2026年2月14日土曜日

「見上げてごらん夜の星を」フルート演奏

 「見上げてごらん夜の星を」のフルート演奏を探すとアップがある。ついでにこの楽譜を探すと無料楽譜があった。久しぶりに音楽のノートにこの曲を写譜する。フルートで吹くと難しい曲ではないのですぐに吹ける。

 はるか昔、中学の修学旅行で出かけた別府。この時、知った「別府湯の町~」をYOU TUBEで探すと別府音頭とある。この曲を聴くと当時のバスガイドに教えてもらったのかよく覚えていた。しかし、今回は一人旅。また観光旅館でなくビジネスホテルに泊まったのでこの曲を聞かなかった。が、中学の頃に覚えた歌は忘れていない。

 あの大雪は何処へ行った?を思わせる陽気が続く。明日はなんと最高気温が17度と暖かくなりそうだ。今日は午後から2週間ぶりの日本画教室。頑張って描こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年2月13日金曜日

別府の旅その2

 別府の旅その1から続く。

 広島から別府までの新幹線は新下関駅近くまで大雪のため徐行運転のところがあった。しかし、別府に着くと大雪はどこへ?別府の観光はあまり寒さを気にせずに済んだ。ホテルには4時くらいに入る。部屋は11階で別府市内を見渡せた。ところが山を見ると根雪がある。前日、大分も雪に見舞われたようだ。

 夕食はカニ食べ放題と熊八会席だ。熊八会席とは大分名産「かぼすブリ」のしゃぶしゃぶ鍋と豊後牛ロースの肉巻きを堪能する贅沢な和会席とある。亀の井ホテルはHPによると1911年に亀の井旅館を創設した別府観光の父と言われる油屋熊八に由来している。そのためか亀の井バスなども亀の井がついている。なおこの日の宿泊代は1泊2食付きで17000円。

 夕飯は5時半を予約した。が、30分くらい待つ。その間、ロビーは今夜の客がチェックインするのにあふれかえる。レストラン外の椅子に座って夕飯を待っていると台湾人の父、娘がいた。(中国語)、と思って声をかけると台湾からの親子3人の旅行者だった。台湾に3度行ったことがある、というと好意を示してくれる。久しぶりに中国語で話した。

 夕飯になった。カニの足などが置いてある。まずはビールの生で一人乾杯!カニを食べ始めると次々と食事が運ばれてくる。が、カニを食べるのに忙しい。カニ食べ放題、と係は言うが置いてあるので十分だ。隣の人も何か飲んでいる。声をかけると話が弾む。おかげで楽しい宴となった。
カニ足

 大浴場に行くと人であふれている。体を洗う洗面器もないほどの人出だ。これではゆっくりお湯に浸かれそうにない。早めに部屋に戻る。

2日目 2026年2月10日(火)

 朝食を食べに行くとバイキングではないのにレストランには人が並んでいる。その間、隣のご夫妻と話すと東京からのツアー客だった。2泊3日で羽田から長崎、そして別府に来たという。2月8日の大雪の日、羽田発の飛行機がなんと7時間、遅れだったそうだ。その間、空港での待機で食事もお水も各自調達だったとか。そのため長崎には3時に着いたという。今回の雪は前日からの人も大変のようだ。

ホテル11階からの眺め 山には残雪がある
 朝食は籠に入っている。このほかにもご飯、味噌汁、サラダに飲み物がつく。先日の広島でのバイキングで人の多さに参ったのでここではそれはやめた。これは大正解でゆっくり朝の食事を楽しむ。

 このホテルはチェックアウトが11時だ。ホテルでゆっくりして10時ごろチェックアウト。この日もバスに乗って血の池地獄などを見に行く。

籠入りの朝食 このほかにご飯、味噌汁、サラダ、飲み物がつく
 
 血の池地獄には手湯や足湯があった。手湯に手を浸すとかなり熱い。足湯はずっと浸かっていたいほど気持ちがいい。
血の池地獄 手湯

血の池地獄

血の池地獄 足湯に浸かった
 次は少し歩いて間欠泉の龍巻地獄。入場券を買おうとすると何か言われる。一瞬、意味が分からず再度聞くと間欠泉のため龍巻が上がるまでに50分待機とのこと。屋内は土産物屋にもなっている。が、何も買わないので退屈になる。外に出ると階段状になった屋外の岩場や屋根があるところには椅子が並んでいる。寒いが屋根のある椅子に座ってしばし待つ。

 そのうち次第に人が増えてくる。ツアー客が大半だろう。外国人もかなりいる。インバウンドがどうじゃこうじゃと言っても外国人観光客は多い。

 徐々に湯けむりが上がってくる。そのうちゴーっと大きな音でまるで竜巻地獄のごとく竜巻のように湯が上がる。これは見ごたえ十分だ。待った甲斐がある。
龍巻地獄 間欠泉からまるで竜巻のように湯が上がる
 2か所の観光を終えてバス停に向かう。この日は曇り空でバスを待っていると冷たい。周りの人を見ると若い女性たちだ。声をかけるとインドネシアの女性3人だ。21歳と20歳で日本語は気にせずに話せるようだ。インドネシアに2回出かけた旨話すと関心を示してくれる。バスを待つ間、話した。彼女たちはこれから由布院へ移動するという。インドネシアから技能実習生で小倉に来ていた。

 インドネシアへの連絡は?と問うと、日本とインドネシアではアプリが違ってLINEはないという。5年間、日本に滞在するらしい。

 別府駅に着いた。初日にお昼を食べたイタリアンカフェはスパゲティのセットで850円。しかし、別府で夜も朝もよく食べたのでお昼はケーキとコーヒーのセットにする。1000円くらいだった。

 大雪に見舞われた今回の別府への旅も広島に帰るころには何事もなかったかのようだ。別府から特急ソニックの車窓からの眺めは広々として快適。しかし小倉から広島までの新幹線さくら564号は満席だった。
 
 楽しい旅は終わった。さて次は何処へ!?
特急ソニックの車窓から 何もない光景がいい!
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年2月12日木曜日

「見上げてごらん夜の星を」

 地元の文化センターで開催された海上自衛隊呉音楽隊のハートフルコンサートに出かけた。入場は無料だが事前に往復はがきでの申し込みが必要だ。自衛隊音楽とあるように元気いっぱいの音楽が流れる。ディズニーやアニメといった暮らしとかけ離れた生活だがなぜかその関連の曲は聞いたことがある。呉音楽隊のためか宇宙戦艦ヤマトやてつのくじらに続いてサンフレッチェやカープの曲もある。どの曲も勇壮に演奏され、時に演奏者が一人ずつ前に出ての演奏もある。最後の演奏が終わるとアンコール曲だ。

 アンコール曲は2曲あった。「見上げてごらん夜の星を」の演奏では2人が前に出て歌う。聞き終わるとなぜか涙が出た。それくらい感動する。最後はまたも勇壮な「軍艦マーチ」の演奏で終わる。この曲が終わる寸前に指揮者から順に会場に降りてくる。終わった後のロビーを見ると演奏者全員が2列に並んで見送ってくれた。これを見てまたも感動する。

 毎日、楽しく遊んで暮らしている。こんな日々がいつまでも過ぎていけば何も言うことはない。しかし、ふと、「軍艦マーチ」を聞くと、平穏な日々がかき乱されそうに思えてもくる。これはなぜ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2026年2月11日水曜日

別府の旅その1

  2026年2月9日(月)と10日(火)の2日間、別府へ行った。別府へは何度か出かけている。が、今回は一人旅である。前日から今季一番の大雪とのこと。朝起きるとあたり一面、かなりの積雪がある。昨夜、帰宅後、新聞を見ると広島市中区で14cmの積雪があったとか。道理で自宅最寄り駅に到着後の道にはまだ根雪が残っていた。

1日目 2026年2月9日(月)

 起床後、新聞を取りに出ると大雪だ。この雪では最寄り駅まで行くにも歩けそうにないと思い、急遽、トレッキングシューズを履いていく。自宅から最寄り駅までは5分の道だが滑らないように歩くとかなりかかる。駅に着くと数分おきにやってくる在来線の動きがない。駅員のアナウンスでホームを行ったり来たりしてやっと呉線に乗る。しかし、動きそうにない。広島駅での線路点検作業で信号待ちという。

 待つのはいいが新幹線は9時5分発だ。通常だと数分で広島駅に着く。が、1時間も前に家を出ても信号待ちだ。やっと動き出した。しかし、広島駅到着は9時を過ぎている。新幹線乗り換え口で駅員に乗車券を見せるとひかり531号は25分遅れとのこと。なんとか乗車できた。小倉駅まで着けば小倉→別府間は指定席特急券ではないので遅れが出ても大丈夫だ。

 別府駅に着いた。今回の別府行はほとんど予定を立てずに来た。観光案内所で別府地獄めぐりの案内などを聞くとそのコースは2か所ある。この日は海地獄からの5個所を回る予定を1か所はパスした。翌日は血の池地獄など2か所を回った。案内所の係は何人かいる。見たところインド系の外国人の係だった。が、赤と青の色鉛筆で印を付けてわかりやすく教えてくれた。そして宿の地図も受け取る。

 バスに乗って海地獄まで行く。20数分乗車後、降車すると乗客は日本人とばかり思った。が、聞こえてくるのはハングル語だ。これにはちょっとびっくり。小さい子供を連れた家族連れが多い。一人旅をするようになっていく先々ではどこも一人旅のジジババが多かった。しかし、今回は別府が温泉地のためか一人旅は少ない。

 1年前から寒い2月のこの日を自分自身の記念日として一人祝杯をあげようと決めた。昨年は日帰りでJRのパンフに掲載のフグを食べつくしに門司の三井倶楽部に日帰り旅をした。今年は日帰りでなく1泊2日の別府への旅だ。宿はネットで予約した亀の井ホテル別府。2食付きだが夕食も朝食もこれまで泊まったどのビジネスホテルよりも豪華だった。 

海地獄
 海地獄を出ると途中で「郭沫若先生の詩碑について」の看板を目にする。(郭沫若⁉)の言葉に気を取られて歩を休める。郭沫若自筆の史跡が建っている。ネットで意味を調べると以下のようだ。ここに勝手に引用させていただこう。

郭沫若非自筆詩碑
 眼前に、かのダンテが徘徊し来たるかのごとし。
 地に池はたぎりたち、地獄という奇なる名に驚きはすれど、こここそまさに仙境、蓬莱(日本)唯一の景観なり。
 一たび湯浴みせば、宵は暖かさを増し、三たび巡れば春はふところにて満てり。
 白雲は、いにしえより変わらず悠々とたなびき、黄鶴は心地よさに飛び立ちかねて低きを回れり。
かまど地獄

鬼山地獄は別名をワニ地獄ともいうそうだ

白池地獄
 この続きはまた後日に!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年2月8日日曜日

冷たい朝に

 最低気温-2度の朝を迎える。昨夜から予測された交通機関の乱れは新幹線で遅れが出ている。最高気温は2度の予想で、明日の朝も-1度と低い気温になるようだ。こんな冷たい日に選挙がある。投票所は幸い近い。が、それにしても選挙が多すぎる!?ましてやこんな冷たい日によりによって選挙とは……。

 昨日、短大時代のともだちに電話をする。要件は別のともだちの住所を聞くことにある。年賀状が出そろったころ、来年の年賀状に思いを寄せていた。どう数えても1件、はがきの住所が足りない。お供えを送った後、送られてきたはがきをなくしたようだ。まだ今年の年賀状が手元にあるうちに住所を教えてもらおうと電話した。

 久しぶりにともだちと電話で話す。皆、年を重ねたせいか、体の不調を訴える。これだけならばまだいい。年々、年賀状の廃止をしなくても届く枚数が少なくなる。それには入院したり、あるいは亡くなった人がいるかもしれない。この年になれば自分のことで精いっぱいだ。他の人の様子をこちらからわざわざ聞くこともない。そう思うようになった。岸元首相は年寄りが元気で長生きするために「転ぶな、風邪ひくな、義理をかけ」の3つを唱えた。これは「義理をかけ」にあたるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年2月7日土曜日

新鮮な生姜の効能

 最近のネット記事に新鮮な生姜の効能がある。生姜は以前からずっと料理の際、刻んだりして使っている。生姜効果のはっきりしたことは知らずにいたが何となくよさそうなイメージはあった。以下にその効能をメモしよう。

★抗酸化物質が豊富に含まれているので生姜がコレステロール値を抑える

★天然の抗炎症作用

★悪玉コレステロールを減らすのに役立つ

★善玉コレステロールの増加に貢献する

★血栓の形成を防ぐ

★血糖値管理をサポートする

★消化機能を改善する

 以上を見ると生姜はいいことづくめのようだ。これからも生姜をせっせと食べよう。

 明日は気温が低くなりそうだ。日が照っているうちに買い物に行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2026年2月6日金曜日

『義経(下)』

 『義経(下)』(司馬遼太郎 文藝春秋、2005年第11刷)を読んだ。図書館で借りた本だが、貸出期限が明日までだ。それも1度延長しているので何が何でも読み終えなくてはいけない。源頼朝と義経は兄弟だ。義経は父の仇を討つために平家を滅ぼす。そして兄を信頼するも最期は兄に騙されて自害する。本の末尾に書いてある「悪とは、なんだろう。」について考えさせられる。司馬遼太郎は少年のような心を持った人が好みだ。まさに義経はそれにふさわしい人だった。しかし、兄、頼朝は鎌倉幕府の運営に苦慮して政治的感覚のない義経が毒物以外の何者でもなかった。

 本を読みながら源氏の子孫はどうなった?と思った。平家の子孫は「平(たいら)」や「平(ひら)」などといった姓で今でもある。その両方の姓の人を知っている。が、「源」は聞いたことがない。本を読みながらつい思ってしまった。そして面白くこの本を読んだ。

 以下はこの本から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★この時代、義経のみならず、ひとびとの心は怨念ぶかくできている。怨念ぶかいことが、むしろ美しいとされていた。法師たちがひきあげたあと、梅のにおいがいきいきと闇のなかでいきづきはじめた。(これが、鞍馬のむかしのにおいというのか)義経は蔀戸(しどみど)をあげて縁に出た。庭燎(にわび)の火が、闇いっぱいの梅花を夢幻の精のように浮きあがらせている。炎が燃えさかるたびに花影がうごき、義経を恍惚へさそった。おもわず涙があふれた。(かならず怨念を)――晴らし遂げたい、と思った。怨念のうつくしさはそれを晴らすことによって完結する。晴らすとは平家を討つことであった。平家を討滅させることによって自分の生涯も、この闇のなかの梅花のごとくにあでやかに荘厳されるであろう。この若者は、中世に生きている。自分の生涯を美化したいという、ただそれだけの美的衝動だけで十分に死ぬことができる時代に生きていた。(83p-84p)

★義経が着想し、指揮し、実施したすべての戦術が平家を潰走せしめた。「あの若者が、な」と、後白河法皇には、ちょっと信じられなかった。色白で小柄な、どこからみても見映えがせぬあの若者のどこにそのような天才性が宿っているのだろう。その翌日、すべてがあきらかになった。そのうわさの義経が、平家方の首桶を先頭に京へ凱旋してきた。……義経といえば数年前までは流浪の子であり、きのうまでは無名の若者であったのが、きょうは神であった。戦争が、その変化を遂げさせた。戦争というぼう大な生命の賭け以外に、これほどの奇跡を現じさせるものはない。(122p)

★「月代御前だ」「匂うような名だ」月代というのは月が昇る前、山の端(は)がほのかに黄金色に色づく、その現象をいう。(174p)

★鯱(しゃち)は海にいる。犬は陸にいる。犬がいかに吠えようとも海の鯱にとびかかるわけにはいかない。陸軍しかもたぬ源氏は犬であり、強大な水軍をもつ平家は鯱であった。平家は瀬戸内海という広大な水域に大小数百の軍船をうかべ、中国、四国、九州の海岸地方を完全におさえている。犬である源氏は山陽道を駆けくだって本州の西端まですでに行っているが、いくさにはならない。(水軍をもたぬ以上、平家をどうすることもできぬ)と義経は思う一方、しかしながら騎兵集団を特殊使用することによって海上王国の平家を一挙に覆滅できるただひとつの方法を義経はおもいついていた。(それならば勝てる)と信じている。しかしながらすでに頼朝から司令官である資格をとりあげられている以上、どうすることもできなかった。……(たれもできぬ)という自負心が義経にあった。単にかれだけの自負心ではなく、歴史上の何者をもってきてもかれ以外にそれができないことは、後世の歴史が証拠立てている。(184p-185p)

★ほかにも捕虜になった者がいる。この一門では齢(とし)がしらである大納言平時忠でああった。平時忠といえば、むかし、平家のはなやかなころ、――平家にあらずんば人にあらず。という有名なことばを吐いてその栄華を一世に代弁した人物であった。(313p)

★義経は、この尊大な捕虜に対し、あくまでも自尊心を傷つけぬようにあつかい、しかるべき船をえらび、船室を清めてそこへ収容した。この処置に時忠は満足し、「あの小僧は分(ぶん)を心得ているらしい」と、その息子の中将時実にささやいた。(315p)

★白拍子とは、男舞(おとこまい)を専門とする妓女のことである。男舞というのは、女ながらに立烏帽子をかしらに頂き、白い水干(すいかん)、白鞘巻の太刀といった男装をし、絣のはかまをうがって舞い、かつうたう。そういう種類の歌舞は数十年前からあったらしいが、法皇などは、――白拍子の舞の創始者は磯の禅師。ということで記憶していた。……弦楽器を用いないのが特徴で、鼓、笛、銅鑼という拍子楽器を用い、それを伴奏とした。歌は流行歌謡(いまよう)である。おおぜいで舞うときには歌も合唱をする。この神泉苑での百人舞いがちょうどそれであった。(379p-380p)

★義経が都を去った四日後に、法皇はあれほどに寵愛しておきながら、義経の官位を容赦なく没収し、伊予守でも判官でもない、ただの九郎に堕としてしまった。さらに義経退去のあと九日目には、――義経こそ賊である。追討せよ。という院宜を法皇は鎌倉の頼朝に対してくだした。すべて頼朝への遠慮であり、配慮であり、朝廷という古典的権威をまもるためのやむをえざる処置であった。義経は、諸国の山河にかくれ、隠れては奔り、転々としつつ、朝廷と鎌倉から追跡され、ついに奥州の平泉まで逃げ、追いつめられ、最後に衣川の持仏堂に逃げ入り、自害した。その首が酒漬けにされて鎌倉に運ばれてきたとき、頼朝は「悪は、ほろんだ」といった。なるほど、国家の機能をあげて弾劾と追跡をうけた義経は、悪といえば類のない悪かもしれなかっ。が、「悪」ということばを頼朝の口からきいたひとびとも、それを漏れきいた世間の者も、また京の廷臣たちも、――悪とは、なんだろう。ということを一様に考えこまざるをえなかった。後世にいたるまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。(497p-498p)