2024年11月23日土曜日

年賀状の欠礼ハガキが届く

 年賀状欠礼のハガキが届く季節になった。一昨日届いたハガキは某交流会で出かけた海外の旅でいつも相部屋だった人からだ。お母さんを亡くされている。交流会の総会などで会うと両親の介護で忙しそうだった。それにも関わらず、某会のお世話をしてくださる。親を亡くす哀しみはよくわかる。自分自身を振り返ると哀しみは年を経るにつれていつの間にか薄れている。時間が忘れさえてくれるのだろうか。

 年賀状欠礼ハガキとは異なるが今年のお正月の年賀状に新年のあいさつをやめる旨、3枚記されたいた。これは今年の年賀状だけでなく3,4年くらい前からと思う。これも時代の流れ!?個人的にはたとえ1枚の年賀状差出人になっても続けるつもりでいる。

 今朝も8時から工事が始まった。工事が長引きそうなので工程表を見てあと何日?と完成までを指折り数えることはしなくなった。ただ、無事、工事が完成すればいい、と思っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月22日金曜日

工期が延びそうだ

 大工の工事が進むにつれて新たな不具合が生じてくる。どういっても古い家なのでこれも致し方ない。同じ直すならきっちりと、と言われる。それも当然なことなのでお願いする。が、その分、工期が長引く。昨夕、工事の責任者(親分?)が来られて急遽舞い込んだ仕事で大工さんは今日午後、そちらに行かれるとのこと。急用とは脳梗塞で倒れた人の家に手すりをつけるためらしい。ナニゴトもお互い様なのでこれも致し方ない。ただ、その分、工期が延びる。工程表に拠れば来週末で工事は完了する。しかし、昨夕の話だとかなり延びそうだ。

 工事で家に人が出入りするのはだいぶなれた。とはいってもリフォーム前までは人の出入りがない家だったので一日の仕事を終えて帰られたあとはホッとする。そして夕食に白いご飯を食べて温かいお風呂に入る、というたったこれだけのことがなんと幸せなことだろう、と思う。この気持ちは工事をするまでは気付かなかった。ナニゴトもない平凡な日々が一番の幸せと気づけて良かった!

 工事が終わればまた元に戻ってナニゴトもない平凡な一日が始まる。そんなときは平凡な日々の幸せをかみしめる!?

 とは言いながらも自由が利かない工事期間中はやっぱり厳しい。これももう少しの辛抱と思って我慢しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月21日木曜日

購入リスト

 家の工事も後半に入った。3日前から台所の隣の部屋の工事が始まる。この部屋と台所の工事は基礎からやり直している。昨日、工事の途中で大工さんに呼ばれる。今回の工事で自分自身が気になる箇所が3か所あった。その1か所の不都合な部分を見せてもらう。夕方にはその部分が見違えるほどよくなっている。さすがプロの仕事、と感心する。

 工事前に不要品を片付けた。2部屋に置いていた家具などはすべて処分した。日々、きれいになってゆく部屋を見てこれからは家具を買うにも慎重に、と思ってしまう。と同時に、何もない部屋を見て今、買おうとしているものがある。それはキーボード。

 若い頃、エレクトーンを習っていた。しかし、それも10年余り前に市の大型ゴミに出した。習っていた当時はエレクトーンがピアノと同じくらいの価格だった。ピアノは電気器具ではないので調律すれば長く使える。しかしエレクトーンは所詮電気器具。年々、進化し続けてゆく。ということでそれに代わるモノは、と思ったのがキーボード。高価なものでなくてもいいので購入リストに入れた。そしてほかに買うものとして食卓テーブルとイスがある。

 家の工事は終わりつつある。が、これからは基礎部分は工事しない和室2部屋と玄関、廊下の内装が待っている。この工事はいま寝起きしている部屋なのでこれまたある意味大変かもしれない。と思いながらも工事の完成後を日々楽しみにして待っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月20日水曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(11)

 昨日から大工さんが替わられた。今回の大工さんは8時半から5時までの勤務で途中、10時と3時に小休憩をとられる。又、お昼は1時間休まれる。休みを取られず、お昼の食事後もすぐに仕事をされていた大工さんもいいが、こちらとしては休んでもらう方が気が休まる。これも人それぞれ考えがあってのことだろう。

 大工さんと言えば以前だったらカンナや槌などが思い当たるが、今回の工事を見ているとそういった道具はどうも死語になりつつあるようだ。親分に聞くと30年くらい前からそういった道具を使わなくなったとか。

 工事の材木は見積書にあるようにきっちりと製材されている。それを大工さんが組み立てるようだ。ハンマーの音はほぼない。ただ釘を打つのもすべてカチ、カチという機械音だけが響く。そういえばのこぎりも死語!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『司馬遼太郎が考えたこと』(11)(司馬遼太郎 新潮社 平成十七年)から気になる箇所をメモした。

★満州語の痕跡といえば、いまの天安門を通って紫禁城に入ると、どの入口の額にも、漢字とならべて満州文字が書いてありますが、それくらいのものです。満州文字というのは、アルファベットですから、縦に書かれたシリア文字みたいなものです。……十七世紀の清朝の成立で、一種の古代的生産の世界だった「満州」が、漢文明の照り映えを受けつつ、世界史の舞台に出てきたわけです。(「遊牧文化と古朝鮮」132p-133p)

★戒名の話をしますと、要するに日本仏教は中国経由の仏教でしたから、漢字表現で入りました。つまりお坊さんは中国人でしたから、当然中国の名前です。日本でお坊さんになるということは中国名前になるということだったのです。……お坊さんは高橋虫麻呂という名前ではなくて、最澄とか、空海とか、それ以前なら玄昉とか、道鏡、要するに中国名前です。……俗人が死ぬと、僧になったということにして、中国名前がつけられました。それを戒名といったわけです。いま、中国名前をお坊さんにつけてもらって、それを戒名にして喜ぶのは、お釈迦さんと関係ないことです。その点が、どうもわれわれは日本仏教からだまされているような……。あまつさえ最近は、お寺が戒名にお金を取ります。……戒名は極楽往生するための呪力ということになってまでなっています。本来の仏教に呪術性はないんですけれども、お坊さんが戒名をつければ極楽往生のための呪術性を帯びるというのか、わざわざ生まれもつかぬ中国名前をつけていただく。(「日本仏教と迷信産業」214p-215p)

★日本は飛鳥・奈良時代に中国の官制を導入しましたが、この「後世への作業」ばかりは、制度としても意識としても導入しませんでした。その点からみればやはり「夷」というべきですね。後世意識が多少みられるのは、徳川慶喜だけかもしれません。徳川慶喜が自ら好んで、官軍と称する薩長軍に対して戦わずにひっくり返ってしまったのは、かれが水戸学の人で、水戸イデオロギーからみれば自らが賊軍になってしまう、との後世意識を持っていたからというべきでしょう。私が、徳川慶喜という才人政治家に感じる傷みとも憐れみともつかぬ思いは、つねにその一点にあります。かれが戊辰戦争のときに本格的に抵抗していれば、日本の近代の出発は戦禍と憎悪と外国勢力の侵入によって、凄惨なものになっていたでしょう。(「中央と地方――いわゆる都鄙意識について」)(248p-249p)

★明治政府はその成立のときから蝦夷地を重視した。維新のとき、武四郎はもう五十をすぎていた。太政官はかれをよびだし、徴士とし、やがて開拓判官という大変な高官に仕立てたが、翌年、武四郎はその栄職をすて、平民にもどり、ふたたび登山の旅をした。みじかい在任中、太政官が蝦夷地の地名を変えたい、というので、かれはアイヌ語でアイヌ仲間のことを「カイノ」というところから、いったん北加伊道とし、ついで加伊を海に変え、北海道とした。たまたまかれの北海道人という雅号と一致している。この点でも、小さな笑いをそそられる。(「武四郎と馬小屋」)(312p)

★日常語は、四、五百の単語があれば済むという。人間の幸福の一つの型は、生涯一つの村落に棲み、先祖以来の幾枚かの田を耕し、気心の知れた人間関係のなかで、日常語のみをつかって生涯を送るということであろう。(「あとがき『菜の花の沖  六』)(390p)

★日本の密教芸術のすぐれた諸作品には、その瞬間がよくとらえられているようにおもえる。聖へ昇華しきれば端正に過ぎる。昇華する寸前の瞬間こそ、たとえば向源寺の≪十一面観音≫であり、観心寺の≪如意輪観音≫であろう。もう一例おもいだすことができる。空海が住した京都高雄の神護寺にしずまっている虚空蔵菩薩である。(「密教の誕生と密教美術」)(451p)

★タンポポ(アンケート回答)土手の叢中に点々と灯をともしたように咲いているタンポポが、どういう花よりも好きです。小庭にわが手で植えた花といえばタンポポだけです。つぎに好きなのは、菜の花で、他については、花よりも青き枝葉が良よし。{「タンポポ(アンケート回答)」)(453p)

★『街道をゆく』を読んでいると現代が神話の世界と重なって見えてくる。このあたりが司馬史観の特色である。近代史学の影響を受けた同時代の時代小説が現代人の眼だけで古代・中世をとらえるのでなく、古代神話、中世伝説をとおして現代の地域をえがく。そこに地霊のようなものが湧きいでてくる。著者とともに旅をして絵をそえる須田剋太がまさに神話から抜けでてきた人のようであったので、その描く土地の絵とあいまって、想像力が増幅された。(「司馬遼太郎の原点」)(496p-497p)

2024年11月19日火曜日

工事も中盤に入った!

 今朝の工事から大工さんが替われられた。朝から4人が来られるが、実際に工事をされるのは大工さんだけ。キッチンが利用できるようになった。が、まだキッチンの内装が終わっていない。それが終わるのは工事の完了と同じだ。それまではキッチンの利用を控えるつもりでいる。今朝、カバーを外してキッチンを見せてもらった。これまでの我が家の台所と比べるとまるで異次元の世界。1階全体を改装している。リフォームで徐々にきれいになってゆくのを見て、工事中は大変だけど完成後を想像するだけで嬉しくなる。もうしばらく辛抱は続くが……。

 工事に関することを親分(?)から聞かれることがある。聞いてもさっぱりわからない。が、いいようにお願いする。そして聞いてもわからないことをスマホで調べると詳しく書いてある。親分が言われたことは当然、間違っていない。そして言われた通りにして安心する。

 今日は最高気温14度、最低気温は8度とこれまでとはだいぶ気温が下がりそうだ。それでもまだ暖房をしなくて済む。工事期間中はお天気も良さそうなのでこれだけでも幸いだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月18日月曜日

嘆く前に調べてやってみる!?

 今日は工事が休みの予定だった。ところが昨日のシステムキッチン設置の際、8時半に配管業者が来られる、という。一日ゆっくり休んで下さいと、言われる。が、これまで一日中、休みの日は工事が始まった翌日だけで後は誰も来られない日はなかった。工事を円滑に進めるにはこれも致し方ない!?

 今朝来られた配管業者はキッチンがつかえるための作業だった。すぐに終わると思ったら2時間くらい費やしていた。その後、歯科へ行く。

 工事の親分(?)は今日からキッチンが利用できると言われた。が、キッチンすべてに段ボールなどで覆ってあり利用できない。今は電気店で借りたIHヒーターで簡単な料理を作っているので急いで使わなくてもいい、と思ったり。

 昨夜、頭をかすめたことがある。それはパソコンの検索やブログ編集の文字をもっと見やすくしたいと。スマホでそのことを調べると見やすくなる設定方法があった。それはパソコンの設定から行えばいい。初めてのことで手探り状態でやっているといい具合になった。ということで、昨日のブログから文字を太字にしなくても見やすくなった。そして検索も楽にみられるようになった。眼が悪いことばかりを想っていたが、設定方法で眼の悪さも何のことはない、と思えた。と同時に何でも困ったときはスマホに問えばわかると、と改めて知る。

 ということでブログの編集も以前ほど眼をパソコンに近づけなくてもよくなった。嘆く前に調べてやってみる!?自分に言い聞かせる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年11月17日日曜日

システムキッチンの設置

 昨日は抜歯後の痛みが夕方まであった。歯を抜くとその日のお風呂は入れない。年中、お風呂に入らない日がないので今夜のお風呂が楽しみになる。これもささやかな幸せ!?そして歯を失くしたショックを(体のほかの部位は元気!)と気持ちを切り替える。気が小さいのでちょっとしたことに気を病む。(そんなことでどうするん?)とよく母に言われていた。これだけはいくら年をとっても変わらない。もっとおおらかな気持ちで過ごさないといけない。

 今朝は8時半からキッチンの取り付け工事が始まった。3人と工事請負人が来られて作業は今日中には終わるようだ。そして明日、キッチンが利用できるように給排水の業者が接続に来られる。これが終わると明後日からは大工仕事が本格的になるようだ

 工事も明後日から後半になる。あと10日余りで工事が終わる。その日を楽しみにしてもう少し辛抱しよう。工事が完成すればテーブルや椅子など買い替えの物色が楽しみになる!?
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!