2024年6月30日日曜日

「防府ぶら~2024初夏~」の日帰り旅

 2024年6月28日(金)、「防府ぶら~2024初夏~」と銘打った日帰りバス旅に参加した。旅の参加者は30名、うち1人参加者は8名だった。この日、大雨警報が予想されていたことからJRは呉線や芸備線を始発から計画運休とした。が、山陽本線は運行したのが幸いだった。しかし、予定出発時刻になっても全員が集合せず、20分遅れてバスは出発した。

 バスは山口県防府市にある東大寺別院・阿弥陀寺に向かう。途中、下松のSAで15分間休憩がある。ここで飴を購入。阿弥陀寺へは何度か紫陽花の時季に訪れている。いつも思うのはナニゴトも初めて出かけるときが最高で何度か行くと最初のような感動がない。これはなぜ!?阿弥陀寺もそう感じた。阿弥陀寺は紫陽花寺としても有名で4000株の紫陽花や半夏生などが咲いていた。ただ、以前眼にした夏椿は咲いていたのかどうかはわからなかった。残念。

 山門を入ると本堂までは石段が続く。雨で濡れた石段は滑りやすいので、添乗員の先導で石段ではない平坦な道を歩く。まずは本堂に参る。1時間のフリータイムがあり、もらった地図を手にして本堂を抜けると半夏生の群生地を目指す。今年の半夏生は以前の半分くらいしか群生していない。他にも夏椿を探すが見当たらず、花の時季を過ぎたのかもしれない。

 紫陽花は雨が似合う。が、羽織っていた薄手のブラウスは雨でしずくが垂れそうになる。バスに乗るとブラウスを脱いで車内で乾かず。阿弥陀寺の観光時だけ雨が降り、その後は傘をさすことはなかった。

阿弥陀寺 山門

石段ではない道から本堂まで歩く




半夏生
 紫陽花を見た後は、「味のおもてなし浜」の浜御膳をいただく。魚好きなので魚尽くしのお昼はよかった。防府は天神鱧(はも)で有名らしく熱々の鱧のフライを初めていただいた。

 お店の横に神社がある。入店前は神社を見る余裕を持ち合わせていなかった。しかし、お腹もいっぱいになり、お店の外を散策していると隣が神社になっている。そして入り口に生け簀のようなものがあり、亀がたくさんいた。亀の横には鯉も泳いでいる。誰かがこれはスッポンだという。料理屋がスッポンを飼育して料理に出すともいう。(神社があるのにこれを料理して出す?)と思っていると料理人らしき人が外に出られた。よく聞くとこれはスッポンではなくやはり亀で、この神社の別名が亀神社とも言われる車塚妙見神社であった。
「味のおもてなし浜」に植えてあった山ぼうし
車塚妙見神社 別名は亀神社

沢山の亀がいた
 亀神社を後にしてバスは三田尻御茶屋旧構内の英運荘に向かう。ここは国の指定史跡であり萩往還の関連遺跡である。1階と2階の座敷に上がって説明を聞く。萩往還当時の庶民はこの御茶屋は利用できなかったとか。立派な建物である。萩往還は江戸時代に整備された街道の一つで長門の国の萩と周防の国の三田尻(現在は防府市)をほぼ直線に結ぶ全長53㎞の街道だった。
英雲荘
 次にバスは同じく防府市にある毛利博物館に向かう。ここに来るのは2度目。博物館は毛利家に伝わる国宝が展示してある。博物館2階からの眺めは遠くまで見渡せた。
毛利博物館2階から防府市内を見渡す
 さらにバスは防府天満宮へ向かう。ここも何度か来ている。前回、境内をぐるっと回っている。今回は参拝後、東門を出てみた。すぐ横に神社があり、さらに進むと社務所があった。ここからも防府市内がよく見渡せた。
防府天満宮

防府天満宮横にある観音堂
 大雨が予想された一日だったが、ときに晴れ間もあった。遊びに行くには晴れの日がいい。が、初めから梅雨時季を狙って出かけたので、雨の一日も(まあっ!いいか)、と思ったり。なおこの日の万歩計は9118歩。よく歩いた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月29日土曜日

いい一日!

 前夜から警報級の大雨によるJRの計画運休が予定された。幸い山陽本線は普通通り運行された。が、順調な運行になるとは思われない。日帰りバスツアーに出かけるので前夜から雨の降り方が気になる。過ぎてしまえば降り方も大したことはなかった。

 集合場所に間に合うようにと気が焦る。ましてや、この日、資源ゴミが大きなポリ袋に4袋もある。新聞や本なども雨に濡れないようにとポリ袋に入れて出した。ゴミの収集が無事、されるようにと思いながらJRに乗った。早めに家を出たがJRの遅れもなく集合場所に到着。ところが、呉線、芸備線は計画運休なので支障をきたす人もいる。案の定、出発時刻になっても間に合わないとの連絡が入る。遅れること20分で何とかバスは出発した。

 車内でスマホを見ていると推し芸人が超難関資格に合格したとの情報がある。これを見て本当に嬉しかった。毎日、その人のツイッターやYOU TUBEなどを見て頑張る様子が伝わっていた。今回は絶対合格しますように、とまるで親のような心境になる。合格して本当によかった。前夜からの雨の心配もすべて吹っ飛んだ。

 今回は防府市内の旅である。阿弥陀寺は梅雨の時季、何度も紫陽花を見に出かけている。しかし、なぜか何度出かけても紫陽花寺に出かけてしまう。今回は雨の中、石段を歩く。添乗員は石段ではなく側道を歩いて行くようにと先導してくれた。雨で石段を滑り落ちたら大怪我の基になる。これはまずい、と気になっていた。しかし添乗員の別ルートの案内で歩いたので危なくはなかった。ただ、紫陽花はこれまで出かけた時よりも今一歩精彩がなかった。

 遅く出発した割には全行程を無事済ませて広島駅に到着した。夜はテレビでナイター観戦。カープの選手が今季初のホームランを打った。これも気分がいい!ということで昨日は本当にいい一日だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月27日木曜日

「山川草木のなかに分け入って、ともかくも立って見ねばならない」

  今週は歯科通いと家の片づけに草臥れてプールで泳がずにいる。こういう週は気分を変えないと梅雨空に負けてしまいそうだ。幸い、旅行社の新聞折込チラシが入った。これ幸いとばかりにまだ出かけたことがない場所の日帰りツアーを申し込む。それは8月下旬と9月上旬である。他にも1泊2日の旅を申し込みたかった。が、これは2人以上の参加でないと申し込めない。気ままに毎日を送っているので宿泊を伴う旅は1人部屋が希望だ。そのため、1人参加の設定がない旅は参加できなくて残念。

 高知県の檮原の旅は竜馬が脱藩した際に通ったところである。ここへは行きたい希望があるが1人参加が無理と知ってあきらめる。他にも愛媛県の坂の上の雲ミュージアムの旅もある。これはたぶん、旅のアンケートで希望を書いたので採用されたのだろう。しかし、1人参加の設定がないため参加できずこれまた残念。

 昨日、『司馬遼太郎 街道をゆく夜話』を読んでいると「人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳もある自分自身を見つけるには、書斎での思案だけではどうにもならない。地域によって時代によってさまざまな変容を遂げている自分自身に出遭うには、そこにかつて居た――あるいは現在もいる――山川草木のなかに分け入って、ともかくも立って見ねばならない。……樹上の森青蛙は白い泡状の卵塊から下の水中に落ちて成体になるのだが、ひとびとの空想も、家居(かきょ)しているときは泡状の巣の中にあり、旅に出るということは、空想が音を立てて水の中に落ちることにちがいない。私にとって、『街道をゆく』とは、そういう心の動きを書いているということが、手前のことながら、近ごろになってわかってきた。(「私にとっての旅『ガイド 街道をゆく 近畿編』367p-368p)」とある。

 司馬遼太郎が旅に出る気持ちがこの言葉からわかってきた。特に太字部分に見られる。(自分自身のそれはさて何?)と思うとき、自分の知らない自分自身に出遭うことかもしれないと思ったり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月26日水曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(4)

 『司馬遼太郎が考えたこと』(4)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)を読んだ。またいつものように気になる箇所を記そう。

★ロシアはみずから敗けたところが多く、日本はその優れた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂騒の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだし太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。(あとがき『坂の上の雲 二』)(344p)

★そのようなことで、雑木林にかこまれた氏(注:観音寺潮五郎)の那須の別荘に二泊三日も泊めていただいた。まる二昼夜というもの、ほんの数時間まどろんだだけで、聴いたり語ったり、じつにもう法楽ということば以外にあらわしようのない愉しさをきわめた。地上にこれだけの人がいるのに、氏と対(むか)いあっているときのみ、私は歴史の実景のなかを歩いている思いがするのである。条件さえそろえば月にさえゆくことができるが、歴史という過ぎた時間のなかにはたれもゆけない。私にとっての奇蹟は、氏とむかいあっているときのみ、自分がたしかに歴史の光景のなかを歩いているという実感をありありともつことができるのである。氏にとっても、私というものに対してそのように思ってくださっているだろうか。(あとがき『日本の歴史を点検する』)(393p-394p)

 今朝も歯科通いから始まった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月25日火曜日

「齢」を感じた日

 「歯」を抜いたことでつくづく齢を取ったと感じる。年は「齢」とも言い、また「齢」は「とし」とも「年歯」とも書いて「よわい」という。それで年を取るにつれて歯が悪くなるのもかもしれない、と思ったり。電子辞書の『新漢語林』で「齢」を調べた。「『歯』は、人『は』の象形で、人の年齢とともに生え、また抜け落ちる。等間隔に刻まれるとしの意味を表す」、とある。道理で一番齢を感じるのが「歯」であると思うのもまんざらではない。今週は歯科へ通う日となりそうだ。

 先ほど歯科へ出かけようとしたら不燃ゴミの収集車が止まった。部屋からモニター画面をみると不燃ゴミ3袋が収集車に投げ込まれた。これを見てホッとする。金曜日は資源ゴミの日。この日も3袋ぐらいゴミがある。

 廊下に置いていたゴミはだいぶ少なくなった。しかし、まだまだ処分しないといけない隠れゴミがある。毎日最低1個ずつでもゴミとして処分すればそのうち家のゴミも減るはず。昨日、思い切って某会の研究誌を何十冊とゴミとして処分した。本箱に納まる程度の本を保管するようにしたい。しかし、これはかなり申し訳ない気持ちにかられる。が、いつまでも取っておくわけにはいかない。鬼になって処分、処分!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月24日月曜日

朝からいろいろと

 生きていて齢をとったと感じるのは歯の衰えである。今朝は勇気を出して歯科へ行く。抜かれる覚悟をして出かけたが、案の定、抜かれてしまった。ここまで決心するには何日間も思い悩んだ。が、決していい案は浮かばない。歯は食べる上で欠かせない。が、医者からあっけなく「抜きます……」と言われたときは気持ちはどうでもいい、となっていた。抜いた歯は上の奥歯。下の歯は全部そろっているが、残った歯は何よりも大事にしたい。

 帰宅後、何かに解放されたかのような気分になる。気持ちを改めて来月出かける奈良の旅の新幹線を予約する。昨日は行きの新幹線、今朝は帰りの新幹線を予約した。ネットでの予約も慣れてきた。後は歯を治して元気に遊ぶ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月23日日曜日

16年目に突入したブログ

 2009年6月19日にブログ「アサちゃん日記」を開設した。これは主に母を中心としたブログであった。その母も2011年2月に亡くなり、その後、新たなブログとして「敏々日記」を開設した。初めてのブログから今月で丸15年が経過し、16年目に入った。何でも長く続くほうだ。が、それにしても馬鹿の一つ覚えのように毎日、とりとめのないことを書いている。水泳に至っては40年以上も泳いでいる。とはいっても決して無理はせず、細々と根気よく続けている。今、ハマっている司馬遼太郎の全作品読破も長く続く気がする。

 16年目に突入したブログだが、誰に見てもらうわけでもない。ただ自分自身の日々の思いを残せればいい、との思いがあった。そのため、「司馬遼太郎全作品読書一覧表」、とか「フルートのさらった曲一覧」などは自分のメモとし下書きに保存してこれらはブログを非公開にしている。非公開と言えば先の「アサちゃん日記」も2年間、ブログに書いたがほとんどは非公開。母が怪我をして亡くなるまでの記録のようなブログなので自分自身、それを見るのは堪えられない。そのこともあって公開していない。

 昨日、広島県も梅雨入りしたとの情報が入る。平年よりもかなり遅い梅雨入りだ。週末にはツアーで紫陽花を見に行く。雨降りのツアーは大変だけどどういっても紫陽花は雨が似合う。ゴアテックスのトレッキングシューズを履いて雨の紫陽花を見に行こう。我が家の紫陽花も雨に打たれて今が盛りと咲き誇っている!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月22日土曜日

エアコン代金

   エアコンの代金を払いに電気店に行く。撤去した20年前のエアコン代とは10万円も高くなっている。冷蔵庫は梅雨明けに購入するのでカタログを見て予約する。お店の人は180㎝くらいの髙さのある冷蔵庫を勧める。が、個人的には自分の背丈以上のものではなく、また容量の少ないものを、と思っている。その旨告げた。今はいつ買い替えてもいいようにと冷蔵庫に入れているモノを極々少なくしている。

 毎日、モノを処分することばかりを考えていると草臥れる。毎日、なにか1個でもいいから処分する、というように気分を変えて片付けよう。片付けの中で数の多さでいえば食器類と衣類、そして本がある。2個ある食器棚も両方とも処分するつもりでいる。食器類は日常使うもののみ残して小さい食器棚を買うつもり。その前に食器棚の中身の処分が待っている。衣類は捨てるのも勇気がいる。それ以上に本は捨てがたい。

 これから梅雨に入る。その間、家の中をゆっくり片付けよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月21日金曜日

ゴミ収集日に思う

 一昨日のゴミの日、集荷されずに放置されたプラスチックゴミ。(なぜ?)と思った。大型ゴミの受付センターに電話して「放置されたゴミは何のゴミ(?)」と電話で聞くとプラスチックゴミでもリサイクルゴミでもなく、その他のプラスチックと教えてくれた。今朝はそのゴミの日。今、ゴミ収集車の車が家の前に止まった。部屋のモニター画面で見ていると無事、3袋のゴミが収集車に投げ込まれた。よかった!

 この頃は頭の中がゴミのことばかりだ。廊下に置いたゴミ袋が各収集日に収集されるとホッとする。昨日は燃えるゴミの日だった。大型ゴミ以外のゴミとして出せるのは直径や最長が30㎝なので大体の長さを掌で測って出している。昨日のゴミには木彫りを習っていた叔父の作品の木のお盆などをゴミとして出した。お盆は長方形で30㎝よりも長いと思われた。が、取集してくれた。来週は不燃ゴミと資源ゴミの収集を待っている。

 100円ショップで100円で購入しても30㎝以上あれば大型ゴミになる。大型ゴミの最小品の価格は@¥250。買うよりもゴミの値段の方が高い。これはどういうこと!?これまでそんなことも考えずモノを買っていたがこれからは気をつけて買うようにしよう。

 昨夕は姉と妹に長電話をする。妹とはひさしぶりに電話で話した。母が亡くなって13年。妹はその時、「この家はあと20年生きるとしたらその間は大丈夫」と笑って言った。が、その20年まではあと7年。7年以上は生きるつもりなので家の手入れが必要と思った。妹にその旨を話すと笑っていたが電話は長話になった。

 ボツボツと部屋のあちこちを片付けている。が、片付けの究極は捨てるしかない!?そう思っていると何が本当に必要なのか、を考える。そして草臥れて結局は捨てるに限る、になる。以前は物を捨てることに対してこだわりがあった。しかし、このごろは生活するうえで必要なものだけを残して他は要らないと思うようになった。この変わりようはどういうこと!?母はいつも言っていた。あの世へは何も持って行けない、と。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月20日木曜日

旅のカタログ

 大手旅行社から旅のカタログが届いた。が、今回は郵便物が2袋で届く。1袋ずつの大きさは同じでない。(宛先違い?)と思って封を切る前に確認する。両方とも自分宛てだ。封を開けると旅行の出発先が関西発と福岡発とになっている。ということは福岡の営業所が復活した!?と思った。が、よく見るとカタログの発行元はどちらも関西。ただ、中身を見ると旅の出発先が関西発と福岡発とに違いがあった。が、旅の申し込み先はいずれも関西である。電話で申し込む際の区別として関西発と福岡発の電話番号の末尾が1か所異なっていた。

 福岡発の旅を見ると海外と国内の旅の2冊のカタログがある。コロナ禍前まで行先によって関西発と福岡発をより分けて旅をした。場所によっては国内の旅でも福岡発で出かけたこともある。福岡発が再開されたので広島発の再開も待たれる。期待しよう!

 ただ、コロナ禍の4年間、海外に出かけていないので海外の長旅はどうかな、と思ったり。徐々に長旅をして体を慣らす!?

 話は変わって一昨日、固定電話に1818で始まる電話がかかった。すぐに留守電にすると●番を押さないと電話が使えなくなる旨、録音テープが流れる。1818で始まる番号は初めてのことで一瞬慌てた。もちろん、音声応答には答えず、そのままにすると電話は切れた。後でネットで検索すると海外からのようだ。が、それほどのコメントがない。すぐに受信拒否設定に登録した。

 次々に新たな手口で詐欺電話と疑われるものが出てくる。怖い世の中だ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月19日水曜日

地元紙文化欄&プール

 4,5年前、何年間か美学の講座に通っていた。今朝の地元紙文化欄にその先生の記事がある。それは「賀茂台地から環境を論じる」とのタイトルで美学者金田晋(かなたすすむ)先生が本を出版されている。本のタイトルは『環境を美学する』。記事にはお元気そうな85歳の先生の写真掲載もある。相変わらず髪はふさふさとして真っ黒だ。白髪にならないと自慢されていたが写真で見る限り今でも髪は黒い。

 講座に通っていた頃、賀茂台地で畑を耕しておられた。記事によると今でも畑を耕しておられる。大きなシイタケを教室の人に配ってくださったこともあった。また、先生が車を運転して教室の人たちをあちこちの美術館へ連れて行って下さったりした。お陰で美術館巡りが好きになったのかもしれない。しばらく会わないうちに先生や教室の人とも疎遠になっている。今朝は、いろんなことを思いながら記事を読んだ。機会があればまた皆と会って食事がしたい。どういっても講座が終わると毎回のようにお昼を食べに出かけていた。懐かしい!

 話は変わって昨日午後はプールで泳ぐ。天気予報によるとあと少しで梅雨入りのようだ。雨の降らないうちにとプールで泳ぐ。プールの中は人も少なく気持ちよく泳ぐ。3,4人は毎回のように出くわし顔なじみになった。ロッカーで着替えていると月・水・金曜日は同じ館内のジムへ、そして火・木・土曜日はプールで泳ぎ、水中歩行をすると話す人がいた。そう聞いて週に1度しか泳がないのでびっくりする。人が何をしようが勝手だが、それにしてもそれだけ運動すれば体内に活性酸素が溜まって悪影響があるのではと思ったりする。まあ、人のことなので気にするのはやめよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月18日火曜日

シルバーカーと介護用椅子

 母の月命日よりも一日早いお墓参りをした。相変わらず隣の墓地は荒れているが他所の墓地なのでどうすることもできない。帰宅後、母を介護中に利用していた介護用椅子を大型ゴミとして出すことにした。母がいなくなって13年も経つというのにこの椅子は介護椅子だけあって頑丈で処分しきれずにいた。介護椅子は他にもシャワーキャリーを利用していた。これは優れもので母をこの椅子に座らせて食事やトイレ、そしてお風呂など部屋中の移動に使っていた。この椅子の優れたところはコロがついており、また座る部分に馬蹄形の穴が空いていることである。そのため浴室に入っても座ったままでシャワーができた。それなのに母が亡くなって一番先に処分した。しかし、昨日処分を思いついた椅子はコロはないが、頑丈な椅子なので、もしも自分自身が怪我をした際、利用できるかもしれない、と思って保管していた。 

 市の大型ゴミに電話した後、思い切ってもう1個ゴミとして出す電話をした。それは小さいシルバーカー。いわゆるシルバーカーは母亡きあとすぐに処分した。が、この小さいシルバーカーはデパートで買って1度も使わずじまいだった。というのも母を介護中、当時は母とまた旅に行かれる、との思いがあった。旅先で小さいシルバーカーを押して歩けるように、とも思っていた。そして親はいくら年をとってもまた歩けるようになるとの希望があった。しかし、老いた母は衰弱する方が勝って歩けるどころか命が尽きた。

 いつも頭にはこのシルバーカーの処分があった。が、処分しきれずにいた。しかし、今回、思い切って処分となった。2個の大型ゴミは2個追加して4個になった。月曜日のゴミの収集センターは電話がつながりにくい。それなのに何度も電話してやっとつながった。

 不要品はまだまだいっぱいある。ゆっくりと処分をするしかない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月17日月曜日

不要品の処分

 今、頭をかすめるのは家の中の不要品の処分である。先日、台所の天井まである棚に入れてあったものをすべて降ろした。そしてゴミとして分別をした。その中のプラスチックゴミとその他のプラスチックの区別がつかなくなりそうだ。大きなポリ袋5袋と大型ゴミ2個をゴミとしたがゴミの収集日が分別ごとに違うので廊下に置いている。今朝は燃えるゴミの日なので棚から出したゴミの1袋を出した。今回の棚のモノはすべてゴミとして処分した。ゴミとして処分するかしないかの分別が処分を鈍らせる。他の部屋にある上中下とある上の押し入れの処分も残っている。

 踏み台に上がってものを出すのは危ない。が、この際、すべて出して処分しようと思った。処分品を要・不要と分けるから大変なのですべて不要と思って処分するしかない。

 ゴミと言えば一部屋を壊してお風呂にやり替えた時が一番大変だった。その時は姉夫妻が手伝ってくれたので親の時代の家具や机など2トントラック1杯分ほど処分した。今の処分は日用品などで何とか一人でやっている。といってもすべてゴミとして出すだけなのにその分別に迷ったりする。

 梅雨に入る前触れなのか今朝は曇っている。家のリフォームを考えるのは何よりも草臥れる。梅雨や暑い時季は何をするにも草臥れそうなので涼しくなってからになりそうだ。その前に不要品処分と片付けが待っている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月16日日曜日

日本画教室へ

 日本画教室に出かける。先週に続いて昨日までの1週間も家の片づけなどで動き疲れた。しかし、絵の教室へは気分を変えるべく元気に出かけた。いつもは1時間遅れでやってくる人も昨日は早くから教室にいる。その人は帰りを急ぐらしく早く来たようだ。

 一昨日、天井まである棚からすべてを出してゴミとして処分した。その際、右の腕2か所に擦り傷を負っていた。棚からおろす際、かなりムキになっていたのか、あとになって腕がヒリヒリして傷に気づく。すぐに洗ってオロナインをつける。昨日、教室でその旨を話すと6人のうち3人が傷を負っている。1人はマキロンを持参で塗っている。それも今はやりの怖い溶連菌に侵されないようにとの注意からとか。2カ所の傷も癒えるまで1か月はかかると脅される。これも人食いバクテリアと言われる溶連菌のせいだ。

 傷の手当は昔であれば赤チンを塗っていた。ところが今はもうそれはなく、マキロンに代わっている。

 教室では相変わらず大木を描いている。まだまだ絵は完成しないがぼちぼち彩色している。絵が終わると久しぶりに4人でカフェに行く。いつものカフェは珈琲の注文が4時までと早い。教室が終わるのは4時だが少し早めてカフェに入る。珈琲の注文は間に合った。この状況が可笑しすぎる。何で珈琲の注文が4時まで!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月15日土曜日

開かずの棚は……

  最高気温31度7分の午後、何を思ったか台所の天井まである棚を開けて全部出した。この棚には母が入れておいたものばかりでこれまで開けたことはなかった。扉を恐る恐る開けると棚いっぱいにモノが詰まっている。踏み台に上がって棚のモノを下す。が、一歩間違えば大怪我になる。何とかすべて出したが、どれも一個ずつ紙や段ボールにくるんである。これを除けて中身を出すがどれ一つとして残すものはない。

 母が生きた時代はモノがない時代だ。なんでも捨てずにとっておこうという気持ちが棚にあらわれている。すべて棚から出した時点で姉に電話する。誰かに話を聞いてもらいたかった。

 今年になって炊飯器が壊れた。その頃から台所を片付けようとなった。元気だった母は怪我をする88歳まで家事一切をやってくれた。当時は会社勤めを辞めて大学に通っていたころであり、(親はいつまでも元気)、と思っていた。そのこともあって家のことは何もしなかった。その反動が今になって表れる!?

 一番気になっていた棚を開けて気分も落ち着く。が、まだほかにも処分しないといけない個所がある。父が使っていたのこぎりや槌などの日曜大工道具である。レモンを植えていた頃までは伸びた枝などをのこぎりなどで切っていた。しかし、もうレモンの木も伐採したので植木はない。日曜大工道具も姉に相談すると処分するようにという。

 棚から出した処分品は大きなナイロン袋5袋もあった。他にも大型ごみとして電気がまと木製のすし槽がある。狭い廊下にそれぞれのゴミ集荷日まで置いておくのも大変。

 何もかも不要となればゴミとして処分される。そう思うとなぜか切なくなる。所詮、人もいずれはそうなると思うと侘しさが募る。そうなる前にやりたいことをやる!?片付けるたびにそう感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)台所と言えば食器がある。これも厄介なモノでいざ処分となると勇気がいる。それでも使う食器は多くは要らない。次の処分は食器類!?人生にとって(本当に必要なモノとは)、と考える。(何も必要なものはないのかもしれない)、と思ったり。ただ、(元気でありさえすればそれでいい)、と。

2024年6月14日金曜日

プールは子供たちで大騒ぎ

  一昨日から最高気温が30度を超えるようになった。午前中にスーパーへ行き、帰宅後、お昼を食べると自転車でプールへ急ぐ。いつもは人数が少ないプールだが、昨日は多かった。それは小学校低学年の男児である。いつも浅いプールで1人泳ぐことが多い。しかし、昨日はなぜか小学生が7,8人いる。泳ぎ始めは男児たちは団子になって水遊びをする状態ではなかった。が、それでも2,3人が組みをなしてまるで川遊びのように遊んでいる。その横を背泳ぎで泳ぐ。しかし、危なくて安心して泳げない。

 隣のレーンでは3人くらいが泳いでいる。その中に入って泳ごうか、しばし考える。すると泳ぐようにと声をかけられる。浅いプールで大騒ぎする子どもたちを見かねて声をかけられたようだ。子供たちのそばで泳ぐには勇気がいる。怪我をしないか、そのことが気になりだす。係は子供たちにレーンの進行方向を守るように注意する。しかし、一瞬おとなしくしているがすぐに団子状態になって水の中で大騒ぎする。危なっかしくて近寄れない。

 あきらめて隣のレーンで泳ぐ。時に水中歩行をする。いつものあののんびりしたプールは何処へ行った!?更衣室で毎日泳ぎに来る人と出くわす。子供たちは先日もプールに来ていたとか。落ち着いて泳げないとその人もぼやく。ということで不完全燃焼のままでプールを後にする

 プールに行く途中、頭をかすめる。暑い中、プールに行くのも大変、と。ましてや子供たちが増える夏休みはプールを休むべき!?今朝は朝から暑い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)子供たちはこの日、学校が午前10時に終わったらしい。それで泳げない子たちがプールに来たとか。

2024年6月13日木曜日

「平城山(ならやま)」

  昨晩は久しぶりに姉と電話で話す。近年まで家のことに関しては義兄に相談していた。ところがコロナ禍になってから義兄がお願いする業者が事業を辞められた。それ以降、何かあれば近くの電気屋にお願いしている。エアコンの買い替えもそうだし、これからの冷蔵庫の予約もそうだ。姉にそんなことを話していたら電気屋が言われることと同じことを言う。それは「快適な暮らし」である。(あと3,40年も生きられはしない。生きてるうちに……、そして自分がいなくなった後は誰かがやってくれるだろう)と、話が落ち着いた。最後に40年くらい泳いでいると話したら姉は「立派!」とほめてくれた。姉は元来、運動選手で水泳も遠泳が得意だった。が、今は泳げないかも、と言っていた。台所のリフォーム、考えよう!

 先日の某交流学会で「平城山」を作った北見志保子に関するカラーコピーをいただいた。ゆっくり読んでいると平城京跡の大極殿と朱雀門との間に低い丘が連なり、「平城山」と呼ばれるという。そこには仁徳天皇の皇后、磐之媛(いわのひめ)の墓(「磐之媛命平城坂上陵」)がある。磐之媛は万葉集の歌人で、この人の故事と仁徳天皇をしのび、自分の境遇と思い合わせた歌人がいた。北見志保子である。この人は「平城山」を詠んだ。「平城山(ならやま)」は小学校か中学校の音楽の時間で習ったのだろう。YOU TUBEを見るとよく知っていた。

 今年になって平城宮跡に出かけたが、ここにそんなロマンがあったとは全く知らなかった。とはいっても平城京跡の朱雀門と東院庭園は出かけたが大極門までは行っていない。機会を見て再度、平城京跡に出かけたいと思っている。その時は磐之媛の陵墓を訪れよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月12日水曜日

エアコンを買い替えた!

 今年の梅雨入りはどうなっているのだろうか。これから先、1週間を見ても雨は降りそうにない。近くの電気店にエアコンの買い替えを依頼していた。今朝9時半から12時半までかかって新たなエアコンを設置してくださった。2人で作業されるのだが家の窓を開け放しても暑そうだった。作業が終わって新たなエアコンの使い方を教わる。AIの快適機能で自動運転するといいようだ。これまでのエアコンはフィルターの掃除が大変だった。が、今のエアコンはエアーフィルターに着いたゴミは自動的に排出さらるとのこと。それにしても何でもかんでもAIに任せる時代になった!?

 買い替えと言えば冷蔵庫がある。真夏の暑さではエアコンなしの生活はできない。そのため壊れる前に買い替えとなった。が、冷蔵庫はなくても命に別状はないと思った。が、もしも今、こわれたらこれまた大変な状況になる。暑い夏に冷蔵庫の中のモノを出して新たな冷蔵庫の設置までの時間が困る。今のところ何とか大丈夫なので秋には買い替えよう。お店の人は冷蔵庫の型番を決めて予約した方がいいという。その前に買い替えまで冷蔵庫の中のモノを少なくする!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月11日火曜日

「生きる悲しみ(旅情)をかみしめる」

 帯津式養生訓12か条の1つに「生きる悲しみ(旅情)をかみしめる」がある。時間が経つにつれてこの言葉の意味を考える。そして人はなぜ旅に出るのだろうかとも思う。それにしても「生きる悲しみ(旅情)をかみしめる」、は深い意味を感じる。美しすぎる表現、とも思った。

 この本を読みながら感じたことがある。それはこの本の中にいろいろな女性の話が出てくるのに奥さんの話題が全くないのである。WIKIでこの人を検索するとその意味がわかった。それは奥さんが72歳で亡くなられていた。それを知ってこの本を読むと「生きる悲しみ(旅情)をかみしめる」の意味がよくわかりだす。

 2年くらい前から一人旅をするようになった。その理由はいろいろあるが、一つをあげるとすれば好奇心。一人旅には緊張感とその反対の解放感が伴う。これがまたいい。出かけたこともない町をウロウロし、そして少々きつい石段を登った先の神社に着いたとする。それは自己満足の何でもないことだがその充足感というか達成感は何物にも代えがたい。そしてそこから降りて宿に着く。夕飯時にビールで一人乾杯するときのあの解放感もこれまた何物にも代えがたい喜びになる。これが旅の楽しみのひとつになるのかもしれない。そしてこれらが生きる楽しみに変わってゆく!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月10日月曜日

『人生100年時代を楽しく生きる帯津式養生12か条』

 ネットや新聞記事を見て新刊を知ることがある。『人生100年時代を楽しく生きる帯津式養生12か条』(帯津良一 春陽堂書店、2023年初版第1刷)はネットで知った。100歳まで生きるつもりでいるので興味をもってこの本を読んだ。以下、気になる箇所を記そう。最後に記した「帯津式養生12か条」のうちの「気功を身につける」を「プールで泳ぐ」に改めれば概ねクリアしているように思えるがさてさて。また「生きる悲しみ(旅情)をかみしめる」のくだりは自分自身が一人旅をするのはもしかしてこれに当てはまるのかも知れないと思ったり。そして「我が弱点をサプリメントで補う」はビタミン剤に代えている。「早寝早起き」の件は早寝だが早起きではない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★老化と向き合いながらも、前向きに過ごしていくにはどうすればいいのでしょう。何をするにも人からやらされたのではない、自分がはじめたこと、行動の主人公は自分だと自覚すること。精神の自律です。もう一つは、他者との交流を大事にすること。自分を認めてくれる相手がいる、自分に関心を持ち感謝してくれる人が、必ず周りにいます。それを知るだけでも、自分の存在意識を取り戻すことができると思います。(110p)

★枡野さんは「人間関係はもっとドライでいい。むやみに『関わらない』」と書いているのですが、確かにそうだと思います。そのために必要なのが、「『一人の時間』を豊かにすごす」ことだと書いてありました。「一人の時間」を持てる人は、むやみに「関わり」を求めないということです。……心をすり減らさないために、「やたらに『反応しない』」というのもいいですね。そのためには「情報の入り口を時々ふさぐ」とあります。私は無駄にテレビやネットは見ません。時に嫌な記事、心が暗くなる記事は積極的に読まない、それを実践しています。(125p)

★「よい行いをして、健康で、長生きする」、これは養生訓で貝原益軒が言っている人生の3つの楽しみです。「年老いたら、自分の本来の楽しみだけに専念すべきである。ほかのことに気を遣ってはいけない」とも、書いてあります。そしてその楽しみは、「世俗の楽に非ず。只、心にもとよりある楽だ」とも。(138p)

★帯津式養生12か条

・できるだけ歩く

・気功を身につける

・旬のもの、地場のものを食べる

・好きなものを少し食べる

・酒をたしなむ

・早寝早起き

・いつも希望とときめきを

・生きる悲しみ(旅情)をかみしめる

・この世は品性を磨くための道場と心得る

・折に触れ死を想う

・我が弱点をサプリメントで補う

・いい場に身を置く 

 これは養生で一番大事なことです。エネルギーの高い場に身を置くことが、自分の命のエネルギーを高めることになります。いい人間関係の中に身を置いてください。ちょっと苦手な人、嫌だなと思う場面には無理していなくてもいいのです。(140p-146p)

2024年6月9日日曜日

プールの話題

 日本画教室に出かける。教室では先生に次いで高齢だ。その下には1回り下の干支の人がいる。一番若い人は先生よりも干支が2回り下だ。絵を描きながら話も弾む。6人の教室のうち、水着を着るのが嫌だと言っていた人がなんと水中歩行を始めたという。初心者なのでトレーナーがついていろいろと教えてくれるとか。なぜ始めたのか、と問うと膝の痛さで歩けなくなるのが怖くて始めたらしい。先日、昨日はお休みだった人も最近、水中歩行を始めたと話していた。

 プールに関しては40年間、細々と水泳を続けている。運動に関しては人に誇れるものは何もない。それよりも人より極端な運動音痴が水泳に関しては長く続けている。お陰で病気らしい病気はせず、内科へは30年近く行っていない。これも今思えば水泳のお陰かもしれない。教室で泳いでいる旨の話をすることがある。徐々に日本画教室内でプール友の会ができる!?

 水泳を始める際、膝が、腰がと言ったどこかが悪いから始めたわけではない。ただ泳げるようになりたいだけで始めた水泳。それがいつの間にか40年経過した。膝、腰はもちろんどこも痛いところはない。これも水泳のお陰!?プールに通える間は水泳を続けるつもりでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月8日土曜日

「ふくの旅 山口号」に乗って

 友だちに誘われて「ふくの旅 山口号」のバスツアーに参加する。このツアーはいわゆるバスツアーと大いに違っていた。友だちは旅行会社のline友だちになっている。いろいろと送信されてくるlineからこのツアーを知ったらしく、旅を申し込んでいる。行先は岩国と柳井で集合場所は広島駅観光バス乗り場、解散場所は岩国駅。

 広島駅観光バス乗り場への集合は発車30分前までOKとか。この辺も通常のツアーとは大いに異なる。もっと驚いたのはツアーの参加者だ。いつもならばジジババの集いの感があるが今回は全く違う。バスに乗車すると、あとから乗車する人たちがすべて若者で美男美女だ。これだけでも不思議に思えた。そしてそのリーダーらしき男性が加わる。計15人のツアーだ。友だちとこの状況を不思議に思った。そしてバスガイドもいる。

 1時間バスに乗車後、岩国に着いた。バスから降りると1時間半のフリータイムがある。その時若い人たちから聞かれた。「このツアーは……?」と。若者たちも老婆2人の乗車を不思議に思ったようだ。話していると若者たちは某大手の旅行会社社員で今春入社し、研修中だという。このツアーがその研修にもあたるようだ。そしてこれから配属先が決まるという。

 岩国で90分のフリータイムでは早めのお昼と錦帯橋を渡って吉香公園の花菖蒲園を見るだけで時間が過ぎた。お昼は岩国名物の岩国寿司などをいただく。
吉香花菖蒲園
 話をする前は若者たちは私たち2人も研修?で参加したと思ったのだろうか。そこまでは話さなかったがもしかして2人の老婆は掃除掛かりの研修と思われていたかもしれない。どういってもこの齢で何の仕事をする!?さすがに大手の旅行会社の新入社員だけあってどの人も感じがいい。そし可愛い。いい人たちを採用していると感じた。

 さて岩国。真夏を思わせるほど暑かった。今回の旅費はとても安い。(なぜ?)と思ってもらったチラシを見ると山口県観光連盟の事業だった。この他にも「萩・秋芳洞コース」と「角島・元乃隅神社コース」がある。

 岩国を観光後、バスは柳井に向かう。柳井へは数年前、日本画教室の人たちと出かけたことがある。が、今回出かけると町そのものは整備されているが観光客がいなくて侘しさを感じた。バスガイドから湘江庵の般若姫の伝説が残る、柳井の地名の発祥の地の話を聞いていた。それはここの水を飲むと美人になれるとの言い伝えがあるという。

般若姫の伝説の水 なぜかかさがさしてあった


 お水は飲まなかった。この後ガイドから教えてもらった町並み資料館に入る。元気いっぱいの係は「お鐘金魚」にお金を入れて出て来たお金を持っていると幸運をもたらすという。試しに100円硬貨を入れた。ところが途中で引っかかってお金が出てこない。係はこれは大強運だと言い、お鐘金魚を触ってお金が落ちてくるようにしてくれた。そして「お鐘金魚のきれいな音を聞き体内を通ったお金はあなたに幸運をもたらすと言われています」と書いてある用紙にそのお金を包んでくれた。(ほんまかいな)と思いながらも100円を入れて遊んだが。
お鐘金魚

  それにしてもなぜ柳井は金魚と関係があるのだろうか。町並みを歩いていると必ず金魚を飾っている。ネットで調べると幕末のころ柳井商人が子供のために金魚をかたどり伝統織物「柳井縞」の染料を用いて金魚提灯を創始したと言われているとか。どこに行っても金魚・金魚……だった。

 観光後、岩国駅で解散となる。感じがいい若者たちとはここでわかれた。もしも自分に子供がいれば昨日の若者たちは孫にあたるような年齢だ。昨日の若者がこれからの旅行界を背負っていくと思うと心強い。まだまだ日本も大丈夫!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月7日金曜日

中国故事から

 先日の某交流学会で会長は中国の故事を14ほど話された。そのうち初めて知った名言などを改めて電子辞書で調べた。メモとして下記に記そう。

大義親を滅す(たいぎしんをめっす) 「春秋左伝」(春秋の注釈書、三十巻の春秋左伝の一に収められた隠公四年から)君主や国家の大事のためには、肉親の情をも顧みない。大義のためには親兄弟をも犠牲にする。 

陽関三畳(ようかんさんじょう) 「陽関」は中国からシルクロードへの入口にある関所。唐の詩人王維(おうい)の「元二(げんじ)の安西(あんせい)に使ひするを送る」詩の第四句(一説に第二句以下の三句)を三回反復して歌うこと。「三畳」は、三回繰り返して歌うこと。

瓜田李下(かでんりか) 《瓜田に履(くつ)を納(い)れず、李下(りか)に冠を正さず」の、「瓜田」と「李下」とを合わせたもの》人に疑われるようなことはするなというたとえ。

邯鄲の夢(かんたんのゆめ) 盧生という若者が邯鄲の宿で導士呂翁(りょおう)から枕を借りてひと眠りしたところ、紆余曲折を経つつ最後は栄華を極めて終わるという体験をしたが、それは黍黍(きび)もまだ炊けないほど短い間の夢にすぎなかったという話に基づく(「枕中記」)。人生の栄華盛衰がはかないものであることのたとえ。

曲学阿世(きょくがくあせい) 九十余の高齢をもって漢の武帝に召し出された轅固生(えんこせい)が、同じく武帝に召し出された儒学者公孫弘(こうそんこう)に対して「公孫子、正学を務めて以て言え、曲学以て世に阿(おもね)る無かれ(=公孫子よ、正しい学問にはげみ、はばかることなく直言しなさい。学問を曲げて世にへつらってはいけない)」と言ったという故事に基づく(「史記・儒林列伝」)。学問の真理を曲げて、世間や権力者におもねること。

出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)=(類表現として)青は藍より出でて藍より青し

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月6日木曜日

ブランド志向!?

 毎夕食後にビタミン剤を飲んでいる。それはビタミンB,C,Eの3種類である。コロナ禍真っただ中の頃、ビタミンBの在庫が店頭から消えた。この頃はその小さい箱入りが店頭に並び、大きな箱入りは今もまだない。先日、家の前のドラッグストアに行くといつものビタミンCがなかった。係に某製薬会社のビタミンCの在庫を聞くと調べてくれた後、「ない」という。せめていつ入るかくらい教えてくれてもいいのに要領を得ない。ただ店頭にあるのは正規とは思われないメーカーの在庫を並べている。

 後日、改めてお店に行くとないはずのビタミンCが店頭に並んでいる。1つ購入した。家に帰って製品をよく見るとこれまでのメーカー名と違っている。某大手の薬品会社が子会社に委託製造販売しているのかメーカー名が変わっていた。と言っても変更となったメーカー名については外箱にその旨が記されている。ということで製品としては以前のものと同じ品である。

 正規のメーカーであれば何も問題はない。ただジェネリック薬品は個人的に気にするタイプなので金額が安くても買わないようにしている。この癖はどんな商品についても言える。

 例えば旅の商品がそうである。今はコロナ禍も影響して海外旅行に出かけなくなったが結構、旅行社のブランドを気にする。今でも国内旅行でそのこだわりがある。名が通った旅行社が広島から撤退した。そのこともあってか怪しげな旅行社の安いツアーには参加しないようにしている。かといって、決してブランド志向ではない。ただ薬品とか旅行といったことのブランドにはこだわりがある。これはなぜ!?スマホもそうだ。その底辺には「安心」があるのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月5日水曜日

プールで泳ぐ

 連日、晴れの日が続いている。先週、動きすぎて少々お疲れ気味だった。が、お天気の良さにつられて泳ぎに行く。自宅からプールまではネットで検索すると1.7㎞。広島駅から八丁堀までは1.4㎞なのでプールへ行くには結構距離がある。しかし、泳ぎに行くときは自転車に乗っていくのでこれだけでも運動になる。

 プールに着くと受付で「お久しぶり。元気だった」と言われる。今回も先週、泳いでいないのでそう言われたようだ。「よそに行っていたので……」とは言わず「元気です!」と言って更衣室の鍵を受け取る。(それにしても人が泳ぎに行く頻度をよく覚えている)、と感心する。というか、それくらい泳ぎに行く人が少なくなったのかもしれない。

 これまでクロールで泳ぐと結構きつく感じた。ところが昨日はそれがない。これはお天気が良くなって動き回るようになったことにあるのかもしれない。昨日も500m泳ぐ。途中、プールに人がいなくなる瞬間があった。1人で泳いでいると3,4人が入ってきた。いくら少人数がいいと言っても少なすぎる。

 泳いだ後、自宅での珈琲タイムは至福のひととき。先日、四国に行った際、お土産として買ったハタダのどら焼き。珈琲を入れて食べると本当に美味しい。これも泳いだ後だから食べられること。そうでなければこのどら焼き1個を食べるのは結構きつい。それくらいボリュームがあるどら焼きだ。

 動き回ると本が読めず笛も吹かない。今日はゆっくりして本を読み、笛を練習しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月4日火曜日

紫陽花が咲いた

 一昨日の交流会に出席する際、バスに乗ろうとすると工事中の新たな広島駅の1階バス乗り場がオープンしていた。新たなバス乗り場に行くと一か所に人垣ができている。(何?)と思って近づくと新たなバス乗り場の案内標識を見ている人のようだ。八丁堀や紙屋町などの街中へは1番乗り場だった。交流会後、帰りのバスで広島駅に着くとどこへ連れて行かれるのかと思うほど駅から離れている。しばらくはバスの利用が混乱するかもしれない。

 交流会の話題の続き。懇親会後に7人でカフェに入った。カフェは個室で8人が入られる。落ち着いた場所で話も弾む。何気ない話の中で血液型の話題になった。7人のうち2人は途中で帰られたので聞かずじまいだ。が、残る5名のうちなんと4名がB型だ。以前、中国語を習っていた時もB型が多かった。交流会も中国語ではないが中国に関連する団体なのでB型が多いのもうなづける。それにしても日本人の中では少ないと思われるB型が偏ったところで多くいるとは驚き。

 干支の話もあった。残る5人のうちなんと同じ干支が3人いてそのいずれもがB型だった。これにも驚く。3人の同じ干支に自分自身も属している。が、他の2人とは一回りも上の干支だ。

 紫陽花の季節になった。今年のわが家の紫陽花は見事に咲いている。3,4年前に2種類植えていた紫陽花を枯らして燐家からこの紫陽花をもらって挿し木した。昨年、花の時季が終わると丸い形に枝を切った。そのためか、今年は見栄えよく咲いている。

今年のわが家の紫陽花
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月3日月曜日

某文化交流学会へ

 先週は出かけたところが多くて草臥れた。今朝はゆっくりしようと思っていた。ところがスマホを見るとドコモと名乗った怪しげなメールが届く。迷惑メールと思ったが念のため、ドコモに問い合わせた。案の定、迷惑メールだった。今回のメールはいつもの迷惑メールと違って手が込んでいる。一瞬、本物かもしれないと思ったほどだ。ドコモに確認してスッキリする。

 半年ぶりに某文化交流学会の総会に出かける。久々に皆と会うと話が弾む。初めに会長の講話の後、この一年の決議案採択が行われた。その後、会場を移して懇親会が開かれた。旅の話は秋に延期された。が、以前のように皆と一緒に出かける旅は難しくなるかもしれないと思ったり。

 懇親会後、7人でカフェに入る。うち1人は今よりずっと若かったころ中国語を習っていた時に知り合った。これまで何度か懇親会で会っていても話す機会がなかった。が、今回は皆とカフェに行って昔話に花が咲く。中国語の先生の名を聞かれてすぐには思いだせなかった。が、その人が名前を出すと同じ先生だった。カフェに集まった7人のほとんどは中国語を習った経験があり、また、今も習っている人もいる。習っている人は習うようにとすすめるが習う場所が遠すぎる。しかし、若い頃、一緒に習っていた人はその教室へ習いに行くようだ。

 長く中国語を習ったお陰でいろんな人たちと出会った。昨日の某会も直接、中国語とは関係がないけれども結果的に中国とかかわりのある団体である。これまで個人的に何度も中国に出かけた。が、この会への入会が10余年前と遅かったのでこの会から中国大陸の旅は一度しか出かけていない。が、中国以外の国へはこの会からだけでも10回くらい出かけている。

 老いることばかりを思わず、と、幹事さんが総会のお開きで話された。その通りで、気持ちを若く保っように心構えを切り替えよう。

 総会のはじまる前に奈良出身の人から平城宮跡に歴史の道や歌姫街道があり、そこにはまた磐之媛命陵があると数枚のカラーコピーをいただく。これは初めて知ることで興味を惹かれる。それに伴って『日本百名墳』の本があると教えてもらった。知らないことばかりでまたまたやることが増えた。そしてさらに奈良へと気持ちが焦る。後でゆっくりコピーを読もう。コピーなどいろいろといただいてありがとうございました!

 総会の会長の講話を書き忘れている。中国の故事にちなむ格言や名言など14ほど挙げられている。うち、その半分くらいしかわからなくて残る半分は聞いたこともない言葉だ。あとで調べよう!

 久しぶりに人と会って長時間ワイワイぎゃあぎゃあと話した。楽しかった。今朝は朝から変なメールが来てドコモと話す。今、いろんなことが落ち着いた。無理せず適当に気を抜いて楽しく元気に過ごしたい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月2日日曜日

一本の道の絵、完成

 日本画教室に出かける。前回はいつもの教室が変更になった。古巣の教室に戻ると落ち着く。これは一人の意見ではないらしく教室の人全員が同じように感じていた。前回、小さいスケッチブックに鉛筆で描いた絵を水干絵の具でさらに彩色する。絵の中に木はない。やっぱり好みとしては樹木を描くのが楽しいと改めて感じる。

 中津の薦(こも)神社で写した大木の写真を教室で見せた。先生から「○○さんは大木を描く人ね、と人から言われる」、と話される。絵を習い始めていつの間にか自分は樹木を描くのが好み、と思うようになった。そのためか、どこに行っても樹木の写真を撮っている。これも旅の楽しみの一つになるのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年6月1日土曜日

中津・宇佐の旅その2

 中津・宇佐の旅その1から続く。

 ホテルで朝食を済ませると前日、中津駅前に建つ福沢諭吉像を撮り忘れたので写しに行くと係の人が水やりをしていた。中津駅10時発の日豊本線ソニックに乗り、宇佐駅10時35分に着いた。ソニックの鈍行は特急と違って乗客は少ない。宇佐駅に着くと宇佐神宮まではバスに乗る。このバスは大型バスだが中津と同じく現金のみの利用のようだ。宇佐神宮に着くと観光案内所に向かう。係から地図をもらうと宇佐神宮境内の歩き方を教えてもらって矢印で記す。係はリュックを預かってくれるという。@¥300。その際、連絡先を記した。(広島……)と書いたためか外に出てこられてカープの話をされる。カープの森下投手が大分の出身で、そのこともあって大のカープファンだという。広島のマツダスタジアムへもこの春でかけたそうだ。さらに大分の言葉は福岡よりも広島弁に近いとも話される。広島県外にも熱烈なカープファンがいると知って驚く。

中津駅前に建つ諭吉像
 
宇佐神宮
 
 観光案内所を出ると寄藻川にかかる神橋を渡って大鳥居をくぐり、表参道を進む。右に神宮庁、左に手水舎をさらに進むと広々とした春宮(とうぐう)神社に出る。そこから左方面に進み、どんどん石段を上がってゆくと宇佐神宮本宮に着く。
境内に入る前に寄藻川を渡る
広い宇佐神宮境内
亀山を登る表参道

春宮神社(とうぐうじんじゃ)

 宇佐神宮本宮に着いたはいいが、社が多くてどれが本殿かわからない。お札の授与所で干支の水晶のお守りを買って、巫女さんに自分が今いる場所を地図を見て教えてもらった。そこはまさに宇佐神宮上宮の本殿だった。宇佐神宮は今、来年に向けての工事中で静寂の中にも時に工事の音が混じっていた。
宇佐神宮本殿 上宮

工事中の宇佐神宮勅使門

祈祷殿

 宇佐神宮は上宮と下宮があり、若宮神社から降りてゆくと下宮に着く。

若宮神社

上宮から下宮への道
下宮

 上宮・下宮をお参り後、次は神橋とは別の呉橋を目指して西参道を歩く。こちらは参拝者もあまり行かないらしくボツボツとしか人影がない。地図を見ると呉橋に戻る前に願掛け地蔵がある。そこを目指して歩くが写した写真は地蔵さんでも願掛け地蔵ではなかった。それでもひっそりとした樹叢を歩くのは気持ちよかった。呉橋は屋根のある橋だが外から眺めただけで渡らずに、西参道を引き返して手水社まで戻る。そこから御霊水を目指す。ところが徐々に足も疲れてきたので絵馬殿に入って一休みする。ここは休憩場所ではないがまるで休めよ、と言わんばかりに休憩できるようになっていた。

この先に願掛け地蔵がある!?
本来の願掛け地蔵ではなかった

 休憩後、さらに奥に進むとまるで絵で描いたような景色が目の前に広がる。菱形池だ。さらに先に進むと御霊水に着いた。「街道をゆく」のYOU TUBEを見ると巫女さんがここで霊水を汲んで器に入れて運んでいた。毎朝、神社に供える御霊水なのだろうか。
御霊水 

宇佐神宮菱形池

 他の観光客から御霊水を汲んであげると言われたが容器もなく、汲むのはあきらめた。ここから表参道にもどって参道沿いにある宇佐神宮仲見世でお昼を食べる。中津も宇佐もから揚げの聖地らしく、お昼はから揚げの鶏丼のセットをいただく。前夜もホテルでから揚げを食べたのでしばらくは揚げ物はご法度!?

 案内所にもどってリュックを受け取る。そして教えてもらったとおりに歩いて回った旨の報告する。大のカープファンがまたも出て来られた。この日のナイターは広島でオリックスと戦う。これから後、カープの試合があるともしかして宇佐の旅を思いだすかもしれない。

 宇佐八幡から宇佐駅までは15時5分発のバスを予定して観光時間を多めにとっていた。が、とりあえずバスの便数が少ないので停留所で待つことにした。そこには5人待っていた。(もしかしてバスが来る?)と思って待っていると予定外の空港行きのバスが来た。よかった!早めに宇佐駅に着いた。が、特急ソニックに乗るまでは1時間以上もある。駅の待合所にいたが、すぐに外に出てカフェを探すと30m先にカフェが見えた。中に入ると昭和レトロ感満載のカフェだった。外国人の旅行者もいた。珈琲@¥450。暑かった日だったがホットでいただく。

宇佐駅
 カフェを出ると宇佐駅で特急ソニックを待つ。特急ソニックは自由席を買っていたので予定よりも一便早いソニックに変更して小倉駅まで乗車する。小倉駅から広島駅までは新幹線の「おとなび」を買っている、この切符は変更不可なので小倉駅で1時間費やす。お土産はあまり買わないようにしているが習っている教室の人に中津・宇佐のお土産でなく博多土産を購入。小倉駅18時2分発さくら568号に乗車し、広島駅に18時51分に着いた。
 
 この日はマツダスタジアムでカープとオリックスの試合がある。この2日間、人の姿に餓えて(?)いたが、広島駅新幹線ホームに着くと人の多さにびっくりする。1日目は16000歩、2日目は14000歩とよく歩いた。そして思った。まだ遊ぶ意欲があると。これは神様がいらっしゃるとしたら(元気で旅をせよ)との思し召しかもしれないと。一人旅は楽しい!これも元気であればこそ、そして行きたい意欲があればこそだ、と。これからも元気を出して外に出かけよう!さて次はどこ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)今回、出かけた中津と宇佐の旅だが、中津の薦神社と宇佐神宮は深いつながりがあった。薦神社は大貞八幡宮とも称されるが、三角池そのものが内宮、社殿を外宮と仰ぐ八幡神のゆかりの地である。隼人征伐の際、戦地に赴いた八幡神の依り代とされ、その後に宇佐神宮の三つの神殿における御神体とされた薦枕(こもまくら)の材料である「マコモ(真薦)」の生い茂る霊地が薦神社である。そのため薦神社は全国八幡宮の総本宮である宇佐神宮の祖宮とされる。