今週は歯科通いと家の片づけに草臥れてプールで泳がずにいる。こういう週は気分を変えないと梅雨空に負けてしまいそうだ。幸い、旅行社の新聞折込チラシが入った。これ幸いとばかりにまだ出かけたことがない場所の日帰りツアーを申し込む。それは8月下旬と9月上旬である。他にも1泊2日の旅を申し込みたかった。が、これは2人以上の参加でないと申し込めない。気ままに毎日を送っているので宿泊を伴う旅は1人部屋が希望だ。そのため、1人参加の設定がない旅は参加できなくて残念。
高知県の檮原の旅は竜馬が脱藩した際に通ったところである。ここへは行きたい希望があるが1人参加が無理と知ってあきらめる。他にも愛媛県の坂の上の雲ミュージアムの旅もある。これはたぶん、旅のアンケートで希望を書いたので採用されたのだろう。しかし、1人参加の設定がないため参加できずこれまた残念。
昨日、『司馬遼太郎 街道をゆく夜話』を読んでいると「人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳もある自分自身を見つけるには、書斎での思案だけではどうにもならない。地域によって時代によってさまざまな変容を遂げている自分自身に出遭うには、そこにかつて居た――あるいは現在もいる――山川草木のなかに分け入って、ともかくも立って見ねばならない。……樹上の森青蛙は白い泡状の卵塊から下の水中に落ちて成体になるのだが、ひとびとの空想も、家居(かきょ)しているときは泡状の巣の中にあり、旅に出るということは、空想が音を立てて水の中に落ちることにちがいない。私にとって、『街道をゆく』とは、そういう心の動きを書いているということが、手前のことながら、近ごろになってわかってきた。(「私にとっての旅『ガイド 街道をゆく 近畿編』367p-368p)」とある。
司馬遼太郎が旅に出る気持ちがこの言葉からわかってきた。特に太字部分に見られる。(自分自身のそれはさて何?)と思うとき、自分の知らない自分自身に出遭うことかもしれないと思ったり。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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