2024年6月13日木曜日

「平城山(ならやま)」

  昨晩は久しぶりに姉と電話で話す。近年まで家のことに関しては義兄に相談していた。ところがコロナ禍になってから義兄がお願いする業者が事業を辞められた。それ以降、何かあれば近くの電気屋にお願いしている。エアコンの買い替えもそうだし、これからの冷蔵庫の予約もそうだ。姉にそんなことを話していたら電気屋が言われることと同じことを言う。それは「快適な暮らし」である。(あと3,40年も生きられはしない。生きてるうちに……、そして自分がいなくなった後は誰かがやってくれるだろう)と、話が落ち着いた。最後に40年くらい泳いでいると話したら姉は「立派!」とほめてくれた。姉は元来、運動選手で水泳も遠泳が得意だった。が、今は泳げないかも、と言っていた。台所のリフォーム、考えよう!

 先日の某交流学会で「平城山」を作った北見志保子に関するカラーコピーをいただいた。ゆっくり読んでいると平城京跡の大極殿と朱雀門との間に低い丘が連なり、「平城山」と呼ばれるという。そこには仁徳天皇の皇后、磐之媛(いわのひめ)の墓(「磐之媛命平城坂上陵」)がある。磐之媛は万葉集の歌人で、この人の故事と仁徳天皇をしのび、自分の境遇と思い合わせた歌人がいた。北見志保子である。この人は「平城山」を詠んだ。「平城山(ならやま)」は小学校か中学校の音楽の時間で習ったのだろう。YOU TUBEを見るとよく知っていた。

 今年になって平城宮跡に出かけたが、ここにそんなロマンがあったとは全く知らなかった。とはいっても平城京跡の朱雀門と東院庭園は出かけたが大極門までは行っていない。機会を見て再度、平城京跡に出かけたいと思っている。その時は磐之媛の陵墓を訪れよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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