2024年7月25日木曜日

過酷な奈良の旅その1

  2024年7月23日((火)から24日(水)までの2日間、念願の長谷寺と女人高野の室生寺に出かけた。出かけたのはいいのだが、これまで出かけた(海外での高山病をのぞいて)なかで一番過酷な旅となった。それは猛暑日の暑さである。2日間という短い旅だったが初日の最高気温は37度。長谷寺は長谷寺駅を降りると石段をどんどん下る。そしてなだらかな道に出る。その道が参道に入ると長谷寺の境内はずっと石段がつづく。それは登廊(のぼりろう)といわれて見どころの一つにもなっている。

 広島から長谷寺までは何度も乗り換えがある。広島駅→新大阪駅→大阪駅→鶴橋→長谷寺駅と乗り継いで所要時間3時間10分弱の乗車である。長谷寺駅降車後、若い女性からタクシーに乗って長谷寺に行こうと誘われる。しかし、観光案内所で長谷寺と室生寺の観光のパンフをもらおうとしたので相乗りは断った。ところが駅を降りても人がいない。どの方向に歩けばいいのかさっぱりわからない。が、とりあえず歩を進める。途中、出くわした人に案内所を尋ねると教えてもらった案内所は出かけた2日間とも休館だった。

 気を取り直して長谷寺を目指す。しかし誰も歩いていない。しばらく進むと人がいた。その人に聞くとまっすぐ行って左に道があり、その道を行くようにという。そのまま進んでいるとまたも人に聞く。こんどは先の話とは違って路に添って行けば長谷寺に着くという。この違いは道の勾配にあり、左の道は急勾配で車道となっていた。まっすぐの道は緩やかな勾配で人が歩いて参る道のようだ。途中、お昼を食べようとするとお店が閉まっている。2か月間も閉店のお店もある。すべてはこの暑さにあるに違いない。観光客は全くと言っていいほど出会わない。参道近くに「にゅうめん」と書いてあるお店があった。そこで一休みもかねてにゅうめんのセットをいただく。感じがいいお店なのに客は一人もいない。ここでしばらく一休み。

 食事後、外に出るとお腹がいっぱいになったためか外の暑さがひときわきつい。それでも歩を進める。やっと長谷寺に着いた。境内で入山のチケットを購入後、もらったチケットの裏面の境内案内図を頼りにひたすら登廊を歩く。とりあえず地図にある箇所は見て回った、と思った。

 途中。北海道からフェリーに乗って新潟に着き、これから四国を車で観光する人や安城市から日帰りで長谷寺に来た人などと話をする。会話の合間もただ暑くて耐えられない。さらに暑いにもかかわらず歩きながらしゃべると体に応え始める。長谷寺駅まで一緒に歩いて帰っていたがゆっくり帰ると告げて一人で歩く。しかし、ここからが地獄になる。暑さに負けてしまった。帰りの長谷寺駅までは上りの石段が続く。体中から汗が噴き出て歩くのがしんどくなる。熱中症!?を疑った。というか熱中症に間違いない。もうちょっとで駅に着くというところの石段で歩を止める。そしてしばらく日陰になった石段に座り、ついにはリュックを枕にして横になった。辺りには人の気配すらない。

 目の前に駅が見えるのにこの石段が登れない。しばらく休むと落ち着いてきた。まるで海外で何度か味わった高山病に似た感じがする。何とか駅に着いた。ところがこの駅はエスカレータがなく階段しかない。どうも乗車するホームを間違えていたらしい。見知らぬ男性がホームが違うと声をかけてくれた。が、しばらく休んでから、と言ってホームにある休憩所の椅子に横になる。幸いにもここはエアコンが利いた部屋で元気を取り戻す。ホーム違いは一緒に帰っていた安城市の人がその男性に声をかけて知らせてくれたようだ。

 初日早々、大変な長谷寺参りとなった。が、隣の榛原(はいばら)駅まで近鉄に乗り、宿の車に乗って美榛苑(みはるえん)に到着。この時点ですっかり元気を回復した。このあたりからも熱中症と高山病の症状が似ているように思える。熱中症は涼しくすれば元気を回復し、高山病は低地に戻れば回復する。元気を取り戻すと夜は生ビールで一人乾杯。夕食は宿のレストランでいただいた。ビールが最高に美味しかった!この日は猛暑日にもかかわらず、またダウンしながら1万5千歩も歩いていた。

 翌日は室生寺。本来ならば奥の院まで行こうと思っていた。ところが前日の暑さにやられたことを考慮して無理はしないと決める。それでも奥の院以外は予定通りすべてを歩いた。

 この続きはまた後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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