1 声を大きく、よく話をする
2 健康である
3 手紙でもファックスでも、思い立ったらすぐに出す
4 悩んでいる人に気をつかわせないようにする
5 人脈を豊富にし、質を高く保つ
6 不条理を感じるものがあれば常に怒りを忘れない
7 自分なりの、ネットワークルートを頭の中で完成しておく
8 金銭的に少し余裕をもっておく
9 機会があれば旅のかおりを届けられるようにしておく
10 自分の目標をもって突き進む
4月に壷阪寺へ出かけようとしている。その前に司馬遼太郎は壷阪寺についてどう書いているのだろうと『街道をゆく(七)』(甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみちほか)を読む。何日か前に読んだときは一部を読んだだけで終わりまで読み終えていなかった。昨日、その個所を読み終えると最後の最後になってやっと「壷阪寺」が出てくる。司馬遼太郎は「街道をゆく」で壷阪寺へ行ったが時間が遅くて閉門していたと書いている。ということで壷阪寺についてはほぼ記載がなくて残念!
以下は『街道をゆく(七)』(甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみちほか)(司馬遼太郎 朝日新聞社、1991年代第7刷)から気になる箇所をメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★帰路は、山路を歩いた。降りてゆくにつれてこの山城がいかに規模が大きく、いかに攻めにくいものであるかがわかった。わずか二万五千石でこれだけの城を持たされていた植村氏は、維持費が大変だったでだろう。
城の峰を降りてふもとに近づくとやがて壷坂(阪)寺になる。「西国六番 壷坂寺」という大きな石碑が立っている。壷坂の坂は、地図では阪で、電鉄会社のポスターなども阪になっている。しかし浄瑠璃などでは坂が多いようだし、境内の手洗いの石の面にも壷坂寺と刻まれている。
高取城主は、本多氏のころから、この寺の諸堂の修築にはずいぶん力を尽くしている。植村氏になってからとくに力を入れたらしい。壷坂寺は応仁の乱の頃に寺領をうしなって以来、自立することがむずかしく、結局は山上の高取城主を大旦那にせざるを得なかったのであろう。
しかし、植村氏がわずかに二万五千石で、あれだけの城を維持し、なお壷坂寺の修築をも、数代かけて営々とやっていたというのは、封建の経済のふしぎさを考える上で、興味がある。おそらく城に付いた山林が、いま考えているよりも相当大きな規模で存在していたからかもしれず、そうとすれば植村氏はいまでいえば吉野の山林王のようなものであったかもしれない。
壷坂寺に入ったのは午後六時すぎで、三重ノ塔へゆく門は閉じられていた。空を見あげると、鳥がしきりに梢を駆けすぎてゆく。高取の山頂の森へ帰ってゆくのかもしれない。(「甲賀と伊賀のみち」(城あとの森)(113p-114p)
長く生きていてもまだ欲があるのだろう。ネット記事に「『人生一度きり』だからこそ!後悔しない生き方を叶える10のヒント」なるタイトルを見るとついメモしたくなる。後悔しない毎日をつくるための10の小さな心がけとして以下をあげている。
1. 小さな幸せを大切にする
2. 自分を好きになる努力をする
3. ありがとうを伝える
4. 休むことを恐れない
5. 笑顔を忘れない
6. 未来より「今」を楽しむ
7. 助けを求める勇気を持つ
8. 好奇心を育てる
9. 過去を許す
10. 自然と触れ合う
この中で「6. 未来より『今』を楽しむ」は若かったころ今ほどそう思っていなかった。この考えがあれば、そう、今を楽しめば先を思い悩まなかったかもしれない。先がそう長くない今になってこれに気づけただけでもまあ、いいか。せいぜい今を楽しむ!?自分にとっての楽しみは旅!せいぜい元気を出して見知らぬ土地を旅しよう。
旅と言えば4月に奈良の一人旅がある。昨日、JRの動画を見ていて壷阪寺、と吉野の旅を変更して壷阪寺と阿倍文殊院、そして大神神社に変更しようと思った。再度図書館で奈良の旅の本を予約する。そういえば本の予約方法でいいアイデアが浮かぶ。書名がわからなくても「奈良の旅」で検索すれば目的の本が探せた。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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ネット記事を見ると「元気で長生きするためには、とにかく骨の健康を保つこと、骨折を防ぐことが重要である」そうだ。折茂 肇によると骨を強くし骨折を予防するためにはどうすればいいのかとしてその対策を3点あげている。
①転倒を防ぐ
②カルシウムを摂取する
③日光浴をする
この3点は年齢に関係ないそうだ。この中の③は「日光を浴びると、脳内に『幸せホルモン』とも呼ばれる『セロトニン』が分泌され、気持ちが明るくなる、集中力が高まるなどの効果も期待できる。散歩も兼ねて、骨を強くするためにぜひ日光浴をしよう」とある。
買い物は午前中の日差しがあるうちに出かけている。日光浴も15分から30分でいいらしく買い物が一番あてはまりそうだ。
今年の同級生からの年賀状に昨年8月から年末にかけて骨折により入院していた旨、記されていた。もう何十年も会ってなくて年賀状だけの付き合いになっている。以前の年賀状には携帯番号が記されていたがメモしておらず今はその番号もわからない。
体のどの部位の骨折なのか記されていなくてわからないが、母のように大腿骨だとそれがもとで寝たきりになることもある。これは誰にでも当てはまることなので気を付けよう!そして折茂 肇の本を読もう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
日本画教室に出かけると体の不調が話題になっている。今のところ体の部位で気になる箇所は歯だけだ。昨年末から覚悟を決めて新たな歯科に通っている。他はいたって健康だ。ただプールが3月くらいまで工事中で泳げない。それまでは運動不足の解消もかねてなるべく自転車に乗らずに歩いてスーパーに行っている。そしてこまめに体を動かす。
教室では相変わらず樹木を描く。教室の人が描く樹木を見てその人も同じような大木を描くという。あまり樹木を描く人ではないが、防府天満宮付近の大木を描くそうだ。描いている絵は何処の大木なのかを聞かれる。薦神社の大木と告げるがそれは何処にあるかは知らない様子だ。宇佐神宮の……と話してもそれも皆さんわからないらしい。薦神社は司馬作品で知った。ここ数年の知識は司馬作品に負うところが大きい。
教室が終わると皆でカフェに行く。相変わらず他愛ない話で盛り上がる。
近年、絵の教室が終わるとよくない状況に陥ることが多い。先週もそうだった。というかすべては自分が起こしたミスだ。ふとこれは魔の土曜日!?と思ったり。気をつけよう!
寝る時刻になってスマホにつけていたストラップの一部が無くなっていると気づく。それはバッグに入っていた。が、直せそうにない。スマホに替えて付け始めて2年半。ストラップが傷んでくるのも致し方ない。しかし、このストラップはかなり気に入っていた。以前、一畑薬師に行った際、手にしたものだ。先ほど、一畑薬師のHPで調べると今でも売っている。ただ、通販で買うよりも直接お寺で購入したい。暖かくなったら観光もかねてストラップを買いに一畑薬師へ行こう。
このストラップを神社のHPで調べると「縞黒檀お姿入り携帯ストラップ」(1000円)とある。一番のお気に入りのストラップだった。まだ手に入れることが出来そうで一安心する。
代わりのストラップを家にある中から探す。いいのがあった。が、これは何処で入手したのかわからない。一畑薬師は目の神様が祀られている。4月に予定している壷阪寺も眼の神様を祀っている。その時はいいストラップを見つけよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
何かあるとすぐにスマホを触っている。昨夕の夕飯後、スマホの検索エンジンのGoogleバーがないのに気づく。それから2時間あまりもかけてGoogleバーの再表示を試みる。が、どうしてもできない。スマホに問うとそのやり方の説明や動画が出た。同じように試みるもどうしてもできない。というかアプリ一覧にGoogleのアプリがないのに気づく。なぜ、と思って何度もスマホに聞いた。ところがアプリ一覧をスマホの設定から探すとちゃんとGoogleアプリはある。
この設定のGoogleアプリをスマホ画面に表示させ、さらにGoogleの検索エンジンを表示させる。この間、何度同じようなことを試みたことか。検索エンジンが表示できたときは頭が疲れ切っていた。
1件落着となったが、そうなる前にM-1で惜しくも2位になった芸人のインスタをフォローしようとした。その際、何か変なことをしたに違いない。これが検索エンジンの表示をおかしくした!?検索エンジンが表示されるようになると次はインスタのフォローを再度試みる。これも結構時間を要した。というのも個人情報を入力する画面が出る。これが怖い。ところが携帯番号やメールアドレスの入力では電話はスキップしてメールはGmailで登録。他にも生年月日や名前の入力がある。これもまあ、……。
スマホに振り回された半日は終わった。お陰というか疲れたというかよく眠った。時に自分にブレーキをかけてスマホから離れよう。肝に銘じて……。
そういえば最近、インスタ以外にもstandFMのアプリを取り込んだ。これも推し芸人が始めたstandFMを聞こうとしたことにある。昨日から始まったラジオだ。こうして次第にテレビから離れていく。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
司馬遼太郎記念館から会誌「遼」94号が送付されてきた。この中に門井慶喜が「司馬さんが書かなかったこと」と題して講演している。そして、それを記事にして掲載している。
門井によると司馬さんが書かなかったものとして「それは何かというと、いわゆる『文学』というものに近いかもしれません。ここで『文学』というものは、狭義の『純文学』と言っていいかもしれませんが、もっと広くとらえて言うと、つまり言葉だけに価値があるといった文学作品を司馬さんは書かなかった。……司馬さんはそういうものにあまり意味を感じなかった。もしくはあまり関心をもたなかったと話しているのです。……『やっちゃん』のような短い文章にも、きっちりと技術を使って、読者に届く工夫をしている。工夫をして内容が大切だとする人にとって、いわゆる狭義の『文学』というのは、おそらく関心外であったでしょう。……言葉というものに狭く囚われることはなかった。これが、司馬さんが書かなかった、あるいは書こうとしなかったものなのか、と私は考えています。後方からずっと司馬さんの背中を見てきた私は、私なりにそういうところを勉強して、読者の役に立つ、読者に貢献できる文章を一行でもたくさん書けるといいなと思っております」とある。この文を読んで久しぶりに門井慶喜という人の本を読みたくなった。ここ数年、エッセイ以外の本は司馬作品がほとんどで他の作家の本を読んでいない。しかし、届いた「遼」を読んで門井の作品を読んでみたくなる。門井は以前に直木賞を受賞している。この頃は直木賞にも芥川賞にも関心が薄れている。ただ、本と言えば司馬作品ばかりのような気がする。時には他の人の本も読もう。
以下は『風の武士(上)』(司馬遼太郎 講談社 2016年第4刷)から気になる箇所をメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★「一体、安羅井の隠し国というのは、どういう国なのか」「竹取の翁の物語をご存じかな」「かぐや姫のあれか」「そうだ」「かぐや姫がどうかしたのか」「あれが、お伽話だと思うか」「お伽話だろう」信吾は、くびをひねった。「お伽話ではない。安羅井の隠し国とは、かぐや姫の母国であると思え。思えぬものなら、話をしたところで益はない」「――するとかぐや姫とは」「おお、察しがよい。ちの様であられる」「とすれば、いったい丹生津姫とは、なにか」「丹生津姫とは、かぐや姫のことである」「わからぬ」(「神奈川の宿」)(291p-292p)
★信吾は、ときに監視者に追いたてられるようにして歩いている自分を思った。監視者に腹がたつときには横を歩いている安羅井人のために働いてやろうと思い、安羅井人が腹だたしくなるときは、おれは公僕隠密だ、とあらためて思いなおしたりした。(「流れ」)(326p)
1階の部屋のリフォーム後に気になっていた2階の部屋に上がってみる。捨てようか捨てまいか迷った服などを大きなナイロン袋に入れていた。それを1階に降ろして明日の資源ゴミに出すと決めた。他にも2階にある縦型の姿見を1階の和室に置くために降ろした。さらには電気屋に頼んでいる1階の和室の照明器が2月にならないと入荷しないとのこと。リフォームの際、3か所の照明器は新たにしたが和室の2部屋は後日になった。それを急遽、2部屋のどちらも点滅したり、電源を引っ張っても入らなくなった。2月まで待てないので2階の電気スタンドをおろして急場をしのいでいる。それにしても電気店に照明器が入荷しないとは、どういうこと!?LEDの需要過多で品切れ!?
ぼやいていても仕方がない。諦めモードで気持ちを切り替えよう。昨日は約1か月ぶりで歯科に行く。新たに通いだした歯科は商売繁盛なのか月に1,2回くらいしか通えない。歯科通いは長丁場と覚悟しているのでそれもいいかと思ったりする。ただ、これから先のスケジュールに4か所の旅を入れている。歯科の予約がこれと重ならないように気をつけよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
図書館で「婦人公論」を読むと五木寛之や澤地久枝のインタビュー記事がある。2人とも著書など読んでいるので興味をもって読んだ。五木は92歳、澤地は94歳だそうだが、いずれも戦後の混乱を外地で過ごしている。ともに年齢を経て老いと戦って生きておられる。自分自身も歳を経てこの人たちの言葉を素直に受け止められるようになった。澤地のインタビューの最後に背骨の骨折時は介護4だったが今は介護1となり、週2回介護や訪問看護師のお世話を共に1時間ずつ受けているとか。驚くべきは食事は自分で作っているそうだ。そして毎月3日は国会前に立って戦争の実相を知らせる活動をされている。
図書館の帰りに驚くべき光景を見た。それは子供を紐で結んで歩く親の姿だ。まるで犬みたい、と思った。子供を紐で……、と思わず口にしたら子供が飛び出すのが怖いから紐でくくっているそうだ。それにしても……。ネットで調べるとこれはハーネスというらしい。わからなことが多々ある世の中になった。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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焦げずに焼けたアップルケーキ |
YOU TUBEで気に入った曲をすぐに聞けるようにスマホ画面にアイコンを表示しようとするができない。アイコンの表示は日本画教室の若い人が教えてくれた。が、その人はandroidスマホではなくiPhoneだ。何度も試みるが思うようにならない。YOU TUBEにある再生リストに登録すると画面表示はできないが検索しなくてもすぐに再生できる。この状態で納得しよう。
教えてくれた人はチャイコフスキーの舟歌がお気に入りらしい。ずいぶん前にチャイコフスキーの曲集をフルートでさらった。舟歌はチャイコフスキーの何番?と思って調べると「四季」の中にあった。が、曲は知っていてもフルートではさらっていないようだ。
フルートの曲集やさらった曲を一覧にしてWordに保存している。昨日、これをコピーしてブログの下書きにも保存した。こうすればたとえパソコンを買い替えてもブログの保存であれば面倒な手続きをしなくてもいい。公開済みのブログはいつでもどこでもどのパソコンでも見られる。が、下書きは自分でログインしなくては見られないが。
春になると院展が瀬戸田で開催される。ここへはJRと船を乗り継いでいく。日本画の先生はその行程をメモしてほしい旨話される。その時点ではスマホ操作ですぐにわかるのにそれが浮かばなかった。発駅から行先をスマホで問えば瞬時に表示できる。次回の教室でそれを説明しよう。というのも自分自身、国内の旅であれば統べてスマホで時刻など調べて出かけている。このやり方だと運賃も乗り場も発車時刻も到着時刻も瞬時に表示できる。
スマホをもってまだ2年半だが、毎日わからないことをスマホに問うているとだいぶわかるようになった。その問いかけの言葉がアンサーとして同じ言葉から始まるのがおかしい。これからはchatGPTの活用が期待できそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
日本画教室に出かける途中、教室近くのJR駅で人と出会う。この人とは同じ教室で絵を習っている。そしてまた音楽の話が合う人だ。すぐにクラシック曲の楽譜が無料でプリントアウトできる旨話す。これからキーボードを買って好きな曲を生きてる間に一曲弾けるようになりたいと思っている。その人は昨年キーボードを買って今、チャイコフスキーの舟歌を練習しているという。動画で聞くとよく知っている曲だ。これまで楽譜はピースで買っていたそうだがこれからはスマホでプリントアウトするとか。
教室では中津の薦神社で写した写真を絵の材料にして描いている。描く途中の雑談である人の知り合いは94歳で一人クルーズ船に乗って旅をしているそうだ。この話を聞いてさらに年取って金銭に余裕があるならばクルーズ船に乗って、と夢を抱く。94歳まではだいぶ時間がある。その歳まで元気で旅ができれば、そして旅を一人でできれば何というぜいたくな人生だろう。この話にはだいぶ元気をもらった。
ところがその後に起きた大ハプニングをその時、予想さえしていなかった。新年早々なんということ!?
我が家に着いた。玄関を開けようとすると鍵がない。出かける前、鍵をポケットに入れるとなくす?と気になっていた。それなのにそのままの状態で出かけてそのままの状態で帰宅した。悪い予感は的中した。ポケットを探してもバッグを探しても鍵はない。すぐに鍵を交換してもらおう、となった。またも近くの電気屋でお世話になる。鍵の交換ではなく、とりあえず鍵を開けてもらう、になっていく。身分証明書は?と業者が電気屋に電話で尋ねるもその場では何も持ち合わせていない。とりあえず電気屋が証人になって話が進む。しかし50分先に鍵屋が来てくれるとか。その時、電気店の店長が帰って来られた。
落ち着きのある店長が口にした言葉にはっとする。「習っている教室に電話した?」。鍵をなくしたことだけが頭にあり、他のことが頭に浮かばなかった。すぐに教室に電話すると「落し物の届けが出ています。鍵の特徴を教えてください」とのこと。嬉しかった。すぐに鍵屋の件は取り消してもらって再度JRに乗って教室に行く。
これまでも鍵を何度かなくしている。それなのに大事に鍵をあつかっていない。新年の浮かれた気持ちがそうさせた!?それとも年齢のせい!?いずれにしても気をつけないといけない。
日も暮れた午後6時半に駅近くで買った手土産をもって電気店にお礼に行く。何と人騒がせなことだろう。気を引き締めて行動しないと大けがをしそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記)日本画教室の日の帰宅はこれまでも家の鍵が抜けなくなった、ICOCAを落としたなどいろいろとハプニングがあった。そして今回の件。気を引き締めないと危ない、危ない!
ショパンの「ノクターン 嬰ハ短調『遺作』」をフルートで練習している。これを以前さらったときのようにスムーズに吹けるようになればキーボードを買って……と夢が膨らむ。と、その前に「この曲のピアノ譜は?」と思ってスマホで調べた。何とスマホの画面にピアノ譜が表示されて印刷できる。これにはびっくり。
以前、USBメモリーに保存の文章をセブンイレブンで印刷しようとするとPDFでないため印刷できなかった。すぐに家に戻ってパソコンの保存をPDF変換してUSBに保存しなおすと印刷できた。その際に覚えたPDF変換のキーワード。スマホで楽譜を探すとPDF……とある。次にこれをセブンイレブンで印刷するにはどうすればいいかを調べるとその手順が表示された。その表示のままにスマホを手にしてセブンイレブンに急ぐ。係に手にしたスマホを見せてこれを印刷したい旨、告げると応対してくれた。金銭を入れると印刷された楽譜が出て来た。これには我ながらすごい、と大感激!
そういえば印刷直前にマルチコピーの画面を見るとカラー印刷になっている。楽譜は白黒もカラーも同じように白黒だ。すぐに白黒コピーに切り替えてコピーすると3枚30円で印刷できた。
1年くらい前、パソコンのプリンタ―が壊れたので破棄した。そのためプリントアウトしたいときはセブンイレブンに出向く。今回の楽譜の印刷はすばらしいことと思った。というかまさかスマホで著作切れの楽譜が無料で印刷できるとは。我ながらよく気付いた、と感激するばかり。
さらに驚くことはこの曲は嬰ハ短調で♯が4つつく。これを移調して印刷することも可能だ。
ナニゴトも頭をよぎるというかひらめくことは試すに限る!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
朝から訪問販売ならぬ訪問回収がチャイムを鳴らす。画面を見ると若い女性だ。このごろは訪問販売はなりを潜める。その代わりが訪問回収とは驚きだ。不要品回収のチラシは郵便受けによく入れてある。次々と怪しげな商売が成り立つこのご時世だ。気を引き締めよう。若い女性だからと言って決して油断はできない。
気分を入れ替えよう。昨日午後はほとんどかかって来ないスマホに2人から電話がある。1人は短大時代の友だちだ。この人とは年に1,2度電話で話す。電話の終わりにはいつも「元気をもらえてありがとう」と言われる。そう言われると「元気でいなくては……」と思ってしまう。2件目の人とはたびたび電話で話す。人によって話題は変わる。年老いても夫婦で暮らす人は旅や遊ぶ話はほぼ出てこない。ただ、体の話題が多い。その点、独り暮らしになった人はたとえ家族がいても旅や遊ぶことや他にも食事の話になる。
自分自身、一人で住んでいるのでまずは元気でいる、が最優先となる。続いて遊ぶことばかり考えている。スマホのメモ欄には行きたいリストを作って羅列している。先週の日本画教室でそれを見せると笑われた。というのも行きたいリストに20カ所くらい書いているから。
自分自身の元気の源は精神的には遊ぶ計画や旅行で気持ちを晴らし、体力的には水泳で元気を保っている。が、3月まではプールのリニューアル中で泳げない。その分、毎日、買い物や予定を作って外に出るようにしている。
朝FMを聞いているとショパンの「ノクターン 嬰ハ短調『遺作』」をピアノソロで弾いていた。この曲はいつ聞いてもいい。先日も生演奏を聴いて感動し、フルートの楽譜を探した。昨日、フルートでこの曲を吹くとうまく吹けない。かなり練習しなおさないと吹けそうにない。キーボードで練習を、とも思っている。と、その前にフルートで吹けるように練習しよう。「二兎を追う者は一兎をも得ず」の諺通り、まずはフルートを吹く!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
はつかいち美術ギャラリーで開催中のタイトルが「線に宿るいのち」のウッドワン美術館所蔵作品日本画展を見に行く。昨日は風が強い日だったが予定通り廿日市まで出かける。年に一度くらいしか行かない場所だが街が少しずつきれいになっている。会場に着くと受付に一人係がいるだけで観客はいない。展示数も多くなくすぐに見終わる。ただ目がよくないので展示作品の位置を地図にしてわかりやすく記してあったのはよかった。パンフに川端龍子「春興図」の一部の掲載がある。この絵は実物を見てもパンフを見ても幹から枝が出ている様子が見て取れる。樹木を描くことが多いのでこれは大いに参考になる。
会場を後にして広電駅までの途中にある複合ビルに入る。昨年も入って気に入ったインド人経営のお店でナンのセットをいただく。その場でナンを焼いてくれるのだが、出て来たナンのなんと大きいことか。半分も食べられない。残りは持ち帰る。そして食後に珈琲を飲む。お店を出てビル内を進むとうどんの讃岐屋もあった。
今朝は日差しがある。これから図書館へ行こう。そして4月の旅の計画を立てよう。そういえば昨日予約した日帰り旅はすぐに満杯になったようだ。朝すぐに予約して幸いだった。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
朝一番の楽しみは地元紙を読むことがある。新聞購読の契約が減少しつつあるそうだが長年、朝、新聞を読む習慣があるのでやめることは考えられない。新聞を読む楽しみはニュースを見るのもそうだが、他にも催しもの案内や旅の情報などがある。今朝、新聞折込みに入っていた「市民と市政」に広島都市圏の催し物がある。それは日帰りツアー。市内の某旅行社の主催で10時前に新聞折込みのQRコードで読み取ると予約待機中だ。10時の申し込み受け付け時刻が近づくと既に満席とある。おかしい?と思って電話すると通じた。そんなことはない、と言われる。
この会社の旅はネットで予約している。が、手っ取り早い予約は電話、と思って10時ジャストに電話すると予約できた。代金はメールで送られてくる案内でクレジット決済した。
朝から遊ぶことで夢中になった。まだまだ先の話なのに予約できたので次は本日の予定になる。美術館のギャラリーに出かけて日本画展を見る予定にしている。今日は生憎の曇り空だが時間が経つにつれて晴れるようだ。ただ、風速8mの風が吹くとか。ナニゴトも先延ばしにすると実行できなくなる。元気を出して今日も頑張る!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
○昨日の事は恨まない、悔やまない。
○明日の事は悩まない。
○飲み過ぎない、食べ過ぎない。
○腐ったり傷んだりした食べ物は食べない。
○何でもない時に薬を飲まない。
○元気でもむやみに寝所で精気を費やさない。
○体を動かさずに怠ける事を好まない。
玄白はこの7つのルール、つまり健康のための7つの不可事(ふかじ)を、古希(こき)を迎える前年に『養生(ようじょう)七不可』という刷物に簡易な言葉でまとめて、知人に配っている。玄白は、「病気はなるべく自分自身の摂生(せっせい)で治せ」という考えの持ち主だった。
上記のことはいまの時代でも当てはまる。というか自分にとってはすべて納得がいく。せいぜい玄白様にあやかって長生きしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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薦神社の大木(写真) |
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スイートスプリング |
『司馬遼太郎が考えたこと』のシリーズは15巻で終わる。これからは再度、小説を読んでいこう。その合間に「街道をゆく」シリーズを読む。昨日、壷阪寺の記載があるかも、と思って『街道をゆく』(7)を図書館で借りた。しかし、そのなかの「大和・壺阪みち」を読んでも「壺阪寺」は一文字もなかった。ただ、YOU TUBEで見たとおりの「大和・壺阪みち」だった。壺阪みちは司馬が仮に名付けた地名だがかなり奥まった場所にある。
以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(15)(司馬遼太郎 新潮社、平成十八年)から気になる箇所をメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★この移動式の家のことを、紀元前、司馬遷は「穹廬」(きゅうろ)と、よんだ。穹には、大空という意味がある。また、天井がアーチ状になっているという意味でもある。廬の意味は、仮の家、草庵のことである。が、意味よりも、あるいは匈奴語である(と想像する)ゲル(ghel)という音を、穹廬でもって表音したにちがいない(ついでながら、包(パオ)は、中国語である)。(「草原の暮らしよさ――モンゴル素描」)(21p)
★人間にとって最大の楽しみは人間を見ることなのです。人間が異境に旅したがるのは、そのような知的本能というべきものを満足させたいからでしょう。文化とは、集団が共有している慣習のことです。人間は、文化にくるまって生きているのです。文化という定義は「それにくるまっていると、心が安らぎ、楽しく、安全でさえある」というものです。地球上に、多様な文化があります。人間たちは、それにくるまって楽しく生きています。(「人間について」)(58p-59p)
★私には、自己流の空(くう)の考え方がまとわりついて離れません。自分自身を長い尺度で否定したり、みじかい日々の時間のなかで否定したり、同時に再構築したりしてゆくという習性です。これは。独りの私人の、独りのなかの作業です。悪癖ともいえます。自己が嫌いなのです。が、瞬時に気をとりなおして、自己を肯定的に再構築します。……私には、漱石という巨人と自分を見くらべるような不遜な気分はありませんが、漱石という人にも、そういう性癖があったように思います。年老いて、いよいよ漱石が恋しく慕わしく思われてくるのは、漱石にそういう性癖があって、その部分が、私にとって悲しく嬉しく感じられる成果と思います。漱石が、大好きなのです。とくに、その人間が、です。(「なぜ小説を書くか」)(92p-93p)
★題の風塵というのは、いうまでもなく世間ということである。風塵抄とは、小間切れの世間話と解してもらえればありがたい。……ただ心掛けとしては、風塵のなかにあっての恒心について書こうとしている。恒とはいうまでもなく、つね、あるいはかわらぬもの、ということで、恒心とはすなおで不動のものと言う意味である。ひとびとに恒心がなければ社会はくずれる。(「あとがき『風塵抄』」)(104p)
★二百年間、日本国は”造寺造仏”に精を出しました。大乗仏教は、釈迦の時代の原始仏教とはちがい、大寺という建物をつくり、仏像を鋳造せねばならないので、お金がかかるのです。”国家仏教”たらざるをえませんでした。この”造寺造仏”七〇八年、奈良の都という新首都(平城京)が建設されるころに、頂点に達します。ただし、この首都はわずか七十四年間で捨てられました。僧侶たちが暴慢になったからだといわれています。(「日本仏教小論――伝来から親鸞まで」)(172p-173p)
★孔子が『詩経』についていったことばがあります。「思無邪」ということでした。井上さんの生涯は、その三つの文字に尽きます。今後、こんな人を、私どもは知ることができるでしょうか。(思無邪「井上靖展」)(227p)
★世界の絵画のなかで、清らかさを追求してきたのは、日本の明治以後の日本画しかないと私はおもっている。生きものがもつよごれを、心の目のフィルターで漉しに漉し、ようやく得られたひと雫が美的に展開される。それが、日本画である。その不易の旗手が、秋野不矩画伯であるに相違ない。秋野画伯は上村松園の血脈をひいていると私はおもっている。詩的緊長が清澄(せいちょう)を生むという稀有の系譜である。(菩薩道の世界『秋野不矩 インド)(235p)
★中村元博士の『仏教語大辞典』によると、迦楼羅(かるら)という雷鳥は、ガルダという名でもって、その説話が南アジア一般にひろまっているそうである。いまもインドネシア航空の名称は「ガルダ」だそうで、その名で世界中に飛んでいる。迦楼羅はその羽毛の色は金色で、口から火を吐き、仏法を守護し、衆生を救う。……密教がまだ原始的な呪術であったころ、密林のなかのひとびとは孔雀と共に住んでいた。孔雀は、悪食である。好んで毒蛇を食べ、しかもその毒に中らないことにひとびとは驚嘆した。……古代の天才たちの想像力は、孔雀だけにとどまらなかった。孔雀をもとにして想像をふくらませた。ついに両翼をひろげると三三六万里という巨大な鳥にまで成長させた。迦楼羅である。……食べものも、孔雀のように毒蛇では追っつかず、龍を常食している、とした。しかも、火を吐く。その火がこの世の罪障をほろぼさせてくれるとなれば、現代のわれわれも、迦楼羅のような鳥を希求せざるをえない。それがこの装丁の「青不動」の炎である。(あとがき『十六の話』)(299p-301p)
今朝は今季一番の冷え込みでマイナス3度だった。予想最高気温は6度で昨日よりは幾分温かくなりそうだ。雪は降っておらず日差しがある。
読んでいる本は『風の武士』(下)で隠密が出てくる。これは甲賀・伊賀の忍者が関係する。4月に壷阪寺に行く予定だ。もしかして司馬作品の「街道をゆく」に壷阪寺があるのでは?とひらめく。すぐに「街道をゆく」の目次と「歩いた道」一覧を調べると7巻「甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか」に「大和・壺阪みち」の掲載がある。「街道をゆく」シリーズの単行本は地元の図書館にもあるので本を借りて読もう。
昨夜、YOU TUBEで「街道をゆく」の「大和・壺阪みち」を探すとあった。しかし、壺阪山は映像が出ても壷阪寺は見られなかった。壷阪寺がないのは残念!
それにしても「ひらめき」は大事だ。夕飯後にこれが頭をよぎったときはなぜか「やった!」という気持ちになった。久々に司馬作品の小説である『風の武士』を読んでいると初めはとっつきにくくて読みずらいと思ったが上巻を読み終わるころには読むのが面白くなる。ましてや忍者の話は初めて読む。すぐに下巻も借りて読んでいる。これからはまたも「街道をゆく」を並行して読むようになる。これから図書館に出かけて「大和・壺阪みち」を借りてとりあえず読む!?壷阪寺はどんなふうに書いてあるだろうか。
話は変わって昨日の地元紙に廿日市文化ギャラリーでウッドワン美術館所蔵の日本画の展覧会開催の記事がある。これは是非とも見に行かねば……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
今朝の地元紙に南美希子は「転がる石に苔むさず」を引用して書いている。この諺は初めて知った。ウイキペディアで調べると〈”A rolling stone gathers no moss”とはプブリリウス・シュルスの『格言集(Sententiae)』で記した「一つの場所にも他の場所にも定着せず、常に動き回る人々は、責任や苦労から逃げている」から発生したとされイギリスの古い諺である〉とある。
この中にある”moss”はモスグリーンのモス?と思ってさらに調べるとそうだった。このモスグリーンの詳しい意味も知らずに使っていた。苔から来ていたとは……。せいぜいこの諺をモットーにしてくすぶらず「常に動き回る人」でありたい!そうすれば元気でいられる!?
今朝も日差しはあるが問題は明日の寒さ!?明日の最高気温が3度とか。最高気温が3度だと最低気温はさらに冷たい。今日は外に出て明日はおとなしくする!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
今朝の地元紙に文化勲章受章の日本美術院理事長田淵俊夫のインタヴューがある。日本美術院は春の院展や再興院展を開催している。しかし、この2件の院展は広島では開催されない、と聞いた。日本画を習っているので年2回の院展の開催は楽しみだった。ところが今朝の記事で田淵俊夫の師匠でもある瀬戸田の平山郁夫美術館で再興109回院展が3月1日から4月7日まで開催されるとある。
平山郁夫美術館へは日帰りバスツアーで出かけた。が、個人では出かけていない。先ほど自宅から美術館までのアクセスをネットで調べると三原港から瀬戸田港までの船が出ている。瀬戸田港から平山郁夫美術館へは徒歩で行ける。スマホのスケジュールに見に行く日をメモした。
広島はスポーツ関係では中四国地方で幅を利かせている。が、文化面では岡山県に劣ると言われる。全国を巡回する日本画の院展が広島市内でなくなったことを見てもその感は否めない。その代わり、瀬戸田に出かけて見られるのであればこれもレジャーを兼ねて出かけよう。
雨も上がって日差しがまぶしい。奈良の旅の計画など遊ぶことばかりを考えている。こういう時が一番楽しい。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
昨年は家の改装で明け暮れた感がある。それでも夏くらいまではツアーや個人でいろんなところへ出かけた。中でも7月の猛暑日に出かけた長谷寺と室生寺は暑さに負けて海外で味わった高山病にも匹敵するほど過酷な旅となった。新たな年の始まりは頭にひらめくことを最優先して物事をすすめよう。その初めはやはり旅。先日日帰りツアーで2月下旬の旅を申し込んだ。昨日は夕方から夜の11時までかけて奈良の宿を申し込む。行先は奈良の壷阪寺。このお寺は眼病封じのお寺だとか。眼は自分にとっては一番の難点。今何がどう悪いというわけではないが視力がよくないのがいけない。今更視力を云々とは思わないが、これにかこつけて観光するのもいいじゃない!?と思った。
奈良橿原周辺の宿をネットで探す。昨年秋から個人で旅をしていなかったが候補に挙がった宿の公式HPから予約する。が、しばらく経って予約したホテルの口コミが気になる。どれもこれも評判がよくなくて、夜になって再度他のホテルを探す。
先に予約したホテルと比べると倍以上の金額だがここに変更する。その時刻は夜10時半だ。すぐに先に申し込んだホテルをキャンセルする。
ホテルは決まった。その時いいアイデアが浮かぶ。それは予約したホテルから先には吉野がある。2年前、人について吉野へ行った。しかし、2年前の吉野は桜が葉桜だった。今回予約したのは4月初旬。桜の季節だ。ついでに吉野の桜も見に行こうとなった。
まだまだ奈良には多くの行きたい場所がある。もしも今度泊まるホテルが気に入ればここを定宿に、と思ったり。というか予約した宿は最寄り駅に近いのがいい。
これから4月までは旅のスケジュールが楽しみになる。計画していると頭の中はそれだけになる。これがいい!
今朝の地元紙をみるとまたも徳之島の旅がある。1人参加はキャンセル待ちであきらめたが募集するなら参加させてくれても、と思う。期待する方が無理!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
今朝の地元紙を見ると今日は1・5の語呂合わせで遺言の日だとか。記事を読むと川柳がある。「〆切が あれば書きます 遺言書」。これは遺言川柳の受賞作だそうだ。跡継ぎがいないので時に姉妹から遺言を書くようにと言われることがある。書くほどのモノはないし、ましてやこの受賞作のように自分の消える〆切が決まっているわけでもない。自分自身がこの世からいなくなることさえ、今は想像できない。長く生きて来て必要以上に石橋をたたいて渡ってきた。が、先のことはなるようにしかならないのであらかじめ用意して置くことはない。その思いが強いので遺言がどうじゃこうじゃは次元が違う。
昨夜、推し芸人の新年初めてのYOU TUBEを見て早速、コメントを書いた。久しくコメントを書いていなかったが、昨夜のYOU TUBEは思わず吹き出すほどおかしかった。その後、すぐにご本人から「ありがとうございます」と返信がある。YOU TUBEは他の人のも見る。テレビが面白くないので推し芸人のYOU TUBEを見るのは本当に楽しみだ。
今朝は今季一番とも言えるほど気温が低く、最低気温はマイナス1度だった。今は日差しも出ている。今日から図書館が開館する。これから早速、予約の本を受け取りに図書館へ行こう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
年末に姉の孫たちが我が家にやってくる旨、電話があった。ポチ袋を折り紙で作って2人分のお年玉を用意する。しかし、予定時刻になっても孫たちはやってこない。姉に電話するとまだ家にいるという。そう聞いてお正月早々、ムッとする。よく話を聞くとまだ寝ているみたいなことを言う。そしてさらにムッとする。その時、孫2人ではなく、大阪から帰省中の大学生の孫も来るとのことで慌てて1人分のお年玉を追加する。2人分までは新しいお札があったが追加の1人分は新札がない。ましてや使いかけの旧札だ。やってきた3人に1人分だけ旧札が入っている旨告げてくじ引きにして渡した。旧札は1番下の高校生の男の子が受け取る。
3人のうち、高校生の男の子の変化に驚く。以前に会ったのは小学生の頃だ。それから数年後の昨日は高校2年生になっている。子供から青年への変化は見るものを驚かせる。そして2人の女の子は声も姿も話しぶりもその母親にそっくりだ。姉曰く、みんなが話していると誰がどの声かわからないと。そう聞いてたまに会うので納得する。
3人は自宅最寄り駅から広島駅で乗り換えて我が家にやってきた。乗り換えの際、2番目の大学生がホームを出てわざわざ新幹線口の名店街でフィナンシェを買ってお土産にくれた。3人は我が家で早速、それを食べ始める。1個、冷蔵庫に残してくれていた。飲みものや年末に買っていた一六タルトなどを用意すると飲んでいる。しかし、一番上の姉の孫は、突然、お味噌汁が飲みたいと言いだす。作るのも大変なので前夜作って残っていたのをチンして出すと美味しいと言って飲んだ。
いつもは一人でゆっくり生活している。それが突然の3人の来客で慌ててしまった。そして今風の若者と話すが、こちらはついて行けない。
次は3月に来ると言ってわが家を去った。その時、お土産は何がいいかを問われて「月化粧」と答える。その理由は推し芸人が新年にそれをXに載せていたから。広島では買えない和菓子のようだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記)姉の孫たちの到着が遅れたので昨日の予定が崩れた。例年のように参る広島駅から無料送迎バスが出ている神社に行かずじまいとなる。どこかへ行きたい気持ちが昂じてネットで旅行会社の日帰り旅を探す。その前に、徳之島の旅はどうなったかをネットで調べると1人参加はやはりキャンセル待ちだ。とはいっても申し込んではいないが。今朝、メールをチェックすると徳之島の旅の案内が届いている。2人参加だとOKという意味!?日帰り旅は来月下旬の河津桜の旅をネットで申し込み、クレジット決済した。これからは泊を伴う旅は一人旅で出かけよう。今年も元気を出してせっせと旅をする!?
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司馬遼太郎記念館から送られた菜の花の種 芽を出して大きくなった 菜の花忌に花が咲く!? |
姪の娘から見れば大叔母になる。近くに住んでいないのであまり会う機会はない。特に姪の娘の弟とはもう何年も会っていない。電話を切った後、このごろのお年玉の相場をネットで調べる。思っていたよりも結構な金額だ。姪の2番目の娘は昨年春から大学生でその弟は高校生だ。ネットで調べた後は手もとにある折り紙で、今度はポチ袋の作り方を調べる。
年が明けて1月1日は何が何でも近くの神社に行かねばならない。それは家のリフォームで取り壊した神棚をお焚き上げしてもらうためだ。父がずいぶん前にどこかの神社で買って帰った神棚を今回、処分した。家の行事や、また神社仏閣に対して信じ深かった父だった。神棚を処分することにためらいはあった。が、工事の人たちとも話し合って処分となった。その結果、お正月のお焚き上げを教えてもらう。そしてお墓参りを済ませると神棚を神社に持って行った。
新たな年はお天気も良く、穏やかなスタートとなった。
ともあれ新たな1年も元気で楽しく過ごしましょう!