連日の暑さにも負けず、家にある不要なものを処分している。1日に1個ずつでも、と思って始めた処分。今朝は1個どころか大きな皿などを20枚以上、不燃ゴミとして出した。
以前出かけたインドのカシミール地方に東洋のベニスと言われるスリナガルがある。ここはイギリスの避暑地で家はすべて湖上にうかぶハウスボートである。その旅ではホテルももちろんハウスボートでその一室に泊まった。
片づけをしていて我が家がもしもハウスボートならば、かなり家の中のモノを処分したので家自体が軽くなっているかもしれない、と思ったり。それでもまだまだ処分しなければいけないものが待っている。
以下は『司馬遼太郎の街道⓵東京編』(週刊朝日編集部 朝日新聞出版、2020年第1刷)から気になる箇所を記した。
★歴史研究家の小美濃清明さんには、『龍馬の遺言 近代国家への道筋』(藤原書店)という著書があり、ペリー来航についても書いている。(偶然にペリー艦隊が浦賀に姿を現したことにより龍馬の人生も大きく変化した。剣術修業が砲術修行となり佐久間象山の門下生となった)(『龍馬の遺言』)……「巨大な黒舟衝撃は大きかった。目の前のアメリカ艦隊を見たら、攘夷なんて簡単にできないぞと思ったでしょう。盟友の中岡慎太郎は強烈な攘夷論者でしたが、彼は見ていません。偶然にも見た龍馬たちは、あまり攘夷をいわなくなる。そんなことできんぞと一瞬でわかってしまい、砲術を勉強し、勝海舟に師事して海軍を学ぶことになります」龍馬はどう考えても好奇心が強かった人物だろうという。「小説のように浦賀に入ってないと思いますが、自由行動ができるなら、いの一番に行きたかったと思います。心理学のはやり言葉で『GRIT』というのがありますね。要するに好奇心や集中力のことで、GRITの強い人が成功する。おもしろいのは知性とは関係ないこと。ハーバード大などでもIQが高くても伸びない人は伸びない。GRITが高い人だけみんな伸びてる。まさに龍馬はGRITが高いタイプで、ペリー艦隊に遭遇したことをいい機会に、ガラッと人生を変えたんでしょう」(頼朝から昭和海軍へ「三浦半島記」の世界)(241p-243p)
★平安中期以降、とくに関東は大小の武士たちが跋扈していた。(それぞれ農地(ところ)の管理権を、懸命に守っていた。そのさまを、一所懸命といった)鎌倉時代のキーワード、「一所懸命」にはこうした功利的すぎる側面もあったのだろう。(頼朝から昭和海軍へ「三浦半島記」の世界)(248p)
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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