2022年8月21日日曜日

日本画教室で

 異常に雨が降る。そう思うのは自分だけだろうか。秋はいつ来る!?

 昨日は日本画教室の日。来月開催される日本画作品展の案内状を先生から受け取る。案内のメンバーを見ると例年よりも数人少ない。先生も生徒の皆さんも年々歳を取る。絵を習いにこれなくなる人もいる。教室の人も春から足腰の調子がよくないらしく教室を休まれている。絵を習い始めてもうすぐ丸9年になる。この間、亡くなられた人も何人かいる。途中で絵をやめるというよりも亡くなられてやめることが多いようだ。せっかく和気あいあいと習っている人が突然来られないと淋しいものである。

 相変わらず風景を描いている。教室の人は面白そうな絵を描いている。ご自身がクラシック・バレーを習われていたらしく踊っている写真を題材にして絵を描くという。写真を見るとまるでフラメンコダンサーのような格好でロングドレスをまとって踊っている姿だ。いつの写真?と問うと10余年前らしい。

 これを見て少々羨ましくなった。というのもいろんなことを習ってきたが残る習い事が体を表現するダンスだったからである。以前、写真を持参した人との某比較文化研究会で同席したことがあった。その中にバレー教室を主宰されている人がいた。その人の話を聞いているうち、大人のバレー教室に入りたくなった。数年前のことである。だが、元来、運動神経が鈍く歳も取っている。かなりやる気になっていたが諦めた経緯がある。昨日の写真の人を見て本当に体を表現できる人が羨ましかった。その人は、バレーはやめられたが今はオペラで舞台に立っておられる。

 絵のセンスもあり、昨年の秋ごろから長く休んでいた日本画を再開されている。来年の作品展にはバレーを踊っている写真の自画像を描かれるという。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月20日土曜日

金盞花の種購入

 午後は雨の予報だが、朝から太陽はカンカン照りだ。今日も暑くなりそうだ。今年になって 百円ショップで種を買ってコスモスと向日葵を植えた。どちらも花が咲く?と不安だった。コスモスはひょろ長く伸びて花にも勢いがなかった。が、向日葵は自分が出番とばかりに大きく伸びて3輪、大きな花を咲かせた。向日葵の葉っぱは大きいばかりで虫食いのようになる。それを一枚ずつ取ってゆくとそこからまた芽が出て小さい蕾をつけた。今はコスモスは処分し、向日葵を1本だけ残している。

 昨日、百円ショップに出かけて観葉植物用の土を購入した。ついでに花の種を物色していると金盞花の種がある。2袋100円で種を購入。我が家の庭は狭い。だが、何を植えても大きく育つ。レモンを切ったところにコスモスと向日葵を植えた。残る向日葵1本もそろそろ終わりそうなのでその地に金盞花を植えよう。金盞花は仏さん用の花のイメージがある。他の花の種を物色したが今一歩気に入らない。金盞花の種が1袋にどれくらいあるか見ていないが2袋植えれば少しは花を咲かせそうだ。

 種まきの時季は9月中旬から下旬とある。順調に育てば来春3月か4月には花をつけるとか。自分で種から撒いて咲かせるのはコスモス、向日葵に続いて金盞花が3度目になる。徐々に花を育てることが楽しみになるかもしれない。

 金盞花の花ことばは勤勉。来年の春分の日には金盞花をもってお墓参り!?種を撒かないうちからもう楽しんでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月19日金曜日

『街道をゆく』(四十二)「三浦半島記」

 『街道をゆく』(四十二)「三浦半島記」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1997年第7刷)を読んだ。「三浦半島記」とあるように鎌倉と横須賀を取り上げている。8月は原爆の日や終戦記念日などで戦争に絡む報道も多い。この本を読んで鎌倉幕府や先の戦争などが自分なりにわかってきた。

 とくに「鎌倉幕府がもしつくられなければ、その後の日本史は、二流の歴史だったろう」のくだりと「太平洋戦争というのは、その名のとおり、日本側が太平洋いっぱいに散在する大小の島々に兵力を拡散分駐させた戦争だった。私はこの齢になって、この狂ったような兵力分散の構想が、じつはただ一点、オランダ領東インドの石油を抑えるという主題から出ていることに気づいた」の個所、そして「陸軍の初年兵教育は、私の経験では、まず個人の名誉心や自負心を砕くところからはじまった。海軍は、どうやら個人という者を、多少でも残したようである。”海軍軍人はスマートであれ”というのが教育の基本であった以上、個々の名誉心が濃厚に残されていたといっていい」のくだりである。

 父が写った写真を見ると兵隊姿の写真がある。まだ若かりし頃に写ったと思われる写真に「新兵さん」と自らを記している。子供の頃、お酒が入るとよく軍歌を謳っていた。戦地に赴いた話は聞いていないが外地に行ったことはあるようだ。自分自身、今ほど先の戦争についての関心がなく親に当時のことを聴こうともしなかった。今となっては残念な気もする。

 歴史嫌いが大人になって近代史に興味を持つようになった。この頃は司馬遼太郎の本を読んで近代以前の時代にも関心が移っている。すべては司馬作品のお陰である。

 今朝は幾分涼しい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下はいつものごとく気になる箇所をメモした。

★律令制国家は、農地をふやすために、諸国諸郡に開墾をすすめた。ひとびとの欲望を刺激するために、墾田は、開拓者の永代私有とされた。……当時、鉄が高価だった。鉄製の農具や水利道具を多量に買える者が、逃散した農民たちを集め、山野をひらいた。……要するに、やがて武士とよばれる者どもは、墾田の農場主のことだった。律令制時代を通じての法のおかしさは、せっかく切りひらいた墾田の所有権が、その開発人やその子孫の所有にならなかったことである。……その管理人のことを、通称、武士という。武装して農地を自衛しているからである。(10-11p)

★平安中期以後、特に関東は、大小あまたの武士の巣窟だった。それぞれのうちの管理権を、懸命に守っていた。そのさまを、一所懸命といった。(12p)

★公家は、後生のために殺生をおそれ、数世紀のあいだ、死刑さえ廃してきた。一方、武家は人を殺す。それも自分の利益や面目のために殺すのである。ここで起こっていることどもは、八百十数年前のことである。その後、世々を経、倫理も鍛錬されて、そういうこんにちの目からみれば、武士の世は、悪漢小説(ビカレスク)に似ている。が、鎌倉幕府がもしつくられなければ、その後の日本史は、二流の歴史だったろう。農民――武士という大いなる農民――が、政権をつくった。律令制の土地制度という不条理なものから、その農地をひらいた者や、その子孫が、頼朝の政権によって農地の所有をたしかなものにした。(53-54p)

★登りながら、頼朝をひとことでいうと、”忍人”(にんじん)ということにもなるかもしれない。忍人というのは、わるい意味である。ただし、忍ということばは、儒教でも仏教でも、いいことばとされている。我慢する。なによりも、辱めから耐える。仏教では忍辱(にんにく)といい、儒教では、忍辱(にんじょく)という。忍という文字は、善と悪の両義性をもっている。耐えしのぶには、意志の力がいる。この意志力は、善である。しかしそれだけのつよい意志をもつ者は、いざとなれば残忍だろうということから、”忍人”という場合、平然としてむごいことができる人ということになる。むろん、悪人のことである。(163-164p)

★頼朝の、鎌倉におけるすべては、この八幡宮の造営からはじまった。神は、石清水八幡宮から勧請した。古宮の岩清水に対して鶴岡での殿者が若い。古神道では、神は若さをよろこぶのである。たとえば伊勢神宮では二十年ごとに木肌の初々しい社殿に神を移す。……それに、”古宮”である石清水八幡宮は、伊勢神宮とならび、平安朝以来、朝廷の二大宗廟とされてきた。くどいようだが、その宗廟を古宮とし、頼朝自身が拠って立つこの鶴岡を若宮とよんだのは、平安律令制に抵抗してここに武家独自の政権を樹てようとしたかれの望みに、いきいきと符合している。(201-202p)

★私などは、陸軍に身を置いた。……海軍懐旧者の場合、能を思わせる。舞台の上の翁は杖でかの海を指し、――いまは遥かながら、むかしわが身を托生せしかの日日は、あはれ、べつの星にてありしか、と謡うがようである。陸軍はちがう。……班長が下士官で、上等兵などの古参兵がいる。私的制裁が加えられるのも、この内務班においてである。私はそこに属しながら、刑務所というより、江戸時代の伝馬町の牢だとおもった。人間の誇りはみな剥ぎとられた。一年でも永くいた古年兵が、牢名手のように威張っていた。……海軍はその消滅まで、陸軍のように精神訓話をしないところだった。「海軍士官は、スマートであれ」というひとことだけだったという。(273-275p)

★太平洋戦争というのは、その名のとおり、日本側が太平洋いっぱいに散在する大小の島々に兵力を拡散分駐させた戦争だった。私はこの齢になって、この狂ったような兵力分散の構想が、じつはただ一点、オランダ領東インドの石油を抑えるという主題から出ていることに気づいた。日本海軍は、日本艦隊が二十数日走りまわれば備蓄石油が尽きるという欠陥を背負っている。……ところが、緒戦における南太平洋での成功が、陸海軍の作戦者たちを驕らせたかのようである。……日本がキスカ島やアッツ島にに無血上陸したのは、昭和十七年(一九四二)の六月である。島を要塞化するわけでもなかった。その後、補給がとだえがちになり、年が明けると、飢餓が色濃くなった。(338-340p)

★陸軍の初年兵教育は、私の経験では、まず個人の名誉心や自負心を砕くところからはじまった。海軍は、どうやら個人という者を、多少でも残したようである。”海軍軍人はスマートであれ”というのが教育の基本であった以上、個々の名誉心が濃厚に残されていたといっていい。(350p)

★横須賀の街を歩きながら、一掬の水ということを考えた。火事を消すのに、両掌で結んだ水をかけてもむなしいが、しかし敗色の濃いこの時期のひとびとはみなそのようにして命をすてた。そのきわだった例が、小松幸男兵曹長だったといっていい。(357p)

2022年8月18日木曜日

「想い出のサンフランシスコ」


 お昼はラジオを聴いている。しかしお盆などの時期は通常とは異なる放送となる。「昼の憩い」をNHKのFMで聞いていると今週は「エターナル」という番組に代わっている。エターナルを電子辞書で調べると「永遠の」とある。どおりで聴いたことがある音楽だ。2日前は「想い出のサンフランシスコ」が流れる。なぜか英語歌詞なのに最初の出だしは覚えていた。

 コロナ禍になって話す機会が減った。これはいけないと思って気になる歌を原語で覚えて口を動かすようにした。これまでケ・セラ・セラ、その名はフジヤマ、黒い瞳のNatalie、夜来香などを暗唱している。次は「想い出のサンフランシスコ」を覚えよう。YOU TUBEで探すと英語歌詞の歌があった。歌詞はネット上の掲載を引用しよう。そして、しばらくはこの歌を暗唱できるまで練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

「想い出のサンフランシスコ」

(Verse)
The loveliness of Paris
It seems somehow sadly gay
The glory that was Rome
is of another day
I've been terribly alone and forgotten in Manhattan
I'm going home
To my city by the Bay..

(Chorus)
I left my heart
in San Francisco
High on a hill, it calls to me
To be where little cable cars
Climb halfway to the stars!
The morning fog may chill the air
I don't care!

My love waits there
in San Francisco
Above the blue and windy sea
When I come home to you,
San Francisco,
Your golden sun will shine for me!

2022年8月17日水曜日

テレビでナイター観戦

 昨夜は久しぶりに楽しくテレビで野球を見た。スタメン起用の選手や監督がコロナに感染し、急遽、数人がスタメンに入った。いつもは代打での出番が多いとテレビを見ていても面白くない。昨夜はスタメンと知ってテレビの試合中継開始からテレビにくぎ付けになる。この時点で何と既にホームランを打っている。これは面白そうと思った。1打席目はホームラン。2打席目は安打。3打席目もホームラン。4打席目は?と思ったら大きなライトフライだ。

 テレビ放送は午後10時まである。昨夜は途中から雨が降る。せっかくホームランを打ったのに雨で試合中止とならないようにと思いながらテレビを見る。最後まで試合ができた。さあ、次はヒーローインタビュー。案の定、森下投手、矢野選手、堂林選手の3人がヒーローインタビューに登場した。話を聴いていてもなんと気分がいいことか。

 試合は今夜もある。が、お天気が気になる。今朝までの雨の降り方は尋常ではなかった。ただ、気温は久しぶりに30度を超えないらしい。とはいえ蒸し暑さは残る。

 自分自身が勝ちの人生を歩んでいないせいか、勝負事は好きではない。と言いながらも選手が活躍する姿を見るのはいい。それも常に第一線で活躍する選手でなく、ひたむきに出番を待って頑張る選手が好きだ。その点、昨日は最高の試合だった。選手の活躍がファンを元気づけてくれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月16日火曜日

日本水彩展を見に行く

 先日、日本水彩展の出品者から招待券が2枚送られてきた。日本画教室の人に展覧会を、と誘うと見に行くとのことで一緒に出かけた。展覧会は八丁堀の福屋で開催中。11時に会場で待ち合わせの予定が早く福屋に到着した。デパート内に入ると次の入口で人が待っている。なぜと思って入り口の掲示を見るとオープン時刻は10時半だった。開店までたくさんの人がいる。この頃は街中へあまり出かけないのでデパートの開店時刻さえ知らずにいた。早めに行って店内をウロウロしようと思った魂胆は見事に外れてしまった。

 展覧会入り口で友だちと合流し絵を見る。お盆というのに絵を見る人が多い。入場券を送ってくれた人、送ってもらうことを教えてくれた人、出品する人などののほかに目録で知っている人の絵を見て歩く。絵を見ただけでは日本画、油絵、水彩画とほとんど区別がつかない。ただ、水彩画はあまり抽象画がなく見ていてもわかりやすい。初入選者の名を見て以前、コーラスで一緒だった人だと気づく。お祝いの電話を、と思ったら電話番号を削除していた。この人とは数年前に合唱の会長夫妻と数人で青森を旅行したことがある。その時に宿は会長宅とほかにホテルに泊まった。その時一緒だった人の絵もある。

 青森旅行は絵を描くのが目的だったが、当時は絵を描く楽しみが判らず遊び半分で旅行した。その時、同行の人たちは皆さん、旅行先でスケッチをされていた。それから後の初入選はきっと喜ばれているに違いない。

 絵を見た後は友だちとお昼を食べる。外は暑いのでのでデパート内の和食のお店を探す。友だちが行きつけのお店は待っている人が多い。仕方なくほかのお店へ行く。空いていた。食事後、お客が少ない意味が分かった。美味しさが違うようだ。その後はティータイム。久しぶりに老舗の朝日ティーサロンへ入る。このお店は半端なく長く営業されている。久しぶり、というか何十年ぶりで入ると店内の雰囲気は以前と変わらず落ち着きがある。

 珈琲を飲んでもこの頃はティーカップで珈琲を出すお店も少なくなった。ところがこのお店はカップからして雰囲気がある。ケーキセットを注文。昭和のレトロ感満載のお店だ。外が暑いので2人で長居をしてしまった。

 いつもはひとり行動が多い。久しぶりに友だちと一緒の行動で話も弾む。さすがに草臥れたのか、というかお腹もいっぱいで早めに寝る。ただ、食事中や話し中にマスクを外していたので(気づいたときはマスクをつけたが)、寝るころになってコロナが気になる。今のところ大丈夫のようだ。それにしても連日の蒸し暑さ。今日は特に暑い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年8月15日月曜日

明かりを灯す

 先日塔婆を取りにお寺へ出かけた際、リーフを2枚いただく。うち1枚に「お盆と花火」と題した記事がある。文の始めに「明かりを灯してご先祖様をお迎えしましょう」とある。お盆のこの時季、各地で花火大会が催される。この頃はコロナ禍で例年行われていた花火大会が中止のところもある。この花火、記事によると「死者への慰霊、お盆の迎え火・送り火としての意味がある」という。打ち上げられた花火は華麗に夜空に咲き誇ったかのように思えば一瞬にして消えてゆく。その様はとても美しく、とても儚かないものだとか。それはまるで人生のように。

 またお盆には明かり(灯火)がつきものとか。これには迎え火・送り火・盆提灯、精霊棚ののロウソク、鬼灯(ほおずき)、花火などがある。これらの明かりを目印にしてご先祖様がかえってこられるという。そのためにも心の明かりを灯そうと……。

 父が亡くなって30年が過ぎた。亡くなった後のことは何もわからなかった我が家はお寺で紹介してもらってお墓の建立、仏壇の購入などその年に一気に済ませた。仏壇を購入する際もお店の人が言うままで盆提灯や仏前に供える食器などの道具一式も購入した。ところが盆提灯は母が健在だったころはお盆になると飾っていた。それも今はしまい込んだままで出そうという気力さえもない。食器に至っては買った時のままである。

 何もかも簡素にしすぎた感はあるがそれも仕方ない。お盆の法要もやめてしまった。ただ、せめてもの供養は毎月、命日にお墓参りをするくらい、と雑になっている。

 お盆に鬼灯が花売り場にあることや盆提灯の意味も記事を読んでわかった。一昨日、この記事を目にしたとき、開かずの仏壇を開けてお供えをし、明かりを灯した。普段は仏壇の前にある小さな机にお水などを供えている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!