2024年10月4日金曜日

またも写真が……

 押入れの一番上からまたも多量の写真が出て来た。これらの写真は両親が生まれてからのこれまでと子供である3姉妹、そして孫たちの写真である。かなり前に古いアルバムから写真を外して新たなアルバムに差し替えた。その写真もある。押入れの一番上から大きな袋に入った写真を降ろす際、踏み台に上がって降ろした。一歩間違えば大怪我のもとになる。何とか無事降ろした。その横には天井からカーテンをつるしている。それも取り払わないといけない。が、これはそのまにした。工事の際、すべてゴミとして処分をお願いしよう。

 夕飯前、大きなアルバムの写真を取り外す。しかし、小さいアルバムに入った写真は20冊くらいある。これは後日にした。取り外した写真のうち、両親の生まれたころから若い頃までの写真はあまり見たことがなかった。自分自身は戦後まもなくのモノのない時代に生まれたので両親たちほど赤ちゃん時代の写真が多くない。ところが父などはちゃんと写真館で収まったアルバム形式の写真がある。両親は共に大正生まれ。大正デモクラシーの時代に生まれ、そして育っている。いい時代だったのだろう。

 若かりし両親の写真を見るのは子供である自分だけ!?自分自身に至っては子供はいなくて誰が見る!?そう思うとまだまだ多量に残している写真を処分するしかなさそうだ。まだ、しばらくは生きるつもりでいるのでボツボツ処分しよう。

 母が健在だったころ、写真を撮ったり声を録音しようとしたことがある。ところがある時、そんなことをしてどうするん?と訝った。亡くなってから懐かしむことはない、と言わんばかりだったのだろう。そのこともあるのか、母はノートに母自身が亡くなってからのことを10か条くらい書き残していた。先日、それらのノートをすべて廃棄した。母なりに自身が亡くなって残されたものが路頭に迷わないようにと気遣ってくれたに違いない。

 出て来た多量の写真を見ながら両親の一生は何だったのか、と考えさせられる。自分が生まれた戦後まもなくと違って写真を見る限り、両親の若い頃は楽しそうに思える。が、自分自身が知っている両親は自分が物心つく昭和30年代前後からである。その頃と両親が亡くなる平成の時代は幸せだったと思っている。そう思えば両親は幸せな一生だったのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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