司馬遼太郎の『大盗禅師』を読んでいる。500頁もある文庫本だが、読み進むにつれて面白くなってゆく。このなかに鄭成功が出てくる。台湾に出かけた時、赤崁楼で聞いた話を思い出す。それと五島列島の旅でフリータイムに明人堂などに出かけ、明代の倭寇を思ったりした。
先ほどブログの下書きに記した1部分をアップしよう。それは以下である。
★秋から冬にかけて、仙八は鄭成功とともに各地に転戦した。清軍は、日に日に南下している。かれら北方の騎馬人はかつて自分の種族の名前を、「女真(じょるちん)」とよんでいたが、征服事業がすすむにつれて、「われわれはマンジュである」と改称した。漢民族はその発音に満州という文字をあてるようになった。改称の理由は、政治的なものであろう。かれらは長城のむこうの東北地方(満州)で半農半牧をいとなみ、ときに集団をくんで長城のむこうを侵し、そのため漢民族からきらわれ、怖れられ、「女真」という種族名はあたかも強盗、悪人、無法者という印象(海からやってくる倭寇もおなじ印象だが)をあたえつづけてきたが、いまこの中国に大帝国をたてようとするにあたり、その悪印象をぬぐうために「マンジュ」に変えたのである。この種族は、むかしからどういうわけか文殊菩薩を信仰していた。文殊とは知恵のホトケであり、かれらにすれば侵略者でなく平和をもたらすホトケの軍隊であることを印象づけたかったのであろう。もっとも漢民族は底意地がわるく、これに文殊をあてず、満州の文字をあてた。(327pー328p)
この上記の部分は大いに参考になる。まだ200頁ほど読み終えていない。久々に面白く本を読んでいる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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