敏々日記
2026年2月14日土曜日
「見上げてごらん夜の星を」フルート演奏
2026年2月13日金曜日
別府の旅その2
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| カニ足 |
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| ホテル11階からの眺め 山には残雪がある |
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| 血の池地獄 手湯 |
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| 血の池地獄 |
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| 血の池地獄 足湯に浸かった |
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| 龍巻地獄 間欠泉からまるで竜巻のように湯が上がる |
2026年2月12日木曜日
「見上げてごらん夜の星を」
アンコール曲は2曲あった。「見上げてごらん夜の星を」の演奏では2人が前に出て歌う。聞き終わるとなぜか涙が出た。それくらい感動する。最後はまたも勇壮な「軍艦マーチ」の演奏で終わる。この曲が終わる寸前に指揮者から順に会場に降りてくる。終わった後のロビーを見ると演奏者全員が2列に並んで見送ってくれた。これを見てまたも感動する。
毎日、楽しく遊んで暮らしている。こんな日々がいつまでも過ぎていけば何も言うことはない。しかし、ふと、「軍艦マーチ」を聞くと、平穏な日々がかき乱されそうに思えてもくる。これはなぜ!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2026年2月11日水曜日
別府の旅その1
2026年2月9日(月)と10日(火)の2日間、別府へ行った。別府へは何度か出かけている。が、今回は一人旅である。前日から今季一番の大雪とのこと。朝起きるとあたり一面、かなりの積雪がある。昨夜、帰宅後、新聞を見ると広島市中区で14cmの積雪があったとか。道理で自宅最寄り駅に到着後の道にはまだ根雪が残っていた。
1日目 2026年2月9日(月)
起床後、新聞を取りに出ると大雪だ。この雪では最寄り駅まで行くにも歩けそうにないと思い、急遽、トレッキングシューズを履いていく。自宅から最寄り駅までは5分の道だが滑らないように歩くとかなりかかる。駅に着くと数分おきにやってくる在来線の動きがない。駅員のアナウンスでホームを行ったり来たりしてやっと呉線に乗る。しかし、動きそうにない。広島駅での線路点検作業で信号待ちという。
待つのはいいが新幹線は9時5分発だ。通常だと数分で広島駅に着く。が、1時間も前に家を出ても信号待ちだ。やっと動き出した。しかし、広島駅到着は9時を過ぎている。新幹線乗り換え口で駅員に乗車券を見せるとひかり531号は25分遅れとのこと。なんとか乗車できた。小倉駅まで着けば小倉→別府間は指定席特急券ではないので遅れが出ても大丈夫だ。
別府駅に着いた。今回の別府行はほとんど予定を立てずに来た。観光案内所で別府地獄めぐりの案内などを聞くとそのコースは2か所ある。この日は海地獄からの5個所を回る予定を1か所はパスした。翌日は血の池地獄など2か所を回った。案内所の係は何人かいる。見たところインド系の外国人の係だった。が、赤と青の色鉛筆で印を付けてわかりやすく教えてくれた。そして宿の地図も受け取る。
バスに乗って海地獄まで行く。20数分乗車後、降車すると乗客は日本人とばかり思った。が、聞こえてくるのはハングル語だ。これにはちょっとびっくり。小さい子供を連れた家族連れが多い。一人旅をするようになっていく先々ではどこも一人旅のジジババが多かった。しかし、今回は別府が温泉地のためか一人旅は少ない。
1年前から寒い2月のこの日を自分自身の記念日として一人祝杯をあげようと決めた。昨年は日帰りでJRのパンフに掲載のフグを食べつくしに門司の三井倶楽部に日帰り旅をした。今年は日帰りでなく1泊2日の別府への旅だ。宿はネットで予約した亀の井ホテル別府。2食付きだが夕食も朝食もこれまで泊まったどのビジネスホテルよりも豪華だった。
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| 海地獄 |
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| 郭沫若非自筆詩碑 |
2026年2月8日日曜日
冷たい朝に
最低気温-2度の朝を迎える。昨夜から予測された交通機関の乱れは新幹線で遅れが出ている。最高気温は2度の予想で、明日の朝も-1度と低い気温になるようだ。こんな冷たい日に選挙がある。投票所は幸い近い。が、それにしても選挙が多すぎる!?ましてやこんな冷たい日によりによって選挙とは……。
昨日、短大時代のともだちに電話をする。要件は別のともだちの住所を聞くことにある。年賀状が出そろったころ、来年の年賀状に思いを寄せていた。どう数えても1件、はがきの住所が足りない。お供えを送った後、送られてきたはがきをなくしたようだ。まだ今年の年賀状が手元にあるうちに住所を教えてもらおうと電話した。
久しぶりにともだちと電話で話す。皆、年を重ねたせいか、体の不調を訴える。これだけならばまだいい。年々、年賀状の廃止をしなくても届く枚数が少なくなる。それには入院したり、あるいは亡くなった人がいるかもしれない。この年になれば自分のことで精いっぱいだ。他の人の様子をこちらからわざわざ聞くこともない。そう思うようになった。岸元首相は年寄りが元気で長生きするために「転ぶな、風邪ひくな、義理をかけ」の3つを唱えた。これは「義理をかけ」にあたるかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2026年2月7日土曜日
新鮮な生姜の効能
最近のネット記事に新鮮な生姜の効能がある。生姜は以前からずっと料理の際、刻んだりして使っている。生姜効果のはっきりしたことは知らずにいたが何となくよさそうなイメージはあった。以下にその効能をメモしよう。
★抗酸化物質が豊富に含まれているので生姜がコレステロール値を抑える
★天然の抗炎症作用
★悪玉コレステロールを減らすのに役立つ
★善玉コレステロールの増加に貢献する
★血栓の形成を防ぐ
★血糖値管理をサポートする
★消化機能を改善する
以上を見ると生姜はいいことづくめのようだ。これからも生姜をせっせと食べよう。
明日は気温が低くなりそうだ。日が照っているうちに買い物に行こう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2026年2月6日金曜日
『義経(下)』
『義経(下)』(司馬遼太郎 文藝春秋、2005年第11刷)を読んだ。図書館で借りた本だが、貸出期限が明日までだ。それも1度延長しているので何が何でも読み終えなくてはいけない。源頼朝と義経は兄弟だ。義経は父の仇を討つために平家を滅ぼす。そして兄を信頼するも最期は兄に騙されて自害する。本の末尾に書いてある「悪とは、なんだろう。」について考えさせられる。司馬遼太郎は少年のような心を持った人が好みだ。まさに義経はそれにふさわしい人だった。しかし、兄、頼朝は鎌倉幕府の運営に苦慮して政治的感覚のない義経が毒物以外の何者でもなかった。
本を読みながら源氏の子孫はどうなった?と思った。平家の子孫は「平(たいら)」や「平(ひら)」などといった姓で今でもある。その両方の姓の人を知っている。が、「源」は聞いたことがない。本を読みながらつい思ってしまった。そして面白くこの本を読んだ。
以下はこの本から気になる箇所をメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★この時代、義経のみならず、ひとびとの心は怨念ぶかくできている。怨念ぶかいことが、むしろ美しいとされていた。法師たちがひきあげたあと、梅のにおいがいきいきと闇のなかでいきづきはじめた。(これが、鞍馬のむかしのにおいというのか)義経は蔀戸(しどみど)をあげて縁に出た。庭燎(にわび)の火が、闇いっぱいの梅花を夢幻の精のように浮きあがらせている。炎が燃えさかるたびに花影がうごき、義経を恍惚へさそった。おもわず涙があふれた。(かならず怨念を)――晴らし遂げたい、と思った。怨念のうつくしさはそれを晴らすことによって完結する。晴らすとは平家を討つことであった。平家を討滅させることによって自分の生涯も、この闇のなかの梅花のごとくにあでやかに荘厳されるであろう。この若者は、中世に生きている。自分の生涯を美化したいという、ただそれだけの美的衝動だけで十分に死ぬことができる時代に生きていた。(83p-84p)
★義経が着想し、指揮し、実施したすべての戦術が平家を潰走せしめた。「あの若者が、な」と、後白河法皇には、ちょっと信じられなかった。色白で小柄な、どこからみても見映えがせぬあの若者のどこにそのような天才性が宿っているのだろう。その翌日、すべてがあきらかになった。そのうわさの義経が、平家方の首桶を先頭に京へ凱旋してきた。……義経といえば数年前までは流浪の子であり、きのうまでは無名の若者であったのが、きょうは神であった。戦争が、その変化を遂げさせた。戦争というぼう大な生命の賭け以外に、これほどの奇跡を現じさせるものはない。(122p)
★「月代御前だ」「匂うような名だ」月代というのは月が昇る前、山の端(は)がほのかに黄金色に色づく、その現象をいう。(174p)
★鯱(しゃち)は海にいる。犬は陸にいる。犬がいかに吠えようとも海の鯱にとびかかるわけにはいかない。陸軍しかもたぬ源氏は犬であり、強大な水軍をもつ平家は鯱であった。平家は瀬戸内海という広大な水域に大小数百の軍船をうかべ、中国、四国、九州の海岸地方を完全におさえている。犬である源氏は山陽道を駆けくだって本州の西端まですでに行っているが、いくさにはならない。(水軍をもたぬ以上、平家をどうすることもできぬ)と義経は思う一方、しかしながら騎兵集団を特殊使用することによって海上王国の平家を一挙に覆滅できるただひとつの方法を義経はおもいついていた。(それならば勝てる)と信じている。しかしながらすでに頼朝から司令官である資格をとりあげられている以上、どうすることもできなかった。……(たれもできぬ)という自負心が義経にあった。単にかれだけの自負心ではなく、歴史上の何者をもってきてもかれ以外にそれができないことは、後世の歴史が証拠立てている。(184p-185p)
★ほかにも捕虜になった者がいる。この一門では齢(とし)がしらである大納言平時忠でああった。平時忠といえば、むかし、平家のはなやかなころ、――平家にあらずんば人にあらず。という有名なことばを吐いてその栄華を一世に代弁した人物であった。(313p)
★義経は、この尊大な捕虜に対し、あくまでも自尊心を傷つけぬようにあつかい、しかるべき船をえらび、船室を清めてそこへ収容した。この処置に時忠は満足し、「あの小僧は分(ぶん)を心得ているらしい」と、その息子の中将時実にささやいた。(315p)
★白拍子とは、男舞(おとこまい)を専門とする妓女のことである。男舞というのは、女ながらに立烏帽子をかしらに頂き、白い水干(すいかん)、白鞘巻の太刀といった男装をし、絣のはかまをうがって舞い、かつうたう。そういう種類の歌舞は数十年前からあったらしいが、法皇などは、――白拍子の舞の創始者は磯の禅師。ということで記憶していた。……弦楽器を用いないのが特徴で、鼓、笛、銅鑼という拍子楽器を用い、それを伴奏とした。歌は流行歌謡(いまよう)である。おおぜいで舞うときには歌も合唱をする。この神泉苑での百人舞いがちょうどそれであった。(379p-380p)
★義経が都を去った四日後に、法皇はあれほどに寵愛しておきながら、義経の官位を容赦なく没収し、伊予守でも判官でもない、ただの九郎に堕としてしまった。さらに義経退去のあと九日目には、――義経こそ賊である。追討せよ。という院宜を法皇は鎌倉の頼朝に対してくだした。すべて頼朝への遠慮であり、配慮であり、朝廷という古典的権威をまもるためのやむをえざる処置であった。義経は、諸国の山河にかくれ、隠れては奔り、転々としつつ、朝廷と鎌倉から追跡され、ついに奥州の平泉まで逃げ、追いつめられ、最後に衣川の持仏堂に逃げ入り、自害した。その首が酒漬けにされて鎌倉に運ばれてきたとき、頼朝は「悪は、ほろんだ」といった。なるほど、国家の機能をあげて弾劾と追跡をうけた義経は、悪といえば類のない悪かもしれなかっ。が、「悪」ということばを頼朝の口からきいたひとびとも、それを漏れきいた世間の者も、また京の廷臣たちも、――悪とは、なんだろう。ということを一様に考えこまざるをえなかった。後世にいたるまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。(497p-498p)












