2025年4月8日火曜日

地元の山の桜

 プールに行く予定を変更して地元の山に咲く桜を見に行く。いつもはお墓から神社に向かうが昨日は急な坂道の神社側から上がる。鳥居近くまで民家がある。が、急な坂道なので一気には上がれない。何度か止まって深呼吸をしてあがる。神社に向かうふじ棚の下では何組かがお花見をしていた。小さい頃の場所取りをしてのお花見は今では廃れたのか見られない。というか、町民が一斉に決まった日にお花見をしたころと違って今は分散!?
地元の神社の桜並木

 神社から奥の院までは300段と書いてあるが、今より若かったころは必ずといいっていいほど奥の院まで行っていた。が、新たな奥の院が別の場所に移ってからは全くそこへは行っていない。


振り向けば桜、桜、桜

ずっと石段が続く

300段上ると奥の院に着く

市内が見渡せる
 すこしだけ山に上がると市内が見渡せる。桜も散り始めているが、土・日は多くの人でにぎわったに違いない。いろいろと桜を愛でる機会はあるが、地元の山の桜は他に負けず劣らず桜の名所!?このまま帰るには忍びないと思ってお墓に向かう。午後2時過ぎとあって墓地には誰もいなかった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月7日月曜日

地元紙「洗心」欄を読んで

 今朝の地元紙を見ると「洗心」欄に上野千鶴子の講演の模様を報じている。場所はなんと地元の区民文化センターとある。これは聞きに行きたかった!市内の催し物案内に掲載があったはずなのに見落としていたのだろうか。残念!それでも新聞1面に講演の内容を詳しく掲載している。これだけでもよかった!?
 
 それによると大見出しに「在宅ひとり死」前向きな選択とあり、小見出しに「地域の寺がサポート役に」とある。「寺」とあるのはこの講演会の主催が地元の浄土真宗本願寺派の23寺が関わっていることに拠るのだろう。演題は「住み慣れたこの地で最期まで」。自分自身も住み慣れたこの地で最期まで過ごしたい、と思っている。

 「かわいそう」と見られがちなおひとりさまだが上野によるとそれは偏見だとか。独居による寂しさや不安を差し引いてもおひとりさまが最高だ、という。人間は時間が経てば寂しさに慣れるからだ。そして上野は辻川医師の老後の満足のための処方箋を3つ引用している。

⓵生活環境を変えない。
⓶金持ちより「人持ち」.お金で人間関係は買えない。
③家族に気を使わない自由な暮らし。つまり独居に行きつく。

 しかし、在宅独居を阻む要因が外野の圧力だという。「在宅ひとり死」があるが上野は自宅で1人で亡くなっても介護保険サービスを使っていれば数日で見つけてもらえるのでこの程度では「孤独死」ではないそうだ。そしてお寺は昔からコミュニティカフェのような場所だったのではないかと。そこに集う関係は仏縁になる。そして住職本人は医療・介護のスキルを持っていなくても地域で人材をつなぐ要となるという。
 
 先日、お寺の護寺会費を振り込んだが、個人的にはお寺とのご縁を深めたいとは思わない。その底辺にはまだ元気、があるのかもしれない。しかし上野の講演の話を読んでいると確かに仏縁というようにお寺をないがしろにはできない。

 独居生活をしている。親が亡くなった当初はどうしようもない淋しさに襲われた。が、これも時間の経過とともに慣れてくる。そして元気のある今が人生で一番幸せ、とも思えたりする。それにはああじゃこうじゃと要らぬことを考えず、ただ元気で楽しく暮らしたい。そのためにも動ける間はどんどん旅に出かけよう。近いうち奈良へ行く。幸いお天気にも恵まれそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月6日日曜日

絵の教室の自販機

  昨日は日本画教室の日。教室は3時間ある。1時間半が経過するとティータイムになる。習い始めからこの時間になると皆の珈琲を階下にある自販機で購入する。ところが4台ある自販機が変わってペットボトルに入った珈琲しか売ってない、と先生から聞く。3時間の教室で休憩を兼ねて珈琲を買いに行くのが束の間の息抜きだった。買いに行く係(?)はいつも同じ2人。しかし、昨日からこれができなくなる。

 教室へは小さいペットボトルに白湯など入れて持参していた。次からはマグボトルに入れて珈琲を持参する!?先生は瞬間で湧くケトルを持参してくださるという。それでは、とスティックになった珈琲を持参する旨、告げる。幸い教室には流し台などがついている。

 相変わらず樹木を描いている。休憩時間に珈琲は飲めなかった。が、教室が終わって皆でいつものカフェに入る。珈琲を飲むとホッとする。そういえば先の自販機にはホットなものはなくすべてコールドのペットボトル品だ。年中、暖かいものしか飲まないのでコールドの自販機はどう考えてもよくない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月5日土曜日

仁多米

  昨日のブログで取り上げた仁多米(にたまい)はなぜ仁多米?というのか調べてみた。近年、街中で仁多米を使ったおむすびの専門店ができている。よほどお米に対して自信があるに違いない、と思って調べた。ウイキペディアによると〈「西の横綱」「東の魚沼コシヒカリ」ともよばれている島根県仁多郡奥出雲町で栽培されるコシヒカリのブランド米〉とある。言われてみれば確かにこのお米で炊いたご飯はおいしい。仁多米をネットで調べると生協よりもかなり価格は高い。

購入した出雲の仁多米
 春らしい陽気になってきた。それと共に泳いだ後の鼻水はなんとかならないのだろうか。集中力がなくなりそうだ。世の中、今が一番のお花見シーズン!?子供のころこの時季になると皆一斉に重箱につめたごちそうをもって近くの山でお花見をした。懐かしい子供のころの思い出だ。

 今日午後は日本画教室へ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月4日金曜日

値上がりの春!

 お米は生協で買っている。近くのスーパーへ毎日のように出かけるがお米だけは生協がかなり安い。購入するお米は仁多米で2㎏@¥1980だったのが@¥2280になった。これがスーパーだと2㎏で400円アップとなる。それまでは特別栽培米や安曇野のこしひかりを買っていたが、今は仁多米が気に入っている。急に300円も値上がりしたので驚いていたらそばにいた人から「まだお米は上がると生協の配達の人が話していた」と聞いて買って帰る。半年余り前までは同じお米が@¥980だった。それが倍以上も値上がりしている。遊びに行くことを思えばこれくらいはなんでもないかもしれない。が、それにしてもまだまだ値上がりしそうだ。

 値上がりといえば昨日届いたお寺の護寺会費が5000円から6000円に値上がりしている。振込用紙を見ると何口でもOKと印刷されている。(1口で十分じゃ)、と心の中で叫ぶ。

 何でも後回しにするのが嫌なので、その前にプールから帰ったばかりというのに自転車に乗って郵便局で護寺会費の振り込みを済ませる。昨日、プールで泳いだ後は寒さを感じた。また泳いだあとの帰りの循環バスが10分以上も遅れ、さらには帰ってすぐに振り込みに行くなどしたため湯冷めしたようだ。今朝は鼻水がとまらない。

 昨日、浅い方ではなく誰も泳いでいないプールで1人泳いだ。気分よくして泳いでいると声をかけられる。足のキックができていない旨、言われる。人からああじゃこうじゃといわれるのが嫌いだ。たとえ言われても褒め言葉であればまだいい。お願いしたわけでもないのにキック云々を言われる。泳げるだけで十分と思っている。

 先にその人がプールを出た。やれやれ、とホッとして500mを泳いだ後、更衣室でまたも同じ人と出くわす。そして年を聞かれる。3歳上の人だ。プールではあんまりこういった人とは出会わない。が、今は自転車でなく循環バスで出かけるので時間帯を変えることもできない。もう少し体がプールに慣れれば徒歩で行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月3日木曜日

瀬野川の桜

 ツナサンドと珈琲持参で瀬野川の土手に咲く桜を見に行く予定を変更してお昼を家で食べて出かけた。久々に自転車に乗って出かけたが風が吹くたび帽子がとんでしまう。これは危ない、と思って途中にあるスーパーに自転車を置いて歩いて行った。この土手へは例年ならば自転車で行くので歩くとかなりの距離がある。

 土手に近づくと桜はこれから満開になるのか今一歩だった。途中、擦れ違う人と話すとやはり同じ気持ちだった。それでも春は確実にやってきて暖かさを通り越して暑く感じる。
瀬野川の桜

満開まではまだ先のようだ
 今朝の地元紙によると平和公園や宮島、そして錦帯橋などの桜は満開だとか。今日はお昼過ぎからプールで泳ぐ予定。本格的な春になって身も心も軽くして動く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年4月2日水曜日

「大丈夫。心配するな」

 今年の桜の開花はいまが見ごろのようだ。造幣局の花のまわり道を調べると開放されるのは来週末のようだ。ついでに(自衛隊の桜は?)と思って調べると、時すでに遅しで先週の土曜日に終わっていた。今日はこれから瀬野川の土手に咲く桜を見に行くつもり。持参する物は珈琲にツナサンド。ツナサンドは旅に出かけるとき必ずといいっていいほどリュックにしのばせている。それくらい持ち運びに楽でお腹の足しにもなる。

 朝食を済ませるとブログの投稿が日課になっている。しかし、ときに朝から電話をかけてくる人がいる。こうなると一日のスケジュールが狂ってしまう。電話する人の話はその人が一緒に出かけた人の愚痴話が多い。見も知らぬ人との話を聞いてもなにも楽しくない。人には楽しい話だけをするに限る。

 話は変わって先日の朝刊に梵大英の記事がある。「良きものも悪いものも変化する。つらいこともきっと変化していく。大丈夫。心配するな。諸行無常は未来志向なのだ」に目が行く。この「大丈夫。心配するな」を先を思い煩っていた若いころに見ていれば(見ていたかもしれないが、当時は思いつかなかった)、きっと目からウロコのように思えただろう。

 今はそんな若いころの先々への不安がなにもなくなった。ただ元気で楽しく毎日を過ごそうとしか思わなくなった。それくらい人は変わる!?これを見て昔の自分が愛おしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!