2011年5月23日月曜日

『超思考』

北野武の『超思考』(幻冬舎、2011年)を読んだ。

本をめくるといきなり大きな文字で「本文中の極端な意見、過激な言説は、あくまで読者の大脳皮質を刺激し、論理的思考力及び倫理的判断力を高めることを目的とする意図的な暴言であり、北野武の個人的思想及び政治的見解と必ずしも一致するものではありません。暴言の裏が読みとれない、冗談の意味がわからない、無性に腹が立つなどの症状のあるときは、ただちに読書を中止することをお勧めします」と書いてある。

こんな体裁の本はこれまで一度も見たことがない。多分奇をてらってのことであろう。暴言どころか「もっと言え!」といえるほど読んでいて気持ちいい。書いてある内容は「確かに…」と思えることである。といっても一つ気になることがある。それは強がりを言っても所詮武は「母あっての子」だと。

どの項(この本では考?)においても必ずといっていいほど「母」を話題にして文をなしている。

そういう意味ではとても同感する部分が多かった。以下にその部分と気になるところを記したい。

第五考「暗闇の老後をどう走り抜けるか」において「人生というものは、四季のようにはっきり季節が分かれていない。相撲取りで四十歳なら年寄りだし、政治家は五十歳でも若造呼ばわりされる。いくつになったら老人、という具合には割り切れない。自分の老いは自分で見極めなきゃいけない」と述べる。その状況判断能力が武の最大の能力だとか(49-50P)。

その能力があるから彼は「漫才で売れてから後は、いつも今の自分が一番好きだ。昔は良かったなんて、一度も思ったことがない。いつも人生で今が一番最高の時期だと思っている。老いるのがちっとも苦にならないのだ。そういう意味では、ものごとに執着しない質だから上手くいっているのだと思う。漫才に執着していたら、あんなに簡単にやめられなかった。あそこでやめていなかったら、今の自分がなかったことだけは確かだ」と言い切る(50-51p)。

「いつも人生で今が一番最高の時期だ」のフレーズは全くそのとおりである。若い頃がよかったと思ったことがない。ましてやその時代にかえりたいなどとはゆめゆめ思わない。今が一番好きだ。

現代の老人問題に対して「老人の世話を金で解決しようとしているがゆえの問題であるとも言える。…大家族で、みんなが貧乏で、人と人が肩を寄せ合わなければ生きられない時代には、若い者が年寄りの世話をするのが当たり前だった。…年寄りも、若い者も、その覚悟が全くできていないということが、現代の老人問題の本質なのだと思う。人生を浮かれて生きるのもいいけれど、人は老いて、死ぬものだということから目を逸らしたら、いつか大きなしっぺ返しを受けるに決まっている。俺はといえば、おそらく死ぬ瞬間まで今の自分が最高だと思いながら生きるだろう。何と言っても、最後の最後に、最大の楽しみが待っている。死んだらどうなるか。魂はあるのかないのか。神はいるのかいないのか。死ねば人生最大の疑問の答えが出るのだ。もちろん単に肉体と精神が分子レベルでバラバラに分解して、無に帰るのに過ぎないかもしれない。そうなったら、、疑問の答えどころではないけれど、それでも死の直前までワクワクしながら生きられるわけだ。そういう心境でいられることは、やっぱり母親に感謝しなければいけないのかなと思う」と述べる(55-56P)。

第九考では「いくら金を積んだって、いい医者に診てもらったって、最後は死ななきゃならないのだ。大事なのは覚悟だろう。その覚悟が、発達した医療技術だかなんだかのおかげでできなくなっているのが現代の不幸の原因なんじゃないか。自分の力で病気に勝てなければそれで終わりと諦めて死んでいくのと、体中を機械でつながれて死んでいくのと、どっちが幸せなんかなんて、誰にもわかりはしないのに。…贅沢を言うなと言いたい訳じゃない。けれど、今の自分たちがどんなに幸せな時代に生きてるかってことは、わかっていた方がいい。…こんな時代は普通じゃないってことがわかっていれば、これから先、世の中がどんなに不景気になろうと、慌てふためくことはない」と今の世の中が幸せな時代だともらす(91-92P)。

第十四孝では「襤褸は着てても心は錦、という歌の文句があったけれど、今の世の中は正反対。錦は着てても心は襤褸というわけだ。昔の貧乏人は、貧乏人であることを恥じなかった。それは着ているものが貧乏でも、心の中までは貧乏じゃないというプライドがあった。…ウチの母親は貧乏でさんざん苦労した人だ。…一円の金だって欲しかったはずだけれど、どれだけ安くても『もってけ泥棒!』みたいな商売をする店では絶対に買わなかった。行列に並んで飯を食うなんて浅ましい真似を、俺たちにも許さなかった。金がないのは金がないというそれだけの話だ。胸を張って堂々と生きていけばいい。そういうことを俺の母親は教えてくれた。…」と世間の人の心の貧乏臭さを説いている(140)。

貧乏臭さは人のみにあらずTV番組にも現れているという。また群を成して流行のバッグを持つなどの行為もそうである。その貧乏臭さを抜け出すには「みんなが右へ動いたら、何がってもその方向にだけは行かないようにする」のがいいという。そして「モノゴトを自分の目で見て、自分が感じたことにどこまでも正直になる」ことだと(145-146p)。

第十六孝では「俺の絵は売らない」というテーマだ。そこには「芸人になったそもそもの最初から、俺はずっとある意味でやせ我慢をしてきたのだ。つまり売れないがゆえに、何かに迎合したことは一度もない。それは俺というよりも、お袋のおかげだ。人に媚を売るくらいなら、死んだほうがましという教育が染み込んでいる」と母親の教えを述べている。それは「金のために客に媚びるようなことだけはしなかった。いや、しなかったというより、生理的にできなかった。それがつまり、母親の長年にわたる教育の結果だ。品のないことは
できないカラダなのだ」(166-167P)。

第十八孝は「目に見えないこと」として人の死について述べている。「自分にとって本当に大切な人を失ったときに、そのこととどう折り合いをつけるか。誰よりも大切な人の死を、自分にどうやって受け入れさせるか。あるいはその喪失感をいかにして乗り越えるか。…自分の経験から言えば、やっぱりそこにはクッションが必要だった。人は死んだら無に帰るという考え方だけでは、乗り越えられなかった。俺が毎朝毎晩、仏壇に手を合わせるようになったのは、お袋がなくなってからのことだ」。「母ちゃん、ありがとう。今日はちょっと酒を呑みすぎました。ごめんなさい。…」。「一日の報告というか、反省をするわけだ。…俺は彼らと一緒に生きている。…世界は目に見えるものだけでできているわけではない。自分という存在がここにあるのも、気の遠くなるような過去から長々と続く生と死の連鎖の結果なのだ。…俺は仏壇に手を合わせる。一日のうちのほんの僅かな時間ではあるけれど、少なくともその瞬間は彼らのことを思い出す。それは俺にとって大切な時間だ」(187-189P)。

アサちゃん亡き後、武のようには手を合わせていない。ただ、仏壇は空けずとも、前においてある床几にアサちゃんの遺影を立て、それに向かって生きているときと同じように一日に何度も声をかける。また、その周りには花を絶やさないように活け、お供えを置く。

当然死者からの返事はない。それでも「ダライ・ラマ…」の講座で講師は人が亡くなると肉体は亡びるが心は継続していると聞いた。そう思うと気持ちも落ち着く。何事も規則通りでなくとも我がやり方で表現すればそれでいい。

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