2024年7月31日水曜日

熱中症の搬送者

 今朝の地元紙に7月21日(月)から7月28日(日)までの全国の熱中症による救急搬送の状況が発表されている。奈良で熱中症と思われる症状が出た23日の搬送者は調査した1週間のうちで2番目に多い。搬送場所は住居が一番多く、次いで道路になっている。奈良の長谷寺観光中、熱中症になった。今回の奈良行きで熱中症のおそろしさを知らされた。思うように体が動かせない辛さはもう経験したくない。

 昨日午前中、図書館へ予約確保の本を受け取りに行く。ついでに隣接する生協で買い物を済ませて帰宅する。その途中で近所の人に出会う。その人曰く「近所の人が救急車で4人搬送された」と。その人は90歳を過ぎておられるが歩かないと足が動かなくなると言って午前中に買い物に行くという。しかし、家にいるときはエアコンをつけているとも話される。救急搬送された人たちはエアコンをつけずにいた!?

 連日36,7度の暑さでは自分の身を守るためにもエアコンなしでは生活できない。とはいえ点けっぱなしではエアコンが壊れそうなので朝方4,5時間だけエアコンを切っている。が、エアコンが壊れるよりも人間が壊れるほうが大事なのでそのことも考えよう。今日も暑くなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月30日火曜日

山のけむり

 スーパーにあるATMでお金をおろしに行くと人の列がある。よくみるとその列はATMではなさそうだ。列は宝くじ売り場だ。この時点では宝くじ売り場になぜ列ができているのか、何も思わなかった。後で昨日は年に何回かある最良の日だとか。それを当てこんで宝くじを買う人が多かったに違いない。

 ATMでおろしたお金を見ると万円札はどれも新紙幣で、千円札は旧紙幣だった。先日5千円札の新紙幣を受け取っている。残るは千円札の新紙幣になった。というか、今はめずらしさで新紙幣に関心があるがこれも市場に出回れば日常のこととなり興味もなくなる。

 それにしても連日のこの暑さはどうなっている!?これから先の天気予報を見ると37,8度の日々が続く。良く寝てよく食べて、そしてよく遊ぶ、と言いたいけれどもこう暑くては遊びもどうかと思う。かといって家でじっとするのも体に良くない。朝のうちに自転車に乗って買い物に出るようにしている。が、これも暑さの程度がある。無理して外に出ても体に悪いかもしれない。適度な運動、もこれまた考えてしまう。

 話は変わって昨日のBS、心の歌フォレスタを見た。そのなかの「山のけむり」を聞くと旅心に誘われる。子供のころに聞いたような気はするが歌詞は「山のけむりの……」のところしかわからない。YOU TUBEを見るといい曲だ。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月29日月曜日

2024年夏季号「遼」から

 先日、司馬遼太郎記念館会誌2024年夏季号「遼」が送られてきた。昨年秋に初めて記念館を訪れた。その時投稿した記事が「会員おたより」に掲載された。記念にブログにアップしよう。


「6年前の中国 司馬作品にはまって……」

 中国近代史を学んだことと、親が満州に住んでいたという同行者がいたので、6年前、一緒に大連に行こうとした。

 が、旅行催行間近になって同行者は怪我をして参加できなくなったのでひとりで参加した。広島発着の旅で参加人員は8名。中国の旅の魅力は中華料理にもある。8名であれば1つのテーブルになる。中華のテーブルはおのずと参加者たちとの会話が弾んだ。

 二百三高地を見学した際、ツアーの人たちから『坂の上の雲』を読むように勧められる。それは1人ではなく多くの方から何度も言われた。

 帰国後、『坂の上の雲』を3か月かけて読んだ。この作品に魅了され、それ以降、遅まきながらも司馬作品にハマっている。そして司馬作品を読むうちに司馬遼太郎全作品を読み終えたいと思うようになった。

もしも大連へ行かなかったならば司馬遼太郎にこれほどハマることもなかったかもしれない。そう思うと何が自分にとって幸いするかわからないと思うようになった。まずはなんでもやってみよう。そして読んでみよう!なお201812月の大連は大雪だった。

司馬遼太郎記念館友の会に入って1年あまりになる。2023年10月はじめ、念願だった司馬遼太郎記念館を初めて訪れた。


ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月28日日曜日

庭帚

 今朝の地元紙にカープの選手が試合中に熱中症にかかった旨の記事がある。一昨日の試合で前半戦途中で野間選手は交代した。昨夜の試合ではベンチにすら入っていない。今回の奈良行きで人生初の熱中症を経験しているので試合に出られない辛さがよくわかる。

 昨日朝、秋に予定している家のリフォーム業者が見に来られた。電気屋さんを通してお願いしているので2人で来られた。見てもらううちに家の1階全体のリフォームとなりそうだ。話をするうちに家の中がよくなるのならばとついついあそこもここも、とリフォームの範囲が広がる。まさかこの期に及んで、と思うが、思ったときが吉日とあるように思い切ってリフォームしよう。ただ、リフォームをするのはいいのだが、工事期間中はどれくらい疲れるだろう、それが心配。しかし、ものごとはなるようにしかならない。要らぬ心配はやめてすべて業者にお願いしよう。

 昨夕、夕飯を終えて百円ショップに出かける。その目的は玄関などを掃く箒を買う為である。一昨日、箒で掃いていると柄がとれた。これなくして庭なども掃けないので涼しくなったころ自転車で急ぐ。夜6時半ごろもまだまだ暑さは厳しい。というか一日中涼しくなることはない。朝、買い物に出かけていたがこれからは夕方に行くように、とも思ったり。なお、百円ショップの庭帚は400円だった。何でも100円とは限らない!?

 この夏はどういっても熱中症に気をつけよう!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月27日土曜日

過酷な奈良の旅その3

 「過酷な奈良の旅その2」からつづく。

 奈良の宿である美榛(みはる)苑は早くから予約した。寂れた場所にあるホテルなので1泊2食付きの予約は正解だった。また食事も美味しくてよかったのだが、部屋が和室でベッドがツインだった。ただ部屋の中に椅子が一つもなく、(どこに座れば?)と思いを巡らす。いいアイデアが浮かんだ。部屋のゴミ入れの上に座布団を置いてスツールのようにして座った。泊まったホテルは天然温泉たまご肌美人の湯がうたい文句だが、部屋に椅子は欲しかった。

室生寺

 宿から榛原駅までは1時間ごとに無料送迎バスが出ている。一番早いバス時刻は10時と遅い出発なので朝食も遅くした。ところが目覚めはいつもよりも早すぎた。というのも朝日が部屋に差し込んで明るく目が覚めた。朝食は8時過ぎに予約したので部屋でゆっくりする。前日の長谷寺がきつかったのでゆっくり朝を過ごせたのはよかった。

 10時、送迎バスに乗る。前日は1人だけの乗客だったが、この日は数名が乗車。10分足らずで榛原(はいばら)駅に到着。榛原駅から隣駅の室生口大野駅までは近鉄に乗車。しかし、ここから室生寺に行くにはさらにバスに乗る。このバス便が1時間に1本しかない。ガイド本によると室生口大野駅近くに大野寺があり、摩崖仏もあるとのこと。室生寺行きのバスの便まで50分ある。室生口大野駅を下車後、運よく観光案内所が開いていた。摩崖仏の行き方を尋ねると不愛想な係が、声を出さずに身振り手振りで椅子に座れと言う。そして暑いから気を利かせてくれたのか小さい団扇を投げてくる。

 摩崖仏の場所を教えてくれるが「目が悪くて見えない」、と話すと立ち上がって自販機を指さし、その横の道を歩けば数分で摩崖仏が見える場所に着くという。そしてバス停は摩崖仏のところにもある、と教えてくれた。ぶっきらぼうな係と思ったが優しい人だった。

 歩いて5分のところにある大野摩崖仏を目指して歩く。途中、日陰で休んでいる人に場所を聞くとまっすぐ行けばいい、と教えてもらう。また、摩崖仏のそばを流れる川の水が綺麗ともいう。言われた通り歩くとすぐに着いた。が、摩崖仏はガイド本によると午後の方がはっきりと見えるとか。摩崖仏などを見学後、バスが来るまで30分ある。川辺まで行くが日差しは強いが水はきれいだ。澄み切った川は宇陀川という。宇陀の字は違うが自分の姓と読みが同じなのでこの川に愛着がわく。

 室生寺の末寺である大野寺。春にはしだれ桜の名所として知られている。が、暑い時季は桜も咲いていないので境内に入らず外から参拝した。それにしてもバス停に椅子はあるが日影がなく、暑い中、立ってのバス待ちは結構大変。

室生口大野駅 右横が観光案内所
大野摩崖仏
宇陀川を澄み切った水が流れる


摩崖仏近くの大野寺バス停 後ろの建物は公共トイレ
室生寺太鼓橋
女人高野室生寺と石碑の彫られた表門
室生寺境内
 室生寺の境内に入ると宝物殿がある。室生寺の国宝などは宝物殿にある。入山券と宝物殿のチケットがセットになっており、まずは宝物殿を見学。ここには釈迦如来坐像、十一面観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、十二神将立像などが収めてある。写真撮影は不可なのでチケットの写真を載せよう。宝物殿は新たな建物でエアコンが利いて涼しかった。
宝物殿のチケットから十一面観音菩薩立像
 宝物殿内の仏像を見学後、仁王門を通って入山券に記載の地図を見ながら歩を進める。本来ならば奥の院まで行きたかった。が、前日の熱中症に懲りたので無理をせず五重塔まで行く。室生寺の五重塔は日本一小さい美しい五重塔として知られている。高さは16m。遠くから写真に写すと本当に小さい。近くから見ると美しさが際立つ。

 室生寺はシダなどが茂る樹林で木陰の中を歩く。その点では室生寺は長谷寺よりも幾分暑さが和らぐ。帰り道で若い女性とすれ違う。「奥の院へ行った?]、と尋ねると「登った」という。しばしの立ち話で「前日の暑さに負けた」と話すと塩分の入ったタブレットを2個くれた。
仁王門
仁王像(右)

仁王像(左)
鎧坂
弥勒堂

室生寺名物の五重塔
近くからの五重塔

国宝 金堂
バン字池

 奥の院まで行くのは断念してお昼を食ばべに行く。太鼓橋のそばに橋本屋というお店がある。このお店に入るとソバがないという。何も注文しないうちからそう言われたので「他には?」と聞いた。しばらくするとOKとのことでとろろうどんをいただく。太鼓橋を見ながらいただくとろろうどんは熱いが美味だった。ここで一休み後、室生口大野行きのバス停を目指す。暑さと前日からの歩きすぎでとにかく座りたい。幸い待合室に椅子があった。バスが来るまで40分くらいある。が、どこにも行かず椅子に座る。しばらくすると人がやってきた。同じくバスに乗る人だ。話をすると日帰りで東京から来たという。そしてこれから桜井市にある文殊院へ行くともいう。

 さらに話していると長谷寺の話になった。長谷寺のご本尊である「十一面観世音菩薩像を見た?」、と問われる。「見ていない」、というと「長谷寺に来たならば是非とも見るべき菩薩だ」、とも言われはる。本堂に参ったがそんなものは見ていない。後で調べるとこのご本尊はいつも公開されているのではなく特別公開日だけの公開だった。

 室生口大野行きのバス待合室で知り合った人と室生口大野駅までバスに乗る。駅到着後、近鉄桜井駅まで乗り、ここで別れる。その人は文殊院に行くと言っていたがここへもいつか出かけよう。近鉄でそのまま鶴橋まで乗る予定だった。ところが何を勘違いしたのか、大和八木駅で乗り換えようとした。下車後に(乗り換えなくてもよかったのに)、と気づく。次の急行が来るまでしばしホームで待つ。このあたりの駅からホームは人で込み合う。20分待って次の近鉄に乗る。ホームで待つ間も暑くて狂いそうだった。

 鶴橋に到着後は大阪駅で乗り換えて新大阪駅までJRに乗る。予定していた時刻よりも1時間早めに新大阪駅に着いた。新幹線チケットのおとなびは変更できない。仕方なくここで涼をとりながら珈琲を飲んで一休み、と思った。それは大間違いで新大阪駅は人であふれかえって休めそうなところがない。仕方なく、どこかに座りたい一心で新幹線ホームの椅子に座って帰りの新幹線が到着するまで待つ。が、半端なく暑い。自販機のジュースを手にしてしばし待つ。帰りののぞみ43号博多行きが来た。今回の新幹線は行きも帰りも隣に人がいた。

 狂うほどの暑さの中、それでも何とか2日間の旅を無事終えた。終えたはいいがこれからは暑い時季の旅はやめよう。生きてきた中で一番過酷な暑さだった。ここまで元気で生きてきた。これからもずっと元気でいるためにも無理は禁物。肝に銘じて。

 それにしても一人旅で出会った3人は自分も入れて全員が団塊の世代だ。これにはびっくり。団塊の世代はどの人も一人で旅をする!?なお2日目の万歩計は8825歩。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
室生大の行きのバス待合室

2024年7月26日金曜日

過酷な奈良の旅その2

 「過酷な奈良の旅その1」からつづく。

 2024年7月23日(火)から24日(水)までの2日間、奈良県桜井市にある長谷寺と宇陀市にある女人高野室生寺に出かけた。初日は最高気温37度の猛暑日、翌日は34度の真夏日と、これまで出かけたどの旅よも過酷な暑さだった。

 広島駅8時56分発みずほ600号に乗り新大阪駅で下車。その後、大阪駅までの1駅は山陽本線宝塚行きに乗車する。到着後、ホームを換えて大阪環状線に乗り鶴橋まで行く。鶴橋からは近鉄大阪線の急行に乗って8駅で長谷寺に着く。夏休みのためか大阪のどの駅もホームにあふれんばかりの人でごった返す。鶴橋までは大阪市内になるが大阪駅での乗り換えを間違えて改札を出た。気付いたときは切符が戻って来ず、慌てていると人が助け船を出してくれた。しかし、その行為もあっけなく無駄とわかり、ICOCAを使って近鉄で鶴橋から長谷寺駅まで行く。この時、ICOCAの便利さを改めて知る。

 12時、長谷寺駅に到着。長谷寺は有名な観光地にもかかわらずシーズン・オフのため降車する人は2人だけ。これにはびっくり。観光案内所を、との目的も休館だった。真昼間の日陰のない道を長谷寺を目指して歩く。行きはまだ暑くても元気だった。長谷寺駅から長谷寺境内までは案内パンフによると25分とある。しかし、わからない土地では思うように歩を進めず、また暑さもあってかなり時間を要した。参道までの途中、一休みを兼ねてにゅうめん、と暖簾がかかっているお店に入る。どのお店もシーズン・オフで閉まっていた。空いているだけで嬉しかった。

法起院 
 長谷寺に行く途中にある法起院に立ち寄る。住職があいさつをしてくださった。何と親切、と思いながら参拝する。それほど大きなお寺ではないがよく整備されたお寺だった。

法起院
御本尊 徳道上人像

 法起院を参拝後、ひたすら歩を進めると長谷寺に着いた。

長谷寺までの参道
長谷寺

 長谷寺は登廊(のぼりろう)が見どころにもなっている。登廊は境内にあるすべてともいえるほど伽藍とつながっている。地図を手にして本堂を目指すが、ところどころで暑くてたまらなくなり休憩する。
長谷寺総門
登廊(のぼりろう)
本堂
境内は石段だらけ
三社権現
山の斜面に建つ本堂の長谷の舞台

 もらった境内の地図上に位置する三社権現まで行った。が、あとで気づいたことは弘法大師御影堂や五重塔辺りには参らずにいた。暑さで頭も体もかなり参っていたのだろう。帰り道で石段をゆっくり下る人に声をかけた。膝が悪いらしい。話をすると安城市から日帰りで来たという。暑さの中、話をしながら石段を下った。それがよくなかった。話すのがしんどくなりだす。ともに休憩しながら長谷寺駅を目指したが先に行ってもらって1人でゆっくり歩く。しかし、暑さに参って思うように歩けない。これは熱中症だ、と思いながら休憩する。長谷寺の駅まではかなりの石段を登る。この石段の上でついにダウン。石段に腰かけるもしんどくてたまらない。辺りに人は誰もいない。ついにはリュックを枕にして横になった。

 これが昂じると間違いなく熱中症で死んでしまう、と思った。しばらく横になって休んだ後、歩を進める。何とか歩けそうだ。休みながらも長谷寺駅に着いた。が、次の榛原(はいばら)駅に行くホームを間違える。見知らぬ人がホームが違うと教えてくれたが、もう身動きできない。休憩してから、と言ってホームにある待合室に入る。エアコンが利いた部屋で何人分かの椅子を陣取って横になった。このエアコンで涼んで楽になる。しかし、その時点で駅には誰も人がいなくなる。それくらいひなびた駅だ。人の眼を気にせずに横になった。お陰でかなり元気を取り戻す。

 榛原駅に着いた。ここからはホテルの送迎バスに乗る。無事、今夜の宿である美榛苑(みはるえん)に着いたときはかなり元気を取り戻していた。夕食はレストランでいただく。おしながきを見ると「北海大和夕膳」とあり、久しぶりに国産牛肉のすき焼きなどをいただいた。暑さでダウンした割には元気を取り戻したので中ジョッキーの生ビールで乾杯!一口飲むと生きた心地がした。良かった!なおこの日の万歩計は14495歩と暑い中をよく歩いていた。

 この続きはまた後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月25日木曜日

過酷な奈良の旅その1

  2024年7月23日((火)から24日(水)までの2日間、念願の長谷寺と女人高野の室生寺に出かけた。出かけたのはいいのだが、これまで出かけた(海外での高山病をのぞいて)なかで一番過酷な旅となった。それは猛暑日の暑さである。2日間という短い旅だったが初日の最高気温は37度。長谷寺は長谷寺駅を降りると石段をどんどん下る。そしてなだらかな道に出る。その道が参道に入ると長谷寺の境内はずっと石段がつづく。それは登廊(のぼりろう)といわれて見どころの一つにもなっている。

 広島から長谷寺までは何度も乗り換えがある。広島駅→新大阪駅→大阪駅→鶴橋→長谷寺駅と乗り継いで所要時間3時間10分弱の乗車である。長谷寺駅降車後、若い女性からタクシーに乗って長谷寺に行こうと誘われる。しかし、観光案内所で長谷寺と室生寺の観光のパンフをもらおうとしたので相乗りは断った。ところが駅を降りても人がいない。どの方向に歩けばいいのかさっぱりわからない。が、とりあえず歩を進める。途中、出くわした人に案内所を尋ねると教えてもらった案内所は出かけた2日間とも休館だった。

 気を取り直して長谷寺を目指す。しかし誰も歩いていない。しばらく進むと人がいた。その人に聞くとまっすぐ行って左に道があり、その道を行くようにという。そのまま進んでいるとまたも人に聞く。こんどは先の話とは違って路に添って行けば長谷寺に着くという。この違いは道の勾配にあり、左の道は急勾配で車道となっていた。まっすぐの道は緩やかな勾配で人が歩いて参る道のようだ。途中、お昼を食べようとするとお店が閉まっている。2か月間も閉店のお店もある。すべてはこの暑さにあるに違いない。観光客は全くと言っていいほど出会わない。参道近くに「にゅうめん」と書いてあるお店があった。そこで一休みもかねてにゅうめんのセットをいただく。感じがいいお店なのに客は一人もいない。ここでしばらく一休み。

 食事後、外に出るとお腹がいっぱいになったためか外の暑さがひときわきつい。それでも歩を進める。やっと長谷寺に着いた。境内で入山のチケットを購入後、もらったチケットの裏面の境内案内図を頼りにひたすら登廊を歩く。とりあえず地図にある箇所は見て回った、と思った。

 途中。北海道からフェリーに乗って新潟に着き、これから四国を車で観光する人や安城市から日帰りで長谷寺に来た人などと話をする。会話の合間もただ暑くて耐えられない。さらに暑いにもかかわらず歩きながらしゃべると体に応え始める。長谷寺駅まで一緒に歩いて帰っていたがゆっくり帰ると告げて一人で歩く。しかし、ここからが地獄になる。暑さに負けてしまった。帰りの長谷寺駅までは上りの石段が続く。体中から汗が噴き出て歩くのがしんどくなる。熱中症!?を疑った。というか熱中症に間違いない。もうちょっとで駅に着くというところの石段で歩を止める。そしてしばらく日陰になった石段に座り、ついにはリュックを枕にして横になった。辺りには人の気配すらない。

 目の前に駅が見えるのにこの石段が登れない。しばらく休むと落ち着いてきた。まるで海外で何度か味わった高山病に似た感じがする。何とか駅に着いた。ところがこの駅はエスカレータがなく階段しかない。どうも乗車するホームを間違えていたらしい。見知らぬ男性がホームが違うと声をかけてくれた。が、しばらく休んでから、と言ってホームにある休憩所の椅子に横になる。幸いにもここはエアコンが利いた部屋で元気を取り戻す。ホーム違いは一緒に帰っていた安城市の人がその男性に声をかけて知らせてくれたようだ。

 初日早々、大変な長谷寺参りとなった。が、隣の榛原(はいばら)駅まで近鉄に乗り、宿の車に乗って美榛苑(みはるえん)に到着。この時点ですっかり元気を回復した。このあたりからも熱中症と高山病の症状が似ているように思える。熱中症は涼しくすれば元気を回復し、高山病は低地に戻れば回復する。元気を取り戻すと夜は生ビールで一人乾杯。夕食は宿のレストランでいただいた。ビールが最高に美味しかった!この日は猛暑日にもかかわらず、またダウンしながら1万5千歩も歩いていた。

 翌日は室生寺。本来ならば奥の院まで行こうと思っていた。ところが前日の暑さにやられたことを考慮して無理はしないと決める。それでも奥の院以外は予定通りすべてを歩いた。

 この続きはまた後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月23日火曜日

2024年夏季号「遼」

 司馬遼太郎記念館会誌「遼」の夏季号が届いた。今回は昨年末頃に投稿した記事が掲載されていた。それは「会員おたより」として「6年前の中国旅行 司馬作品にはまって……」とのタイトルがついている。これはいい記念になる。後日、』これをブログにもアップしよう。

 以前は何でも投稿していた。が、今回の投稿は久しぶり。しかし、投稿とは若干意味が違うがお笑い芸人にハマっていてそのひとのYOU TUBEなどにコメントしている。ご丁寧な人で何時も返信がある。頑張る人を見るのが好きなのでもっと応援したい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月22日月曜日

『街道をゆく』(43)「濃尾参州記」

  中国地方の今年の梅雨明けが宣言された。夏休みも始まり、どんなに暑くても遊びに出かける人が多くなりそうだ。その中に紛れ込んで遊びに行こうとしている。まだ出かけようという意欲があるうちは元気じゃ、と思ったり。

 『街道をゆく』(43)「濃尾参州記」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1996年第1刷)を読んだ。またいつものように気になる箇所をメモしよう!

★大久保家の門外不出だった『三河物語』が世に出たのは、明治後であった。……それによると、徳川の祖は、「徳」とよばれている流浪の法体(ほったい)の人だったという。時宗の僧だった。当時、こういう漂泊の人を時衆(じしゅう)ともいった。……一カ寺をもつ正規の僧からは、はなはだ賤視されていた。ついでながら、時宗の遊行僧、その名として漢字一字の下に阿弥をつけていた。”徳”は正しくは徳阿弥という。父とともに流浪していたというから、漂泊が家業だったらしい。……徳阿弥は、多能だった。その一代のうちに郷民を手なずけ、山中のわずかな水田村落をいくつかおさえていたという。これが、はるかのちに徳川家康を生むこの家系の祖になる。(「高月院」60p-62p)

★リンゴを写真にとっても部屋にかざる気がしないが、画家が描くと、千金を投じても買う、なぜだろうという設問をし、専修大学のフランス文学の常勤講師の石川美子さんが、写真は意味でしょう、絵画は表現ですから、と答えてくれた。人間は、意味よりも表現を好むのだというのである。(「蜂須賀小六」72p)

★古代ギリシャの哲学者は、勇気と無謀はちがうとした。無謀はその人の性情から出たもので、いわば感情の所産といっていい。勇気は、感情から出ず、中庸と同様、人間の理性の所産であるとした。このあたり、家康その人に即して思うと、じつによくあたっている。(「家康の本質」87p)

★家康のおそろしさは、いっさいかれらの既往を問わなかったことである。勇気と中庸はおなじ理性の装置から出ている。その底に、家康の臆病がある。祖父も父もその近侍する者に殺されたという恐怖が、家康に、人間のおそろしさを教えつづけていて、かれは理性的にならざるをえなかったのにちがいない。(「家康の本質」90p)

★山路愛山のいう、当時の三河衆だけが感じていた家康の愛嬌とは、勇気という理性と、人間の本然の臆病とのあいだの家康における振幅のおかしさのことだったにちがいない。(「家康の本質」96p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月21日日曜日

日本画教室へ

 本格的な夏が来る前に新たなエアコンに買い替えた。まだ壊れていなかったエアコンだが壊れてしまってからではエアコンなしの生活はできそうにない。その思いがあった。新たなエアコンは以前と同じく3部屋を開け放して使用している。音は全くしないし、停止後はお掃除タイムとなって自動的に作動する。以前のは20年近く使っていたが、さすがにこの間にエアコンもかなり進歩したのか新たなエアコンは快適だ。「おしらせ」を押すと室内温度、湿度、外気温、そして使った電気代まで表示がある。これには驚く。そして1日中つけていても驚くほど電気代もかからない。そう思うとこれから買い替える冷蔵庫、また先日買い替えたテレビと買い替えが重なるがこれも快適な生活になると思えばありがたいことに思える。

 昨日は日本画教室の日。相変わらず大木を描いている。大木の幹は点描写で描かない。他はほぼ点描写する。いつものごとく先生は点描写を見て笑って話される。この様子がよほど変!?教室が終わるといつものカフェに行く。今回も珈琲タイムに間に合った。しかし、話の内容が病気の話ばかり。高齢化社会と言われて久しい。しかし、病気の話をする人はまだ現役世代だ。某やぶ医者に要らぬクスリを何年も飲まされていたとか。

 こんな話を聞くたびに医者嫌いがますます嫌いになってゆく。薬は時により毒にもなる。先月、歯を抜いた。その際、化膿止めとかで数日分の化膿止と痛み止めをくれた。家に持って帰っても一回も飲まずすべて捨てた。もらった薬をネットで調べると副作用がある。痛くもないのに飲む必要はない。ただ、歯を抜いた後、その場で痛み止めを飲まされた。これも自分で飲むのならば決して飲まなかっただろう。ところが口に入れられてしまったので飲まざるを得なかった。もしも入院とかになれば無理やり薬漬けになるかもしれない。それが一番恐ろしい。なるべくそういったところに関わらないように生きていく!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月20日土曜日

韃靼人の踊り

  今朝は久しぶりに飛行機の爆音がけたたましい。岩国基地の飛行演習に違いない。爆音を聞くだけで嫌な気持ちになる。

 昨日は世界中でウインドウズに異変が発生したとか。今のところ我が家のパソコンは何の異常も見つからない。が、OCNメールとブログにおいてメールアドレスやパスワードの提示が求められる。ブログに関しては何年もパスワードを求められたことがなかった。しかし、今回はメールアドレスとブログのパスワードの提示があった。これも昨日の異変と関係あるのだろうか。

 生協で5千円チャージをした。その際、1万円札を出して5千円チャージをした。すると返金として新5千円札を受け取る。思わずレジの係に「初めての5千円札!」と声が出た。先日、新千円札と新1万円札は人から見せてもらっている。今回は新5千円札をゲット。これからはいくらでも市場に出回るはずなのになぜか新5千円札を得て嬉しかった。

 家の電話機を購入して20数年が経過した。携帯やスマホには自分好みの着信音にしている。ところが家の固定電話は昔ながらの着信音のままだ。何を思ったか着信音を替えようとなった。トリセツを出してみると着信音の変更ができる。結果、「韃靼人の踊り」に替えた。が、電話がかかってくるとその着信音になれておらず、(何か音がする?)と戸惑ってしまう。スマホで何度か固定電話にかけて音を試す。なれるにはしばらくかかりそうだ。

 話がコロコロと変わる。先日、眼科へ行った。眼圧は13と16.眼科医は角膜を見て昔の傷(?)が残っているが神経が綺麗と言われる。昔の傷とは生まれてすぐに患った眼の病気だ。それは自分自身、親から聞いて知ったこと。当時のことは何も知らない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2024年7月19日金曜日

友だちとの電話

 短大時代の友だちから電話がかかる。1か月くらい前に同窓会の知らせが届いた。その話かと思って聞いているとどうも話が違う。それとは別に3日くらい前に知らせが届いたという。それは同総会後に同期のメンバーで茶話会のようなものがあるとか。今日現在、そのような知らせが届いていない。いずれにしてもこれまでどの同窓会にも出席したことがない。

 その話とは別に久しぶりに友だちと話が弾む。この頃と違って自分の若い頃はほぼ全員とも言っていいほどある時期を境として結婚していった。その中に入らず、これまで1人で過ごしている。そのためもあって家族のわずらわしさ(?)はない。わずらわしさのある人はそれがストレスとなるようだ。こんな話を聞くたび(人生とは?)と思っってしまう。

 誰にも寄りかからず(とはいえ、両親や周りの人たちからはお世話になったが)一人で生きてきた。というか人に頼ってはいけない、と言い聞かせて生きてきたように思う。その甲斐あって高校卒業時まで一人で列車にも乗れなったものが、年老いてますます一人で出かけて行くようになった。このことだけでも自己満足の世界に浸る。ということで誰にも気兼ねせず旅にも行ける。この底辺には元気と勇気とそしてわずかばかりの金銭が必要かもしれない。いずれにしてもいつまでも一人で行動ができるような状態でいたい。それが結局は自分にとっての生き甲斐となり愉しみとなる。それにしても暑い日々は続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月18日木曜日

暑い中、お墓参りに

 今日は母の月命日。晴れの日よりは曇った日の方が少しは暑さも和らぐ?と思って一日早いお墓参りをした。ところが、それは大間違いで晴れの日よりも蒸し暑さが半端ではなかった。梅雨の間に砂利を敷いたお墓に草が生える。それを1本ずつ抜く間にも汗が顔から滴り落ちる。時に汗が眼に入る。墓地の10数メートル上には水汲み場がある。花入れを手にして水汲み場へ行き、それを洗う。その後、タオルハンカチを水でぬらして顔を拭う。少しはひんやりするが頭から顔から体中まで汗びっしょりになる。1か月の行事でお墓参りは欠かせない。次はお盆に参ろう!

 お墓参りをする前に歯科へ行った。歯科でも何でも医院や病院が大嫌い。それでも嫌い、と言って行かずにはおれない。特には歯は大事。年を経て一番感じることが歯の大切さだ。ところがこの頃の子供は歯科通いが少ないとか。親が歯の大切さを知って子供のころから歯を大事にしているのだろう。

 墓参りを済ませて我が家にもどろうとするとどこからか名前を呼ばれる。近所の人だ。内科に行った帰りとか。手には袋いっぱいに薬を持っている。内科で1か月分の漢方薬をもらったそうだ。これを聞いてびっくり。それほど多くの薬を飲んでどうする!?

 内科へは30年近くも行っていない。なるべくならばこれから先も病院というか医院へは行きたくない。しかし、どうしても歯科と眼科へは通わざるを得ない。内科で多量に薬をもらう人も通わざるを得ない病があるのだろう。それにしても多量の薬を飲めばいくら漢方薬とはいえ、その副作用も多くあるはず。なるべくならば医院へは行きたくない。そのためにも元気でいなくては……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月17日水曜日

『街道をついてゆく』

 今年の梅雨はそろそろ終わりを告げそうだ。これから先は気温も高くなり本格的な夏になる。気分的には暑くても雨よりは晴れがいい。元気を出して今年の夏を乗り切る!? 

 以下は「街道をゆく」で司馬遼太郎と旅を同行した記者が著した『街道をついてゆく』サブタイトルとして「司馬遼太郎番の6年間」(村井重俊 朝日新聞出版、二〇〇八年第一刷)である。この本からいつものように気になる箇所を記そう!                                                                         

★私はもっと不安だった。致命的な欠陥を打ち明けられないまま、ルビコン川を渡ってしまったのだ。小説は大ファンの私だが、このとき『街道をゆく』は、一冊も読んではいなかったのである。一九八九(平成元)年秋も終わりで、私はまだ三十一歳。司馬さんは六十六歳だった。(12p)

★ひと昔前の話だが、週刊朝日の山藤担当者は「ブレーン」ではなく、「ストマック」といわれた。打ち合わせで食べてばかりのためで、なかでも、私は最強のストマックだったかもしれない。要するに、ほとんど記者経験しかない、しかも大した記事を書いたこともない。(12p-13p)

★「エリツインのようにアジア系を思わせる顔にロシア人は弱い。スターリンもそういう顔でしょ。ああいうアジア系の顔を見ると、タタールのくびきを思い出すのかもしれない。ゴルバチョフはヨーロッパ系の顔で、押しが利かない。政治家としてやはりひ弱だね」中世ロシアは、モンゴルのキプチャック汗国の苛烈な支配を受けた。これがタタールのくびきで、ロシアはその模倣者となる。農奴制はキプチャック汗国の土地支配を踏襲してるねと、司馬さんの“講演”は続く。(16p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月16日火曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(5)

 これから先の天気予報を見ると今年の梅雨は今日で終わりそうだ。明日からは地獄の暑さが続く!?

 『司馬遼太郎が考えたこと』(5)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)を読んだ。この本は15巻までシリーズ化している。そのため司馬遼太郎の小説はしばらくの間ご無沙汰気味だ。以下に気になる箇所を記そう。

★英語のスピーチを演舌または演説という日本語に仕立てたのは福沢諭吉である。福沢は演説を重視し、門人にそれを勧め、明治八年(一八七五)には、三田に演説館を建てた。しかし、不特定多数の大衆にものをいうという習慣が日本になく(真宗僧の説教以外に)、さらには政治のなかに論理を持ち込んで、それを修辞によって聴衆に理解させ、さらには鼓舞させるという習慣が日本の過去の政治に皆無で、それだけでなく日本語そのものの言語的伝統にもそれがなかったため、たわいもない煽動や詭弁、もしくは乞食節(こじきぶし)調へ陥りがちで、ほとんど実を結ぶことがなかった。結局は政治は論戦や雄弁によって動かされることなく、楽屋での取引で動かされてゆく。(「訥弁の国の唱」151p)

★徳川大名の先祖は、たいてい戦国に現れてくる。その連中の出自をしらべてみると、そのほとんどがどこの馬の骨だかわからない。これが明治のとき華族になって公侯伯子男になったのだから、要するに日本の華族というのは、モトはどこの馬の骨だかわからないのである。日本歴史のユーモアは、そういうところにある。……「明治帝は、ユーモリストとして相当なものであったらしい。蜂須賀侯爵と話をしておられて、ちょっと中座された。侯爵がふと卓上をみると、いい煙草がある。一本頂戴して火をつけたが、しかしもうすこしほしかったので、何本かつかんでポケットに入れた。ほどなく明治帝が席にもどって来られた。帝は卓上の煙草入れの様子が変わっているのに気づかれ、いかにもおかしげに、「蜂須賀、先祖は争えんのう」といわれた。江戸後期からの太閤記ばやりが、蜂須賀侯爵家にとって不幸なことに、明治帝にまで知られるほど、小六を有名にしてしまったのである。(「どこの馬の骨」155p-156p)

★この日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、べつの集団になったとしか思えないが、その戦後の最初の愚行は、官修の『日露戦史』においてすべて都合のわるいことは隠蔽したことである。……その理由は、戦後の論功行賞ににあった。伊地知幸介にさえ男爵をあたえるという戦勝国特有の総花式のそれをやったため官修戦史において作戦の当否や価値論評をおこなうわけにゆかなくなったのである。……これによって国民は何事も知らされず、むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教育によってそのように信じさせられた世代が、やがては昭和陸軍の幹部になり、日露戦争当時の軍人とはまるでちがった質の人間群というか、ともかく狂暴としか言いようのない自己肥大の集団をつくって昭和日本の運命をとほうもない方角へひきずってゆくのである。(あとがき『坂の上の雲 四』205p-206p)

★日本の今日を是認するとすれば、今日あらしめたのは、体制としての儒教の悪しき害から幸いにして逃れたということです。儒教は書物として持っていただけなんです。書物として持っているだけで、体制・生活秩序として持っていない。……儒教的中国体制に儒教的中国体制の原理がある。それを一時に蹴っとばすには別の強烈な原理を持って来なければならない。……孔子、孟子も中国三千年の文明も全部拒否してもいいから、この悪しき儒教的中国体制を払拭したい。だから劉少奇を紅衛兵で追っ払ったということだろうと思います。それ以外にとても考えられない。それくらい体制としての儒教は悪いものですよ。……その清潔さのなかでなければ明治以後のインダストリイというのは興らなかった。資本主義というのは官吏がコミッションをとらない体制の中でなければ興らないのです。だから資本主義が興った国というのはヨーロッパでも僅かです。……そうでないアングロ・サクソンやドイツ人は、きっちりやりましょうでやったから資本主義が興ったのです。ところが日本人はドイツ人やアングロ・サクソンではないけれども、非常に長い歴史の間、同じ状態で成立していたわけで、とくに徳川期というのは一種の日本的吏道というものが確立した時で、そのお陰で明治維新が成立し、資本主義が栄えることができたのだと思います。(『日本・中国・アジア』324p-330p)

★世界中のたいていの民族は絶対原理を一つ持っていて、その絶対原理で人間をつくり変えてしまう。そうでなければ人間は猛獣で手に負えない動物だと思っているらしい。中国では儒教でもって人間を飼い馴らしているし、ヨーロッパではキリスト教でそうしている。回教圏もむろんそのことが強烈におこわれてきた。……人間に対してもこのようにつくり変えることによって、はじめていい社会が組みあげられてゆき、国家というものがその上に乗っかかるというのが、たいていの人類が持っている考えだろうと思うんです。ところが、日本史上の日本人だけは非常に人間をそのままに考えていて、たとえば、二十歳になれば自然に成人するんだという具合に解釈しているようですね。日本人には世界中の他の民族とちがう条件があって、自然のままで社会がつくられるようにできている。だから、儒教に接したときも仏教に接したときも書物と制度だけを簡略にとり入れて、人間が人間を飼い馴らしてゆくという絶対原理を深刻には考えず、原理としとり入れなかったわけでしょう。中国ではまったくちがいます。孔子が古の道とよんだ漢民族古来の秩序原理をかれが整理して宣布し、そしてひろまった儒教が、体制をつくる上で便利であるということで採用され、専制君主である皇帝がこの原理の体現者として人民を統治してゆく。武による競争社会ではありませんから、儒教体制の王朝はめったに倒れないわけですよ。島津藩とか長州藩といった競争者が現れないんですから。そのうちに官吏が腐敗し、大飢饉が起こり、農民が流民化すると、易姓革命が起こって、天明改まるというわけです。この繰り返しがだいたいの中国史でしょう。(「競争原理をもちこむな」354p-355p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月15日月曜日

洗面所の換気扇

 お風呂から出て洗面所の換気扇をつける。が、換気は鈍っている。前々からこの換気扇の掃除を、と思いながらもカバーが取り外せずそのままでいた。困ったときはスマホに聞け、とばかりに検索すると洗面所の換気扇の掃除の仕方がYOU TUBEにアップされている。お風呂前に掃除をすればたとえ汗をかいてもお風呂で流せる。それをお風呂後に思いついたため、汗びっしょりになって動画を見る。まずは換気扇のカバーを外す。これにはびっくり。動画効果はすぐに出てカバーが外せた。しかし、中に取り付けてある羽根は外せない。仕方なく雑巾でたまったほこりをぬぐう。本来ならば掃除機の先の細くなった部分で埃を吸わせるといいらしい。が、どうにか掃除はできた。とりあえず今回、カバーが外せることに気づいただけでもよかった。

 日本画教室で洗面所の換気扇の掃除について聞くとやっていないという。しかし、台所の換気扇は掃除をしているそうだ。浴室の換気扇のカバーは外せないのでフィルターだけ掃除をしているともいう。どの家も換気扇の掃除をしているのだろうか。今回は洗面所の換気扇の掃除ができた。しかし、さらに歳を重ねると何をするにも自分の背丈よりも高い位置にあり、踏み台に上がってしなくてはいけない。危ない、危ない。気をつけて!

 世の中3連休。連日の雨で家でじっとする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月14日日曜日

1日1フレーズずつ

 民放のBSでスリランカの旅を放送していた。スリランカは11年前に出かけている。懐かしさもあってテレビを見る。シーギリアが出た。これはシギリア・ロックに違いない。そう思って11年前に出かけた我がブログを見る。その時の写真を再掲しよう。

 世界遺産シギリア・ロックの頂上までは険しい階段を登らねばならない。頂上に着くと思わず両手を天に突き刺して万歳をした。この旅で九州のお坊さんたち3人と知り合った。それからラオス、タイ、インドネシア、ミャンマー、トルコなど旅に誘われる。しかし、同行したのはタイ、インドネシア。お坊さんたちは人生最後の旅を南インドで、と話されたがコロナ禍があっていまだに実現していない。ともあれ、懐かしさをこめてこのスリランカの旅番組を見た。

前方の四角い山が目指すシギリヤ・ロック

シギリヤ・ロック頂上
四角いモノは王都の跡
ここに立って天に向かって万歳をした
 話は変わって昨日は日本画教室の日。コロナが再燃しているらしく、1人は身内がコロナに感染してお休みだ。まだまだコロナは油断できない。絵を描く合間に昨日もプール談議になる。先生は絵の教室でプールが流行るとは、と驚かれる。どの人も元気を維持するためにプールなどを利用しているようだ。運動に関しては何も取柄がない。しかし、水泳だけは話に加われる。これは嬉しい!

 日本画教室が終わりJRで家路に急ぐ。その際、乗車した駅で外国人に座るようにとすすめられる。思わずどこから?と英語で話してみた。スペインからだ。在来線に乗車するとスペインからの観光客が多い。優しそうな人たちだったので13年前2週間スペインへ旅行した話をする。どこへ行ったかと聞かれ、サンティアゴ・コンポ・ステーラなどと話す。旅の目的が現地のカテドラルで歌を歌うことなどがあった。が、それを英語でうまく言い表せない。席に座らせてくれたスペイン人は5人全員女性でファミリーと言っていた。広島駅で彼女たちは降車。その後、家に着くまで思った。簡単な英会話を1日1フレーズずつ覚えようと。今日から頑張って勉強する!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月13日土曜日

「自信」

 30代半ばごろから50代半ば(この齢で会社を辞めた)まで新聞や本などを読んで気に入った文などをノートに書き留めていた。一昨日と昨日、そのノートを読み返すと自分自身を励ます文が羅列する。如何に「自信」がなかったことか。その究極は『自分に自信をもて』から引用した文が、日付を異にして3か所もある。先日来から本を100冊くらい処分した。この本は処分せずに本棚に残していると思ったらその本がない。これは今回の処分ではなく何年か前に処分したに違いない。図書館で探すも蔵書がない。ネットで探すと単行本が99999円とある。これは本当にそうなのかどうかははっきりしない。が、3か所もノートに記入しているので本を処分しなければよかったとも思った。と思いながらもその個所をメモしている。それだけでよかったと思い直したりもする。

 写真とこの記したノートは自分が先がないと気づいたときに処分しよう。それまでは自分が生きてきた証として残す!?ノートに書き留めなくなってから7年ぐらいのブランクのあとはブログにアップしている。この7年のブランク(学業と介護)は自分の人生最大の忙しい時期だった。というか満ち足りすぎた怒涛の7年を過ごした。「自信」があるじゃどうじゃと考える暇もなく必死だった。その7年で経験したことがまさに「自信」となった!?

 そんな合間に昨日は父の大工道具のこぎりやハンマーなど10点近くをゴミとして処分する。こんな処分は資源ゴミだが刃の部分は新聞などでくるんで「危険」と書いて出すようだ。昨日が資源ゴミの日だったので次は2週間後。毎日少しずつ処分しているが、その都度、人間に必要なモノとは何?と考えさせられる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月12日金曜日

104歳同士

 ふと頭を過るものがある。それは五木寛之の古寺巡礼である。これがYOU TUBEにアップされているかどうかを検索すると「五木寛之の夜」というラジオ音声がアップされていた。その最初が女人高野の室生寺だ。このお寺に行こうとしているのでこれ幸い、とスマホでこれを聞く。本来ならば以前テレビで放送された百寺巡礼を見たかった。が、これはまだ検索できていない。いずれにしても百寺巡礼はBSで見ていたが、当時は今ほど奈良にハマっていなかった。今、見ればまた違って見えるに違いない。

 今朝の地元紙に104歳同士の対談がある。それは尾道在住の石井哲代さんと呉在住の信友良則さんである。どちらも自宅でひとり暮らしをされている。石井哲代さんをすごい人だと思っていたが良則さんも石井哲代さんに負けず劣らずすごい人だ。良則さんはデイサービスに参加せず、食事を作って食べている。哲代さんは夕食に配達される食事を食べるそうだ。哲代さんは週3回デイサービスに通うとか。その目的の一つに家でお風呂を沸かさず、デイサービスを利用している。いずれにしても自分の将来もこの人たちのように自宅でひとり暮らせたら最高の人生になる!?

 今朝は資源ゴミの日。前夜から玄関に出して用意する。今回は衣類や紙類を多量に出した。早く収集されるといいが……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2024年7月11日木曜日

新札

 137から始まる電話番号での電話がかかる。以前にも1818で始まる番号からかかってきた。すぐに留守番にするとメッセージが流れる。いずれも指定された番号を押さないと電話が使えなくなるとのことだ。後でネットで調べたが、海外からかけたらしく怪しい電話だ。

 話は変わって昨日歯科に行くと近所の人も来院していた。その人は歯科に来る前にスーパーで買い物をしたそうだ。その際、新札の1000円札をもらったという。先日、切り替わった新札だがまだ見ていなかった。これから手もとにも徐々に届くようになるだろう。

 昨夜から今朝にかけて雷を伴う大雨が降った。今は雨がやんでいる。が、JR各線は運行していない。この頃は大雨で鉄道の運行不能はよくある。もはや年中自宅待機組なのでJRが止まってもそれほどの影響はない。しかし、勤め人はそうもいってはおれないだろう。安全のためには運行不能もやむを得ない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月10日水曜日

リュックを軽く背負うテクニック

 ネット記事を見ていると「たった3つだけ!リュックを軽く背負うテクニック」がある。リュックは1人旅では欠かせない必須アイテムで、ツアーの時のようなキャリーバッグは持って行かれない。記事を読むと3点、注意すべきことが書いてある。この3点は初めて知ることで大いに参考になる。それは以下である。

1肩ひもを調整をして密着度UP 

2重いものを上にして重心を高く!

3荷物をまとめて安定性を上げる!

 3点の中でも1と2は特に参考になる。今月下旬、奈良へ行くので早速この通りにやってみよう。旅は最小限の荷物に限る。その意味でもリュックは軽く背負いたい。

 それにしても暑い!ずっとエアコンの中で過ごしていると動きが鈍くなりそうだ。暑くても1度は外に出るつもりでいるが昨日も暑さに負けて泳ぎに行かずじまい。というか、7、8月は暑いので無理して泳がなくてもいいか、と自分を甘やかせたりする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月9日火曜日

『司馬遼太郎の街道⓵東京編』

 連日の暑さにも負けず、家にある不要なものを処分している。1日に1個ずつでも、と思って始めた処分。今朝は1個どころか大きな皿などを20枚以上、不燃ゴミとして出した。

 以前出かけたインドのカシミール地方に東洋のベニスと言われるスリナガルがある。ここはイギリスの避暑地で家はすべて湖上にうかぶハウスボートである。その旅ではホテルももちろんハウスボートでその一室に泊まった。

 片づけをしていて我が家がもしもハウスボートならば、かなり家の中のモノを処分したので家自体が軽くなっているかもしれない、と思ったり。それでもまだまだ処分しなければいけないものが待っている。

 以下は『司馬遼太郎の街道⓵東京編』(週刊朝日編集部 朝日新聞出版、2020年第1刷)から気になる箇所を記した。

★歴史研究家の小美濃清明さんには、『龍馬の遺言 近代国家への道筋』(藤原書店)という著書があり、ペリー来航についても書いている。(偶然にペリー艦隊が浦賀に姿を現したことにより龍馬の人生も大きく変化した。剣術修業が砲術修行となり佐久間象山の門下生となった)(『龍馬の遺言』)……「巨大な黒舟衝撃は大きかった。目の前のアメリカ艦隊を見たら、攘夷なんて簡単にできないぞと思ったでしょう。盟友の中岡慎太郎は強烈な攘夷論者でしたが、彼は見ていません。偶然にも見た龍馬たちは、あまり攘夷をいわなくなる。そんなことできんぞと一瞬でわかってしまい、砲術を勉強し、勝海舟に師事して海軍を学ぶことになります」龍馬はどう考えても好奇心が強かった人物だろうという。「小説のように浦賀に入ってないと思いますが、自由行動ができるなら、いの一番に行きたかったと思います。心理学のはやり言葉で『GRIT』というのがありますね。要するに好奇心や集中力のことで、GRITの強い人が成功する。おもしろいのは知性とは関係ないこと。ハーバード大などでもIQが高くても伸びない人は伸びない。GRITが高い人だけみんな伸びてる。まさに龍馬はGRITが高いタイプで、ペリー艦隊に遭遇したことをいい機会に、ガラッと人生を変えたんでしょう」(頼朝から昭和海軍へ「三浦半島記」の世界)(241p-243p)

★平安中期以降、とくに関東は大小の武士たちが跋扈していた。(それぞれ農地(ところ)の管理権を、懸命に守っていた。そのさまを、一所懸命といった)鎌倉時代のキーワード、「一所懸命」にはこうした功利的すぎる側面もあったのだろう。(頼朝から昭和海軍へ「三浦半島記」の世界)(248p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月8日月曜日

タンポポ

 わが家の狭い庭にシュウメイギク、ツバキ、金盞花などを植えている.梅雨時季、シュウメイギクは背丈が伸びず、葉っぱだけが肥大化する。今年の春、1輪も咲かなかったツバキはシュウメイギクとは逆に背丈だけが伸びる。時季を過ぎたはずの金盞花は7月になってやっと花を咲かせなくなった。昨日、この3点を急遽、抜いた。抜くにも根がはびこってかなり強く引っ張って抜いた。今朝は燃えるゴミの日。半日、そのままにするとすっかり枯れていた。ゴミに出す。

 レモンの木を伐採してもう木は植えないはずだった。ところが店頭に並んだツバキを見て買ってしまった。いずれは伐採の憂き目に遭うはずなのに買ってしまった。昨日、ついに早くも根元から抜いた。もう木は買わない、と肝に銘じて。シュウメイギクも店頭に並んでいた時はまさか葉っぱがこれほど肥大化するとは想像していなかった。せめて1度でもいいから花をつけたシュウメイギクがみたかった。残念。

 先日は花屋の店頭に並んでいた鉢植えの桔梗を買った。桔梗はこれまでにも何度か買っている。が、多年草なのに1度も年を越したことがない。近所に鉢植えの桔梗がある。話をすると毎年花を咲かせるという。そう聞いて店頭の桔梗を買った。買ってすぐに大きな鉢に植え替えた。年を越す前に肥料を施す、と近所の人は言う。昨年、初めて年を越したシクラメンがある。今年も花が終わったシクラメンの鉢植えを紫陽花の下に置いた。買った桔梗も花が終わるとどこに置くか考えよう。

 今朝、庭に眼をやるとマンホールの隙間から黄色い小さな花が咲いている。これはもしかしてタンポポ、と思って抜かずにいる。タンポポは西洋タンポポと日本タンポポがあると甥が小さかったころよく話していた。西洋と日本のタンポポの区別はネットで調べると花の首辺りに違いがある。何もつけていないのが日本タンポポでつけているのが西洋タンポポだとか。我が家のタンポポは日本タンポポ!?スマホで写すがいい具合に取れない。野に咲くタンポポは可愛い。が、マンホールに咲くタンポポもこれまた可愛い。抜かずに様子を見よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月7日日曜日

今年初めてのスイカ

 テレビの代金を払いに電気店に行く。この3日間、セール中とかで小さいスイカ1玉とカタログを見せられてどれか1品をくれるという。くれると言ってもすぐにではなくカタログに記載の場所から自宅宛てに送られてくる。その後、店長とリフォームの話になった。台所だけのリフォームが広がり、ほかの部屋もすることにした。工事は秋の予定でその前に業者が見に来られる。

 今朝も暑いが昨日も朝の時点で狂うほどの暑さだった。お昼を済ませて暑い中、日本画教室へ行く。いつも1時間遅れでやって来る人が暑さに耐えきれなかったのか、コンビニによって教室の人のアイスクリームを買ってきたという。アイスクリームというよりもシャーベットだ。教室に冷蔵庫はなく溶けてしまうので急遽、絵を中断して皆でアイスクリームをいただく。冷たいものはほとんど口にしない。が、アイスが溶けるのでいただいた。口の中よりもアイスを持つ指先が冷え冷えになる。久しぶりのアイスだった。

 絵の教室が終わるといつものカフェに行く。珈琲は間に合ったが(コーヒーの注文は4時で終わる)店員の態度の悪さはどうよ、と思った。お店を出るころには話声が大きいと注意される。適当なカフェが近くにないのでこれも仕方がない。それにしても変なカフェ。

 教室では相変わらず大木を描いている。先生から点描写を褒められる。というか、気永く点描写を描くのをみて呆れられた!?根気だけが取り柄なので点描写は合っているのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月6日土曜日

青いイチジク

 スーパに行くと果物売り場に「青いイチジク」と書いてあるパッケージがあった。イチジクは赤紫が一般的だがわざわざ「青いイチジク」と表示がある。完熟せずに青いのではなく青いイチジクのままで熟れているに違いない。そう思って買ってみた。そのとおりで青いままのイチジクは甘くておいしい。茄子も赤紫ではない青い茄子が狩留家茄子(かるがなす)として最近出回っている。これと似たような感じで青いイチジクができたのかもしれない。
緑色のいちじく 

  話は変わって昨夕、壊れたテレビに代わって新たなテレビが設置された。近くの電気店での工事だが30分もかからずに終わった。パソコンはメーカーから直に購入するので段ボールで届いた製品を開けて自分で設定している。が、テレビなどの電気製品はこれまで自分でやろうと思ったことはない。そういえば固定電話機も自分で設定した。器用な人はテレビなども自分でするに違いない。

 梅雨時季なのに雨は降らず、ただただ狂うほど蒸し暑い。今日の最高気温は35度とか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月5日金曜日

姉妹に写真を郵送

 子どもの時の写真など4枚をコンビニでコピーする。写真を印画紙のような写真にコピーしたい。しかし、USBメモリーの写真ではないため無理らしくハガキ用紙でのコピーとなった。絵ハガキをカラーコピーするとそっくりの絵葉書となってコピーされる。これと同じように印画紙ではないが写真ハガキになってコピーされた。といっても元の写真はカラーではなく白黒やセピア色。 

 これを姉に郵送しようと封筒を探すが写真が入る封筒がない。幸い写真はいまの大きさと違って1枚が名刺サイズくらいしかない。一番古い写真はセピア色で名刺サイズよりもさらに小さい。ハガキサイズに2枚の写真をコピーした。それを封筒に入るように1枚ずつに切り離し、送る旨を姉に告げる。すると姉は妹も写真が欲しいはず、という。すぐに妹に電話するとほしいとのこと。ついでに整理した写真のなかに母と妹が写っている写真が数枚ある。それに加えて介護中の母の元気そうな写真を添えて妹に送付する旨、話す。妹は写真を楽しみにして待っているという。

 すぐに姉と妹への郵送の準備をする。が、写真が入る大きさの封筒がない。家の前にあるドラッグストアに行くと定型郵便物の細長い封筒があった。それを購入したが妹へはコピーした写真だけではなくいわゆる写真も数枚送る。が、この封筒には入れられず後で100円ショップへ出かけて角になった封筒を購入しよう。

 それにしても暑い!早めに100円ショップへ行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月4日木曜日

写真の整理

 姉と電話での話のなかで子供のころの写真の話になる。コロナ禍のなか、暇つぶしにアルバムに収めてあった写真をすべて剥がした。その時、家族で写った子供のころの写真を見つけた。昨日、家の片づけを中断して再度、写真の整理を思いつく。何十冊とあったアルバムから外して1枚ずつの写真にしている。旅の写真であれば旅ごとに袋に入れていた。アルバムから外す際、かなりの写真を処分した。が、今回はその第2弾の処分である。亡くなる寸前、自分が気に入った写真だけがあればいい。

 昨日はまず姉が欲しがっていた子供のころの写真の束を探す。数枚あった。それをスキャンしてメールで送信。しかし、姉は紙の写真が欲しいらしい。コンビニで写真をコピーした後、郵送しよう。

 写真のなかで一番多いのは旅の写真。それも海外旅行の写真だ。多量にある旅の写真を昨日もだいぶ処分した。が、時間がかかりまだまだ処分しきれずにいる。少しずつ気分を変えて処分しよう。写真を処分中、若い頃、自分では暗かった青春時代と思っていたが、結構、海山などに出かけている。自分が思っていた以上に楽しく遊んでいる写真だ。意外な人と山にも出かけている。吾妻山にも行きたいと思っていたが、若い頃登っていた。これにはびっくり。

 今はプールで泳いでいるが水着の写真はない。プールでは撮影禁止のためである。ところが若い頃、泳げなかったのに海で写った水着の写真がある。これにもびっくり。結構、青春時代があった、と我ながら驚く。

 そして昨日の段階では2枚、保存すべき写真を見つけた。1枚は1989年に出かけたインドの旅、それもカシミール地方で写した写真だ。今ではこの地方への旅は紛争地帯で行かれない。当時も紛争の真っただ中だったがどうにか観光できた。そして2枚目のお気に入りは初めて姪と出かけた中国の龍門石窟の廬舎那仏の写真である。優しいお顔がとてもいい。

 ということで今日からブログのプロフィール写真はカシミールで写した写真にしよう。
1989年8月インド・カシミール地方
こういう広々とした場所が好き!

1987年12月中国洛陽の龍門石窟・廬舎那仏
 
 今日午後は泳ぎに行こうと思っている。が、こう暑くては行くかどうかわからない。家にいるならば写真の整理をしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月3日水曜日

「中治り現象」

 テレビの買い替えに近くの電気店に行くと店長がおられた。故障の修理はせずに買い替える旨を告げる。2時間後にテレビの状態を見に来られた。同じ大きさのテレビの買い替えとなったが設置は近いうちになるようだ。テレビはなくても生活に支障をきたすことはない。毎日テレビをつけるとは限らず、つけても2時間も見ることはない。それでも全くテレビのない生活もどうかと思って買い替えとなった。

 突然のテレビの故障で思った。故障前夜、テレビの電源を入れるも電源が入らない。おかしい、と思ってテレビに接続されているコードを触った。すると電源が入った。それから1時間余りテレビをつけた。ところが、翌朝、いつもは朝テレビをつけたことがないのに試しに電源を入れると2,3か所点滅するがすぐ消える。壊れた、と思った。

 人の死もなくなる数日前に「中治り現象」が見られる、と聞いたことがある。父の時も母の時もそれを感じた。テレビも壊れる前触れとして一瞬、テレビの電源が入り見られる状態になった。が、すぐに壊れた。この現象は人だけではなく何事にも当てはまる!?

 父の場合は意識のない状態なのに手を握ると強く握り返してくれた。母の場合は一切眼を開けなかった状態だったのに、病室に行くとぱっちりと目を開けて凝視してくれた。きっと、何かを言いたかったに違いない。今でもこの両親の「中治り現象」を思い出すと不思議なことに思える。テレビが壊れたことから余計なことを思ってしまった。

 電気店にテレビを見てもらった際、店長に家のリフォームの話をした。そのことをまたも姉と妹に電話で話すと妹から意外な言葉を聞いた。それは母をよく介護してくれたとの褒め言葉だった。姉からは以前に同じことを聞いていたけどこの期に及んで妹からも聞くとは驚き。姉妹3人とも歳を取って親のことを思うのかもしれない。

 今朝は早くから歯科通い。先ほど帰宅するも蒸し暑さは半端でなく朝からエアコンをつける。先日買い替えたばかりのエアコンは快適だ。他にも冷蔵庫、テレビと買い替えが続く。ナニゴトも壊れるときは重なりやすい。この辺でもう何も壊れないように、そして人も元気でありますようにと願わずにはいられない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年7月2日火曜日

テレビが壊れた!

 大雨警報と洪水警報が発令された。ローカルのJR各線は運行停止のようだ。牛乳と卵が少なくなったが、スーパーへ行く気が起こらない。幸い、我が家の前にドラッグストアがある。肉や魚などの生ものは店頭にはないが牛乳、卵は売っている。午前中、雨が止んだころを見計らってドラッグストアへ行く。

 お昼を食べた後、急に本の整理を思いつく。牛乳と卵を買ったので安心したのかやる気になる。本箱の本は後回しにして、3段ボックスに入れている本をすべて出した。ここには井上靖や司馬遼太郎、そして森本哲郎の本を置いていた。司馬遼太郎は5年前からハマった、と思っていたがその前から買っていた本が10数冊もある。

 本箱の本は踏み台に上がらないと上の棚の本が出せない。出しながら要る、要らないを分別する。人からいただいた本もかなりある。これは捨てがたい。また本箱にはこれまで出かけた海外旅行で買ってきたものがたくさんある。先日はモロッコから秘密裏に持って帰ったサハラ砂漠の紅い砂を思い切って捨てた。砂は瓶に入れていたが。

 海外のお土産は自分で買ったものではなくヒトからいただいたものもある。今のところ捨てがたい気持ちが強いがこれから先はさてさて。

 海外と言えば中国で買った本がこれまたたくさんある。碑文に書かれた書もある。これを見てゴミとして出すには忍びなくなる。すぐに以前2度ほど本を取りに来てもらった古書店に電話をする。我が家から遠い場所にある古書店だがゴミとして出すよりも無料でもいいから持って帰ってもらおうと電話した。取りに来てくださるとのことで安心する。その本は100冊近くもある。紙袋に4袋ほどになった。

 夜になってテレビをつけようとすると点かない。いろいろと触っていると電源が入った。しかし、今朝、試しにテレビの電源を入れると点かない。壊れたようだ。製品はソニー。08年製なので16年間使っている。修理するのはやめて新たなテレビに買い替えよう。それにしても先日のエアコン、そして予約済みの冷蔵庫、今回のテレビと徐々に電気店が扱うパナ製になっていく。今朝はこれからテレビを買いに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)先ほど雨の中、外に出していた大型ゴミの収集車が来た。4点ほど出したが、出すまで廊下に置いていた。やっと収集されてほっとする。連日、雨の中、家の片づけをしている。人生で一番、張り切って片付けている。長年、生きた証がゴミとして溜まった!?今は昨日、古書店に電話した本が4袋ほど収集を待っている。まだまだ片づけは続く。

2024年7月1日月曜日

大雨警報!

 先日、JRのみどりの券売機で新幹線のチケットを発券した。その際、先客が発券の順番を待っている。それもかなり離れた場所にいる。その人の順番が来た。一般的にはネットで予約していれば機械操作ですぐに発券できる。その人は機械に向かって話し始めた。服装を見ると迷彩服を着ている。自衛隊の人のようだ。機械のマイク越しに話をしてもなかなか埒が明かない。いつまで待つ!?と訝っていると女性の駅員が出て来た。自衛隊の発券は一般人と違うらしく駅員は丁寧に応対していた。それにしても一般人の発券と比べて何倍も時間がかかる。自衛隊は国の機関だから手続き上、いろんなことがあるのだろう。そう思いながら駅を去る。

 駅の前に歯科がある。通っている歯科だ。その日、地鎮祭が催されたらしくテントが張ってあった。地鎮祭は雨が続いて延び延びになった、とも聴いている。新たな歯科の完成はいつなのかは聞いていない。が、1年以内には完成のようだ。建物がよくなるのはいいが、なるべくならば歯科通いはしたくない。とはいっても歯は大事。嫌がらずに通う!?

 今朝は大雨警報が出ている。居住は市内だが、隣町に近い区に住んでいる。隣町は町制を敷いている。そのため、何かあれば町内放送が流される。朝から大雨警報発令の町内放送で目が覚める。お陰で今朝の目覚めは早い。それにしても雨がよく降る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!