の地下倉庫です。最近、発掘されたものです」私は不意に窖(とう)という漢字を思いだした。……洛陽には遠い時代、大地に大きな穴がうがたれて、江南の稲作地帯から大運河によって運ばれてきた穀物をほうりこんで貯蔵する、ということを読んだ記憶がある。(127p)

★中国にあっては儒教という普遍的原理が、大陸にいる多数の民族を融合して一民族にしてゆくのに働きがあった。――逆にいえば儒教はそのためにも存在した――と見ていいであろう。こういう経験を、回教の諸民族も経、キリスト教徒たちも経た。日本に住む私どものほうが特殊だと考えるほうが、素直なように思える。要するに、中国人は二千年来、論語という小冊子を読みつづけてきたのである。(172-173p)

★絶対的な対象にある政治家を持つのが人類の幸福であるのか、それとも政治家たちを自分たちの脚下に見おろして罵倒する自由をもつのが人類の幸福であるのか、このことは人類にとって永遠に解決できない課題であるに相違なく、ひるがえって私の好みをいえば、むろん後者である。(260-261p)   

2022年8月10日水曜日

『街道をゆく』(三十一)「愛蘭土紀行」(Ⅱ)

  『街道をゆく』(三十一)「愛蘭土紀行」(Ⅱ)(司馬遼太郎 朝日新聞社、1996年第4刷)を読んだ。最初に取り上げたのはハープについてのくだりである。知り合いにホームコンサートを開催される人がいる。何度かお家にお邪魔してコンサートに参加した。コンサートはハープを主体とし、ゲストを招いての演奏会である。コンサートの主のお宅にはハープが3台ある。他にもグランドピアノが2台あってコンサートモードにあふれている。

 本を読んで一番に頭をかすめたのがこのハープ奏者だった。その人はアイルランドに留学してハープを学ばれている。お宅にはアイリッシュ・ハープも当然ある。以下がそのくだり。

★ハープは、古代、世界にその仲間がひろがっていった。ヨーロッパ大陸では、中世がおわるとともにはやらなくなったらしい。島国のせいか、アイルランドでは生きた化石のようにその後も好まれつづけた。アイリッシュ・ハープとよばれる地方色のつよい形のものである。(……いまでもアイリッシュ・ハープは民族楽器とされ、これを学んだり、演奏したり、聴いたりすることは、民族の魂をとりもどすことだとされている。なにしろ、お札に、むかしのハープ名人だったなんとかいう音楽家の顔が刷られている国なのである。(79p)

 このほかにもいつものごとく気になる箇所を記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ともかくも、アイルランドの大飢饉はアメリカ史のほうに変化をあたえた。ケネディ以後、ロナルド・レーガンをもホワイト・ハウスに送る結果になる。他の歴代大統領にくらべ、このふたりに共通するものとして雄弁と演技力、それに攻撃的性格という三つがあげられるだろう。いずれも、すぐれたアイルランド人一般に共通する特徴としてあげられるものである。(19p)

★アイルランドの人は客観的に百敗の民である。が、主観的には不敗だとおもっている。……アイルランド人的性格は、人類の財産のひとつである。もしこの”不敗”のアイルランド的性格という者が地上に存在しないとしたら、マーガレット・ミッチェル(一九〇〇~四九)もその『風とともに去りぬ』で、女主人公スカーレット・オハラを造形化することができなかったにちがいない。(31-32p)

★毎日夕食後、パブへ出かけてゆくのが流浪だとすれば、このパブじゅうが、漂泊者だらけである。ひょっとすると、人が酒を飲みにゆくというのは、仮りの――時間を限っての――漂泊をしにゆくのかもしれない。(185p)

★かれは一九三二年のローズヴェルトの最初の大統領選挙で大いに働き、当選後、見返りとして駐英大使を希望し、任命された。……なににしても。英国でいやしめられぬいてきたアイリッシュ・カトリックが、アメリカを代表して英国にのめりこむのである。劇的といえばこれ以上に劇的なことはない。ケネディにすれば痛快だったろうし、できれば復讐の機会も得たかったろう。たとえ機会を得なくても、存在するだけですでに復讐ともいえる。ここで思うことは、人は天下国家のために非常のことをするのはともかく、日常のなかで無用に異常のことはなすべきではないということである。そういうことでいえば、ジョセフ・P・ケネディは右の異常のことをあえてなした。はたしてそのことが、ながい目でみて(次男であるケネディ大統領の死にいたるまでをふくめて)ケネディ家にとっていいことだったのかどうか。人生も世界のことも、作用・反作用の連続でできているということからみれば、あるいはよくなかったのではないかと思ったりする(反英論者は、反英であるあまり、相手の英国人にも愛国の感情があるということを見のがすか、軽視しがちなのではないか)。(253-254p)

★私はアイルランドの歴史の苦悩をおもうと、ケネディ大使に愛を感ずるほどに同情がわくのである。しかし、かれがやったことは結局”いやがらせ”にすぎず、ドイツをヨーロッパのぬしにすることもできなかったし、、英国を亡ぼすこともできなかった。ただ、英国の側にアイルランド人への不信をのこしただけではないか、と思ったりする。一つの民族が他の民族に歴史的怨恨をもつというのは、その民族にとって幸福であるのかどうか、わかりにくい。――それは歴史を知らない者の謂(いい)だ。という人があれば、そのひとはきっと歴史というものを別なふうに理解しているのだろう。歴史は本来、そこから知恵や希望を導き出すものなのである。でなければ人類は何のために歳月をかさねるのか、無意味になる。(255-256p)

2022年8月9日火曜日

グー・チョキ・パー体操

 起床後にワンセグでテレビを見ていたらグー・チョキ・パー体操をやっている。面白そう、と思って見ていた。が、この体操は初めて知った。しっかりと見ていたわけではないが、その後、勝手に真似してやってみると結構、大変。何が大変かといえば毎日いくら暑くても、外を歩いていても、所詮、地に足がついている。今朝、見た体操は両足をグー・チョキ・パーとする際に少しだけ飛び上がる。

 これを2回するだけで息が上がる。こんな状態だと長く泳ぎに行ってないので泳ぎ始めはどうなることやらと今から心配になる。体を動かすことが鈍っている。毎日、少しずつでもグー・チョキ・パー体操をして体を動かそうと思った。とはいっても手の動きが判らない。脚の動きと同じように両手をグー・チョキ・パーと動かすに違いない。動画を見て参考にし よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月8日月曜日

『百歳を生きる処方箋』

 先日、石川恭三の本を読み、他にもこの人の本を読みたいと思って図書館のHPで探すとこの本があった。会社勤めをしていた頃、この人はテレビに出演されていた。母はこの人の番組を見るのが好きだったようで「石川先生」と勝手に親しげに話していた。そんな当時を思い出しながら『百歳を生きる処方箋』「一読、十笑、百吸、千字、万歩」(石川恭三 河出書房新社、2019年)を読んだ。

 母は100歳まで生きられず96歳になる年に亡くなった。母を介護している時、母は「役に立たん」と自分自身で何もできなくなったことを嘆いた。その時は「元気を出して100歳まで生きよう!」と、はっぱをかけたものである。

 救急で病院に運ばれた時、すぐに熱も下がり病院から家ではなくどこか施設にと3か所紹介された。施設を見学して5年間入られるところを決めて、その旨、病院側に告げた。その矢先に母は病院で亡くなった。後で(母は施設に入るのが嫌だったのだろう)、と勝手にそう思ったり……。100歳の壁は簡単には越えられそうにない。

 以下はこの本から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★高齢者の認知症予防、と体力維持のために「一読、十笑、百吸、千字、万歩」を生活習慣として取り入れることを長年にわたって提唱してきた。これに説明を加えると、「一読」は一日に一回はまとまった文章を読もう、「十笑」は、一日に十回くらいは声を出して笑おう、「百吸」は、一日に百回くらい(一度に十回くらい)深呼吸をしよう、「千字」は、一日に千字くらいは文字を書こう、「万歩」は、一日に一万歩を目指して歩こう、ということである。(13p)

★もうじき死んでしまうんだから、あとは野となれ山となれ、と開き直るのも、老いの身支度の極意の一つだと思うことにしている。(112p)

★これから先、何が起こるかわからないが、「災い転じて福となす」ことが得意技になっているので、たとえ不運に見舞われても、何とか乗り越えられるだけの覚悟と自信がある。もうそんなに残っていない持ち時間を精一杯面白がって過ごしたいと思っている。(142-143p)

★歳をとるにつれて、物事の先行きが少し見えてくるようになると、ある時点で、このあとはなるようにしかならないとして、成り行きを静観するようになる。しかし、その根拠には、なんとかなる、という醒めた自信のようなものがあるのも本当である。(201-202p)

★若い人はもちろんのこと、高齢になっても、何とかなる、と受動的に考える前に、何とかする、という積極的な発想でことに当たる気構えを持つことが生きる姿勢をしゃきっと整えてくれるように思う。(205p)