2025年11月1日土曜日

柿を食べた!?

 今朝は昨日と打って変わって気持ちいいほど晴れている。昨日と言えば今季初めて柿を食べた。柿は体を冷やす、と言われている。それなのに四角い市販の柿を1個食べた。果物の内で食べないのは梨がある。柿もなるべく食べないようにしているがスーパーに並ぶ柿を見て2個買った。体を冷やす、とわかっていたはずなのに食べてしまった。体は冷やさずに温めるに限る。あの猛暑日でも決してアイス類は食べないほど気を付けている。柿はあと1個残っている。果物は何でも食べるほうだが梨と柿はこれから気をつけよう。

 一昨日、眼科に行くと眼圧は14と17。その日の午後は休診日のためか人が少ない。いつも思っていることを初めて眼科医に聞いた。それは生まれてすぐに患ったと聞いている目の病気である。今でもその病気にかかる患者はいる?と問うといないわけではないがいるのはいるとか。先ほどスマホに問うと同じ答えが返ってきた。

 生まれてすぐに大病を患った、と聞いて育った。そのためか決して無理はしない。先の梨や柿に気を付けるのもそうかもしれない。が、これは大病とは全く関係ないが。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月31日金曜日

等彌(とみ)神社!?

 今年の夏は暑かったし、また長かった。3日か前にやっと扇風機を片付けたと思ったら、すぐに暖房機の出番となる。昨日、電気代の明細書が郵送されてきた。暑かったはずなのに使用したキロワット数が昨年同月よりもかなり少ない。電気代は7000円くらいと安かった。ガスはないので電気代しか要らない。この中に電気温水器代、エアコン代が含まれる。エアコンは昨年と今年、新たに買い替えた。また、冷蔵庫も買い替えたのでこれらすべてが省エネによるのか電気代が安くなる。

 今日は一日雨の予報だ。最低気温13度、最高気温16度で一日の気温差があまりない。明日からの来月はまた気温が上がるとか。年を経て、一番気にするのがお天気だ。晴れればうれしいが雨だと外にも出にくくなる。外にでなくなれば運動不足になりかねない。まだまだ過ごしやすい気候が続くので雨が降ってもなるべく外に出かけよう。

 今朝は夢を見ていた。来月末に出かける予定の奈良の旅。その中で神の森町バス停が夢に出る。そのバス停近くに等彌神社がある。談山神社に参ったたあと、この等彌(とみ)神社に参る予定だ。その名前が出て来ず、名前を探し出す夢だった。やっと等彌神社の名がわかったころに目が覚める。このごろは起きているときなども固有名詞などが出なくなると「あ」から始まって「ん」まで一通り調べる。そうすると出てこない名が出てくる。昨日は「嫌われる勇気」の著者である岸見一郎が出なかった。この時はどうやっても頭に浮かばないので仕方なくスマホで「嫌われる勇気」の著者は?で検索してわかった次第。

 先の等彌神社の件は神社の名前が珍しいのか覚えにくい。そのこともあるのか夢を見たようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月30日木曜日

『ペルシャの幻術師』

 『ペルシャの幻術師』(司馬遼太郎 文藝春秋、2001年)を読んだ。『ペルシャの幻術師』には他に7編の短編が収めてある。今から30数年前にイランに出かけ、テヘラン博物館の見学もしたはず。だが、その時「悪魔の石」を見たかどうかは覚えていない。10数年前からこのブログで旅の行程を書き記している。しかしそれより前は何処の国へいつ行ったかのメモしかない。そう思うとウインドウズ10のセキュリティがどうなろうと何かの手段でブログは続けよう。

 以下は『ペルシャの幻術師』から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ただ、いつの時代か、廃墟の中から、一個の宝石が発掘された。深紅の色を湛え、指頭ほどもあった。それが、伝説の幻術師グラペット・アッサムの所持したものかどうかは分明でないが、その後ながく、ペルシャの幻術師の仲間で、法流を継ぐときの印可の証として伝承されたという。こんにち、テヘランの博物館に収蔵されている「悪魔(シャイターン)の石」がそれである。一二八一年、日本の弘安四年の夏、忽必烈(フビライ)の蒙古軍十四万が玄界灘を押渡り、同閏七月一日、博多湾頭を襲った狂颷(きょうひょう)のために、生存数千を残して悉く滅んだ。大鷹汗(シンホルハガン)ボルトルの死より二十八年ののちである。その後、百年を経ずして大蒙古艇国「元」は亡び、成吉思汗(ジンギスカン)の夢は、草原の彼方へ消えた。(49p)

2025年10月29日水曜日

大型ゴミ

 久しぶりに2階へ上がって掃除をする。ふと気になる押入れを開けると大型ゴミに出していない蒲団が残っている。もう何十年も使っていない蒲団だ。1年前にリフォームする際、2階はそのままにした。布団類はその前にかなり処分したがそれでも昨日見ると7枚もある。大半は掛布団で敷布団は1枚だけ。すぐに市の大型ごみに電話する。来週の火曜日に受け取りに来るという。最初に電話したときは昔の布団なのでかなり重いため3枚だけお願いした。ゴミとして出すにも玄関外まで出すのは大変だからだ。しかし、いくら重くても一度に処分する方が気は楽。すぐに再度電話して敷布団だけ残して計6枚お願いした。

 この6枚を2階から1階に降ろすのは大変。布団は割れ物ではないので2階から落とす。1階に落とした布団をとりあえずほかの部屋に置く。それをゴミ集荷の当日玄関の外まで運ばねばならない。これを持ち運ぶのは重いので引きずって出そう!ゴミの代金としてすぐにコンビニに行きチケットを購入。@¥250×6枚で計¥1500。

 ほかにも気になるものがある。それは母が買ってくれた着物類だ。これはどう思ってもゴミには出せない。そして2階にあるスピーカーとデッキそしてプレイヤーがある。50年くらい前の価格でピアノと同じくらいした。これもどう思ってもゴミにはできない。母がいた当時は2階に寝ていたのでこれで音楽を聴いていた。今は、年に数回掃除のために2階へ上がるのみ。当分はこのままにするしかなさそうだ。

 そして2階には箪笥が2棹ある。この中にはほぼ何も入っていない。ひとり暮らしだと市の大型ゴミの係が2人来て降ろしてくれる。が、これもそのままに……。

 1年前のこの頃はリフォームをお願いして工事が始まる前だった。早いものであれから1年になろうとしている。生きてるうちはいくら処分しても何やかや要らないものが増えてくる。そういえば昨日の処分で木綿のハンカチが32枚も出て来た。今、ハンカチは木綿ではなくタオルハンカチをつかっている。この32枚のハンカチをネットに入れて洗濯機で洗った。使う予定はないが洗濯を終えて干す際、夏以外は木綿のハンカチはかさばらないので利用しようかな、と思ったり。というかもったいなくて思い切って捨てられない。もう何十年も使わなかったのにいざ棄てるとなると捨てられない。これはなぜ?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月28日火曜日

アルビノーニのアダージョ

 10数日間で気温は大きく変わり今朝の最低気温は10度で最高気温は19度と低くなる。昨日はプールで泳いだ。プールは隣町の循環バスに乗っていく。同じバスに乗った人と同じバス停で降りた。スーパーの前にあるバス停は車がひっきりなしに通る。下車後、車に気を付けて降りた人と話す。30年ぶりに歯科へ行った帰りだという。かなりの年配の人だが30年も歯科に行かずに生活できたとはすばらしい。内科に30年くらい行っていないが自分としては1年前から歯科通いが続いている。歯が丈夫な人を尊敬してしまう。その人はプールの近くに住んでいるらしく以前はこのプールで泳いでいたそうだ。

 昨日は500m泳ぐ。そのうちクロールは25mで、あとは背泳ぎで泳ぐ。なじみの人と話すと1キロ泳ぐようにという。この1,2年くらいまでは1キロくらい泳いでいた。が、無理して泳ぐこともないと500mで泳ぎ終える。気長にモノゴトを続けるには細く長くするに限る、との思いがある。そういえば昨日、初めてブラジル人が水中歩行していた。日本に来て2年だとか。

 今朝、スマホの動画を見ているとゴールウエイのアルビノーニのアダージョの演奏がある。スマホでは見られるのにパソコンでは思うようにならない。やっぱりこの曲は聞いていても素晴らしい。他の人の演奏をアップしよう!
 

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2025年10月27日月曜日

浄瑠璃寺の外観

浄瑠璃寺入り口

 ウインドウズ10のサポートが終了してパソコンを起動するたび何やかや表示が出る。パソコンのセキュリティは2027年3月まで契約していても、新たにインストールしないとそれは無効とか。昨日、ダウンロードしてインストールを試みる。が、新たに課金されるとある。それも今よりも金額がかなり高い。いずれにしてもウインドウズ11に買い替えなければ問題は収まらない。その思いからインストールはやめた。

 というか、今、パソコンの利用はブログ専用になっている。25年前にパソコンを初めて買って4,5台パソコンを買い替えた。パソコンの設定は初期よりもだいぶ簡単になったが、それでもかなり頭をつかう。今のパソコンが利用できるまで使ってその後の事は考えまい。すべてはブログを辞めればいいことだ。最終的にブログを続けたければ新たなタイトルでタブレットから投稿しようと考えている。そう思うとだいぶ気持ちが落ち着いた。

 今朝も来月の奈良行きの帰りの新幹線を予約する。OKだ。予約の前に昨夜から気になっていた談山神社と等彌神社のバスの便である。等彌神社は桜井駅から徒歩で15分の所にある。談山神社は桜井駅からバスでゆき、談山神社を観光後、等彌神社のある神の森町バス停で下車し、観光後に桜井駅まで歩こうとなった。そのためのGoogleMAPを検索すると道順が詳しく表示される。このGoogleMAPに慣れれば人に尋ねなくてもよくなる!?使い方に慣れるように練習しよう。

 今朝は他に浄瑠璃寺に出かけた和辻哲郎の『古寺巡礼』を再度読む。和辻の出かけたころの浄瑠璃寺は道が舗装されてなくバスに乗っても大変だったようだ。途中から徒歩で出かけている。「仏前に一つづつ置いてある手燭(てしょく)のような格好の木塊に画かれた画もおもしろかった。しかし何よりも調和した堂の外観がすばらしかった。開いた扉の間から金色の仏の見えるのもよかった。あの優しい新緑の景色の内に大きい九体の仏があるシチュエーションは、いかにも藤原末期の幻想に似つかわしい」(51p-52p)と書いている。これを読むと「開いた扉の間から金色の仏の見える……」のくだりは先日の浄瑠璃寺では考えられないことだ。開いた扉どころか全くといいっていいほど堂内に明かりはなく、手探りで歩くほどだ。当然、仏様ははっきりとは見えない。時代が変わればこうも変わる!?これもすべては九体の仏像保存にあるのだろう。

浄瑠璃寺九体阿弥陀堂の外観

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月26日日曜日

司馬遼太郎記念館会誌「遼」と来月の奈良行き

 司馬遼太郎記念館会誌「遼」2025年秋季号が送られてきた。友の会通信欄を見ていると同じように読んでいる人がいる、と思った。それは『司馬遼太郎が考えたこと』である。が、よく見るとそれは自分がアンケートで記入したことだった。また松原正毅の「『裸眼での意味』――生成AIの展開の時に」を読むと「万巻の書を読み、無数の資料に目を通し、できるかぎりおおくの現地の場に身を置くことにつとめた司馬遼太郎さんの実践の奇跡をみれば、『裸眼で』という姿勢の実相が明瞭にうかびあがってくる。それは、『みずからの足であるき、みずからの目で見、資料を多角的に検証し、そのうえで思索をめぐらす』という姿勢である」。これはモノゴトを色眼鏡で見ない!?

 2日か前から来月の奈良行きについて思いを巡らす。予定では談山神社、等彌(とみ)神社、そして柳生の里に位置する円成寺を予定した。ところが円成寺はどう考えても交通の便が悪い。仕方なく急遽、次回の奈良行きはリベンジ旅になりそうだ。それには昨年7月の長谷寺行きで熱中症になり、もう一度行こうとの思いがあった。そしてもう1つは談山神社。このお寺はこの春出かけたが一番大事な十三重塔を見逃している。ほぼ毎日のようにネットで談山神社のライブ映像を見ていると定点観測なので常時、十三重塔が映し出される。観光客の数も涼しくなったためか連日押し寄せている。これが紅葉時期となればさらに増えるだろう。

 来月に行く場所は決まった。どちらも出かけた所なので気楽に行けそうだ。ただ等彌神社は初めて行く場所だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!