中国地方の今年の梅雨明けが宣言された。夏休みも始まり、どんなに暑くても遊びに出かける人が多くなりそうだ。その中に紛れ込んで遊びに行こうとしている。まだ出かけようという意欲があるうちは元気じゃ、と思ったり。
『街道をゆく』(43)「濃尾参州記」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1996年第1刷)を読んだ。またいつものように気になる箇所をメモしよう!
★大久保家の門外不出だった『三河物語』が世に出たのは、明治後であった。……それによると、徳川の祖は、「徳」とよばれている流浪の法体(ほったい)の人だったという。時宗の僧だった。当時、こういう漂泊の人を時衆(じしゅう)ともいった。……一カ寺をもつ正規の僧からは、はなはだ賤視されていた。ついでながら、時宗の遊行僧、その名として漢字一字の下に阿弥をつけていた。”徳”は正しくは徳阿弥という。父とともに流浪していたというから、漂泊が家業だったらしい。……徳阿弥は、多能だった。その一代のうちに郷民を手なずけ、山中のわずかな水田村落をいくつかおさえていたという。これが、はるかのちに徳川家康を生むこの家系の祖になる。(「高月院」60p-62p)
★リンゴを写真にとっても部屋にかざる気がしないが、画家が描くと、千金を投じても買う、なぜだろうという設問をし、専修大学のフランス文学の常勤講師の石川美子さんが、写真は意味でしょう、絵画は表現ですから、と答えてくれた。人間は、意味よりも表現を好むのだというのである。(「蜂須賀小六」72p)
★古代ギリシャの哲学者は、勇気と無謀はちがうとした。無謀はその人の性情から出たもので、いわば感情の所産といっていい。勇気は、感情から出ず、中庸と同様、人間の理性の所産であるとした。このあたり、家康その人に即して思うと、じつによくあたっている。(「家康の本質」87p)
★家康のおそろしさは、いっさいかれらの既往を問わなかったことである。勇気と中庸はおなじ理性の装置から出ている。その底に、家康の臆病がある。祖父も父もその近侍する者に殺されたという恐怖が、家康に、人間のおそろしさを教えつづけていて、かれは理性的にならざるをえなかったのにちがいない。(「家康の本質」90p)
★山路愛山のいう、当時の三河衆だけが感じていた家康の愛嬌とは、勇気という理性と、人間の本然の臆病とのあいだの家康における振幅のおかしさのことだったにちがいない。(「家康の本質」96p)
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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