今年の梅雨はそろそろ終わりを告げそうだ。これから先は気温も高くなり本格的な夏になる。気分的には暑くても雨よりは晴れがいい。元気を出して今年の夏を乗り切る!?
以下は「街道をゆく」で司馬遼太郎と旅を同行した記者が著した『街道をついてゆく』サブタイトルとして「司馬遼太郎番の6年間」(村井重俊 朝日新聞出版、二〇〇八年第一刷)である。この本からいつものように気になる箇所を記そう!
★私はもっと不安だった。致命的な欠陥を打ち明けられないまま、ルビコン川を渡ってしまったのだ。小説は大ファンの私だが、このとき『街道をゆく』は、一冊も読んではいなかったのである。一九八九(平成元)年秋も終わりで、私はまだ三十一歳。司馬さんは六十六歳だった。(12p)
★ひと昔前の話だが、週刊朝日の山藤担当者は「ブレーン」ではなく、「ストマック」といわれた。打ち合わせで食べてばかりのためで、なかでも、私は最強のストマックだったかもしれない。要するに、ほとんど記者経験しかない、しかも大した記事を書いたこともない。(12p-13p)
★「エリツインのようにアジア系を思わせる顔にロシア人は弱い。スターリンもそういう顔でしょ。ああいうアジア系の顔を見ると、タタールのくびきを思い出すのかもしれない。ゴルバチョフはヨーロッパ系の顔で、押しが利かない。政治家としてやはりひ弱だね」中世ロシアは、モンゴルのキプチャック汗国の苛烈な支配を受けた。これがタタールのくびきで、ロシアはその模倣者となる。農奴制はキプチャック汗国の土地支配を踏襲してるねと、司馬さんの“講演”は続く。(16p)
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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