2024年6月26日水曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(4)

 『司馬遼太郎が考えたこと』(4)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)を読んだ。またいつものように気になる箇所を記そう。

★ロシアはみずから敗けたところが多く、日本はその優れた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂騒の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだし太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。(あとがき『坂の上の雲 二』)(344p)

★そのようなことで、雑木林にかこまれた氏(注:観音寺潮五郎)の那須の別荘に二泊三日も泊めていただいた。まる二昼夜というもの、ほんの数時間まどろんだだけで、聴いたり語ったり、じつにもう法楽ということば以外にあらわしようのない愉しさをきわめた。地上にこれだけの人がいるのに、氏と対(むか)いあっているときのみ、私は歴史の実景のなかを歩いている思いがするのである。条件さえそろえば月にさえゆくことができるが、歴史という過ぎた時間のなかにはたれもゆけない。私にとっての奇蹟は、氏とむかいあっているときのみ、自分がたしかに歴史の光景のなかを歩いているという実感をありありともつことができるのである。氏にとっても、私というものに対してそのように思ってくださっているだろうか。(あとがき『日本の歴史を点検する』)(393p-394p)

 今朝も歯科通いから始まった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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