2015年6月30日火曜日

ロビーコンサート&メール

合唱のロビーコンサート、盛況のうちに終わる。コンサートにはご自宅でホームコンサートを開催されている人もご来場。休憩時間、合唱団の団長からこの人を紹介される。この方はフルートがご専門。フルートを習っている旨、紹介される。紹介してもらった人も団長も女性としてはヴァイタリティ―が溢れすぎている。とてもじゃないが、お近づきにはなれそうにない。

コンサートが終わると部屋に戻ってティータイム。ここで合唱指導の先生から今月行かれたドイツへの演奏旅行のお話を聞く。演奏旅行の人も含むのか、来月、広島で被爆後、70年を追悼するコンサートもあるという。今年は原爆投下後70年。広島市内ではこれに関連するコンサートも多い。合唱の先生が出演されるコンサートと同じ日、世界平和記念聖堂でも別の合唱団によるコンサートがある。後者はスペインへ同行した人たちも多数出演。チケットもいただく。聞きに行こう!

さて昨日届いたメール。先日、数十年ぶりに人を介して小学校時代の同級生に会った。この同級生は小さいころから優秀でエリートコースまっしぐら。5,60年の歳月にもかかわらず、何の違和感もなく話ができた。話をしていて今でも当然頭の良さは伝わってくる。しかし、少しも偉ぶるところはない。こういう人こそが本当に偉い人なのだろう。

メールはご自身に関係する人たち80数名に一斉送信されている。前回のメールは人を介して送信されてきた。ところが今回は直に届く。3件、添付ファイルがある。中を読む、と言っても読むまでには至らない。なかなか簡単には理解できそうにない。日本をよくしようと一生懸命になっている気持が伝わってくる。ゆっくり読むことにして…。

大学を離れて6年余り。難しい論文も読んでいた。ところが、学校を離れると送付されてくる年に数回の研究会機関誌を読むのさえもおっくうになる。これではいけない。そう思ってその本を目の前に置いている。それでもなかなか目に通すことができない。その矢先の昨日のメール。頭を錆びつかせないためにも、また世の中の動きについていくためにもしっかり読むようにしよう。

2015年6月29日月曜日

水泳&演奏会

地元の区民文化センターで毎月のように開催されるクラシックの演奏会。大半は無料で県内外の音大卒業生や地元で活躍する人たちが出演している。昨朝、泳ぎに行く前に再度、チラシを見るとなんと、発表会で吹く予定のヘンデルの曲がある。

早めに泳ぎに行く。プールは日曜日の割には少ない。クロールで泳いでいると顔見知りになった女性からクロールのリカバリーを言われる。プールにいると教えてくれとは言わなくても誰彼となく教えてくれる。断るわけにもいかず、言われるままに話を聞く。プールではなるべく人と接触しないようにしている。ところが、丁寧な言い方をされると断り切れない。これも困ったことだ。

ともあれ、適当に話を聞いて泳ぎを続ける。日曜のお昼。カープの試合の番組もある。泳ぎ終えると急いで家に帰る。自転車で行く前、籠にきゅうりが入れてある。近所の人がくださったのだろう。お礼を言わないといけない。お昼も食べたい。テレビも見たい。ここはお昼を優先。食べ終わるときゅうりのお礼に行く。100メートル先の大きな家に一人住まいされている。鍵のかかっていない玄関を開けると這って出てこられる。膝が悪いらしい。歩くのがやっとなのに近所にきゅうりを配るという。もうくれなくてもいい…とも言えず、お礼を言ってそのままスーパーへ。

買い物を済ませると、演奏会へGO~。ここは家から数分もかからない。前半だけ聞いてその後はカープをテレビ観戦。昨日のカープ、はじめて気楽に見られた。

昨日の演奏会。タイトルはあきクラシックコンサート。演奏会もすでに156回になるらしい。どこかで聞いた名曲を…のサブタイトル通り、なじみの曲も多い。ソプラノ松岡美奈子、チェロ末永幸子、ピアノ梶矢民子の演奏する♪童神♪、♪砂山♪、♪アベマリア♪(これはシューベルト)、♪私を泣かせてください♪(ヘンデル)。

演奏者は華がなくてはならない。この人たちは華がある。いい演奏だった。

さて今朝はこれから合唱団のロビーコンサートへ。少し着飾って元気を出して歌おう!今日も楽しく!

2015年6月28日日曜日

野菜の本画完成

筍と夏野菜のナス、キュウリ、みょうがの4点を描いた本画もどうにか仕上がる。出来上がった時点では自己満足の世界。ところが、家に持って帰って時々眺めると怪しくなる。見る目はできてもうまく描く力が伴わない。

今年に入って始めて描いた本画はトルコキキョウ。このトルコキキョウ、正式な日本語はトルコギキョウだった。なぜ濁るのか。いろいろ言葉を並べるとシュウメイギク、シュンギク、アマガサ、クツズミ、ホンダナ、ツリブネ…とすべて名詞が重なると濁っている。こういうことは国語で習っているのだろうか。母国語だからと文法など気にせずに使っていた。この年齢になって改めて気づく日本語だった。

次回の日本画はデッサンの予定。まだまだ自分だけでは何をやっていいのかわからない。また絵の基礎もできていない。それもあって先生の言われる通りデッサンに集中するのもいいかもしれない。

今朝はこれからプールへGO~。食べる量を少し控え気味にしている。体も軽くなって本来の調子に戻った。今日も元気を出して!午後は野球のテレビ観戦or演奏会に行くか。さてどちらを優先?

2015年6月27日土曜日

認知症予防?

昨夜のカープ、開門時刻を1時間繰り下げしたけど結果は試合中止。天気予報では午後6時からは曇りの予想。降り続いていた雨も予想通りの時刻にピッタリ止む。そして西の空からは太陽が顔を出す。野球関係の皆さん、不思議な気持ちになられたのでは…。

今朝は雨も止んで午後の試合は大丈夫そう。ところが今日は日本画教室。今日もまたカープを気にしながら絵を描く!?

昨日は絵ではなく美術講座で西条へ。ここでは初めて聞くキーワードを知るだけでもいい、との思いがある。とはいってもそのキーワードが多すぎる。これもボケ防止!?いやいや昨今ではボケではなく認知症予防。これはオリエンテーション(見当識、指南力)障害の抑止らしい。これも昨日知ったことだ。

今日も元気で!

2015年6月26日金曜日

遊ぶ話

NHKの夕方6時はお好みワイド。米子ではどういう番組名と聞くと特別な名前はついていなかった。ともあれ、地方色満載の番組だ。このなかで福山の明王院で沙羅双樹の花が咲いたとの映像が流れる。沙羅双樹の樹は見ることはあっても花は見ることがない。見に行かなくては、と早速、例の「おとなび」検索。新幹線代込みで片道運賃は1970円。往復ネットで予約。これは本当に格安。

父の故郷の福山。住んだこともなくてよくわからない。20年くらい前、母と最後に行った父の先祖のお墓参り。そのお墓の場所さえも覚えていない。ここは許してもらって遊びに行くことにしよう。

昨日、宮崎のお坊様から郵便物が届く。中を見るとお盆明けに海外に行くとのお話。急きょ、その旅行に申し込む。しかし、人数が集まるのか、それが問題。届いたお寺の機関紙を見るとその日程で出かける旨、印刷がある。何が何でも行かれる予定だろうか。ともあれ申し込む。

親を介護中、生活のシフトを地元にかえた。美容院も銀行も近場にシフト。髪のカットさえもままならぬ状態のときもあった。仕方なくどこでもいいと思ってカットしてもらっていた。昨日、これではいけないと思い直し、自転車であたりを見回して初めて入る美容院。若い今風のスタッフの女性陣。どうなるものかと思ったら結構いい感じ。これからはこのお店に行こう。

今朝は大雨。もう少しすると西条へGO~。やっと梅雨らしい雨になる。肩も良くなってきた。今日も元気を出そう!

2015年6月25日木曜日

左側だけの肩こり

肩こりとは無縁の生活だった。ところが2,3日、左だけ肩こりや首が変になる。フルートの持ち方のせいか、といろんなことを考える。泳いだ後は少しは和らぐ。それでもおかしい。最後の頼みはネットでの検索。何と左側だけのコリや痛みは胃の疲れ、とある。これで納得。参照URLは次の通り。 http://igia.jp/mm/17.htm

体は元気。しかし、一番の弱点は食べ過ぎ。これに懲りているはずなのに、外で皆と食べるとついつい食べてしまう。そして、家にいる時間が長いのもいけない。もともと間食するタイプではない。ところが家にいる時間が長いといつの間にかそうする癖がついてしまった。これは止めよう!

食事を控え気味にすると体も軽い。こういうちょっとした痛みやこりがあると、もしや病気?と、なんと気が小さいことか。そういうことでどうするん?と親から言われそう。

話は変わって先日来から気にしているカッチーニ。昨日の地元紙を見るとテノール歌手の錦織健などが出演するコンサートがある。その曲目にカッチーニのアベマリアもある。カッチーニを知らないうちはこういった曲目紹介も目に入らなかっただろう。ところが知るや否や目に入るもの。ナニゴトも関心あるモノコトが目につくのかもしれない。

瞬間、コンサートに行こう、と頭をかすめる。ところがその日は日本画を習う日。それ以外にもその日は年に一度ある某会の納涼祭にあたりそう。遊びを優先してチケット購入をあきらめる。

今朝は肩も治ってきた。元気を出すぞ!と気合も入る。

2015年6月24日水曜日

お祝いの席へ

3つの祝いを兼ねた昨日のお祝いの席、楽しいうちに終わる。会場は古田台にある厳遊庭。高台にある屋上からは市内が一望できる。夜景はさぞかしきれいなことだろう。ただ、ここへは車なくしていかれそうにない。

日本画の先生の春の院展入選ほか2つのお祝いをするお昼の会席。箸置きの下には店主自らが描かれたのか絵手紙風の絵入りの文がある。各自、いずれも異なる絵と文。先生は全員のそれを食事後の話題にされる。手元にはユリワサビの絵とともに文がある。それには「何につけても ダジャレを言うことが 多くなり つい口に出てしまうと 皆 シラー ”わあ さびい さびい”」。

一通りの文を見て先生は最後にこれを皆の前で読まれる。そしてあまりにもこの文とあっているためか大笑いされて笑いものになる。隣の人曰く「笑いを取ることはいいことよ。私は一度もそれがない」と大真面目。

日本画を習っている人も教室が違うと名前や顔がわからない。昨日は23名参加。数人は初対面。お店の人が会の始めに写してくれた集合写真。宴も終わるころメッセージ付きの写真となって各自配られる。これもお店の方針?

さて昨夜のカープ。何と試合終了は真夜中の午前零時10分余り前。6時間近くに及ぶ試合。途中、雷や雨で30分試合中断。それにしても大変な試合だった。聞くのを諦めて寝ようとするが気になる。最後は引き分け。それにしても実況中継の人や試合観戦のお客さん、帰りは大丈夫!?

ラジオとタブレットで試合観戦。途中、タブレットのネットが接続できない。何で?と寝ていても気になる。SIMを外してみたりするがダメ。今朝、再度やってもダメ。おかしい。終了の画面を見るとデーター通信がOFFになっている。これだと気づき、ONにする。OKだった。いろいろさわっていて知らないうちにそうなったのだろう。

さて今夜のカープ。富山かららしい。それにしても長野や富山、何故Carpが主催者になるのか。これは不思議。今日は勝ちますように!

2015年6月23日火曜日

再び カッチーニ♪アベマリア♪

最近こだわっているカッチーニのアベマリア。昨日はハープ奏者に次回のホームコンサートでの演奏をリクエスト。素早い返信メールには作曲者がカッチーニではない説もあるということとリクエストに応えるられるように考えてみるとある。ネットで検索すると確かにその説もある。今日の動画は先日の2つの動画と異なり、持っている楽譜と同じ演奏をしている。毎日、この曲とヘンデルの曲を吹き比べてみる。しかし、いまだに発表会の曲をどちらにするか決めかねる。

もしもハープ奏者がご自宅で演奏してくださるならば、いつの日かハープ伴奏でフルートを吹いてみたい。しかし、今はそれは言えない。コンサートでなく個人的にご自宅に出向いてのジョイントならばもしかして可能かも…。

夢は夢として、昨夜の姪とのやり取り。来月の連休に海外に行くらしい。その帰国日、関空から広島に移動して墓参りをするとの連絡。その後、その日のうちに東京に帰るという。何とも忙しいスケジュール。お墓参りする意味が可笑しい。「〇子姉の顔も元気なうちに見とかんといけんけーね」。これを見て笑いが起きる。姪からすれば確かにいつダウンしてもいい年寄りに入る。それにしても元気なうちに…とは。まだまだ元気じゃ、と電話で話す。

さて昨日の水泳。相変わらずおっさんが口を出す。もう完全に無視する。なるはずのない肩こりに2,3日悩まされる。プールでこれも解消。そしてタブレット&パソコン。いい加減にせんといけん。もう肩こりはこりごりじゃ。

今日はこれから日本画の先生の祝いの席に参加。院展入選のほかにもお祝いがあるらしい。楽しい会になりそう。今日も一日元気で!

2015年6月22日月曜日

個展&県美展を見に行く

急きょ出かけた木原和敏作品展。どれを見てもお見事というほか言葉がない。先日の磯江毅の写実画。木原も同じくリアリズム。絵のモデルの女性はどれも同じ人。このモデルが誰なのかが絵を見ていても気になって仕方がない。ネットで検索すると、カープの監督夫人か?とも書いてある。その妻も絵が得意と先日何かで見たことがある。はっきりとはしないお話。

折角八丁堀まで来たのだからと、ついでに県立美術館の県美展を見る。日本画を習っている人が当選されている。一人しかわからなかった。この人の絵もいつみても丁寧な描き方。先に日本画を見て後で他の作品を見ると見る目がないのか荒削りに思える。これは自分の中の独断と偏見?

昨日のブログにコメントをいただく。くださった人のブログを見ると「(篠田桃紅に対して)102歳とは思えない色気と気配りとご自身の意見をはっきりと話される意気の三気。恐ろしいくらいの元気をいただきました。」とある。この三つの気、男の人から見ると色気が加わっている。そういう言い回しもあるのか、と改めて気づかされる。そして旅に出ることはとても大事なことだとのお話。

旅を再開して4年。海外への一人参加も今年はしていない。団体に所属してからというもの、秋にもそのツアーで行く予定。顔なじみの人たちと行く旅もそれはそれで楽しい。しかし、一人で見知らぬ人たちと行く癖をつけないと独り行動ができなくなりそう。そして自分が本当に行きたい国へ行きそびれてしまいそう。堀文子ではないが、メキシコへも行きたい。

旅も行きたい国と絶対に行かないと決めつけている国がある。ここには書けないけど国としてはアジアで2ヶ国。相手国に失礼になるので口には出せない。これも仕方ない。行きたい国は2ヶ国どころかたくさんある。何と言ってもアメリカ大陸上陸はペルーに行った際に立ち寄ったロスとペルーだけ。年だけが先走ってゆっくりしている暇はない…。それでもゆっくり考えよう!

タブレットの使い過ぎか、起こるはずのない肩こりに悩まされる。今朝はこれから泳ぎに行って肩こり解消。そしてタブレットもええ加減にせんといけん!

ブログ投稿中、先日出かけたハープ奏者から忘れ物のお知らせメールが入る。これ幸いとメールの返信にカッチーニのアベマリアをリクエストする。次回の演奏会でこれが実現なるか、さてさて。

2015年6月21日日曜日

BSプレミアム「アジアハイウエイを行く」

澤地久枝に始まり、堀文子、篠田紅桃とこの数年、女性3人の生き方に惹かれる。他にも素晴らしい人はたくさんいらっしゃる。しかし、この方たちは特に素晴らしい。三人の共通項は自立と自由な生き方。そして前の二人は旅が好き。篠田についてはこの点はよくわからない。

旅と言えば昨夜見たNHKBSプレミアム。井浦新のアジアハイウエイを行く。旅をする人も知らないが、番組も知らなかった。番組表で気に入り、初めてこの番組を見る。昨夜は旧ソ連領のウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタンのアジアハイウエイ。この番組のURLは以下の通り。
http://www.nhk.or.jp/arataahw/
ソ連が解体して25年になるという。ということは25年以上も前にウズベキスタンに行ったことになる。昨日の旅はウズベクのブハラから始まる。真夏の中央アジアのソ連領シルクロード。暑いのなんのと言ってこれまで生きてきて最高の暑さだった。当時のツアーは相部屋可能。一回り位若い女性と同室だった。その人は今でいう熱中症だろうか、旅の途中でダウン。ホテルにこもりきりだった。旅から帰るとコスタリカへの青年海外協力隊に出かける、と話していた。この旅にモスキーノの手提げを持参していた。その人の持つそのバッグが気に入って帰国後すぐにこのバッグを購入したこともあった。

お土産屋には土産物はなく、切っていない長い4斤くらいある食パンを持ち帰った青年もいた。まだまだ厳しい時代のソ連だった。ところが昨夜のテレビでは自由経済にあふれている。

驚くべきはカザフスタンの都市アスタナ。もうこの世とは思えないほどの人工の都市。ハイテクを駆使したビル群。モスクは、敷地11ヘクタール、建物17,500平方メートル、高さ51メートル、5,000人が収容できるという。イスラームでは最大の規模らしい。発展のすさまじさは目を見張るものがある。多分、今そこへ行くと頭がこんがらかってしまいそう。現実の世界かと思えるほどきらびやかだった。

その一方のキルギス。大きなバザールの税金は国家収入の一割を占めているとか。行ったことはないけれど、多分、旧ソ連時代とはとそれほど変化していないのでは…。ここは中国の影響がある。

いろんなことを思いめぐらしながらテレビに見入る。いい番組がないと言いながらもたまにこういった番組を見ると吸い込まれて視てしまう。自分の中で眠っていたマグマが噴出しそう。勇気と元気をもらった気がする。さて今日は?

あまりにも篠田紅桃が気に入ってしまい、昨日の日本画教室でも先生にそのお話をする。先生もそういう人が好みらしい。話の中で展覧会に行きそびれていると気づく。今朝は予定を変更して、今日まで開催される展覧会へGO~。忙しい一日になりそう。

2015年6月20日土曜日

『極上の流転』

『極上の流転』(村松友視 中央公論新社、2013年)、サブタイトルは「堀文子への旅」を読んだ。この本に出てくる2人の女性。一人は柴田安子で文子が尊敬する画家。もう一人は露木という柳橋の芸者。文子が初めて親元を離れて一人で住んだ同じアパートの住人。貧しい時代に売られて芸者になる。その後新橋で売れっ子芸者となり、神楽坂で「露木」という料亭を構える。ここはいつしか政財界の社交場に。文子はこの不思議な芸者に惹かれる。料亭の粋人となった露木。文子と縁があり、出版社の対談相手に村松も加わる。この縁から村松は文子との交流も生まれ、この本の著者となっていくのだろう。

本の題名の一部となった「流転」。ほかにも文子は好奇心旺盛な人であり、僻地を旅する人。究極はブルーポピーを求めてヒマラヤへ。ブルーポピーをはじめて見たのは20数年前に出かけたヒマラヤのふもとにあるブータンだった。そのころはそれほどの関心もなく、カメラにも収めていない。しかし、今でも咲いていた場面を思い出すし、そこで交わしたツアーの人の言葉も覚えている。青い小さいな花だった。
表紙を飾るブルーポピー
堀文子の展覧会が始まって間もなく、著者の村松の講演会があった。知ってはいたけど日程が合わず聞きに行かれなかった。今思うと無理してでも行けばよかった。残念!

以下はいつものように気になる個所の引用。(堀文子)としたのは著者が引用した堀文子の言葉によるため、著者の言葉と区別した。好奇心旺盛に僻地を旅している堀文子。私も僻地に行くのが大好き。本に出てくる場所でメキシコとアマゾンには出かけていない。メキシコ行きは可能性あるとしてもさてさてアマゾンは…。堀は80代半ばまで僻地を旅している。その年齢までにはかなりの年数がある。ちょっと気合を入れて遠出をするのもいいかもしれない。頑張って行く?それにしても堀文子の生き様、やっぱり素晴らしい!憧れてしまった!

※文子の半生をたどり直しているうちにおぼろげに見えてくるのは、そのような衝撃、ダメージ、おれる寸前の心、挫けそうな志という事態こそが、堀文子のエネルギーを噴出させるばねともなっているというありかただ。そこで信じられぬような自立への逆転を遂行する・・・・それが堀文子流なのである。…年譜にあらわれる絵本の挿絵というジャンルは、別な人間との連繋による仕事だ。そんな仕事は自ら求めただけで生じるものでなく、そこに何らかの偶然の出会いというものがはたらいて実現しているはずなのだ。それは、自己完結できる世界ではないものの、信じることのできるパートナーの存在によって、自分の中に閉じこもって描く絵画とはまた別の効果を、刻々の堀文子に与えつづけたのではなかろうか。142-143p

※何不自由のない暮らし・・・・その環境は自分の素地として最低であり、そのことに対してコンプレックスはいま現在もつづいていると、堀文子は言っている。160p

※夫の看病から解放され、いっとき放心状態と虚無的状態におちいっていたが、体の底には乱世がみちびいた荒廃からた仕上がったエネルギーの炎が、きえることなく燃えていた。160p

※海外旅行は堀文子にとって、文明を原点からたどり直す旅でもあったが、人間としての失地回復を懸けた、重大な布石のようであったものにちがいない。161p

※日本がまだ貧しい時代の旅行でしたが、好奇心で張り詰めていた私は卑屈にならず、誇り高いヨーロッパ人から見下されることもなく旅を続けました。姿形はみすぼらしくても、心は元気だったし誇り高かった。お金はわずかでしたが感覚だけは研ぎ澄ませて歩きました。これも、西洋を理解する私のやり方でした。ただ憧れても仕方がない。その土地へ行く前にいろんなことを調べすぎると、概念として物事を見てしまいがちになる。私のような職人には、そんな見方はあまり意味がないのです。(堀文子)165p

※私の西洋への恐怖心も取れてきました。最初は自分の国のないものに憧れ、西洋文化という怪物にわしづかみにされたような恐怖感が、実際に西洋諸国を自分の目で見ているうちに薄れてきて、日本の良さにも気づいてきたからです、(堀文子)166p

※私はメキシコに行って、いくつもの発見をしました。文化や芸術は、その国の生活なり民族が生むものであり、作るものではないということを痛感しました。私が、原初に返って日本画を学ぼうと決意したのも、メキシコをはじめ三年間の放浪の旅が契機になったと思います。日本人の血を引きながら、自分の国を見ていなかったことに、ようやく気づいたのです。(堀文子)175p

※(堀)美しいまま散っていくというはかなさが、日本人は好きなんじゃないかしら。いつまでも咲いている花なんて、気持ち悪いじゃないですか(笑)。私たちは流転してく、移ろいやすいはかなさにひかれるんです。192p(対談から)

※この旅のあとメキシコ、アマゾン、ペルー、ヒマラヤと未知の文化を求め、八十代の半ばまで、私は僻地への旅を続けた。その後の病で足腰の力を失い庭の草木にも近寄れない身となったが、乱世の中で私は好きなように生き、やりたい事はやり、私流に生きた。長い夢を見たようなこの一生に悔いはない。(堀文子)205p

※人間には自分でも自覚していない未知なる力が備わっているのかもしれませんね。ヒマラヤへ行くとそんな力が呼び起されて、私の中の”軸”が変わってくるのが解ります。旅は自分を改造する一つの方法なんです。(堀文子)211p

※(堀)私は自分の絵に主題などは決めないですが、あえていえば、「生きていることの驚きを描く」ことだと思います。「芸術とは」と構えるのは好きではありませんが、音楽も絵画も、つまるところ様々な命との出会いの記録なのかもしれませんね。(対談から)221p

※その怖ろしく寂しい孤独にひたるなかで、宿縁ともいうべき発見や人との出会いを体験し、そこから生還したときは、すでに次なる孤独へと自ら旅立たせるべき予感が、体のなかに沸いている。その輪廻の色が、堀文子の自立にはさらに織り込まれている。234p

※人の目のとどかぬ高山のがれ場にひっそりと咲く、植物でも昆虫でもなく、全身に鋭いトゲをまとい、地球の鳥や獣の攻撃を拒絶し、身を隠して生きている、この世の人間や動物が見たこともなかった宇宙からの未知の生命であるかのようなブルーポピー。あるいは人の目にはとらえきれぬ、微生物の躍動の神秘。この世の逆説とでも言うべき世界に、堀文子は深く強い眼差しを向けるようになってゆく。…堀文子による流転という奇跡のパラドックスは、現在もまだ依然として輝き続けているわけだが、もちろん私からのそんな形容は、今年九十五歳となられたご当人に言わせれば、これまた自然のなりゆきにすぎぬということになるかもしれない。235p

※堀文子は、極上と言える環境に育ちながら、自立の精神をはぐくみ”一所不住” をつらぬいて、孤高の旅をつづけている。その旅を自身では”流転”と呼び、”無一物”と”無尽蔵”を同義ととらえつつ、体の底に沸くエネルギーを汲み上げることを途絶えさせることなく、九十五歳の<現在いま>にいたっている。しかし、堀文子の生き方は、現代を生きる人々にとって、決して対岸のものではない。239p

2015年6月19日金曜日

Caccini ♪ Ave Maria ♪-


発表会用のソロの2曲を吹いてみる。どちらも初見で吹けた。吹く前はヘンデルを、と思った。ところが吹いてみると迷いが出る。カッチーニの動画をさらに探すとハープとの演奏がある。これを聞くとさらに迷いが生じる。カッチーニは楽譜をもらって初めて知った作曲家。気持ちよく吹けるのはカッチーニ。曲そのものも美しい。だが、暗すぎる。次回のレッスンは30日の先生宅。この日までに決めよう!

動画はピアノ伴奏とフルート、そしてハープ伴奏とフルートの聴き比べ。これはハープに軍配があがりそう。尚、持っている楽譜はどちらもアレンジが異なる。

カープのザキこと中崎翔〇。チームメイトやファンから一番愛されキャラのピッチャー。「足が止まってしまっても後退することは絶対無い」と話す。長く続けているフルート。最近になってやっと欲が出てきた。習い続ける限りはザキが言ってるように後退することはないだろう。今日も頑張って練習しよう!
http://carp-minpou.blog.jp/archives/3398407.html

2015年6月18日木曜日

フルート定例会&ヘンデル♪私を泣かせてください♪

 
昨夜はフルート定例会。いつものごとくビールで乾杯!美味!開口一番は先生からの託ものの楽譜の話題。フルート発表会のソロの楽譜で候補は2曲。ヘンデルの♪私を泣かせてください♪とCacciniの♪アヴェマリア♪。楽譜を見るとどちらも素晴らしい。だが、今年はヘンデルで吹こう!他にも楽譜の見つからなかった♪ボッカリーズ♪のコピーもいただく。有難い!
 
飲み始めは定例会らしく話題もフルートから。月に一度の例会は楽しい!気の置けない人たちと飲みながら、食べながら、しゃべりながら。そして笑いながらと忙しい。うち1人は所属する合唱団の話題。いただくチケットはいつも無料。申し訳ないと話すと我々は準団員!?無料でいいらしい。
 
定例会前には作品を出品している人の画廊に立ち寄る。ある人の絵は油絵でなくコンテとか。この説明を聞くがすぐにはわからない。どの絵を見てもその良さがわからない。これも絵を見る目がないと言われればそうかもしれない。
 
今日から発表会のソロの練習を始めよう。その前に、先ほどお墓参りを済ませる。昨年、お墓までの道中でカラーの群生を見つけた。今朝もそこに寄ってみると草ぼうぼう。それでもカラーはたくましく咲いている。葉っぱを一枚持って帰りたかった。家に生えているカラー(?)と比べるつもりだった。ところが背丈の高い草が生い茂って近づけない。
 
今朝は雨。自転車にも乗れず、午後は歩いて図書館へ。そういえば昨日もよく歩いた。携帯万歩計は9403歩を示す。

2015年6月17日水曜日

Tchaikovsky ♪SCENE from Swan Lake♪

 
さらっていた曲を終えて、次はTchaikovsky ♪SCENE  from Swan Lake♪。発表会のソロの曲の話も出る。2つの候補曲を用意してくださるそうで、どちらにするか考えよう。

梅雨の晴れ間、湿度も高くなくすがすがしい。昨日の広島弁、ネットでカープの話題を見ているとひどいところにいきつく。これは危ない広島弁。それでも可笑しくて一人で笑ってしまう。ここに掲載しよう。
広島に住むんじゃけん広島弁ブチ勉強中

三浦何とか言う人の広島弁。これはちょっとやりすぎ。ましてや今はこういう言い回しはしない。喧嘩するおっさんたちの言葉。他県の人が見ればどう感じる!?広島弁独特のイントネーションは広島人しか話せない!きっと。それにしても今日のブログのTchaikovskyと広島弁、関係なさすぎる!

2015年6月16日火曜日

ああ尾瀬!

ほんまにどこにいても何が起こるかわからんようになった。先日は口永良部島で火山が爆発。昨日は群馬県で突風が吹き荒れ、屋根などの被害が出る。梅雨と言っても雨が少ない。昨年のこの時期もそうだった。その挙句が8月の豪雨による大災害。今年は何もなければいいけれど…。

ぼやいていても始まらない。やりたいことを先延ばしにせず、やるに限る。昨日届いた姪のメール。尾瀬沼と尾瀬ヶ原を一泊二日で歩いてきたとの嬉しそうな写メール。これを見て羨ましくなる。今年こそは尾瀬に…と思っていた。ところが先日米子で話をすると尾瀬は途中、引き返せないという。体力や足には自信がある。だが、やっぱりそこは心配。躊躇しているうち、その時期を逃す。

東京からのトレッキングツアーで2万8千円だそうだ。安い!広島のツアーは高い。一人部屋料金を追加するとすぐに10万円近くになる。これほど出すのであれば気持ちは海外に。とはいっても海外はもっと費用が掛かる。姪のメールには他にも「尾瀬は国立公園で、水は豊富だけど、ゴミ捨てが厳しくて、不便だった。その不便さが勉強になっていいんだけど。」とある。もっと勇気を出して尾瀬に行けばよかった!?

さて、昨日の水泳。相変わらずおっさんが口を出してくる。なるべく避けるようにする。しかし、狭いプール。どうしても顔が合う。泳ぐ順番に口を出す。何でおっさんの言うとおりに泳がんといけんのんかいね。ほんまにやかましいわ!怒りは広島弁じゃ。人からああじゃこうじゃ、言われるのが一番の苦手。ほんま、どうかいのこのおっさん、ほっといてくれ!おっさんが泳ぐように采配してきたところでするりと浅い方へ移動。もう完全におっさんを無視。最大限の嫌味な態度。こうするしかやってられない。それでも昨日も1キロ泳ぐ。

2015年6月15日月曜日

♪糸♪

個人宅でのルームコンサート。合唱の人に誘われて以来、昨日で数回出掛ける。ハープ演奏者のご自宅。いつもながら聴衆は多い。同じ合唱団関係の人は私も含めて4人いた。昨日のゲストは前回と同じ地元で活躍するclassicの歌手。ゲスト一家もかなりの人。愛娘も繰り出してかわいく歌う。

次回のリクエスト曲として♪糸♪が出る。この歌、以前NHKの公開放送でつるの剛士の歌で初めて聞く。元の歌は中島みゆき?それ以来、いい曲と思っていた。クラシックの歌手もカラオケでは♪酒♪などを歌うと聞いたことがある。演歌も歌い手によってclassic風になるのだろう。

この動画、公開放送で聞いて感動したときのものだ。動画の最後にそう書いてある。びっくり!

今日はこの後、プールへGO~。元気を出して泳ぎに行こう!

2015年6月14日日曜日

日本画の人

『網目模様』、日本画を習っている人の書かれた詩集。早速、受け取る。先日このお話を聞いた際、掲載された新聞コピーを同封するとのこと。中を読むと、なんと隣町の出身で地元の女学校に通われている。これを見てびっくり。学校の名称は戦後になって変更。いずれにせよ同窓生だった。ご縁がある!いただいたなすびの絵入りの一筆箋には「この広い世の中  この年になっても縁のあった人や読んだ本はほんの少し  作品やあなたとおあいする日を楽しみにしています」と書いてある。さすがに詩人らしく、メモには句読点がない。そしてお願いしたサインもある。

初めて会ったとき、いわゆる「主婦」とは違っていた。何か持ってる人に思えた。絵を習い始めのころ(今もそうだけど)のこと。展覧会場で目にした壁にかけてある絵画とは別にテーブルにおかれていた絵本。色使いはけばけばしくなく、優しいタッチ。これは誰が描かれた?と聞くと詩集の人だった。

八ヶ岳に行った際、どの人も絵を描くベテラン。一人初心者が混じり、朝からスケッチを描く気もなく暇を持て余す。ふと見るとソファに一人座っておられる。何をされてるのかと思ったら、外の景色を眺めているとのお返事。手にはゴムでくくった何十本もの色鉛筆。ケースでなくこうして持ち歩くのか、と思った。そして水彩でなくても遠出には色鉛筆でもいいんだと。

八ヶ岳の帰りの列車。新幹線に乗るまでのローカル線。だらっと腰かけるのでなく背筋を伸ばして一言もしゃべらず長時間座っておられた。

いろんな場面で凄い人だな、と思っていた矢先の詩集出版。自分の人を見る目に狂いはない!?

昨日の日本画教室。ドクダミ草を2本持参。2本を活けてそれを一度にスケッチするのでなく、1本ずつスケッチしていく。葉っぱが上手く描けたと自己満足。その合間に家でスケッチしたなすびを見ていただく。これを今描いている本画に加える。しかし、描いたなすびが大きすぎる。そこは先生、なすびを一回り小さくしてくださる。これもそうか、と妙に感心。

教室の人からはティータイムにお菓子などに加えてびわをいただく。他にもキュウリや梅雨豆もたくさんいただく。ありがたい!

絵の合間にはカープも気になる。家に帰るとネットでカープの話題を見る。もう夜になると草臥れ果てて…。熟睡のあとはまた動き回る日になりそう。今日も頑張って!

2015年6月13日土曜日

広響第350回定演を聞く

韓流スターにぞっこんの人がいた。旅の空の人。旅行中、皆で食べる食事。その際もいつもある韓流スターを話題にしていた。それを聞いていやではなかった。同じような年齢でなぜそこまでのめりこめる?と不思議だった。ところが、昨年秋見た、フリーペーパー。この表紙のカープ選手をみてカープにのめり込む。

昨夜のカープ、黒田で勝鯉!夜に出かけた広響定演。席は8列目右横通路側。持参したタブレットで開演まで野球放送をデジタル観戦。横には見知らぬ夫妻。いつの間にかその夫妻と野球談議。旦那が大の野球好きとか。演奏会にラジオ持参で来る予定にしていたらしい。一楽章が終わるたび、膝に置いているタブレットを見る。見る度、得点が入る。終演時、カープ5対鷹0。バスに乗り込むとさらに追加点。広島駅に到着すると勝利インタヴュー。しばし立ち止まってタブレットのRadikoで黒田のインタヴューを聞く。JRに乗り換えると「黒田おめでとう♪」のメールが入る。謝謝!よかった!

午前中は西条で美術講座受講。これが終わると皆でラグーでお昼をいただく。ちょっぴり贅沢なお昼。美味!

日本語の「写真」は英語で”photograph”。photoは「光」でgraphは「図」や「画」の意らしい。写真に関して疎い。だが写真は「光」が大事!?

今日は午後から日本画教室へ。先生の個展などで休みが続く。その間、家で描いたのはなすびだけ。このなすびを本画に加える予定。しかし、今日は今が盛りと咲いているドクダミ草を描く。まだまだ絵に関しては気が重い。 今日も頑張って!

尚、昨夜の広響第350回定演タイトルは「祈りに導かれ」。指揮者はユベール・スダーン。演奏曲目は下記の通り。

♪ベートーベン ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調OP.73「皇帝」
 ピアノは佐藤卓史
♪ シューマン 交響曲第2番ハ長調OP.61(マーラ版)

アンコール2曲はなじみがある。久しぶりにきれいなピアノ演奏を聞く。前回のゲスト演奏者のソロが聞けなかった。ところが今回はアンコールでソロ演奏があった。素晴らしかった!もう一度この人のピアノが聞きたい!いい演奏会だった。ただ、演奏中、たまにタブレットを覗いたりして「対不起!」。広響さん、お許しを!

2015年6月12日金曜日

電波時計

2年前に購入した電波掛け時計。いつの間にか止まったまま。電池を替えても動かない。ワールド対応のソーラ腕時計。これも数か月前に動かなくなる。いずれも太陽光をエネルギーに代えて作動する。腕時計は窓側の日が当たる場所に2日間置いていると作動。ところが掛け時計は動く気配が全くない。動かなくなって数日経過。便利なものに潜む罠、買い替えるしかなさそう。

それにしても卓上型の電波時計は長持ちする。ましてや価格も掛け時計よりも桁違いに安い。何でも高ければいいモノとは限らない!?

今朝はこれから西条で美術講座。夜は広響の定期演奏会。いつのまにか美術と音楽が生活の中心を占めるようになった。これに水泳も入って今のところ元気。

テレビ放送がない日の野球。ラジオを聞きながら、村松友視の書いた堀文子を読む。こうなると本に没頭するのかラジオはどこへやら。本で刺激を受けて、今日も一日頑張ろう!

2015年6月11日木曜日

もしかしてカラー!?

我が家の横に流れる水路、汚い言葉で言えば溝。このおかげか、狭い庭に目をやると見知らぬ葉っぱが芽を出している。切らなければどこまでもはびこるアジサイ。その枝を切るとその下から大きな葉っぱが…。以前買った鉢植えの皇帝ダリアやカラー。どちらも枯れてしまって鉢から出して土地に埋めた。その球根が芽を出したのだろうか。皇帝ダリアにしては葉っぱが違う。もしかしてカラー?それも何か所からも芽を出している。
この葉っぱ、もしかしてカラー?
カラーはネットで調べるとサトイモ科で、似ている花として水芭蕉がある。この水芭蕉、今の季節にピッタリ合う。水芭蕉を求めて尾瀬に行きたい夢がある。尾瀬以外にも日本ならば利尻島、礼文島、さらには屋久島も行きたい。屋久島は先々月予約寸前で気が乗らず申し込まなかった。行きたい3か所の一つが尾瀬。

そこに咲く水芭蕉。それに似ているカラー。我が家の庭は水路の水で水遣りは不要。充分水分を含んでいる庭土。葉っぱがカラーであれば嬉しい限り。庭に目をやる日課がレモンからこの葉っぱに移りそう。

さてCarp。昨夜は勝った!試合後のネットをにぎわすツイッターやブログ。勝てば勝ったでミスした選手を責めたり擁護したりと忙しい。選手個人のツイッターやブログを見るとどの選手も一生懸命頑張っている。ファンだからこそつい言葉も厳しくなるのか。この選手、ミスしても必ず次打席ではヒットを放つ。翌日の新聞のトップの言葉。こちらのほうが選手よりも変?

今日は雨。予定していたプールは雨で行かれそうにない。次の予定は月曜日に。

2015年6月10日水曜日

Tchaikovskyの白鳥の湖から♪Dance of the Swans♪

Tchaikovskyの交響曲第4番第二楽章を何とか終えて、次はTchaikovskyの白鳥の湖から♪Dance of the  Swans♪をさらう。この曲は誰もが知っているほどなじみがある。早いテンポの曲、頑張って練習しよう。昨日は先生から発表会の全体合奏の楽譜をいただく。今年はアンサンブルに参加せず、ソロと全体合奏に出る予定。

この時期はメーター交換の季節なのか、今朝と明日の午後、都市ガスと電気メーターの取り換えに来るとの案内チラシが入る。都市ガスは道に埋められているガス管のガス漏れとかで先日来から工事が絶えない。ところが昨日のお昼、電話でガス管をすべて取り換えるとの話。ついでに我が家も工事をしないか、とのこと。その見積もりをするという。

ガス料金は月に1000円もかからない。ガスに対する恐怖感がある。大半の料理は電子レンジで済ませる。ポテトサラダもお浸しもレンジが便利で簡単。いずれはもっと年も取ってくる。都市ガスをやめてIH対応と思っている。ガス工事は断る。ましてや電話で聞いてくるとは何ぞや?家に関することはすべて義兄を通してやっている。変な業者につかまったらそれこそ大変。ただ、停電の時を思ってガスを使うだけ。ガス代はただ同然でもわが家の電気代は結構かかる。

今日は雨も上がった!さあ元気を出して、頑張れ!

2015年6月9日火曜日

下手の横好き

我ブログ、あと10日経つと満6年が過ぎて7年目に突入する。昨夜、以前のタイトルのブログを見てそれに気づく。以前の方は公開をやめて今はシャットアウト。最初はさすがに投稿も恐る恐るの感じ。ところが今やこれも下手の横好きで文が長くなる。端的に表現する俳句。これが一番才能ある文かどうか知らない。もしかして一番いい表現方法かもしれない。

以前の方は母親をメインに投稿。これはこれでいい。だが命が細々となっていくさまは読めたものではない。かといって、すべてを削除する勇気もない。これはこのままにしておこう。

今のブログ、まだまだ人生下り坂とも思えない。ナニゴトもままならぬようになればこのブログもまた考えねばならない時が来る。それまでは当分これもこのまま続けよう。そしてさらに老いたとき、読み返すだろうか。まあ先のことは考えず…。

今日は夕方からフルートのレッスン。気合を入れてさあ練習、と言いたいところ。さてさて。ともあれ、今日も元気で!

2015年6月8日月曜日

♪川の流れのように♪

若者のツイッター風に言えば「今、キタクゥ!」。合唱の練習後、市内へバスで移動。合唱の人たち3人で日本画の先生の展覧会会場へ。その前に中央通りのイタリアンでお昼をいただく。途中、デパート横で寝ている広〇太郎。この人、多分2代目の太郎?雨が降ろうが槍が降ろうが同じ場所で寝ている。いやいやブラックで働いて体を壊すよりも、働かなくても生きていける。これはこれでいいのかもしれない。

今月末に行われるロビーコンサート。今日は全曲その練習。この中に♪川の流れのように♪がある。

知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら

ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら♪

この歌詞、なかなかいい!特に2番目の「生きることは 旅すること 終わりのない この道…」。何やかや難しいことを考えず、自然のままに生きていく。これでいいのかもしれない。街中の人通りの一番多いデパート横。そこに真昼間からぬいぐるみを着たかのようにぼろをまとって寝る。誰もができることではない。この歌のようにそれもまた人生!?

2015年6月7日日曜日

発表会の楽譜

フルートを習い始めてかなりの年数になる。ところがそれとは裏腹に吹く方はそれに比例しない。毎年秋に行われるフルート発表会。今年もやってくる。それに出る度、もっと練習すればよかったと反省ばかり。これではいけないと思い、昨年のDVDを見る。これを見てかなり本気モードに…。

1992年の習い始めから2002年までと、フルートを再開した2011年以降から現在までの曲名は把握している。しかし、2003年から2010年までがわからない。先生にお願いして教えていただく。プールに行っている間にメールで連絡が入る。自分で吹いたかどうか、ましてやその曲名くらいは把握すべきこと。それをお願いする。ありがたい!

この間は身動きできないほどに忙しい日々を過ごしていた。母の介護と学校を優先し、ほかのことは一切ご法度。今の生活とは真反対。その中であきらめたのがフルートのレッスン。先生からのメールによるとこの間、4回ほどは発表会に欠席。それほど古いことではないはずなのに当時のことはほとんど覚えていない。それでもその半分の4回は出席している。

出席とはいっても自分の記憶ではフルートを見るのさえ嫌だったし、触るのも嫌だった。どうもがいても練習できる状況になかったその反動がそうさせたのだろう。

プールから帰って、発表会の楽譜を整理する。その一方で野球を見る。途中から野球はそっちのけで楽譜と格闘。本の楽譜は整理しやすい。ところが一枚ずつの楽譜は整理が大変。ましてや昨日は発表会で吹いた楽譜を探すための整理。2曲の楽譜は最後まで見つからず。あきらめる。

今、自由に時間を使っている。フルートも練習しようと思えばいつだってできる状態。目まぐるしく過ごした月日を思えば今はのんびりしすぎ。これも貴重な時間。時間がままならず、中断していたこともあるフルート。やめずに続けてほんとによかった!そういえばこの間、水泳も中断していた。昨日も1キロ泳ぐ。水泳も再開してよかった!

2015年6月6日土曜日

勝鯉!

降り続いた小雨も上がり、今朝は涼しい朝を迎える。

小雨の中で行われた昨夜のナイター。天気予報では午後6時からは雨から曇りのマーク。何度か外に出て空を仰ぐ。しかし、雨は降り続く。外気温は20度に満たず、家の中にいても上着が必要。雨の中、開催されたテレビでのカープ観戦。地元試合で黒田が投げると5勝目。よかった!

2日は投手の母親の命日とか。お墓参りを済ませて心身ともにリフレッシュして試合に臨んでいる。このお墓参り、これまでは年に一度だったとか。ところが今年はすでに3度目だそうだ。それにしても母親は60歳で亡くなっている。本にもあったが、両親を30代の若さでなくしている。なんといってもまだ40歳と若い。野球の世界では年齢的には十分すぎるかもしれない。しかし一般的にはまだまだこれから。

野球と言えば地元紙に連載中の「生きて」。張本勲の自叙伝の記事。15日間、読ませてもらう。毎回涙なくして読めない。いつもながら名を成す人は並の人じゃないと刺激を受ける。自分も頑張らねば…。

他にも昨夜の誠也。よく頑張った!前監督はテレビ解説で「僕はああいう場面でバットを振ったことがない」と驚く。2アウトで満塁。ボール3つでノーストライクの場面。誠也はインタヴューで「連敗してたんで、なめられたくないという気持ちでした。黒田さんに勝ち星を付けたかったので、打てて良かった」。若干二十歳の若鯉。素晴らしい!

今朝はこれからスイミング。今日も頑張れ!

2015年6月4日木曜日

日本画の先生の個展

アジサイ
アジサイ
水路を占領するドクダミ草
球場近くのデパート内のカープ横断幕
複数階をまたぐ大きなカープ応援横断幕
今朝は雨。そして気温も低い。札幌に次いで全国で2番目に低い最高気温、20度。涼しい、を通り越して寒い感じ。午前中に予定していた泳ぎは明日に変更しよう。

世の中、身近に素晴らしい人がいらっしゃる。昨日は午後から習っている先生の個展に出かける。初日とあって出足は上々。いろんな方たちとお会いする。他の日本画の先生方や生徒たち。習い始めて1年半。日本画のすそ野の広さを感じる。話をすると20年選手の人たちも多い。先生の絵は素晴らしいの一言。さすがに院展入選作品は全国に巡回されるので今は見られない。

しばらくすると見慣れたお顔を拝見。習っている先生は同じでも教室が異なる。しかし、年に一度の教室の展覧会や忘年会、そして旅行などで出会うことがある。昨年、八ヶ岳に同行。その人の絵を見て感動したのは5人展の時。日本画とは別に手作り絵本を数冊会場に展示されていた。その絵本に魅せられ、つくり方を聞かせていただく。

昨日のお話では出版社からの依頼で詩集を出版。欲しい、と話すと紀伊国屋で購入するようにとのこと。そうでなくサイン入りがほしい、と無理をお願いする。どうにか家にある1冊を分けていただくことに…。絵の先生もこの人は博識、と話されていた。かなりのお歳なのに話をしていて楽しい!近いうち、先生に預けてくださるとか。この人のことは新聞にも掲載されたらしく、そのコピーもくださるそうだ。

篠田桃紅、堀文子などの有名人だけでなく、身近にもいい人がいらっしゃる。本を読むとご自分の年齢がばれるね、と恥ずかしそうに笑って話される。何歳になっても自分の生き方を貫く。素晴らしい!今夜は篠田の再放送もある。今朝の地元紙を見ると先日、徹子の部屋で話していた野際陽子の出版記事がある。大見出しは「元気の秘訣は『心の自由』」、小見出しは「水彩画や健康法『しゃんとしていたい』」。

どの人も「絵」が基本にあり、「自由」に生きている。いい人を見倣って、元気を出して…。みんな頑張っている!

画像は我が家の庭に咲くアジサイと我が物顔で水路に咲くドクダミ草。そして、球場近くにある福屋広島駅前店6階の吹き抜けに掲げられている大きなカープ応援横断幕。エスカレータ横から携帯で写す。カープ、頑張れ!「頑張る選手の能力を疑わず、ビリからの逆襲を待つしかないのだろう。」、今朝の地元紙の「球炎C」記事。「ビリからの逆襲」、いい言葉。頑張れ!

『決めて断つ』

6月4日、旧暦では卯月(4月)18日。久しぶりに旧暦カレンダーを見る。空を見上げればまさにスカイブルー。梅雨入りしたとは思えぬほどの気持ちいい朝。今週から来週にかけて日本画の先生たちのそれぞれの個展が始まる。開催場所は福屋と三越。習っている先生の個展案内は新聞に絵入りで紹介。今春、先生の絵は院展にも入選。初日に押しかけてみよう。

以下は黒田投手の本の抜粋。春に出版されたのには広島移籍も書いてあるとか。これは以前の本でそこまでには至っていない。今年はカープに明け暮れる日々を送っている。この本を読むとますますカープにのめり込みそう。これも長い人生、何かに夢中になるのも楽しい。

いつも見る見知らぬ若者のツイッターとブログ。カープのファン。アイコンに堂林の写真を使用している。野球に関する個人のブログ。毎日の閲覧者は数千人単位。そして閲覧総数は数百万や1千万人を超えている。この数は凄い!

その若者の昨日のツイッターから。

”心が折れたらそこで終わり。 諦めたら全てが終わる。 如何に強い気持ちを持って戦えるかどうか-。 ファンも選手も、それは同じ。 どんな時でも変わらずカープを応援するのみ。 ”

いいね。こういう若者。

ともあれ、以下は黒田投手の本の抜粋。頑張れカープ!元気を出そう!

『決めて断つ』(黒田博樹 KKベストセラーズ、2012年)。

※プロ野球界で活躍している多くの、いわば「エリート」と言われるような人とは違うかもしれないけれど、僕には僕の道があり、様々な「決断」があったのだ。(プロローグ)

※プロの投手であっても、10試合、20試合、いや1年、2年をかけて得た自信こそ「本物」の自信だと思う。これだけ長い時間をかけて身につけた自信であれば、簡単に崩れるようなことはない。32p

※決して話しかけるわけでもなく、遠くからじっと自分の投球を見ているカープのスカウトの方のすがたが頭から離れなくなっていた。しかも、話さないだけでなく、苑田さんは自己紹介さえしなかったのだ。いまだから、言える。カープとはそういう球団なのだ。足を運び、姿勢を理解してもらう。カープ的なアプローチがあるとすれば、この苑田さんのやり方こそがそれだった。僕はその姿勢に、心を打たれた。39p

※カープは足しげく僕のところに来てくれただけでなく、一番高く評価してくれた。…カープの熱意にもほだされ、結局僕は逆指名制度を利用してカープに世話になることを決断した。41p

※4年目のシーズンが終わったばかりの秋季キャンプの段階で、山本監督からは、「来年期待しているからな」という言葉をかけてもらった。…山本浩二監督からかけてもらった言葉は、プロとしての「転機」となったのである。…秋季キャンプで声をかけてもらっていなかったら、これだけの成績は残せず、やはりローテーションの3番手、4番手あるいは2軍でくすぶっているような投手の、ままだったかもしれない。53-55p

※「目の前の目標だけにこだわる」こと、これだけだ。…特に野球の世界は、1シーズンの結果が次のシーズンの評価へとつなながっていくから、1年、1年が勝負である。57p

※いまになって、母親の言っていたことわざをよく思い出す。「いつまでも、あると思うな親と金」まったくその通りだ。野球である程度稼げるようになったいま、親孝行をしたいけれど僕にはもう親がいない。…僕にできることは、そうした苦労をしている人たちに、少しでもいいから元気を与えることだと思っている。88p

※あらゆる意味で「カープの環境」が、僕を育ててくれたのだ。僕のような人間が偉そうなことは言えないけれど、もし、いま自分の環境に嘆いている人がいるとしたら、その環境でどう生き抜くか、を考えてみて欲しい。決して環境に愚痴を言っても始まらない。193p

※カープファンへの感謝は忘れることはない。…多くのファンの方が球場に足を運んでくれたこと。ライトスタンドでは僕の背番号である「15」のプレートが揺れていたこと。そして、中継ぎで僕がマウンドに上がると巨大な横断幕が現れたことを──。

「我々は共に闘ってきた
今までもそしてこれからも…
未来へ輝くその日まで
君が涙を流すなら
君の涙になってやる
CARPのエース 黒田博樹

横断幕の存在は、マウンドに上がる前から気づいたし、大きく心を揺さぶられていた。…この横断幕が「他球団のユニフォームを着て、この市民球場で、こんなに熱いカープファンの前で投げることなんてできない」とまで思わせてくれたのだ。…それはファンのみなさんが、僕をエースとして見ていてくれたという証明だったのかなと思うし、僕の心に永遠に残るものだったと思う。193-195p

※「苦しまずして栄光なし」苦しみの先に必ず、栄光があると信じているからこそ、前に進めるのだ。(エピローグ)

2015年6月3日水曜日

人は時に鬼になる!

カープが負けた翌日の新聞は読みたくない。ところが読んでいて気持ちがよくなるときもある。昨日のマエケン、よく頑張った。しかし、9回登板の若鯉2人の思わぬ展開。勝ち星はなくなる。今朝の地元紙によると2人の若鯉にマエケンは気遣いを見せる。一番悔しいはずのマエケン。さすがにエース。新聞を読んでホッとする。

最近読んだアドラーの心理学。フルートのレッスン前、中央図書館に立ち寄る。『婦人公論』最新号にアドラー関連の記事がある。最近、悔しいというか気に入らないことがある。人の言動に振り回されることだ。自分自身、よほど腹立たしいのか、昨夜も母が夢にあらわれる。「しっかりしんさいや!」と言われている気がする。母はきちっとした格好で電話をしてくる。子機で出たため、長時間話せない。そう思って電話を掛けなおす。ところが親機には7,8,9のダイヤル番号がない。これでは電話ができない。

目が覚めると夢だった。自律性が足りないのかと自問自答。それとも他人に左右されるほど人間ができていないのか。そうじゃない、きっと。人に嫌われても自分自身が思う道を歩めばこういうコトにはならない。人は時に鬼になる!

婦人公論にも書いてある。「大切なのは、相手の機嫌を損ねても構わないと思う『勇気」。人の期待に応えるのをやめて、自分がこうしたいと思う行動をとる『勇気』が、あなたの生き方を自由にしてくれるでしょう。」。

先日、ブログにアップしたばかりの「自らに由る」。

人に思想・信条を押し付けてはいけない。一般的に話題にしてはいけないのは政治と宗教。

とはいっても宮崎のお坊さんや先日会ったお坊さんはこれにはあてはまらない。むしろ立派な方たち。

フルートのレッスン前、もう1か所立ち寄る。紀伊国屋書店。あの篠田桃紅の本が何と25万部の売れ行きとのPOPがある。うち1冊購入済み。人からの影響でもこういう人ならばもういうことはない。それほど素晴らしい!

さてフルート。いい音を目指して昨日も頑張る。先生の吹かれる真似をしてある音を少し長めに吹く。口の空け方を間違えているらしい。喉を縦でなく横に空ける!それにしても思う。長く習っているフルートの先生やその仲間。皆、本当にいい人たち。だから20年以上も続けているのだろう。

ほんまにしっかりせんといけん。人の言葉に惑わされるな!負けるな!頑張れ!

2015年6月2日火曜日

今朝のFMから♪ジークフリート牧歌♪

今朝のNHK・FMは「ジークフリート牧歌」 ワーグナー作曲。これぞBGMと思って聞く。そして落ち着いて新聞を読む。

ここ数年、わが家の近辺では変化が激しい。町内会の隣組は現在5軒。一昨日その一人と出会う。近くに住んでいても会うことはあまりない。しばし立ち話。かなりの時間が経って、せっかくだからとお昼を一緒に食べる。目的の食事場所は満杯でその隣に入る。なんとその人も近いうち引っ越すという。

住んでるところは昔からの住人がほとんど。しかし、近年は家主が亡くなると更地に変わり、30年借り上げ住宅が建つ。その意味では若者の単身者も多く住む。この若者たちは町内会に入らない。そのため5軒の隣組も4軒になる。先日引っ越した家のあとはコンビニができるとか。JRの線路をまたがないとドラッグストアはあるもののスーパーなどのお店がない。ましてや当然コンビニも線路の向こう側にある。

近くにコンビニができるのは嬉しい。いずれにせよ、自分自身、ますます歳を取っていくのだから。その反面、昔からの家がなくなるのは寂しい。引っ越す人とは生まれたときから知っている。7歳上の人。親にも聞いたことがない生まれる前の話を聞く。無理もない。姉は呉で生まれている。戦後になって母たちは自分の地元に戻ってきたのだろう。

だんだんと昔を知る人がいなくなる。人間の数は減っている。しかし、住む場所は建物が集合住宅になり、人口は増えつづける。とはいっても子供の数は少ない。これはどういうこと?老若男女、一人暮らしが多いため!?よくわからないけどこの町は変化しつつある。

それにしてもこの動画、誰の作品か知らないが音楽だけでなく映像もいい。今の季節にぴったり当てはまる。出かけよう、この場所に、と言いたいがさてさて。

2015年6月1日月曜日

合唱を終えて

 お中元のカタログが届く季節になった。2か所のデパートから届く。お中元でなくお礼として利用しよう。まずは先日お世話になった米子の友だちに…。

先ほど合唱を終えて帰宅。自宅最寄り駅で「おとなびパス」のチラシを見つける。3日間、新幹線乗り放題で16000円。これは先日利用した「おとなび」と違ってどの新幹線でも乗車OK。さて、これをどう利用するか気合が入る。

いつも見る若者のツイッターとブログ。この若者、東京で今日まで開催のフェルメール展を見に出かけたそうだ。カープの応援ばかりでなく、美術も得意そう。ネットでその情報を検索する。東京の後、今月中旬から京都で開催となっている。「おとなびパス」、さっそく京都行に利用!?

このパスは3日間、利用できる。他にはどこへ行く?安く遊ぶ計画を立てるのは大変。頭も使う。とはいってもこれも楽しみ。ゆっくり考えよう!