2019年1月9日水曜日

2019年フルート・レッスン初め

 

 さらっていたグリンカの🎵ノクチュルヌ別れ🎵を終えて今日からドルドラの🎵セレナーデ🎵の練習に入る。これを動画にアップしようと検索する。だが、フルートの演奏は思うような動画がない。動画を見ていて耳障りとなるのは聞きたくないし、また見たくもない。ということでフルート以外の演奏をアップしよう。

 この曲は曲の初めのメロディーが途中で変調後、また元の調に戻り、それから最後まで続く。何度もある”タッ、タ、タ、ター”は軽やかなリズムで春に相応しい曲だ。ともあれ、練習しよう。

 レッスン後、忘年会で話題になったフグのコース料理を食べる件は、来週、予定通り開催されるという。もうすぐ大寒がやって来る。この季節はやはりフグ。楽しみ!

 先生宅を後にして広島駅前にある福屋に立ち寄る。まずはカフェで一休み。その後、1階の財布売り場を見て歩く。同じ財布なのに価格が違う。係りに聞くと片方は値下げの値札をし忘れているらしい。それは買わずに、先に気に入った他の財布を購入すると係りは胡子神社の福銭を入れてくれた。これで今年の金運は大丈夫!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月8日火曜日

2019年泳ぎ初め

 大連に行く前に『地球の歩き方』の大連編を読んだ。その中で紹介された本に夏目漱石の『満韓ところどころ』がある。漱石の時代の本は著作権切れとなっている。そう思ってネットで無料で読もうとした。パソコン画面で数頁読むと紙の本を読むのと違って読みづらさは半端でない。とりあえず保存して大連に出かけた。数頁ほど読んだだけも中村是公のキーワードを覚えていた。これだけはツアーの皆さんと話が合う。紙の本を、と話題にすると漱石全集に入っているのでは、と教えてくれた。先日、早速、図書館の蔵書を検索すると『漱石紀行集』に入っていた。昨日は『坂の上の雲』を中断して、借りてきたこの本を読む。この時代の漱石は朝日新聞社の記者であり、中村是公から誘われて満州国周辺に出かけている。中村是公は満鉄の総裁。漱石はそれを「是公」と呼び捨てにする。毎晩のように是公主催のパーティが催される。良き時代の満州だろう。まだ3分の1しか読んでいない。

 漱石といえば今朝の地元紙に旧制高等中学時代の成績表が見つかったとの記事がある。漱石の恩師が手帳に記していた。「吾輩は成績優秀である」そうだ。その中に子規の成績も記されている。『坂の上の雲』は子規や漱石の話題がある。この2人は東京大学予備門時代に共に学んでいた。

 たった4日間、大連に行っただけでいろいろと関心が広がる。今読んでいる漱石の本には(他の漱石の本もそうだけど)読めない漢字が出てくる。昨日は「抔」がある。ルビは「など」とついている。これが「など」、と改めて辞書を見ながら読む始末。漱石の本でさらに満州というか大連に関する興味に弾みがつく。

 話は変わって昨日午後は2019年の泳ぎ初め。お天気も良く、自転車に乗っていても寒さは感じられない。さらにプールに入るとまるで温泉のように温かい。いつもの優しい女性から声をかけられる。その人も泳ぎ初めらしい。浅いプールでクロールで泳いでいると隣で泳ぐ人と速度が同じだ。こうなると自然に負けまいと思うのか泳ぐピッチが上がる。だが、そうするとつかれるようで長く泳げない。競ってはいけないと自分に言い聞かせてマイペースで泳ぐ。泳ぐといっても気に入らないことがある。それはプールのレーンの隅でグループでプール会議を始めること。話をするのならば人が泳がないレーンでしゃべればいい。泳ぐスタート時、プールの壁に蹴伸びして泳ぎだす。それなのに人が壁に群がるとそれも出来ず、邪魔になる。新年早々、ボヤくのは辞めて、今年も水泳を楽しもう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月7日月曜日

夜はテレビ三昧

 今朝、ダグニーさんのblogを見ると、友人のエレナが更新している。それによると「日曜日の最新ニュース」のタイトルで入院中のダグニーさんの様子が綴られる。今週中に医師の決定が出るようだ。食欲はあり、デザートなどを食べたそうだが、ブログのホームシックに罹っているという。どういっても毎日、ブログを更新されていたから無理もない。ともあれ、早い回復を願うばかり。

 昨夜のNHKスペシャル「サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む」を見た。サグラダ・ファミリアは7年余り前のスペイン旅行で出かけた。この建設に携わる日本人の彫刻家、外尾悦郎氏ともレストランでばったり遭遇。一緒に写真も撮ってもらった。サグラダ・ファミリアの上層部へエレベータで見学。その後の話で見学しなかった組は外尾氏と一緒に地下に眠るガウディのお墓などを見学したそうだ。これを聞いて少し残念な気持ちになったことを思い出す。

 番組クルーは次のようにHPで述べている。

★今回我々は主に、教会最大のシンボルとなるイエスの塔の建造の様子を中心に取材しました。そこには、効率や機能性を追究する現代建築とは違う価値観でものを考える、作り手たちの姿がありました。「なぜサグラダ・ファミリアはいつまでも完成しないのか」その疑問への答えを、そんな作り手たちの姿から探っていただくのも……。

 イエスの塔の空洞をどうするか。外尾氏はガウディはどうしようと思ったのか、を考える。行き詰まると地下に眠るガウディに問いかける。ある時、20年来、ガウディの建築資料を探していた考古学者はそれを別の教会から発見する。そこには多くの資料が隠されていた。専門家の資料分析から外尾氏はガウディが目指していたことに気づく。それは「グラデーション」。「貧富の格差」、「社会の分断がない形を作る」ことだと思った。朝日が出る前の空を見上げるとピンクがかった紫の雲が流れる。この「紫」の色がタイルでは出せない。これをタイル技術者に作ってもらう。できた!土、水、空気など自然のあらゆる色をグラデーションで表現する。これをイエスの塔に作ろうと決めた。だが、作業はこれから始まる。

 この放送の前に見たのは日曜美術館。日本画家の田中一村だった。現在、奄美大島で一村の展覧会が開かれている。見に行きたいけど、奄美大島は簡単には行けそうにない。

 今日は朝から太陽が出ている。温かくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月6日日曜日

「神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅~」から

 昨年末から読み始めた『坂の上の雲』。昨日から3巻目に入る。全8巻ほどある。あと1,2か月、いや2,3か月はこの本と付き合うことになりそうだ。その合間に堀文子の画集や気になる本を読む。若い頃、今ほど本を読んでいれば、と悔やまれる。だが、それも歳を取るにつれてわかったこと。気が付いただけでもいいか、と思ったり。

 また昨日は年末年始に送付されてきた関西と福岡の旅のカタログを眺める。一旦は今、行き先を決めなくても、と思った。それも束の間、午後には2冊のカタログを眺め直す。結果、3か所の行きたい国から1か所を決める。まだ治安はどうかと思う国。しかし、カタログには外務省から危険度のランクが下がった旨、書いてある。ここへ行こう、と気持ちが決まる。どういってもナニゴトも先延ばしにできない年齢になった。明日、旅行社へ申し込もう!そう決めるとお腹も気持ちも満たされる。

 4日夜に見たNHKのBS、「神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅~」。2時間の番組だが、落ち着いて見られた。番組HPによると次のように書いてある。

★脚本家の倉本聰さんもゲゲゲの水木しげるさんも、神様の木に会った。日本は巨樹、巨木の王国だ。樹齢千年以上、枝張り60m、災害や戦争も耐え抜き生き続ける奇跡の生命力。樹齢二千年の日本最古の桜に会う。化石のような幹に咲く満開の花、桜吹雪。枝張り60m、日本一美しいと言われる熊本の大楠に会う。新緑のまぶしさ。青森で日本一大きい銀杏に会う。雪景色の中の黄色の紅葉。瀬戸内海の小さな島の大楠に会う。その姿はまさに奇跡の命、神様の木だった。倉本聰さんは木を描き人生と重ねる。水木しげるさんは膨大な木の写真を撮影、顔のような不思議な樹々の精霊を捉えた。巨樹の神秘と命の物語。

2019年1月5日土曜日

「玉木宏 音楽サスペンス紀行」を見る

 新年のダグニーさんのblogを見ると交通事故で入院されている。一昨日からブログの入力はダグニーさんの友人たちによってアップされる。今朝のblogには安全のため入院とある。どういっても106歳、無事退院されてまた元気なダグニーさんのblogをいつまでも見続けたい。

 新年2日目の夜、「玉木宏 音楽サスペンス紀行”ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番”」を見た。番組HPによると次のように書いてある。

★第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか?一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?

 2時間の長時間番組であってもひきつらけれて見た。玉木宏がまるでショスタコーヴィッチであるかのように丸い眼鏡をかける。これは玉木をショスタコーヴィッチに似せるための局側のやらせかもしれない。また長くなったけど、感動してしまったのでメモ書きを全部アップしよう。


 スターリンの時代、彼はオペラを見ていた。革命的であり、支離滅裂と痛烈にオペラを非難したスターリン。ショスタコーヴィッチはスターリンから尋問を受ける。だが、次の曲が気に入られてどうにか粛清を免れる。レーニングラードはドイツとの包囲戦でビスカリョフ墓地と化した。ヒトラーはレニングラードを消滅させると目論んだのである。

 今から30年前に出かけたソ連の旅でレニングラードにも出かけた。今はサンクトペテロブルグと名称も変わっている。出かけた当時のレニングラードは広場でクラシック音楽の生演奏も行われており、エルミタージュ美術館もあって美しい街だった。まさか、このレニングラードでこれほどひどいことが起こっていたとは……。

 ショスタコーヴィッチ作曲の交響曲第7番はラジオのスピーチで「巨大な悪」が存在していると放送される。レーニンはこの曲を安全な場所で書くようにとショスタコーヴィッチをレニングラードから連れだす。ラジオ・シンフォニーはドイツとの開戦で音楽を中止されて活動不能に陥いる。その代わりとしてチャイコフスキーの曲を国外向けに放送した。ところがレニングラードはヒトラー率いるドイツ軍により兵糧攻めにされる。食料に困った市民が肉を買いに行くが、いつまで経っても帰ってこない。不審に思って探しに行くと殺されて「人肉」となる寸前だった。レニングラードでは人肉を食べた人がおり、その数をヒトラーは把握していた。まさにサスペンス紀行!?ほかにも糊付けされた壁紙をはがして、糊を食料代わりにした人もいた。糊は小麦粉で出来ていた……。

 1941年末、ショスタコーヴィチは「レニングラードの街に捧げる」として曲を書き上げる。だが、街にその楽譜は届かなかった。クイビシェフの街で第7番が演奏され、プラウダはそれを評価した。だが、スターリンはこの第7番をたくらむ。どういってもスターリンは自分以外の全てを疑った男だ。しかし、彼は優れた音楽を支持したので第7番はマイクロフィルムにしてアメリカに送った。

 アメリカ大統領ルーズベルトはこれをサンタクロースのクリスマスのプレゼントのように思い、替わりにソ連に武器を援助した。民衆はアメリカで第7番を演奏するのを讃えた。楽譜をマイクロフィルムに撮影して送る、これはソ連の共感をひろげた。ナチスの目を逃れてマイクロフィルムはソ連とアメリカが共同して送ったのである。

 スターリンはスターリン賞第一号をショスタコーヴィッチに与えた。そしてスターリンもヒトラーも音楽を政治に利用した。その後、ナチスの包囲網を突破。それはラドガ湖が凍って30㎞の道となり、物資が運ばれるようになったからである。これは食料難にあえぐ人々にとっての命の道となった。こうして人々はレニングラードを脱出。しかしドイツ軍は命の道を攻撃した。

 この頃、レニングラードのラジオからはメトロノームの音が流れていた。頭にきたレニングラードの指導部は音楽を流せ、と怒鳴りこんでオーケストラを再開させようとする。しかし、レニングラードにいる生き残った音楽家は40人だけ。これではマイナス気温の寒い気候の上、衰弱した体には手が動かず、息も吹けなかった。ただ不協和音だけが出た。楽団員は市民に響く音楽を奏でたかったのである。

 1942年4月5日、指揮者であるエリアスベルクはラジオ・シンフォニーで演奏してラジオの公開放送を再開させた。この時、ラジオ・シンフォニーで第7番を演奏しようと思った。
 
 1942年5月3日、アメリカ国務省にマイクロフィルムの第7番が到着してユージン・ワイントロウプに届く。それは252頁、30ⅿもあるマイクロフィルムだった。フィルムはソ連→イラン→エジプト→アフリカ大陸→ブラジル→マイアミへと届き、ドイツを避けたルートだった。

 アメリカでの初演はイタリーの指揮者トスカニーニによる。「レニングラードに捧ぐ」としてラジオ・シンフォニーにも楽譜が届いた。ところがエリアスベルクは楽譜を見て失望した。それには100から120人の楽団員が必要だったからである。だが、エリアスベルクは80人で演奏しようとした。軍の指導部に申し出て動員の楽団員を戻すよう請願。こうしてラジオ・シンフォニーの楽団員80人が結集した。

 8月9日、演奏会は開催された。ドイツ軍はレニングラードを占領して攻撃を開始。ヒトラーもコンサートに合わせてやってくると話した。その時の”TIME”の表紙はナチスと闘う兵士の格好をしたショスタコーヴィッチの肖像画だった。

 7月19日、アメリカのマンハッタンでも演奏され、メディアの反応も良かった。アメリカ全土で62回演奏された。第7番が嫌いなアメリカ人はいなかったそうだ。人々は勝利の物語と映った。これでルーズベルトはアメリカ大統領に4選し、スターリンはドイツに勝った。

 第7番は闘争、奴隷、魂と全体主義体制すべてを描いていた。ショスタコーヴィッチはスターリンだけでなく、ヒトラーも非難した。

 1942年5月9日、レニングラード・フィルハーモニアで第7番が演奏され、1500人の聴衆が聞き入った。その模様はドイツ軍の包囲網の中、ラジオと街角のスピーカでレニングラード全体に響くように流された。スピーカーは戦場のドイツ軍兵士にも流されていた。あの曲を聞いた時、レニングラードは絶対に倒せないと思った人もいたという。演奏曲は市民の包囲された心をほぐしてくれ、砲弾は会場に届かなかったそうだ。

 演奏後、指揮者エリアスベルクに花束を持った少女が近づく。自分が育てた花だった。花束の中には「レニングラードの音楽をお守りくださりありがとうございました」とのメモが入っていた。

 1944年1月、レニングラードは開放された。ラジオ・シンフォニーは今では戦争博物館となっている。先の少女のメモも展示してある。そしてそこには「演奏することは私たち演奏家にとっても救いだった。私たちは英雄ではなくて人間だった」とも書かれている。「ショスタコーヴィッチ交響曲第7番」には「音楽の力」があった……。
 
 この曲は聞いたことがあるのだろうか。動画で聞いてみよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月4日金曜日

「日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~」を見る

 新年も4日になり、一日一日が慌ただしく過ぎていく。4日になっても出していない人からの年賀状が届く。元日早々から今日まで朝一番の仕事は出していない人に書く年賀状。それも11時過ぎまでにポストに投函しないといけない。年賀状の来ない2日を除いて、新年早々からポスト通いだ。

 年賀状で気づいたことがある。1枚はタンゴを習い始めたという年賀状。そしてその小さい娘さんはクラシックバレエを習いだしたそうだ。本人も勉学かクラシックバレエに進むか、と悩んだ末にバレエを諦められた。いろんなことを習ってきたが、身体で表現するダンス類はやっていない。以前、別の人がやはり学問とクラシックバレエを天秤にかけて両方を続けながら、結果、市内でバレエ教室を開かれている。この人とある会合で会った時、大人のバレエに通いたくなったことがある。結局、やらず仕舞い。今でもバレエに限らず、何か身体表現をするものを習いたい気持ちがくすぶり続ける。尚、この勉学とクラシックバレエかで悩まれた2人は後で聞くと互いに知り合いだった。

 他にホームコンサートを開催されている人から年賀状をいただく。本来ならばこちらが先に出すべきだ。この春、家を建て替えられる予定が秋に延期となったとある。人からの誘いで出かけるようになったホームコンサート。楽器を習っているためか、いつの間にか誘ってくれた人よりもこの人にどっぷり浸かるようになった。

 今朝は姪の真ん中の子供から年賀状が届く。文面を見ると「これからも元気で長生きをしてください」とある。人から長生き云々を言われるようになったかと思わず苦笑する。中学1年生が老婆を見てそう感じるのも当然かもしれない。まだまだ元気はあると思ってもこれも独りよがり!?

 そして年賀状と言えば旅や勉強会などで知り合った人たちの子供さんの成長する姿がある。年々、大きくなっていく姿を見るのはまるで祖母の心境なのだろうか。自分にはそういう対象がいないので比べられない。みんな立派な大人になりそうでこれは楽しみ!

 話は変わって昨夕のNHKテレビは「日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~」を見る。番組HPを見ると次のように書いてある。

★篠田桃紅、105歳。書道家から出発して「墨の抽象画」という独自の境地を拓(ひら)き、世界的な評価を得てきた。生涯独身を貫き、今もアトリエ兼自宅で一人暮らしを続けながら、なお新しいものを生み出そうと格闘している。時に自問自答し、特に自虐や毒舌で笑わせながら、縦横無尽に語る篠田。「この年になると生き方の手本はない。自分で編み出さなくては」という篠田の日々を見つめ、驚異の言葉の数々に耳を傾ける。

 105歳の篠田桃紅。母が生きていれば103歳だから母よりも年上だ。昨年11月に開催された個展の模様やそれまでの映像が流れる。通いのお手伝いさんがいても独り住まいらしい。どういっても話す言葉に力がある。番組最後に桃紅という名前の由来を話す。桃紅は中国の書「詩格」にある「桃紅李白薔薇紫」から父親が引用してつけた名前だそうだ。「桃紅李白薔薇紫」とは桃紅さんによると「桃は紅(くれない)、李(すもも)は白、野バラは紫いろ」と花それぞれの色で咲く。だから人もそれぞれの生き方でいいという。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年1月3日木曜日

2019年初詣etc.

 新たな年、2019年が始まった。新年の恒例行事は広島駅北口から臨時に出ている神社の小型バスに乗って初詣。駅北口は近年様変わりして、バス乗り場も例年と異なる。駅から20分足らずバスに乗ると目指す神社に到着。まずは参拝して御神籤をひく。ここの御神籤は幸福御籤で今年は紅水晶だった。ローズクオーツとも言われ「真実の愛・心を癒す」とある。また福御神籤の運勢は吉だった。これには「見る人のこゝろこゝろにまかせおきて木末(こずえ)にすめる月のかげかな」とある。

 本堂を参拝の後、後ろに回ってさらにまた参拝してお神酒をいただく。またお茶もいただく。さらに進むと招福五福笹とさらに今年は「初神楽大御饌」をいただく。五福笹だけでもありがたい。それなのにさらにいただくとは……。それには「福」と丸い大きな印が記され、初神楽大御饌の中には御福寿米、昆布、するめ、御煎餅が入っていた。尚、招福五福笹とは「この笹は、五枚の葉がつくことから五福笹と呼ばれます。古来、縁起物です。五つの福を招き寄せる笹として、お正月に福の神より授かります。健体健心・福徳円満・福禄栄昌・縁結事成就・心願成就など、幸せを招き寄せる縁起物です。家族の皆さんがお集まりになる場所へ掲げて、新しい年も福をお受けください」とある。

 参拝後、境内の臨時の茶店で甘酒をいただく。昨日は暖かい日で甘酒を飲むとさらに体がぬくもる。帰りは臨時のバスで広島駅まで帰る。そして恒例の福屋駅前店で遅いお昼をいただく。入ったお店はさくら茶屋。家ではお正月らしいことはほとんどしない。ここで赤飯、抹茶そば わらび餅 ぜんざい 香の物と珈琲でささやかなお正月気分に浸る。

 その後は店内をうろうろする。地下に行ってお菓子所高木で初売りのセットを購入。袋に包まれた和菓子のセット。袋だけでも欲しくなる。

 年末見たのはSASUKE.。頑張る姿が美しい。これは思わず大声を出して見た。他にも年末から読む『坂の上の雲』に刺激されて、関連する動画を見る。昨日見た中にそのテーマ曲があった。この曲、迫力があっていい。短かい日数、大連に出かけただけでこれほどいろんなことに関心がいくとは我ながら驚き。今年一年も些細なことにも興味を持って過ごせたらもういうことはない。今年も動く!?

 ともあれ今年も元気で楽しく過ごしましょう!