最高気温31度7分の午後、何を思ったか台所の天井まである棚を開けて全部出した。この棚には母が入れておいたものばかりでこれまで開けたことはなかった。扉を恐る恐る開けると棚いっぱいにモノが詰まっている。踏み台に上がって棚のモノを下す。が、一歩間違えば大怪我になる。何とかすべて出したが、どれも一個ずつ紙や段ボールにくるんである。これを除けて中身を出すがどれ一つとして残すものはない。
母が生きた時代はモノがない時代だ。なんでも捨てずにとっておこうという気持ちが棚にあらわれている。すべて棚から出した時点で姉に電話する。誰かに話を聞いてもらいたかった。
今年になって炊飯器が壊れた。その頃から台所を片付けようとなった。元気だった母は怪我をする88歳まで家事一切をやってくれた。当時は会社勤めを辞めて大学に通っていたころであり、(親はいつまでも元気)、と思っていた。そのこともあって家のことは何もしなかった。その反動が今になって表れる!?
一番気になっていた棚を開けて気分も落ち着く。が、まだほかにも処分しないといけない個所がある。父が使っていたのこぎりや槌などの日曜大工道具である。レモンを植えていた頃までは伸びた枝などをのこぎりなどで切っていた。しかし、もうレモンの木も伐採したので植木はない。日曜大工道具も姉に相談すると処分するようにという。
棚から出した処分品は大きなナイロン袋5袋もあった。他にも大型ごみとして電気がまと木製のすし槽がある。狭い廊下にそれぞれのゴミ集荷日まで置いておくのも大変。
何もかも不要となればゴミとして処分される。そう思うとなぜか切なくなる。所詮、人もいずれはそうなると思うと侘しさが募る。そうなる前にやりたいことをやる!?片付けるたびにそう感じる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
追記)台所と言えば食器がある。これも厄介なモノでいざ処分となると勇気がいる。それでも使う食器は多くは要らない。次の処分は食器類!?人生にとって(本当に必要なモノとは)、と考える。(何も必要なものはないのかもしれない)、と思ったり。ただ、(元気でありさえすればそれでいい)、と。
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