2011年5月10日火曜日

『ツァラトゥストラ』

先月NHKの教育TVで放映された『100分で名著 ツァラトゥストラ』(西研、2011年)のテキストを読んだ。

『ツァラトゥストラ』はニーチェの著作であり、2010年発行の中央公論新社、手塚富雄訳も同時に購入して読んでいる。この方はなかなか簡単に読むことができず時間がかかりそうだ。それでもテキストの方はわかりやすく解説してあり大変面白かった。以下に気づいたところを記したい。

テキストのサブ・タイトルは「弱いワタシこそ、強く生きる!」、「”世界”がどうあるべきかではない、”自分”がどう生きるかだ―」となっている。このサブ・タイトルこそまさに我が関心あるところ。

世間では先の震災でボランティア活動の報告がメディアをにぎわしている。これはこれで立派なこと。だが、それを他者に強制し、自己のうぬぼれのためにするのならば問題がある。すべては自主性を重んじられたい!その面で言えばニーチェの考えはすばらしい!

テキストによれば「人間には、『実存派』と『社会派』の二つのタイプがある」という。『実存派』とは「自分自身の苦悩と生き方にとことんこだわり、あまり社会のことに関心をもたないタイプの人」であり、『社会派』の人は「個々人の苦悩は大事だけれど、社会をよくするのが先ではないかと考えるタイプの人」だという(17P) 。

『実存派』にはこの本の著作のニーチェやショウーペンハウアーがおり、『社会派』にはヘーゲルの思想だという(17P)。

このテキストの著者である西は「実存のほうが第一のものだ」としたうえで「自分という人間が、自分の抱える苦悩に直面しながらどう生きていくのかが、最初の思想の課題。その次に、自分だけでなくてみんなが幸せに生きるための社会的な条件をどうつくるかということが来る。ですから、思想の順番としては実存から社会に向かう」のだと述べている(17P)。

いまだ自己が確立していないものにとって「実存」以外は考えられない。

ニーチェの有名な言葉に「ルサンチマン」がある。これはフランス語で「ねたみ」や「うらみ」の意味とか。この気持ちを抱え込む人は自分自身を駄目にするとか。これはまた、現代の社会に当てはまるとも。それは「ニヒリズム」となってあらわれる。それを打破するには「固定的な真理や価値はいらない。君自身が価値を創造していかなくちゃいけない」と。そのために「人間は”創造的”に生きよ」と提案する(4~7P)。

『ツァラトゥストラ』という書は西に言わせると「今までのヨーロッパすべてを清算して新しい文化(新たな価値基準と生き方)の礎をつくる」というニーチェの壮大な自負がこもっているとか(10P)。

そして『ツァラトゥストラ』の主要なテーマは「超人」と「永遠回帰」であるという(10P)。

また『ツァラトゥストラ』の核心部分は「キリスト教の正体を暴いて、新たな人類の価値と方向を示そうという点にある。(35P)

このようにいろいろ羅列しているがやはり哲学は難しい!

西はニーチェの思想を通して「『いま』という生きるさいの『柱』となるものだ」と説く。そして西は「戸惑ったときはいつでも『自分の心に立ち戻る』ことだという。この生き方を教えてくれた人こそがニーチェだというのである。一般的に「迷ったときは原点に返れ」というのを聞く。まさにそのことだろう。

ニーチェの時代は「キリスト教もなく、マルクス主義も、高度経済成長もなく、何にも頼るものがない時代」であった。そのときニーチェは「絶望することは何にもないよ。なぜなら、このような状況でどのような絵を描くかは君自身が決めればいいことなのだから」と教えてくれ、勇気づけられると西はいう(84~90P)。

ニーチェは「『文化』というものの本質は互いに高め合うことにある」とした。すなわち「自他の価値観を照らし合わせながら、ほんとうに納得のいく価値観をともにつくりあげていこうとすること」だと…(93~94P)。

このテキストの締めくくりとして西は「個別化がきわまったようにみえる日本社会のなかで、どうやってこの『表現のゲーム』を育てていけるか」が課題となるという。そのためには「ニーチェの超人を『自分一人で創造性をもって生きていく』と考えることからもう一歩踏み出して、コール・アンド・レスポンス的な空間を育てながら、その関係性のなかで互いに創造力を発揮していければいい」とする。そうすればニーチェが伝えたかった「悦びと創造性の精神」がこの社会に蘇るというのである(106P)。

これこそが最初に記した「実存」から「社会」に向かう思想に含まれる。とはいっても哲学はわかっているようでわからない。ほんとうに難しい学問だとこのテキストを読んで改めて感じた。

0 件のコメント:

コメントを投稿