2025年1月31日金曜日

「人に元気を与えるポイント」

 今朝、早く宅急便が届く。それは「駅長おすすめ駅プラン」のパンフを見て申し込んだ新幹線チケットと食事券である。これは今年から気持ちを切り替えて我が誕生日を盛大に一人祝おうとの考えから決めた。書類はこれより前にも一度届いているが、今回は切符などの旅一切が入っている。このプランは自宅最寄り駅で見つけたパンフで知った。家に居ながらにして電話ひとつでモノゴトがスムーズに運ぶと感心する。

 最近の旅は団体旅行であれ、個人旅行であれ、いずれも電話やネットで申し込む時代だ。今朝届いた書類を見てこれからも利用しようと思った。というか新たな年になって初めての新たな試みが今回のこの個人旅である。

 昨日、図書館で奈良の旅の本を借りた。奈良の本はいろいろあるがこの本は購入しよう。本を増やすのをためらう気持ちがある。が、何もかも図書館に頼るのではなく自分が欲しい本は買う、と決めた。

 先日、JRの動画を見て阿倍文殊院と大神神社へ行こう、と思った。先ほど自宅最寄り駅で見つけた奈良のパンフを見ると桜井・三輪を主にしている。JRの動画はこのパンフと関係があった。
 
 昨晩はブログで知り合った人と電話で話す。働いていた頃、仕事に行き詰まり、啓発本を買って自分を元気づけていた。その中にこの方の文が掲載されていた。ブログで何度も取り上げているが、久々にまたアップしよう。それは2011年2月にこのブログを開始した翌日の投稿である。

 それによると「20年前から実行しているスローガンを思い出して。さあ!行動開始!」としたあとに「人に元気を与えるポイント」(舛井一仁)として以下の10点をあげている。あと何日かすると投稿から14年になる。ということでこのスローガンは今から34年前に知ったことになる。が、何年経っても決して色褪せることなく今でも励みになっている。今朝も投稿しよう!

1 声を大きく、よく話をする

2 健康である

3 手紙でもファックスでも、思い立ったらすぐに出す

4 悩んでいる人に気をつかわせないようにする

5 人脈を豊富にし、質を高く保つ

6 不条理を感じるものがあれば常に怒りを忘れない

7 自分なりの、ネットワークルートを頭の中で完成しておく

8 金銭的に少し余裕をもっておく

9 機会があれば旅のかおりを届けられるようにしておく

10 自分の目標をもって突き進む

 舛井一仁様、ありがとうございました!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月30日木曜日

『街道をゆく(七)』(甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみちほか)

 4月に壷阪寺へ出かけようとしている。その前に司馬遼太郎は壷阪寺についてどう書いているのだろうと『街道をゆく(七)』(甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみちほか)を読む。何日か前に読んだときは一部を読んだだけで終わりまで読み終えていなかった。昨日、その個所を読み終えると最後の最後になってやっと「壷阪寺」が出てくる。司馬遼太郎は「街道をゆく」で壷阪寺へ行ったが時間が遅くて閉門していたと書いている。ということで壷阪寺についてはほぼ記載がなくて残念!

 以下は『街道をゆく(七)』(甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみちほか)(司馬遼太郎 朝日新聞社、1991年代第7刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★帰路は、山路を歩いた。降りてゆくにつれてこの山城がいかに規模が大きく、いかに攻めにくいものであるかがわかった。わずか二万五千石でこれだけの城を持たされていた植村氏は、維持費が大変だったでだろう。

 城の峰を降りてふもとに近づくとやがて壷坂(阪)寺になる。「西国六番 壷坂寺」という大きな石碑が立っている。壷坂の坂は、地図では阪で、電鉄会社のポスターなども阪になっている。しかし浄瑠璃などでは坂が多いようだし、境内の手洗いの石の面にも壷坂寺と刻まれている。

 高取城主は、本多氏のころから、この寺の諸堂の修築にはずいぶん力を尽くしている。植村氏になってからとくに力を入れたらしい。壷坂寺は応仁の乱の頃に寺領をうしなって以来、自立することがむずかしく、結局は山上の高取城主を大旦那にせざるを得なかったのであろう。

 しかし、植村氏がわずかに二万五千石で、あれだけの城を維持し、なお壷坂寺の修築をも、数代かけて営々とやっていたというのは、封建の経済のふしぎさを考える上で、興味がある。おそらく城に付いた山林が、いま考えているよりも相当大きな規模で存在していたからかもしれず、そうとすれば植村氏はいまでいえば吉野の山林王のようなものであったかもしれない。

 壷坂寺に入ったのは午後六時すぎで、三重ノ塔へゆく門は閉じられていた。空を見あげると、鳥がしきりに梢を駆けすぎてゆく。高取の山頂の森へ帰ってゆくのかもしれない。(「甲賀と伊賀のみち」(城あとの森)(113p-114p)

2025年1月29日水曜日

「後悔しない生き方を叶える10のヒント」

 長く生きていてもまだ欲があるのだろう。ネット記事に「『人生一度きり』だからこそ!後悔しない生き方を叶える10のヒント」なるタイトルを見るとついメモしたくなる。後悔しない毎日をつくるための10の小さな心がけとして以下をあげている。

1. 小さな幸せを大切にする

2. 自分を好きになる努力をする

3. ありがとうを伝える

4. 休むことを恐れない

5. 笑顔を忘れない

6. 未来より「今」を楽しむ

7. 助けを求める勇気を持つ

8. 好奇心を育てる

9. 過去を許す

10. 自然と触れ合う

 この中で「6. 未来より『今』を楽しむ」は若かったころ今ほどそう思っていなかった。この考えがあれば、そう、今を楽しめば先を思い悩まなかったかもしれない。先がそう長くない今になってこれに気づけただけでもまあ、いいか。せいぜい今を楽しむ!?自分にとっての楽しみは旅!せいぜい元気を出して見知らぬ土地を旅しよう。

 旅と言えば4月に奈良の一人旅がある。昨日、JRの動画を見ていて壷阪寺、と吉野の旅を変更して壷阪寺と阿倍文殊院、そして大神神社に変更しようと思った。再度図書館で奈良の旅の本を予約する。そういえば本の予約方法でいいアイデアが浮かぶ。書名がわからなくても「奈良の旅」で検索すれば目的の本が探せた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月28日火曜日

仮の照明器

 昨日は曇り空の一日で外へは回覧板を持って出たのと家の前のドラッグストアに出かけただけとなった。運動不足が否めないので家の中でアップルケーキを作ったり、笛を吹いたり、本を読んで過ごす。今回のアップルケーキは6、7回目くらい?今までで一番きれいにできた。これを何回かに分けて朝食のパン代わりにしている。

 夕方、電気店の店長が来られる。照明器は?と聞かれてまだ新たに付け替えていない和室2部屋の照明器が瀕死状態と告げる。取り換え予定のLED照明器は品切れのため2月にならないと入荷しない。取り換え日まで待てないので電気スタンドも利用している。この状態を見て店長は仮の照明器を取り付けてくれた。
 
 我が家だけでなく照明器が品不足であれば故障した家は困るはず。そのためそれ用の予備の照明器を仮に取り付けるらしい。家のリフォームがおわったはずなのに照明器を替えていない2部屋は2週間近く薄暗い部屋になっていた。が、仮の照明器を付けてもらうと侘しい部屋が明るさを取り戻す。もう少しすると仮ではなく新たな照明器がつく。さらに明るくなると気持ちまでももっと明るくなりそうだ。

 昨晩、夜中にトイレで起きる。興味半分でテレビをつけるとまだフジの会見をしていた。もちろん、1分も見ないですぐに寝る。今朝、ネットで10時間以上の会見だったと知って驚く。何がどうなっているのか知らないがそれにしても変な世の中である。そういえばこの会見、昨夕のNHK・FMでずっと流していた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月27日月曜日

骨を強くし骨折を予防するために

 ネット記事を見ると「元気で長生きするためには、とにかく骨の健康を保つこと、骨折を防ぐことが重要である」そうだ。折茂 肇によると骨を強くし骨折を予防するためにはどうすればいいのかとしてその対策を3点あげている。

①転倒を防ぐ

②カルシウムを摂取する

③日光浴をする

 この3点は年齢に関係ないそうだ。この中の③は「日光を浴びると、脳内に『幸せホルモン』とも呼ばれる『セロトニン』が分泌され、気持ちが明るくなる、集中力が高まるなどの効果も期待できる。散歩も兼ねて、骨を強くするためにぜひ日光浴をしよう」とある。

 買い物は午前中の日差しがあるうちに出かけている。日光浴も15分から30分でいいらしく買い物が一番あてはまりそうだ。

 今年の同級生からの年賀状に昨年8月から年末にかけて骨折により入院していた旨、記されていた。もう何十年も会ってなくて年賀状だけの付き合いになっている。以前の年賀状には携帯番号が記されていたがメモしておらず今はその番号もわからない。

 体のどの部位の骨折なのか記されていなくてわからないが、母のように大腿骨だとそれがもとで寝たきりになることもある。これは誰にでも当てはまることなので気を付けよう!そして折茂 肇の本を読もう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月26日日曜日

携帯ストラップ

 日本画教室に出かけると体の不調が話題になっている。今のところ体の部位で気になる箇所は歯だけだ。昨年末から覚悟を決めて新たな歯科に通っている。他はいたって健康だ。ただプールが3月くらいまで工事中で泳げない。それまでは運動不足の解消もかねてなるべく自転車に乗らずに歩いてスーパーに行っている。そしてこまめに体を動かす。

 教室では相変わらず樹木を描く。教室の人が描く樹木を見てその人も同じような大木を描くという。あまり樹木を描く人ではないが、防府天満宮付近の大木を描くそうだ。描いている絵は何処の大木なのかを聞かれる。薦神社の大木と告げるがそれは何処にあるかは知らない様子だ。宇佐神宮の……と話してもそれも皆さんわからないらしい。薦神社は司馬作品で知った。ここ数年の知識は司馬作品に負うところが大きい。

 教室が終わると皆でカフェに行く。相変わらず他愛ない話で盛り上がる。

 近年、絵の教室が終わるとよくない状況に陥ることが多い。先週もそうだった。というかすべては自分が起こしたミスだ。ふとこれは魔の土曜日!?と思ったり。気をつけよう!

 寝る時刻になってスマホにつけていたストラップの一部が無くなっていると気づく。それはバッグに入っていた。が、直せそうにない。スマホに替えて付け始めて2年半。ストラップが傷んでくるのも致し方ない。しかし、このストラップはかなり気に入っていた。以前、一畑薬師に行った際、手にしたものだ。先ほど、一畑薬師のHPで調べると今でも売っている。ただ、通販で買うよりも直接お寺で購入したい。暖かくなったら観光もかねてストラップを買いに一畑薬師へ行こう。

 このストラップを神社のHPで調べると「縞黒檀お姿入り携帯ストラップ」(1000円)とある。一番のお気に入りのストラップだった。まだ手に入れることが出来そうで一安心する。

 代わりのストラップを家にある中から探す。いいのがあった。が、これは何処で入手したのかわからない。一畑薬師は目の神様が祀られている。4月に予定している壷阪寺も眼の神様を祀っている。その時はいいストラップを見つけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月25日土曜日

検索エンジンのスマホ画面表示

  何かあるとすぐにスマホを触っている。昨夕の夕飯後、スマホの検索エンジンのGoogleバーがないのに気づく。それから2時間あまりもかけてGoogleバーの再表示を試みる。が、どうしてもできない。スマホに問うとそのやり方の説明や動画が出た。同じように試みるもどうしてもできない。というかアプリ一覧にGoogleのアプリがないのに気づく。なぜ、と思って何度もスマホに聞いた。ところがアプリ一覧をスマホの設定から探すとちゃんとGoogleアプリはある。

 この設定のGoogleアプリをスマホ画面に表示させ、さらにGoogleの検索エンジンを表示させる。この間、何度同じようなことを試みたことか。検索エンジンが表示できたときは頭が疲れ切っていた。

 1件落着となったが、そうなる前にM-1で惜しくも2位になった芸人のインスタをフォローしようとした。その際、何か変なことをしたに違いない。これが検索エンジンの表示をおかしくした!?検索エンジンが表示されるようになると次はインスタのフォローを再度試みる。これも結構時間を要した。というのも個人情報を入力する画面が出る。これが怖い。ところが携帯番号やメールアドレスの入力では電話はスキップしてメールはGmailで登録。他にも生年月日や名前の入力がある。これもまあ、……。

 スマホに振り回された半日は終わった。お陰というか疲れたというかよく眠った。時に自分にブレーキをかけてスマホから離れよう。肝に銘じて……。

 そういえば最近、インスタ以外にもstandFMのアプリを取り込んだ。これも推し芸人が始めたstandFMを聞こうとしたことにある。昨日から始まったラジオだ。こうして次第にテレビから離れていく。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月24日金曜日

「遼」94号&『風の武士(上)』から

 司馬遼太郎記念館から会誌「遼」94号が送付されてきた。この中に門井慶喜が「司馬さんが書かなかったこと」と題して講演している。そして、それを記事にして掲載している。

 門井によると司馬さんが書かなかったものとして「それは何かというと、いわゆる『文学』というものに近いかもしれません。ここで『文学』というものは、狭義の『純文学』と言っていいかもしれませんが、もっと広くとらえて言うと、つまり言葉だけに価値があるといった文学作品を司馬さんは書かなかった。……司馬さんはそういうものにあまり意味を感じなかった。もしくはあまり関心をもたなかったと話しているのです。……『やっちゃん』のような短い文章にも、きっちりと技術を使って、読者に届く工夫をしている。工夫をして内容が大切だとする人にとって、いわゆる狭義の『文学』というのは、おそらく関心外であったでしょう。……言葉というものに狭く囚われることはなかった。これが、司馬さんが書かなかった、あるいは書こうとしなかったものなのか、と私は考えています。後方からずっと司馬さんの背中を見てきた私は、私なりにそういうところを勉強して、読者の役に立つ、読者に貢献できる文章を一行でもたくさん書けるといいなと思っております」とある。この文を読んで久しぶりに門井慶喜という人の本を読みたくなった。ここ数年、エッセイ以外の本は司馬作品がほとんどで他の作家の本を読んでいない。しかし、届いた「遼」を読んで門井の作品を読んでみたくなる。門井は以前に直木賞を受賞している。この頃は直木賞にも芥川賞にも関心が薄れている。ただ、本と言えば司馬作品ばかりのような気がする。時には他の人の本も読もう。

 以下は『風の武士(上)』(司馬遼太郎 講談社 2016年第4刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「一体、安羅井の隠し国というのは、どういう国なのか」「竹取の翁の物語をご存じかな」「かぐや姫のあれか」「そうだ」「かぐや姫がどうかしたのか」「あれが、お伽話だと思うか」「お伽話だろう」信吾は、くびをひねった。「お伽話ではない。安羅井の隠し国とは、かぐや姫の母国であると思え。思えぬものなら、話をしたところで益はない」「――するとかぐや姫とは」「おお、察しがよい。ちの様であられる」「とすれば、いったい丹生津姫とは、なにか」「丹生津姫とは、かぐや姫のことである」「わからぬ」(「神奈川の宿」)(291p-292p)

★信吾は、ときに監視者に追いたてられるようにして歩いている自分を思った。監視者に腹がたつときには横を歩いている安羅井人のために働いてやろうと思い、安羅井人が腹だたしくなるときは、おれは公僕隠密だ、とあらためて思いなおしたりした。(「流れ」)(326p)

2025年1月23日木曜日

2階のモノ

  1階の部屋のリフォーム後に気になっていた2階の部屋に上がってみる。捨てようか捨てまいか迷った服などを大きなナイロン袋に入れていた。それを1階に降ろして明日の資源ゴミに出すと決めた。他にも2階にある縦型の姿見を1階の和室に置くために降ろした。さらには電気屋に頼んでいる1階の和室の照明器が2月にならないと入荷しないとのこと。リフォームの際、3か所の照明器は新たにしたが和室の2部屋は後日になった。それを急遽、2部屋のどちらも点滅したり、電源を引っ張っても入らなくなった。2月まで待てないので2階の電気スタンドをおろして急場をしのいでいる。それにしても電気店に照明器が入荷しないとは、どういうこと!?LEDの需要過多で品切れ!?

 ぼやいていても仕方がない。諦めモードで気持ちを切り替えよう。昨日は約1か月ぶりで歯科に行く。新たに通いだした歯科は商売繁盛なのか月に1,2回くらいしか通えない。歯科通いは長丁場と覚悟しているのでそれもいいかと思ったりする。ただ、これから先のスケジュールに4か所の旅を入れている。歯科の予約がこれと重ならないように気をつけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月22日水曜日

ハーネス

 図書館で「婦人公論」を読むと五木寛之や澤地久枝のインタビュー記事がある。2人とも著書など読んでいるので興味をもって読んだ。五木は92歳、澤地は94歳だそうだが、いずれも戦後の混乱を外地で過ごしている。ともに年齢を経て老いと戦って生きておられる。自分自身も歳を経てこの人たちの言葉を素直に受け止められるようになった。澤地のインタビューの最後に背骨の骨折時は介護4だったが今は介護1となり、週2回介護や訪問看護師のお世話を共に1時間ずつ受けているとか。驚くべきは食事は自分で作っているそうだ。そして毎月3日は国会前に立って戦争の実相を知らせる活動をされている。 

 図書館の帰りに驚くべき光景を見た。それは子供を紐で結んで歩く親の姿だ。まるで犬みたい、と思った。子供を紐で……、と思わず口にしたら子供が飛び出すのが怖いから紐でくくっているそうだ。それにしても……。ネットで調べるとこれはハーネスというらしい。わからなことが多々ある世の中になった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月21日火曜日

暇になると……

焦げずに焼けたアップルケーキ

 暦の上では大寒なのに最高気温は13度の予想だ。この様子だと夏の気温は今年も高くなるのだろうか。ともあれ過ごしやすい冬を過ごしている。本を読んだり、笛を吹いたりしながらも時にスマホに表示される動画を見る。その中に作れそうな料理などがあると暇つぶしもかねて作ってみる。だいぶ前に動画で知ったアップルケーキもその一つだ。昨日も数度目となるアップルケーキを作った。今回は焦げずにできた。そして簡単に作れそうな料理などがあればノートにメモしている。

 昨日は三色そぼろの動画を見た。鳥のひき肉と卵、そしてそれに海苔をかけて三色にする。いろんな人が料理や生活に関する動画をアップしている。動画は他にもお笑いの人や旅などもある。が、今一番ハマっているのは料理とお笑いの動画。いつ見ても飽きがこない。

 世間ではテレビ関係の不穏な動きが喧伝されている。この頃はますますテレビを見なくなった。といってもお気に入りの番組はTverやNHKプラスで見ている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月20日月曜日

わからなければスマホに問う!?

 YOU TUBEで気に入った曲をすぐに聞けるようにスマホ画面にアイコンを表示しようとするができない。アイコンの表示は日本画教室の若い人が教えてくれた。が、その人はandroidスマホではなくiPhoneだ。何度も試みるが思うようにならない。YOU TUBEにある再生リストに登録すると画面表示はできないが検索しなくてもすぐに再生できる。この状態で納得しよう。

 教えてくれた人はチャイコフスキーの舟歌がお気に入りらしい。ずいぶん前にチャイコフスキーの曲集をフルートでさらった。舟歌はチャイコフスキーの何番?と思って調べると「四季」の中にあった。が、曲は知っていてもフルートではさらっていないようだ。

 フルートの曲集やさらった曲を一覧にしてWordに保存している。昨日、これをコピーしてブログの下書きにも保存した。こうすればたとえパソコンを買い替えてもブログの保存であれば面倒な手続きをしなくてもいい。公開済みのブログはいつでもどこでもどのパソコンでも見られる。が、下書きは自分でログインしなくては見られないが。

 春になると院展が瀬戸田で開催される。ここへはJRと船を乗り継いでいく。日本画の先生はその行程をメモしてほしい旨話される。その時点ではスマホ操作ですぐにわかるのにそれが浮かばなかった。発駅から行先をスマホで問えば瞬時に表示できる。次回の教室でそれを説明しよう。というのも自分自身、国内の旅であれば統べてスマホで時刻など調べて出かけている。このやり方だと運賃も乗り場も発車時刻も到着時刻も瞬時に表示できる。

 スマホをもってまだ2年半だが、毎日わからないことをスマホに問うているとだいぶわかるようになった。その問いかけの言葉がアンサーとして同じ言葉から始まるのがおかしい。これからはchatGPTの活用が期待できそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2025年1月19日日曜日

新年早々なんということ!?

 日本画教室に出かける途中、教室近くのJR駅で人と出会う。この人とは同じ教室で絵を習っている。そしてまた音楽の話が合う人だ。すぐにクラシック曲の楽譜が無料でプリントアウトできる旨話す。これからキーボードを買って好きな曲を生きてる間に一曲弾けるようになりたいと思っている。その人は昨年キーボードを買って今、チャイコフスキーの舟歌を練習しているという。動画で聞くとよく知っている曲だ。これまで楽譜はピースで買っていたそうだがこれからはスマホでプリントアウトするとか。

 教室では中津の薦神社で写した写真を絵の材料にして描いている。描く途中の雑談である人の知り合いは94歳で一人クルーズ船に乗って旅をしているそうだ。この話を聞いてさらに年取って金銭に余裕があるならばクルーズ船に乗って、と夢を抱く。94歳まではだいぶ時間がある。その歳まで元気で旅ができれば、そして旅を一人でできれば何というぜいたくな人生だろう。この話にはだいぶ元気をもらった。

 ところがその後に起きた大ハプニングをその時、予想さえしていなかった。新年早々なんということ!?

 我が家に着いた。玄関を開けようとすると鍵がない。出かける前、鍵をポケットに入れるとなくす?と気になっていた。それなのにそのままの状態で出かけてそのままの状態で帰宅した。悪い予感は的中した。ポケットを探してもバッグを探しても鍵はない。すぐに鍵を交換してもらおう、となった。またも近くの電気屋でお世話になる。鍵の交換ではなく、とりあえず鍵を開けてもらう、になっていく。身分証明書は?と業者が電気屋に電話で尋ねるもその場では何も持ち合わせていない。とりあえず電気屋が証人になって話が進む。しかし50分先に鍵屋が来てくれるとか。その時、電気店の店長が帰って来られた。

 落ち着きのある店長が口にした言葉にはっとする。「習っている教室に電話した?」。鍵をなくしたことだけが頭にあり、他のことが頭に浮かばなかった。すぐに教室に電話すると「落し物の届けが出ています。鍵の特徴を教えてください」とのこと。嬉しかった。すぐに鍵屋の件は取り消してもらって再度JRに乗って教室に行く。

 これまでも鍵を何度かなくしている。それなのに大事に鍵をあつかっていない。新年の浮かれた気持ちがそうさせた!?それとも年齢のせい!?いずれにしても気をつけないといけない。

 日も暮れた午後6時半に駅近くで買った手土産をもって電気店にお礼に行く。何と人騒がせなことだろう。気を引き締めて行動しないと大けがをしそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)日本画教室の日の帰宅はこれまでも家の鍵が抜けなくなった、ICOCAを落としたなどいろいろとハプニングがあった。そして今回の件。気を引き締めないと危ない、危ない!

2025年1月18日土曜日

スマホ検索の楽譜が印刷できた!

 ショパンの「ノクターン 嬰ハ短調『遺作』」をフルートで練習している。これを以前さらったときのようにスムーズに吹けるようになればキーボードを買って……と夢が膨らむ。と、その前に「この曲のピアノ譜は?」と思ってスマホで調べた。何とスマホの画面にピアノ譜が表示されて印刷できる。これにはびっくり。

 以前、USBメモリーに保存の文章をセブンイレブンで印刷しようとするとPDFでないため印刷できなかった。すぐに家に戻ってパソコンの保存をPDF変換してUSBに保存しなおすと印刷できた。その際に覚えたPDF変換のキーワード。スマホで楽譜を探すとPDF……とある。次にこれをセブンイレブンで印刷するにはどうすればいいかを調べるとその手順が表示された。その表示のままにスマホを手にしてセブンイレブンに急ぐ。係に手にしたスマホを見せてこれを印刷したい旨、告げると応対してくれた。金銭を入れると印刷された楽譜が出て来た。これには我ながらすごい、と大感激!

 そういえば印刷直前にマルチコピーの画面を見るとカラー印刷になっている。楽譜は白黒もカラーも同じように白黒だ。すぐに白黒コピーに切り替えてコピーすると3枚30円で印刷できた。

 1年くらい前、パソコンのプリンタ―が壊れたので破棄した。そのためプリントアウトしたいときはセブンイレブンに出向く。今回の楽譜の印刷はすばらしいことと思った。というかまさかスマホで著作切れの楽譜が無料で印刷できるとは。我ながらよく気付いた、と感激するばかり。

 さらに驚くことはこの曲は嬰ハ短調で♯が4つつく。これを移調して印刷することも可能だ。

 ナニゴトも頭をよぎるというかひらめくことは試すに限る!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月17日金曜日

「二兎を追う者は一兎をも得ず」

 朝から訪問販売ならぬ訪問回収がチャイムを鳴らす。画面を見ると若い女性だ。このごろは訪問販売はなりを潜める。その代わりが訪問回収とは驚きだ。不要品回収のチラシは郵便受けによく入れてある。次々と怪しげな商売が成り立つこのご時世だ。気を引き締めよう。若い女性だからと言って決して油断はできない。

 気分を入れ替えよう。昨日午後はほとんどかかって来ないスマホに2人から電話がある。1人は短大時代の友だちだ。この人とは年に1,2度電話で話す。電話の終わりにはいつも「元気をもらえてありがとう」と言われる。そう言われると「元気でいなくては……」と思ってしまう。2件目の人とはたびたび電話で話す。人によって話題は変わる。年老いても夫婦で暮らす人は旅や遊ぶ話はほぼ出てこない。ただ、体の話題が多い。その点、独り暮らしになった人はたとえ家族がいても旅や遊ぶことや他にも食事の話になる。

 自分自身、一人で住んでいるのでまずは元気でいる、が最優先となる。続いて遊ぶことばかり考えている。スマホのメモ欄には行きたいリストを作って羅列している。先週の日本画教室でそれを見せると笑われた。というのも行きたいリストに20カ所くらい書いているから。

 自分自身の元気の源は精神的には遊ぶ計画や旅行で気持ちを晴らし、体力的には水泳で元気を保っている。が、3月まではプールのリニューアル中で泳げない。その分、毎日、買い物や予定を作って外に出るようにしている。

 朝FMを聞いているとショパンの「ノクターン 嬰ハ短調『遺作』」をピアノソロで弾いていた。この曲はいつ聞いてもいい。先日も生演奏を聴いて感動し、フルートの楽譜を探した。昨日、フルートでこの曲を吹くとうまく吹けない。かなり練習しなおさないと吹けそうにない。キーボードで練習を、とも思っている。と、その前にフルートで吹けるように練習しよう。「二兎を追う者は一兎をも得ず」の諺通り、まずはフルートを吹く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月16日木曜日

「線に宿るいのち」を見に行く

 はつかいち美術ギャラリーで開催中のタイトルが「線に宿るいのち」のウッドワン美術館所蔵作品日本画展を見に行く。昨日は風が強い日だったが予定通り廿日市まで出かける。年に一度くらいしか行かない場所だが街が少しずつきれいになっている。会場に着くと受付に一人係がいるだけで観客はいない。展示数も多くなくすぐに見終わる。ただ目がよくないので展示作品の位置を地図にしてわかりやすく記してあったのはよかった。パンフに川端龍子「春興図」の一部の掲載がある。この絵は実物を見てもパンフを見ても幹から枝が出ている様子が見て取れる。樹木を描くことが多いのでこれは大いに参考になる。

 会場を後にして広電駅までの途中にある複合ビルに入る。昨年も入って気に入ったインド人経営のお店でナンのセットをいただく。その場でナンを焼いてくれるのだが、出て来たナンのなんと大きいことか。半分も食べられない。残りは持ち帰る。そして食後に珈琲を飲む。お店を出てビル内を進むとうどんの讃岐屋もあった。

 今朝は日差しがある。これから図書館へ行こう。そして4月の旅の計画を立てよう。そういえば昨日予約した日帰り旅はすぐに満杯になったようだ。朝すぐに予約して幸いだった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月15日水曜日

朝から夢中!

 朝一番の楽しみは地元紙を読むことがある。新聞購読の契約が減少しつつあるそうだが長年、朝、新聞を読む習慣があるのでやめることは考えられない。新聞を読む楽しみはニュースを見るのもそうだが、他にも催しもの案内や旅の情報などがある。今朝、新聞折込みに入っていた「市民と市政」に広島都市圏の催し物がある。それは日帰りツアー。市内の某旅行社の主催で10時前に新聞折込みのQRコードで読み取ると予約待機中だ。10時の申し込み受け付け時刻が近づくと既に満席とある。おかしい?と思って電話すると通じた。そんなことはない、と言われる。

 この会社の旅はネットで予約している。が、手っ取り早い予約は電話、と思って10時ジャストに電話すると予約できた。代金はメールで送られてくる案内でクレジット決済した。

 朝から遊ぶことで夢中になった。まだまだ先の話なのに予約できたので次は本日の予定になる。美術館のギャラリーに出かけて日本画展を見る予定にしている。今日は生憎の曇り空だが時間が経つにつれて晴れるようだ。ただ、風速8mの風が吹くとか。ナニゴトも先延ばしにすると実行できなくなる。元気を出して今日も頑張る!? 

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月14日火曜日

杉田玄白「健康の7つのルール」

 2,3日前の ダイヤモンド・オンラインに武光誠の新刊『日本史を生き抜いた長寿の偉人』(青春出版社)から、杉田玄白が実践した7つの健康ルール『養生七不可』を記している。江戸時代としては長命な85歳まで生きた杉田玄白には、健康の7つのルールがあった。以下、その7点を引用しよう。

○昨日の事は恨まない、悔やまない。

○明日の事は悩まない。

○飲み過ぎない、食べ過ぎない。

○腐ったり傷んだりした食べ物は食べない。

○何でもない時に薬を飲まない。

○元気でもむやみに寝所で精気を費やさない。

○体を動かさずに怠ける事を好まない。

 玄白はこの7つのルール、つまり健康のための7つの不可事(ふかじ)を、古希(こき)を迎える前年に『養生(ようじょう)七不可』という刷物に簡易な言葉でまとめて、知人に配っている。玄白は、「病気はなるべく自分自身の摂生(せっせい)で治せ」という考えの持ち主だった。

 上記のことはいまの時代でも当てはまる。というか自分にとってはすべて納得がいく。せいぜい玄白様にあやかって長生きしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月13日月曜日

ひらめき2点!

 地元の区民文化センターで開催されたクラシックコンサートに出かける。久々に生の音楽を聴くがやはり生はいい。大半は聞いたこともない曲だったが、何曲かは知っていた。その中にショパンの「ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)」がある。この曲はフルートでさらったのでなじみがある。昨日のコンサートではピアノソロでの演奏だったが聞きながらふとひらめく。昨年の終わりころ、家のリフォームがおわって落ち着いた生活が戻ったらキーボードを買おう、と。ショパンの曲を聴きながらこれをキーボードで弾きたくなる。

 大人になって当時、流行していたエレクトーンをローンを組んで買った。銀行のローンはその時が初めてで最後だが当時はエレクトーンはピアノと同じくらい高価だった。しかし、しょせんエレクトーンは電気製品であり、はやりかわりというか進歩が著しい。そしてエレクトーンはちゃんとしたクラシック音楽の素養が生まれない。10数年もヤマハに通ったがやめてしまった。そして40代になりクラシックの基礎を学びたいとフルートを習い始めた。30年間習ってコロナ禍から今は一人で練習している。

 昨日のショパンの曲はフルート曲集にあるはずだ。曲集はピアノ譜とフルートのパート譜がある。九州の漁師さんが「ラ・カンパネラ」を聞いてその曲を必死に練習して弾けるようになった映像をテレビで見た。ショパンの20番は大変難しい曲だがフルートで吹いているので曲はわかる。今年の大きな夢としてこれをキーボードで弾けるようになる!?夢は夢で終わってもいい。まずはキーボードを買わねば……。

 そしてひらめきと言えばもう一つある。来月、誕生日を迎える。この年まで何となく誕生日が嫌だった。しかし、今年はなぜか考えが変わる。今年の誕生日が人生の節目に当たる年ではない。しかし、なぜか頭をよぎるモノがある。それは自分の誕生日を自分で豪勢に祝う、ということ。これまで長く生きて来て誕生日を記念日として祝おうと思ったことがなかった。が、これから先、元気で生きられるのは何回あるかわからない。そう思ったとき、自分で自分の誕生日を豪勢に祝おうと、頭にひらめく。
 
 昨日早速、その計画を立てる。というか昨年も思って実行できなかったことを昨日は行動に移した。それは誕生日当日、日本旅行の企画商品で個人で新幹線に乗って食事を楽しむプランだ。誕生日の予約はOKだった。この企画はパンフを見る度いつもためらって行動できなかった。ところが昨日、旅行社に電話するととても親切な人で、気軽に予約できた。来年もさらにずっと先も元気でいる限り、誕生日は旅行する!?

 誕生日を意識して行動に移せたことがちょっぴり嬉しかった。豪華な食事を一人でも気後れなくできるように練習しよう。ということで今年の誕生日はめでたい日となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)ショパンのノクターンの楽譜を探した。フルートのパート譜はあったがピアノ譜がない。ということはこの曲は曲集を買わずに先生から発表会で吹く曲としてコピーの楽譜をもらったのだろう。2013年のフルート発表会で吹いていた。それを再度、コピーしなおしてフルートで吹ける曲として練習しよう。キーボードでの練習は後日、考える!?その前にキーボードを買わないといけない。

2025年1月12日日曜日

スイートスプリング

薦神社の大木(写真)

 新年初めての日本画教室に出かける。前回は以前描いていた絵をつぶして地塗りをし直した。途中でやめていたので再度地塗りする。人が描いている机で胡粉を出していると袋から全部胡粉が出た。それも机の上に。この様子を見られた先生はすぐにクリアファイルに移し替えられる。その後を、ぞうきんで掃除した。新年早々の教室で慌ててしまった。こんな具合で地塗りが遅くなる。塗り終わると一仕事をした気分になり昨日はそれで終了する。
 
 遅れて教室の人がやってきた。すぐさま各自の机にミカンを配られる。普通のミカンと思ったらスイートスプリングと教わる。手に取ってみるとずっしりと重たい。ネットで調べると元々は静岡でつくられ、水分を多く含むとか。道理で1個が重いはずである。見た目は他の柑橘類に似ている。後でいただこう。

 年の初めに描く絵は中津の薦神社で見た大木だ。先生曰く「得意の点描写で描けるね」。写真をパネルにトレースする際、あまりにも大きな木なのでいつもの絵ほど詳細にトレースできない。絵を描きながら点描写で絵にしてゆくしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

スイートスプリング

2025年1月11日土曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(15)

 『司馬遼太郎が考えたこと』のシリーズは15巻で終わる。これからは再度、小説を読んでいこう。その合間に「街道をゆく」シリーズを読む。昨日、壷阪寺の記載があるかも、と思って『街道をゆく』(7)を図書館で借りた。しかし、そのなかの「大和・壺阪みち」を読んでも「壺阪寺」は一文字もなかった。ただ、YOU TUBEで見たとおりの「大和・壺阪みち」だった。壺阪みちは司馬が仮に名付けた地名だがかなり奥まった場所にある。

 以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(15)(司馬遼太郎 新潮社、平成十八年)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この移動式の家のことを、紀元前、司馬遷は「穹廬」(きゅうろ)と、よんだ。穹には、大空という意味がある。また、天井がアーチ状になっているという意味でもある。廬の意味は、仮の家、草庵のことである。が、意味よりも、あるいは匈奴語である(と想像する)ゲル(ghel)という音を、穹廬でもって表音したにちがいない(ついでながら、包(パオ)は、中国語である)。(「草原の暮らしよさ――モンゴル素描」)(21p)

★人間にとって最大の楽しみは人間を見ることなのです。人間が異境に旅したがるのは、そのような知的本能というべきものを満足させたいからでしょう。文化とは、集団が共有している慣習のことです。人間は、文化にくるまって生きているのです。文化という定義は「それにくるまっていると、心が安らぎ、楽しく、安全でさえある」というものです。地球上に、多様な文化があります。人間たちは、それにくるまって楽しく生きています。(「人間について」)(58p-59p)

★私には、自己流の空(くう)の考え方がまとわりついて離れません。自分自身を長い尺度で否定したり、みじかい日々の時間のなかで否定したり、同時に再構築したりしてゆくという習性です。これは。独りの私人の、独りのなかの作業です。悪癖ともいえます。自己が嫌いなのです。が、瞬時に気をとりなおして、自己を肯定的に再構築します。……私には、漱石という巨人と自分を見くらべるような不遜な気分はありませんが、漱石という人にも、そういう性癖があったように思います。年老いて、いよいよ漱石が恋しく慕わしく思われてくるのは、漱石にそういう性癖があって、その部分が、私にとって悲しく嬉しく感じられる成果と思います。漱石が、大好きなのです。とくに、その人間が、です。(「なぜ小説を書くか」)(92p-93p)

★題の風塵というのは、いうまでもなく世間ということである。風塵抄とは、小間切れの世間話と解してもらえればありがたい。……ただ心掛けとしては、風塵のなかにあっての恒心について書こうとしている。恒とはいうまでもなく、つね、あるいはかわらぬもの、ということで、恒心とはすなおで不動のものと言う意味である。ひとびとに恒心がなければ社会はくずれる。(「あとがき『風塵抄』」)(104p)

★二百年間、日本国は”造寺造仏”に精を出しました。大乗仏教は、釈迦の時代の原始仏教とはちがい、大寺という建物をつくり、仏像を鋳造せねばならないので、お金がかかるのです。”国家仏教”たらざるをえませんでした。この”造寺造仏”七〇八年、奈良の都という新首都(平城京)が建設されるころに、頂点に達します。ただし、この首都はわずか七十四年間で捨てられました。僧侶たちが暴慢になったからだといわれています。(「日本仏教小論――伝来から親鸞まで」)(172p-173p)

★孔子が『詩経』についていったことばがあります。「思無邪」ということでした。井上さんの生涯は、その三つの文字に尽きます。今後、こんな人を、私どもは知ることができるでしょうか。(思無邪「井上靖展」)(227p)

★世界の絵画のなかで、清らかさを追求してきたのは、日本の明治以後の日本画しかないと私はおもっている。生きものがもつよごれを、心の目のフィルターで漉しに漉し、ようやく得られたひと雫が美的に展開される。それが、日本画である。その不易の旗手が、秋野不矩画伯であるに相違ない。秋野画伯は上村松園の血脈をひいていると私はおもっている。詩的緊長が清澄(せいちょう)を生むという稀有の系譜である。(菩薩道の世界『秋野不矩 インド)(235p)

★中村元博士の『仏教語大辞典』によると、迦楼羅(かるら)という雷鳥は、ガルダという名でもって、その説話が南アジア一般にひろまっているそうである。いまもインドネシア航空の名称は「ガルダ」だそうで、その名で世界中に飛んでいる。迦楼羅はその羽毛の色は金色で、口から火を吐き、仏法を守護し、衆生を救う。……密教がまだ原始的な呪術であったころ、密林のなかのひとびとは孔雀と共に住んでいた。孔雀は、悪食である。好んで毒蛇を食べ、しかもその毒に中らないことにひとびとは驚嘆した。……古代の天才たちの想像力は、孔雀だけにとどまらなかった。孔雀をもとにして想像をふくらませた。ついに両翼をひろげると三三六万里という巨大な鳥にまで成長させた。迦楼羅である。……食べものも、孔雀のように毒蛇では追っつかず、龍を常食している、とした。しかも、火を吐く。その火がこの世の罪障をほろぼさせてくれるとなれば、現代のわれわれも、迦楼羅のような鳥を希求せざるをえない。それがこの装丁の「青不動」の炎である。(あとがき『十六の話』)(299p-301p)

2025年1月10日金曜日

久々に「街道をゆく」を読もう!

 今朝は今季一番の冷え込みでマイナス3度だった。予想最高気温は6度で昨日よりは幾分温かくなりそうだ。雪は降っておらず日差しがある。 

 読んでいる本は『風の武士』(下)で隠密が出てくる。これは甲賀・伊賀の忍者が関係する。4月に壷阪寺に行く予定だ。もしかして司馬作品の「街道をゆく」に壷阪寺があるのでは?とひらめく。すぐに「街道をゆく」の目次と「歩いた道」一覧を調べると7巻「甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか」に「大和・壺阪みち」の掲載がある。「街道をゆく」シリーズの単行本は地元の図書館にもあるので本を借りて読もう。

 昨夜、YOU TUBEで「街道をゆく」の「大和・壺阪みち」を探すとあった。しかし、壺阪山は映像が出ても壷阪寺は見られなかった。壷阪寺がないのは残念!

 それにしても「ひらめき」は大事だ。夕飯後にこれが頭をよぎったときはなぜか「やった!」という気持ちになった。久々に司馬作品の小説である『風の武士』を読んでいると初めはとっつきにくくて読みずらいと思ったが上巻を読み終わるころには読むのが面白くなる。ましてや忍者の話は初めて読む。すぐに下巻も借りて読んでいる。これからはまたも「街道をゆく」を並行して読むようになる。これから図書館に出かけて「大和・壺阪みち」を借りてとりあえず読む!?壷阪寺はどんなふうに書いてあるだろうか。

 話は変わって昨日の地元紙に廿日市文化ギャラリーでウッドワン美術館所蔵の日本画の展覧会開催の記事がある。これは是非とも見に行かねば……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月9日木曜日

うっかりしてた!

 昨日夕方、頭をよぎるものがある。それは4月に予定している奈良の宿。橿原駅付近の宿を予約していた。その時、昨年7月に出かけた長谷寺と室生寺の旅で泊まった美榛苑を思いつく。すぐに美榛苑を予約するとOKだった。その後、再度頭をよぎる。美榛苑に泊まった時のブログを見ると近くの駅は榛原駅だ。4月に行くのは橿原駅辺り。駅名の「〇原」は似ているが同じではない。何と間抜けなことか。橿原付近の宿はキャンセルしていた。すぐに美榛苑もキャンセルして出直しの宿探しとなる。橿原付近でなければ飛鳥辺りもと思って試みるが民宿やペンションはあっても気楽に泊まれるホテルがない。迷った挙句、最初に予約してキャンセルしたホテルを再度予約する。OKだった。

 それにしてもうっかりは危ない、危ない!計3か所もホテルを予約したのでキャンセルはできているかを確認する。うっかりミスはよくない。

 気を取り直してテレビの番組表を見るとBSで奈良の橿原駅の旅を写し出す。旅人は梨乃、いとうあさこ、藤原紀香の3人で飛鳥の石舞台に行く場面だった。石舞台は若い頃に友だちと出かけている。その当時、自転車に乗れなかった。それ以後、自転車に乗れるようにもなった。テレビは来週に後半があるらしい。今、奈良にハマっているのでこういった番組を見るとますます行きたくなる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月8日水曜日

「転がる石に苔むさず」

 今朝の地元紙に南美希子は「転がる石に苔むさず」を引用して書いている。この諺は初めて知った。ウイキペディアで調べると〈”A rolling stone gathers no moss”とはプブリリウス・シュルスの『格言集(Sententiae)』で記した「一つの場所にも他の場所にも定着せず、常に動き回る人々は、責任や苦労から逃げている」から発生したとされイギリスの古い諺である〉とある。

 この中にある”moss”はモスグリーンのモス?と思ってさらに調べるとそうだった。このモスグリーンの詳しい意味も知らずに使っていた。苔から来ていたとは……。せいぜいこの諺をモットーにしてくすぶらず「常に動き回る人」でありたい!そうすれば元気でいられる!?

 今朝も日差しはあるが問題は明日の寒さ!?明日の最高気温が3度とか。最高気温が3度だと最低気温はさらに冷たい。今日は外に出て明日はおとなしくする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月7日火曜日

再興109回院展は平山美術館で開催!

 今朝の地元紙に文化勲章受章の日本美術院理事長田淵俊夫のインタヴューがある。日本美術院は春の院展や再興院展を開催している。しかし、この2件の院展は広島では開催されない、と聞いた。日本画を習っているので年2回の院展の開催は楽しみだった。ところが今朝の記事で田淵俊夫の師匠でもある瀬戸田の平山郁夫美術館で再興109回院展が3月1日から4月7日まで開催されるとある。

 平山郁夫美術館へは日帰りバスツアーで出かけた。が、個人では出かけていない。先ほど自宅から美術館までのアクセスをネットで調べると三原港から瀬戸田港までの船が出ている。瀬戸田港から平山郁夫美術館へは徒歩で行ける。スマホのスケジュールに見に行く日をメモした。

 広島はスポーツ関係では中四国地方で幅を利かせている。が、文化面では岡山県に劣ると言われる。全国を巡回する日本画の院展が広島市内でなくなったことを見てもその感は否めない。その代わり、瀬戸田に出かけて見られるのであればこれもレジャーを兼ねて出かけよう。

 雨も上がって日差しがまぶしい。奈良の旅の計画など遊ぶことばかりを考えている。こういう時が一番楽しい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月6日月曜日

ひらめきを最優先!?

 昨年は家の改装で明け暮れた感がある。それでも夏くらいまではツアーや個人でいろんなところへ出かけた。中でも7月の猛暑日に出かけた長谷寺と室生寺は暑さに負けて海外で味わった高山病にも匹敵するほど過酷な旅となった。新たな年の始まりは頭にひらめくことを最優先して物事をすすめよう。その初めはやはり旅。先日日帰りツアーで2月下旬の旅を申し込んだ。昨日は夕方から夜の11時までかけて奈良の宿を申し込む。行先は奈良の壷阪寺。このお寺は眼病封じのお寺だとか。眼は自分にとっては一番の難点。今何がどう悪いというわけではないが視力がよくないのがいけない。今更視力を云々とは思わないが、これにかこつけて観光するのもいいじゃない!?と思った。

 奈良橿原周辺の宿をネットで探す。昨年秋から個人で旅をしていなかったが候補に挙がった宿の公式HPから予約する。が、しばらく経って予約したホテルの口コミが気になる。どれもこれも評判がよくなくて、夜になって再度他のホテルを探す。

 先に予約したホテルと比べると倍以上の金額だがここに変更する。その時刻は夜10時半だ。すぐに先に申し込んだホテルをキャンセルする。

 ホテルは決まった。その時いいアイデアが浮かぶ。それは予約したホテルから先には吉野がある。2年前、人について吉野へ行った。しかし、2年前の吉野は桜が葉桜だった。今回予約したのは4月初旬。桜の季節だ。ついでに吉野の桜も見に行こうとなった。

 まだまだ奈良には多くの行きたい場所がある。もしも今度泊まるホテルが気に入ればここを定宿に、と思ったり。というか予約した宿は最寄り駅に近いのがいい。

 これから4月までは旅のスケジュールが楽しみになる。計画していると頭の中はそれだけになる。これがいい!

 今朝の地元紙をみるとまたも徳之島の旅がある。1人参加はキャンセル待ちであきらめたが募集するなら参加させてくれても、と思う。期待する方が無理!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月5日日曜日

「〆切が あれば書きます 遺言書」

 今朝の地元紙を見ると今日は1・5の語呂合わせで遺言の日だとか。記事を読むと川柳がある。「〆切が あれば書きます 遺言書」。これは遺言川柳の受賞作だそうだ。跡継ぎがいないので時に姉妹から遺言を書くようにと言われることがある。書くほどのモノはないし、ましてやこの受賞作のように自分の消える〆切が決まっているわけでもない。自分自身がこの世からいなくなることさえ、今は想像できない。長く生きて来て必要以上に石橋をたたいて渡ってきた。が、先のことはなるようにしかならないのであらかじめ用意して置くことはない。その思いが強いので遺言がどうじゃこうじゃは次元が違う。

 昨夜、推し芸人の新年初めてのYOU TUBEを見て早速、コメントを書いた。久しくコメントを書いていなかったが、昨夜のYOU TUBEは思わず吹き出すほどおかしかった。その後、すぐにご本人から「ありがとうございます」と返信がある。YOU TUBEは他の人のも見る。テレビが面白くないので推し芸人のYOU TUBEを見るのは本当に楽しみだ。

 今朝は今季一番とも言えるほど気温が低く、最低気温はマイナス1度だった。今は日差しも出ている。今日から図書館が開館する。これから早速、予約の本を受け取りに図書館へ行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年1月4日土曜日

フィナンシェ

 年末に姉の孫たちが我が家にやってくる旨、電話があった。ポチ袋を折り紙で作って2人分のお年玉を用意する。しかし、予定時刻になっても孫たちはやってこない。姉に電話するとまだ家にいるという。そう聞いてお正月早々、ムッとする。よく話を聞くとまだ寝ているみたいなことを言う。そしてさらにムッとする。その時、孫2人ではなく、大阪から帰省中の大学生の孫も来るとのことで慌てて1人分のお年玉を追加する。2人分までは新しいお札があったが追加の1人分は新札がない。ましてや使いかけの旧札だ。やってきた3人に1人分だけ旧札が入っている旨告げてくじ引きにして渡した。旧札は1番下の高校生の男の子が受け取る。

 3人のうち、高校生の男の子の変化に驚く。以前に会ったのは小学生の頃だ。それから数年後の昨日は高校2年生になっている。子供から青年への変化は見るものを驚かせる。そして2人の女の子は声も姿も話しぶりもその母親にそっくりだ。姉曰く、みんなが話していると誰がどの声かわからないと。そう聞いてたまに会うので納得する。

 3人は自宅最寄り駅から広島駅で乗り換えて我が家にやってきた。乗り換えの際、2番目の大学生がホームを出てわざわざ新幹線口の名店街でフィナンシェを買ってお土産にくれた。3人は我が家で早速、それを食べ始める。1個、冷蔵庫に残してくれていた。飲みものや年末に買っていた一六タルトなどを用意すると飲んでいる。しかし、一番上の姉の孫は、突然、お味噌汁が飲みたいと言いだす。作るのも大変なので前夜作って残っていたのをチンして出すと美味しいと言って飲んだ。

 いつもは一人でゆっくり生活している。それが突然の3人の来客で慌ててしまった。そして今風の若者と話すが、こちらはついて行けない。

 次は3月に来ると言ってわが家を去った。その時、お土産は何がいいかを問われて「月化粧」と答える。その理由は推し芸人が新年にそれをXに載せていたから。広島では買えない和菓子のようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)姉の孫たちの到着が遅れたので昨日の予定が崩れた。例年のように参る広島駅から無料送迎バスが出ている神社に行かずじまいとなる。どこかへ行きたい気持ちが昂じてネットで旅行会社の日帰り旅を探す。その前に、徳之島の旅はどうなったかをネットで調べると1人参加はやはりキャンセル待ちだ。とはいっても申し込んではいないが。今朝、メールをチェックすると徳之島の旅の案内が届いている。2人参加だとOKという意味!?日帰り旅は来月下旬の河津桜の旅をネットで申し込み、クレジット決済した。これからは泊を伴う旅は一人旅で出かけよう。今年も元気を出してせっせと旅をする!?

2025年1月3日金曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(14)

 新たな年も3日目を迎えた。昨年の能登で起きた悲惨な年と違って今年はお天気も良く穏やかな1年の始めとなった。以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(14)(司馬遼太郎 新潮社、平成十八年)から気になる箇所をメモした。この中のホータン(和田)はシルクロードに位置する。シルクロードに出かけたがホータンのある天山南路には出かけていない。出かけたのはトルファンまでの天山北路。いつか南路にも出かけたいと思っていたがこれも年々難しくなっていく。というか、いま中国へ行く気がしない。北路に出かけたのはいまから37,8年前のこと。シルクロードブームが全盛の時代だった。いい時に中国に何度も出かけた。今となってはただ懐かしさだけが残るいい思い出だ。その頃に知り合った旅友達はほとんどこの世で会えない……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★謡曲も浄瑠璃も、早期資本主義という殺風景な社会において、精神の栄養になったと思います。栄養とは、ロマンティシズムのことであります。精神が干からびたリアリズムにおちいらぬよう、シーソーのべつの端にロマンティシズムを置き、それによって人生の悲哀や男女の恋についての高い感受性をうしなわぬようにした、という意味であります。……一八六八年の明治維新で過去のほとんどを捨てた日本社会は、三十余年後にほぼ第一期の成熟期をむかえました。そのとき出現したのが、作家夏目漱石(一八六七~一九一六)でした。(「文学から見た日本歴史」)(40p―42p)

★清朝以後、現在にいたるまで、中国では「満洲」または満洲族とよばれている。ついでながら、こういう機会に日本人おおかたの誤解をとくためにいっておかねばならないが、満洲とは本来地名ではない(地名なら満州とでも表記するところである)。満洲とは民族で、こにちでも中国においてはその使われ方は変わらない。通説では、ヌルハチ(一五五九~一六二六)以前から、このツングース系のひとびとのあいだに文殊菩薩信仰がひろまっていて、かれらはみずからの族のことをマンジュといっていたことからはじまったという。また、太祖のヌルハチ自身、別称としてマンジュを用いており、またかれの初期、自分の領域のことをマンジュの国(ゲル)とよんでいた。太宗ホンタイジにいたって、自分の民族名を正式に”満洲”と表記するようになった。決して地域名ではない。地域名としては、明代までは、このあたりは遼東(ときに遼東・遼西)とよばれていた。清朝になっても、王朝勃興の聖地を満洲などとよんだことはない。東省(とうしょう)とか、東三省(とうさんしょう)(奉天・吉林・黒竜江の三省)とよんでいて、新中国になってからは、東北地方とよぶようになっている。(女真人来たり去る―あとがきに代えて 『韃靼疾風録』)(94p―95p)

★和田(ホータン)にあった遠き世の于闐国こそ、わが「華厳経」をはじめ多くの大乗経典のふるさとであったらしい。……私はこの地にきたとき、一歩ごと、華厳を感ずるような瞬間をもった。「華厳経」がここでたしかにうまれたという、実証を超えた感動もおぼえた。大砂漠と、太陽のはげしさとブドウ棚と吹きわたってくる涼風とそれに運河の水、さらには人や生物のいとなみをみていて、つい華厳ふうに感じざるをえなかった。この地でさまざまな”因縁”(関係性)が構成され、それが”縁起”になって、オアシスの安全という”因果”をうんでいるのである。……この地で成立したらしい「華厳経」はやがて、中国にわたり。この経を中心とする華厳宗(宗とは体系のこと)がつくられた。このとき、"一即一切、一切即一”(一はすべてであり、すべては一である)という説明のしかたがうまれた。一粒の砂は宇宙そのものである。宇宙はこの一粒の砂である、という言い方は、哲学的な表現としては古今まれな絶妙さをもっている。この国は、いわゆるシルクロードの南道にあったが、いまはまぼろしの国になっている。こんにちでは新彊ウイグル自治区にあり、すでにふれたように、名も和田(ホータン)という表記にかわっている。……すぐれた音韻学者だった藤堂博士はしばらくうつむいて歩いておられたが、やがて、口蓋をこすり、「kho!」と叫ばれた。「秦漢時代は、于はホー(口蓋摩擦音)という音だったことを思いだしました。だから于闐は紀元前後の音でいいますと于闐(ホータン)とおなじ音になります。現代中国ではホータンという現地音に対し、和田というやさしい漢字をあてて表記したのでしょう」……本格的に中国領にくみ入れられた歴史は新しく、乾隆年間に清に帰服させられ、一八八四年に”新しい土地”という意味の新彊省が設けられた。(「華厳をめぐる話 井上博道写真集『東大寺』)(327p-333p)

★インド文明と中国文明の基本的なちがいは、インドが思弁を偏愛して時間的記録をよろこばないことである。それにひきかえ、中国は思弁よりも時間ごとに記録を残すことを偏重する。簡単にいえば、中国文明は歴史をよろこび、インド文明は記録好きをあざけりはしないにしても、その価値に無感動である。大きな輪廻からみれば、何年にたれがどうした、などということは虚仮にすぎないと古代インド人は思っていたのだろう。……古代インドは日常語のほかに、学問語であるサンスクリットをもち、文法学者が活動し、言語の制度をつねに保っていた。古代インド思想は、このすぐれた言語によって表現されたのが、釈迦もまた当然、その言語で自分の考えを言いあらわした。しかし、釈迦という人は文章表現はせず、人に書きとめさせもなかった。さらにその大原則として不立文字でもあり、言語によっては仏教の窮極の境地は表現できない、としていた。このため、釈迦がどういう人でなにを考えていたか、つまり釈迦の仏教はどういうものであたかが、わからない。(「華厳をめぐる話 井上博道写真集『東大寺』)(337p―339p)

★大仏殿における毘盧遮那仏は、一大蓮華の台(うてな)に安座しておられる。その蓮華には花びらが千葉あり、一葉ごとに一釈迦が応身して線刻されている。以下は、華厳的観念の中でのはなしだが、その一葉ずつの中に百億ずつの国があるとされる。百億の一国ずつに一釈迦がある。つまりは無数の釈迦が、三千大千世界にあらわれて衆生(しゅうじょう)を済度しているという華厳世界をあらわす。東大寺は、一面、総国分寺ともいわれた。諸国の国分寺は、東大寺の大仏の蓮華の花びらに一葉ずつとして存在する。しかもその一葉の花びら(一つの国分寺)に、無数の釈迦がいて説法をしつづけている、ということである。……「華厳経」は日本人の思考法の中に雨水が地面に吸われるように影響した。ほとんどすみずみにまで行きわたり、いまも日本的哲学においてこの事情はかわらないのである。その原典は中央アジアのオアシスでうまれ、流沙の道をへて東へゆき、はるかに日本にきた。私どもが東大寺境内に入るとき、たとえば京都の龍安寺の石庭を見る日本的感情よりもはるかに雄大な世界を感ずるのはそのせいかもしれず、またひとに世界を感じさせなければ、それは華厳でもなく、また東大寺でもない。(「華厳をめぐる話 井上博道写真集『東大寺』)(357p―359p)

★文化というものは、魚が魚巣に住むように、サナギがマユにくるまれているようにそれにくるまれていると快いというものであります。ときに、慣習と同義語でもあります。慣習は人の心をおちつかせます。さらに、すぐれた芸術は人の心を快くさせます。すべて”くるまれて楽しい”とうことが、文化なのです。むろん、人によって、家族によって、民族によって、文化は異なります。他者の快さ、つまり異文化を尊重し、たがいに共存しあって暮らしているというのは、ネパール国民の偉大さでもあります。(「すばらしい時間を」)(396p)

2025年1月2日木曜日

2025年のスタート

司馬遼太郎記念館から送られた菜の花の種
芽を出して大きくなった 菜の花忌に花が咲く!?

ポットの鉢植えを土に戻したナデシコ
 大晦日の夜、姉から電話がある。電話は姪の娘に変わり、正月明けの3日に我が家を見に来るという。その際、姪の娘は弟も一緒に来るともいう。姪の娘とは家の工事が始まる前に、我が家に置いていた自転車を取りに来たとき以来だ。その際、すこしだけお小遣いを裸で渡した。それをおぼえていたのか、お年玉は裸でなくポチ袋に入れて……、という。そして電話を姉に代わるとお年玉は硬貨ではなく、と言っている声が聞こえる。前回、渡したお小遣いは紙幣。それなのに姪の子は先手を打ってそう話す。

 姪の娘から見れば大叔母になる。近くに住んでいないのであまり会う機会はない。特に姪の娘の弟とはもう何年も会っていない。電話を切った後、このごろのお年玉の相場をネットで調べる。思っていたよりも結構な金額だ。姪の2番目の娘は昨年春から大学生でその弟は高校生だ。ネットで調べた後は手もとにある折り紙で、今度はポチ袋の作り方を調べる。

 年が明けて1月1日は何が何でも近くの神社に行かねばならない。それは家のリフォームで取り壊した神棚をお焚き上げしてもらうためだ。父がずいぶん前にどこかの神社で買って帰った神棚を今回、処分した。家の行事や、また神社仏閣に対して信じ深かった父だった。神棚を処分することにためらいはあった。が、工事の人たちとも話し合って処分となった。その結果、お正月のお焚き上げを教えてもらう。そしてお墓参りを済ませると神棚を神社に持って行った。

 新たな年はお天気も良く、穏やかなスタートとなった。

 ともあれ新たな1年も元気で楽しく過ごしましょう!