2019年9月7日土曜日

『西域をゆく』&迷惑メール

 先日の天気予報では、この先1週間は雨の日が続きそうだった。ところが、雨は降らず、真夏の暑さが戻っている。昨日の最高気温は34,5度で今日も34度と気温が上がりそうだ。昨夜は一晩中エアコンをつけて眠る。朝5時半ころ、寒くて目が覚めた。

 昨日と言えばお昼ごろから夜9時近くまで携帯電話に迷惑メールが頻繁に入る。これまでなかったことなので、はじめのうちは誰から?と気にしていた。ところが先月末頃にドコモから注意を促すSMSが入る。それを改めてみると、削除するようにとのこと。削除するのはいいが、迷惑メールが入るたびに音が鳴って耳障りになる。寝る前、ふと気づく。マナーモードにして受信時に振動音をさせなければ、安眠障害にならずにすむ、と。そうやって安心して眠る。今のところは何も入ってこない。

 こんなことで気を迷わされると携帯電話もいらない、と思ってしまう。これは、パソコンの場合にも感じる。ちょっとでもパソコンの不具合を感じると精神的なダメージが大きい。パソコンや携帯、ほかにも固定電話、電気製品等等、あらゆる機器を自分で処理しようとするから無理があるのかもしれない。

 文化や文明が進歩・進化すればするほど便利さは増していく。その反面、いざ壊れたり、アクシデントが起きれば厄介なこと、この上ない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ぎ署ましょう!

 以下は先日読んだ『西域をゆく』(井上靖 司馬遼太郎 文藝春秋、1998年)の抜粋。

★「写真なんか、何でもありませんよ」と以前の中国旅行のとき、一部玄人筋から素人名人といわれる井上靖氏から伝授された秘伝がある。箇条書きふうにいうと、同行者は写さない、自分が欲する景観のみを写す、距離を無限大に固定しておいて六メートル以内のものを写さない、夕刻、陽がかげるとさっさと写真機を蔵ってしまう、という。自己を見切っているという点でまことに担力に富んだ秘伝で、氏の思想、文学、もしくは人生への態度と重要なかかわりがある。ともかくも私はこの方法に遵(したが)うことにした。(「新疆ウイグル自治区を訪ねて」司馬遼太郎、40p)

★おっしゃる通りだと思います。朝鮮半島はゴールドの文化で、いわば貴金属といというのを大事にしますが、中国の場合は玉(ぎょく)ですね。やはり玉が最高です。漢民族というのは貴金属への感受性というか、関心は薄いですね。(「西域への夢」司馬遼太郎、66p)

★あんな塔を日本で造っても、どうしようもないと思いますが、しかし、中国にはあのようなビルみたいな塔が似合いますね。韓国には石の塔が多いし、日本では木造の塔を置くのが、どうも相応しいように思います。(「西域への夢」井上靖、69-70p)

★……(注:新疆自治区の踊り)さらに踊りを見ていて、私はハッと思ったのは、朝鮮の農民の踊りと似ているんです。みんな三拍子で踊っていましたが、朝鮮も三拍子です。日本や中国は、二拍子、四拍子でしょう。しかし、朝鮮半島だけは三拍子なんです。(「西域をゆく」司馬遼太郎、130-131p)

★旅順には家があったからです。つまり、光瑞さんは京都から放りだされて、出土品を置いていたニ楽壮を久原房之助に売るわけです。そのまえに、自分の蔵書や出土品も旅順へ持っていって、そこに住みつきそうな態勢だった。
 ぼくらが昔、聞いたところでは、日本政府が貴重品として輸入税をかけるというので、自由港の大連に持っていった、というのです。しかし、日本で長いこと研究しているんだから、どうも話として落ちつかないところがある。それは、つまり反光瑞系の人から聞いたので、どうも本当ではないようですね。
 そして、光瑞さんが旅順にいるときに、ある日突然、中央アジアというか、西域にたいする関心がなくなって、出土品をせんぶ博物館に引き渡して――はじめは寄託のつもりだったらしいけれども――上海へ行ってしまった。どういう事情があったか、よく知らないけれども、ともかく、旅順にあるのは、そんな経緯です。(「西域を語る」藤枝晃、147p)

★二回の旅に於いて、私たちは毎日のように話した。昼も夜も話した。東洋の古い歴史について、民族について、その運命について、自分ながらよく倦きないとおもうほど話した。……本書の内容は、その二回の旅の所産と言えるかも知れない。今になって思うと、話すべきであって、話してないことがたくさんある。そのことのためにも、司馬さんと三回目の旅をしたいものである。東洋なら、どこでもいい。(「あとがき」 井上靖、229p)

★ドイツの地理学者リヒトホーフェンが、「シルクロード」と名付け、以来、日本人にロマンを与えた。新中国建国後、日本人として七十年ぶりにチャンスが訪れた、両先生の千載一遇の喜びが対談に滲み出ている。(「解説」平山郁夫、242p)

★「四十年かけて、ここまで歩いてきたようなものだから、草臥れた」ホータンについた日、二人は昏々と眠った。少年のころからの憧れの地を踏んだ作家達は何を見、何を感じたのか。同行した両氏が旅の興奮さめやらぬままに語った、それぞれの「西域」。東洋の古い歴史から民族、そしてその運命へとて熱論は続く。(「解説」平山郁夫、本の裏表紙から) 

2019年9月6日金曜日

楽器&中国語etc.

 昨夜BS11を見ているとジャズ・クラリネット奏者の北村英治が出ていた。何と御年90歳。テレビを見た後、ネットで確認するとやはり90歳だ。他の出演者である菅原洋一や八代亜紀に負けず劣らず、声がはっきり出ている。そして姿勢もよく、どう見てもこの御年には見えない。背広姿で吹くクラリネットはリズム感にあふれ、見るもの、聞くものをひきつけてやまない。ネットでこの人の記事を検索すると「ジャズ・クラリネット奏者の北村英治『100歳まで吹くため、年下のクラシック奏者に基礎を習った』」とある。

 以下はその記事の一部。

★「100歳まで吹き続けるには、基礎から学ぶ必要がある」と、50代の時に年下のクラリネット奏者、村井祐児に弟子入りし、クラシック音楽を学ぶことを決意する。……最初、モーツァルトか何か教えてくれるかと思ったんですけど、それが全然違って、『蝶々(ちょうちょう)』を吹かされました(笑)。アタマの『ソミミ ファレレ』だけですよ。『発音が悪い。音が崩れている』と言われて、次のフレーズの『ドレミファソソソ』までいくのに3カ月以上掛かりました。初めは冗談じゃないと思ったんだけど、この先生を逃したら他にはいないと思ったんですよ(笑)」

 村井先生との出会いによって、クラシックの世界とも交流が生まれ、現在はクラシック音楽をプレイする機会も増えている。

 「クラシックは決められた通りに吹く必要があるので、誤魔化しがきかないんですよ。でも、その中でいかにうまく歌うか……、そこが魅力でもあるんですよね。ジャズの方は楽しみながらできるけれど、クラシックは楽しんでいる余裕がないんですよ(笑)クラシックが楽しんで吹けるようになるには100歳過ぎないとダメかなと思います(笑)」
https://dot.asahi.com/wa/2016051200125.html?page=3(参照)

 この記事、よくわかる。フルートを習う前、いろいろな楽器を習った。ギターを習ったのはクラシックだった。だが、先生は音大で学ばれていない。その後にエレクトーンを習う。これは結構長く習ったが、自分自身が大人になって習い始めたので音楽の基礎がなっていない。いくら習っても音楽の基礎がないと進歩しない。そう思ってやり始めたのがクラシック音楽のフルートだった。まさに北村英治がクラシックの先生について習い始めた時のように、楽器を持つより前に息の仕方から学んだ。ちゃんと音が出るようになるまでに何年かかっただろう。やっとこの頃、いい音が出ている、と先生に言われるとうれしさも半端ではなくなる。

 元来、肺活量が少なく、自分としては大枚をはたいて最初からいい楽器を購入して吹けるようになるのだろうか、と心配した。何事もまずは格好から、との思いがある。惜しまずにそれなりの楽器を買えば習い事も長く続く。そう思って楽器を購入した。そのフルート。27年経過してもまだ習い続け、吹き続けている。

 北村は「クラシックは決められた通りに吹く必要があるので、誤魔化しがきかないんですよ」という。これも全く同感。フルートを習うお陰でクラシックにも目覚めた。

 それにしても北村英治の音楽を生で聞いてみたい。来週もテレビに出るそうなので見るのが楽しみだ。

 話は変わって、連日の暑さは真夏に戻った感じだ。笛を吹いたり、本を読んだり、と家の中で過ごす時間が多い。その暇に、ごついアルバムを2階から1冊ずつ持って降りて写真を取り外す。昨日までに計4冊、アルバムから写真を外した。大半は覚えているけど、意外な写真もある。昨日、アルバムから外した2枚の写真がそうだ。1枚は真理アンヌとのツーショット。この人が好きで撮ったのではなく、某イベントに参加して写った。ほかの1枚は、県庁で4か月、バイトをしたことがあり、その時の御用始めに務めていた課で撮った集合写真。男性ばかりに交じって写っている。今見ると、背広姿のいかつい顔の人たちの中でよくも一緒に写っていると我ながらあきれる。

 そのうちの1人は今も現役で某市長をされている。そしてもう1人はそれから30数年後に某交流学会で会った際、声を聴いて誰だかがわかった。男性の変わりようは眼を見張るものがある。とは言いながらも人から見れば自分自身も老婆になっているのだけれど……。まあ、この際、自分のそれは忘れよう。

 ほかにも写真を見るといろんなことを思い出す。我が家へ人を連れてきては一緒に写真を撮っている。今は交流がない人たちも多い。戦後すぐの生まれなので幼児のころの写真は少ない。それも白黒写真でセピア色になり、破れそうになっているのもある。とりあえず、このうちの数枚をデジカメに撮り直す。小・中学校時代も写真が少ない。高校になると部活動で学校の文化祭に出た、はかま姿の写真がある。これも数少ない貴重写真。とはいっても高校になると写真も進歩したのか保存状態はいい。短大時代は外部の大学生と所属する部の合ハイ(今の合コン?)や専門の資格取得のために4か所で実習した際の写真がある。働き始めると俄然、旅の写真や習い事で写ったのが多い。当時は泳げなかったにも関わらずよく海に出かけている。貴重な水着姿の写真もあった。

 習い事の究極は中国語。1982年に中国語を習い始めた。中国にいた人や帰国者に交じって若者は私ともう1名の女性の2名だけ。ここから自分の人生再スタート、という感じは否めない。海外にも目覚め、知り合えないような人たちとも知り合うようになった。

 人生の岐路、ということばがある。まさに自分のそれは中国語を習い始めたころかもしれない、その1年前に水墨画を習っている。それが中国への関心へとなったのだろう。そういえば、水墨画を習っていた時の写真も1枚ある。このころからよく飲み、よく食べ、よく遊び、になっていく!

 しばらくというか、当分は何十冊かのアルバムから写真を取り外す作業が待っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年9月5日木曜日

新聞の訃報記事

 今朝の地元紙で池内紀の訃報を目にする。まだそれほどの御年でもないのに、死因が書いてない。気になって検索すると毎日新聞が虚血性心不全と報じている。これはいわゆる突然死になるのだろうか。

 池内紀の講演会に2度出かけている。いずれも場所は西区の泉美術館。1度目はもうかなり前になる。NHK・FMの日曜喫茶室のコメンテータとして出演されていた時だ。池内紀を知ったのは氏が東大を55歳で退官される記事だった。その新聞記事は例の自分の気に入ったノートに切り抜いて保存している。地位や権力を好まれなかった。この記事を見て素晴らしい人間性に惹かれた。専門のドイツ語とはまったく無縁ながらも泉美術館に出かけた。講演会の後、場所を館内の喫茶室に移されて講師を囲む会が催された。全く関係ないにもかかわらず、厚かましくも隣に座り、日曜喫茶室での話を聞いたりした。そして、池内氏の本の裏表紙にサインをしていただいた。このサインは自分自身の名前を聞かれて、ご丁寧にもその4文字に挿絵も描いてサインしてくださった。それ以降、さらに、氏のファンになる。

 2度目は2年くらい前になるだろう。同じく泉美術館で開催された講演会だった。講演会場は美術館の会議室で以前の時よりも広い会場だった。盲目の人たちが美術を鑑賞する。それはもっぱら彫刻。今、自分のブログを検索すると講演タイトルは「彫刻家セカールのこと」だった。なんと以前、池内氏の話を聞いたのもセカール、とブログを検索して知る。なお、1度目の講演会は2002年で、2度目は2017年。3度目の講演会は残念ながらもう行かれない。

 ドイツ文学者であり、エッセイストでもある池内紀。エッセイには山や旅の話が多い。山も旅も好きなのでよく読んだ。今もまだ図書館で予約している本がある。それは『すごいトシヨリBOOK 』。読者が多いのか、なかなか順番が回ってこない。

 本を読んでその人となりを知り、いい人だと思う。特に、自分よりも年長者で見習いたいと思う人のエッセイをよく読む。亡くなられるとダメージが大きい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年9月4日水曜日

『大人の水泳』

 図書館のHPから新刊予約を検索する。最近は予約する本も司馬作品が多い。そのため、それを読む方に気を取られて新刊の予約がおろそかになる。最大20冊まで予約可能であっても今は予約12冊。司馬作品が多すぎて、読む本がなくなりそうにない。それでも先日、新刊検索で見つけた『大人の水泳』(日本文芸社、2019年)を借りる。今更水泳の本を読まなくても……と思うが、それでも少しでもうまく泳げれば、としばし借りてきた本を眺める。水泳には4泳法ある。だが、クロールと背泳ぎは泳いでも平泳ぎとバタフライでは泳げない。

 泳いでいるクロールと背泳ぎもリカバリーというかストロークというか、水を掻く手の回数が多すぎる。これを何とか少なくしようとプールに行くたび、試行錯誤する。だがうまくできない。そこで本の登場となる。いくら読んで、またたとえ頭で理解しても所詮、これは机上の空論。うまくなりそうにない。もう一度先生について習えばもっと早く、かっこよく泳げるのに……と思ったり。とは言いながら、長く泳いでいるから、このまま続ければいいじゃない、と思ってみたりする。

 水泳の長続きのポイントを読むと以下のように書いてある。

★まず、何事も「これなら自分にもやれそうだな」という前向きな気持ちを持って取り組んでいること。そして練習をつめこまず頑張りすぎずに、マイペースで練習していること。さらに、人それぞれ個別性があることを理解し、自分のレベルにあった練習に取り組めること。最後に、水泳は楽で良いんだと気づけていること。これらをしっかりと理解できている人は必ず長続きします。

 これを読んでなんとこれはすべて当てはまると思ってしまう。長続きする所以かもしれない。さらに続く。

★水泳にはストレス解消や疲労回復効果も期待できます。上手に泳ぎたいということばかりにとらわれず、ラクな気持ちで取り組んでみましょう。やがて「しばらく泳がないと気持ちが悪い」といった感覚を体験できるはず。そうなってしまえばこっちのもの!あなたも立派なスイマーの一人です。48p

 これを読んで、おお、自分も立派なスイマー!?と思ったり。どういっても長く泳がないと泳ぎたくなる。振り返えると運動音痴の水泳歴は30数年を経過した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年9月3日火曜日

『手掘り日本史』&プール

 雨も上がって気温も真夏並みに戻りそうだ。昨日午後はプールで泳ぐ。気温は低くても連日の雨で蒸し暑さは半端でない。自転車を降りて更衣室に入ると体中から汗が噴き出る。水着に着替えてプールに入るが水が冷たい。暑いじゃ、冷たいじゃ、と言っても何も変わらないはずなのに、つい口から出てしまう。

 泳いだ後の更衣室。しばらくは涼しさを感じる。それも10数分経過すると元の暑さに戻る。そういえば昨日、雨が上がったにもかかわらず小学校は休校になったそうだ。朝方、警報が発令されたことによるらしい。

 以下は『手掘り日本史』(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年新装版)の抜粋。司馬遼太郎が小説を書く理由がこの本からも分かってくる。そして小説に取り上げる人は司馬が人格的にも好みで邪念がない人のようだ。読む側にもそれが伝わる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私は、史観というのは非常に重要なものだが、ときには自分のなかで、史観というものを横に置いてみなければ、対象のすがたがわからなくなることがある、と思っています。史観は、歴史を掘り返す土木機械だと思っていますが、それ以上のものだとは思っていません。土木機械は磨きに磨かねばなりませんが、その奴隷になることはつまらない。歴史を見るとき、ときにはその便利な土木機械を停止させて、手掘りで、掘り返さなければならないことがあります。116p

★私が小説を書く人間になってほんとうによかったと思えたのは『国盗り物語』や『竜馬がゆく』『峠』を書いたときです。人間はいつかは死にますが、そのときの「遺書」のつもりで書きました。日本人とはいったい何者か、というのが一般的テーマなんですがね。自分が日本人について考えたことを小説にして残しておきたいというはっきりとした意図で書いたのが特に『竜馬がゆく』と『峠』です。日本の現状を悲憤慷慨するとか、将来を憂うといったことではなく、幕末以来の短い間にずいぶん激しい変遷をへてきたのは、いったい何事であるか、またその中の日本人とは何者であるか、ということが非常に知りたかっただけです。そして、自分でわかった部分ができ、そのわかった部分で書いたのが、先ほどの二つの作品なんです。これら、『殉死』も入れて、自分で好きだ、といえないくらい自分の気持ちがこもっているんです。212-213p

★「手掘り日本史」では、したがって、司馬氏の個々の作品を手がかりにはしながら、主としてこの作家の”歴史を見る目”について語っていただいた。司馬遼太郎の文学を読む一助になれば、ということからである。何よりも私自身がこの作家との”対話”の機会をもちたいと願い、それをこういう形で実現させたということであろうか。(江藤文夫 解説、227p)

2019年9月2日月曜日

本とアルバム

 昨日の続きになる。白木山は昭和53年に登っている。40年前ではなく41年前に訂正。今朝、ふと思い出す。先ほど2階に上がって確かめる。まさに41年前(1978年)から読んだ本の気に入った個所をノートに記している。その最初の頁は植村直己の『青春を山にかけて』。この歳くらいから自分自身、何かを感じていたのだろう。それ以降、読んだ本の抜粋をノートに書きとり、コピーが普及しだすと気に入った個所をコピーしたり、新聞などは切り抜いて保存した。それも10年前からブログにアップしての保存になった。自分が読んだ本や新聞の抜粋はまるで自分史になりそうだ。アルバムは整理して写真を捨てても読んだ本を抜粋したノートとコピーとブログはほったらかしにできそうにない。

 いつの日か、この3か所の保存を1か所にまとめたいとの気持ちは以前から持っている。だが、今は司馬遼太郎の本にはまり、そこまでの心の余裕がない。いつか、きっとまとめよう。そうなるとやっぱり150歳まで生きないと無理かも……。

 昨日、清岡卓行の『清岡卓行大連小説全集(上)』の中から「アカシアの大連」、「朝の悲しみ」、「フルートとオーボエ」を読んだ。「アカシアの大連」だけを読もうとしたら「アカシアの大連5部作」となっている。それなら5部作品を全部読もう、となった。あとの2作品は「萌黄の時間」、「鯨もいる秋の空」。今日はこの2作を読もう。

 読んだ3部作のうちで驚くことに気づいた。というか音楽好きは誰もがみな知っていることかもしれない。つぎのフルートのレッスンで先生に聞いてみよう。

 ここで余談。子供のころは近くの貸本屋に行って本を借り、近所の子供たちが本を回し読みしていた。今は、近くに図書館もできて本当にいい時代になった。それでも図書館で借り始めたのはそれほど前のことではなく、それまでは本を買って増えるのが嬉しかった。ところがそうやって集めた本も10余年前に何百冊かを古本屋に引き取ってもらった。当時の金額でそれは3000円だった。だが、ほかにもたくさん専門書などがある。これらは自分がいなくなれば誰も興味を示さないだろう。

 何もかも整理しようと思えば無理がある。すぐに亡くなるわけでもない。生きている、ということはモノがあふれて当然だ。本とアルバム。この2つの整理は多分、生きている間中かかるだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年9月1日日曜日

「果報は寝て待て」

 昨夜、姪に電話する。その後がいけなかった。電話機のディスプレイの文字がいつもの表示と違って、訳が分からなくなっている。さあ、これからが大変。いろいろ試すが埒が明かない。昨年の豪雨災害の後、表示が変になっている。その時はどうした?と思い出すが思い出せない。ここでネット検索。電源を外して数秒後に入れるように、とある。だが、思うようにならない。これを何回も試すが草臥れ始める。もう寝よう、と寝るが、気になる。もう一度電源を切って試す。駄目だ。

 あきらめて寝ようとするといつもは電話がかからない固定電話も旅の添乗員などからかかってくることがある。その時は……とか、新たな電話機に買い替えるときパソコンとつないだモデムはどうやる?などいろんなことが頭をかすめる。まあ、その時は…と思い直して寝ることにする。途中、トイレに行くため目を覚ますと電話機の表示が寝る前とは違っている。とりあえず、そのまま再度寝る。朝、起きると表示がまともだ。寝ている間に修正されたのだろう。

 なんでもすぐに解決しないと気が済まない。これもいいようでよくない面がある。いいのは解決しないモノ・コトがないこと。そのため心配がない。ところがいざ問題が起きるとすぐに解決を求めてしまう。これがよくない。「果報は寝て待て」と肝に銘じよう。

 話は変わって、1か月くらい前に2階の部屋に出しっぱなしにしているアルバムがある。このすべてのアルバムから写真を外して要るものだけを残して処分しようとした。ところが、連日の暑さと雨の日続きでそのままにしている。昨日、午後、雨も上がったようなので窓を開けて空気を入れかえに2階へ行く。そのうちの一番ごついアルバムを手に取って写真を外していく。これが簡単には外れない。覚悟を決めて外していく。幸い、部屋に風が入って気持ちいい。

 とりあえず、1冊ほど写真を外した。外す途中、白木山に登った写真がある。某公社でアルバイトをしていた時、データ部の人たちと登っていた。今から41年も前(昭和53年のこと)のことだ。ブスはブスなりに若い時はかわいい、と自分でそう思って写真を見る。なんと10数人くらいの集合写真の真ん中に陣取って写っている。このくらいの年代から徐々に自分らしさが出ていくのだろうか。人に誘われればどこにでも出没する自分がいる。山へ登った自信がそうさせる!?姪と昨夜そんな話をする。

 41年前のことで思うことがある。今、楽しくやっているモノ・コト・ヒトはそれ以降のことだ。中国語、自転車、水泳、フルート、日本画、そして海外旅行等等、楽しんでやっているのは36年前からのことである。41年前から37年前までのこの4年間にやることがすべて変化している。今、改めてそう感じる。何がそうさせたのかは今となってははっきりしない。徐々に自分自身が変化していったのだろう。

 17年前に会社をリストラされた。それから9年間は旅とは無関係に過ごす。その後の8年間(母が亡くなってから)は遊んでばっかりいる。遊びの中の大半は旅。この8年間の旅は写真を紙で保存しないのでアルバムはいらない。ただ、SDカードさえ持っておけばいい。というか、今は写真もブログという手段で保存している。といっても自分の写真はほとんど写さない。そういえば以前の写真は人物中心で、風景は写していない。姪曰く「ブログ用に風景を写している?」。そうかもしれない。

 アルバム整理は時間を要しそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!