『城塞(下)』を読んでいる。この本は貸出延長済みなので28日までに読み終えないといけない。図書館のHPを見ると年末年始はシステムの更新のため12月29日から新年13日まで休館とある。長い休みなので何冊か本を借りようと、昨日、図書館に出かける。とりあえず3冊借りたが、1冊はすでに読んでいた。何と借りたのはすべて司馬遼太郎の本だ。
以前だったら長期の休館だと月刊誌の「文芸春秋」など雑誌を借りていた。が、この頃は雑誌や週刊誌などは新聞の宣伝見出しを見るだけで中身を読もうとしなくなった。それは面白い記事がないことにもある。それよりも司馬作品だと読後感がいい!これが読むものを引き付けるのかもしれない。
以下は『城塞(中)』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十八年八十刷)から気になる箇所をメモした。司馬遼太郎は大人になっても少年のような心を持った人を好んでいた。この本にも「家康は少年のみがもつ心の弾みを終生もちつづけた」と書いている。この気持ちは竜馬にも、また司馬作品に登場する人たちにも多くみられる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★キリストの像を踏ませるというテストによって信徒・非信徒を見分けたように、秀頼を殺す手伝いをさせることによって、諸大名をして徳川家への忠誠心を証(あか)させようとした。このために家康は、まず薩摩の島津家久をはじめ五十人の外様大名に対し、――徳川の御家に別心これなく候。という誓紙を提出させた。この提出させた日が、なんと大坂城の使者の片桐且元や大蔵卿局が、外交交渉の前途に希望をもちつつ駿府に滞在していた時期である。ということは、家康にとってかれの大坂攻めは戦争ではなかった。本質は犯罪であった。(152p)
★思えば、家康は少年のみがもつ心の弾みを終生もちつづけたからこそ、その波乱の生涯を切りぬけてこれたのであろう。(たいしたものだ)と、勘兵衛は思わざるをえない。大坂の秀頼はなるほど肉体の年齢だけは若くはあるが、家康のようないきいきした心の弾みを持っているとは、とても思えない。(201p)
★大野修理(しゅり)の戦略方針は、「籠城」であった。東アジア最大ともいうべきこの大城塞において天下の兵をひきつけ、突き砕くのである。その戦闘の惨烈にへきえきして諸大名のなかから、大坂へ内通する者が続出するであろうというのが、その方針の戦略的裏づけであった。このため野外に兵を出して無用の損害をうけてはいけない。――というような退嬰主義に対し、真田幸村ら客将たちは反対であったが、譜代の大野修理が秀頼をにぎっている以上、大野好みのその戦略に従うしか仕方がない、というのが、現状であった。(283p)
★「隼人正は」と、淀殿はこのときほど怒ったことはない。「あれは橙(だいだい)武者です」そういった。これが城内で流行語になった。ダイダイは正月の飾り物で、じっさいの役に立たないという意味である。(344p)