2015年6月20日土曜日

『極上の流転』

『極上の流転』(村松友視 中央公論新社、2013年)、サブタイトルは「堀文子への旅」を読んだ。この本に出てくる2人の女性。一人は柴田安子で文子が尊敬する画家。もう一人は露木という柳橋の芸者。文子が初めて親元を離れて一人で住んだ同じアパートの住人。貧しい時代に売られて芸者になる。その後新橋で売れっ子芸者となり、神楽坂で「露木」という料亭を構える。ここはいつしか政財界の社交場に。文子はこの不思議な芸者に惹かれる。料亭の粋人となった露木。文子と縁があり、出版社の対談相手に村松も加わる。この縁から村松は文子との交流も生まれ、この本の著者となっていくのだろう。

本の題名の一部となった「流転」。ほかにも文子は好奇心旺盛な人であり、僻地を旅する人。究極はブルーポピーを求めてヒマラヤへ。ブルーポピーをはじめて見たのは20数年前に出かけたヒマラヤのふもとにあるブータンだった。そのころはそれほどの関心もなく、カメラにも収めていない。しかし、今でも咲いていた場面を思い出すし、そこで交わしたツアーの人の言葉も覚えている。青い小さいな花だった。
表紙を飾るブルーポピー
堀文子の展覧会が始まって間もなく、著者の村松の講演会があった。知ってはいたけど日程が合わず聞きに行かれなかった。今思うと無理してでも行けばよかった。残念!

以下はいつものように気になる個所の引用。(堀文子)としたのは著者が引用した堀文子の言葉によるため、著者の言葉と区別した。好奇心旺盛に僻地を旅している堀文子。私も僻地に行くのが大好き。本に出てくる場所でメキシコとアマゾンには出かけていない。メキシコ行きは可能性あるとしてもさてさてアマゾンは…。堀は80代半ばまで僻地を旅している。その年齢までにはかなりの年数がある。ちょっと気合を入れて遠出をするのもいいかもしれない。頑張って行く?それにしても堀文子の生き様、やっぱり素晴らしい!憧れてしまった!

※文子の半生をたどり直しているうちにおぼろげに見えてくるのは、そのような衝撃、ダメージ、おれる寸前の心、挫けそうな志という事態こそが、堀文子のエネルギーを噴出させるばねともなっているというありかただ。そこで信じられぬような自立への逆転を遂行する・・・・それが堀文子流なのである。…年譜にあらわれる絵本の挿絵というジャンルは、別な人間との連繋による仕事だ。そんな仕事は自ら求めただけで生じるものでなく、そこに何らかの偶然の出会いというものがはたらいて実現しているはずなのだ。それは、自己完結できる世界ではないものの、信じることのできるパートナーの存在によって、自分の中に閉じこもって描く絵画とはまた別の効果を、刻々の堀文子に与えつづけたのではなかろうか。142-143p

※何不自由のない暮らし・・・・その環境は自分の素地として最低であり、そのことに対してコンプレックスはいま現在もつづいていると、堀文子は言っている。160p

※夫の看病から解放され、いっとき放心状態と虚無的状態におちいっていたが、体の底には乱世がみちびいた荒廃からた仕上がったエネルギーの炎が、きえることなく燃えていた。160p

※海外旅行は堀文子にとって、文明を原点からたどり直す旅でもあったが、人間としての失地回復を懸けた、重大な布石のようであったものにちがいない。161p

※日本がまだ貧しい時代の旅行でしたが、好奇心で張り詰めていた私は卑屈にならず、誇り高いヨーロッパ人から見下されることもなく旅を続けました。姿形はみすぼらしくても、心は元気だったし誇り高かった。お金はわずかでしたが感覚だけは研ぎ澄ませて歩きました。これも、西洋を理解する私のやり方でした。ただ憧れても仕方がない。その土地へ行く前にいろんなことを調べすぎると、概念として物事を見てしまいがちになる。私のような職人には、そんな見方はあまり意味がないのです。(堀文子)165p

※私の西洋への恐怖心も取れてきました。最初は自分の国のないものに憧れ、西洋文化という怪物にわしづかみにされたような恐怖感が、実際に西洋諸国を自分の目で見ているうちに薄れてきて、日本の良さにも気づいてきたからです、(堀文子)166p

※私はメキシコに行って、いくつもの発見をしました。文化や芸術は、その国の生活なり民族が生むものであり、作るものではないということを痛感しました。私が、原初に返って日本画を学ぼうと決意したのも、メキシコをはじめ三年間の放浪の旅が契機になったと思います。日本人の血を引きながら、自分の国を見ていなかったことに、ようやく気づいたのです。(堀文子)175p

※(堀)美しいまま散っていくというはかなさが、日本人は好きなんじゃないかしら。いつまでも咲いている花なんて、気持ち悪いじゃないですか(笑)。私たちは流転してく、移ろいやすいはかなさにひかれるんです。192p(対談から)

※この旅のあとメキシコ、アマゾン、ペルー、ヒマラヤと未知の文化を求め、八十代の半ばまで、私は僻地への旅を続けた。その後の病で足腰の力を失い庭の草木にも近寄れない身となったが、乱世の中で私は好きなように生き、やりたい事はやり、私流に生きた。長い夢を見たようなこの一生に悔いはない。(堀文子)205p

※人間には自分でも自覚していない未知なる力が備わっているのかもしれませんね。ヒマラヤへ行くとそんな力が呼び起されて、私の中の”軸”が変わってくるのが解ります。旅は自分を改造する一つの方法なんです。(堀文子)211p

※(堀)私は自分の絵に主題などは決めないですが、あえていえば、「生きていることの驚きを描く」ことだと思います。「芸術とは」と構えるのは好きではありませんが、音楽も絵画も、つまるところ様々な命との出会いの記録なのかもしれませんね。(対談から)221p

※その怖ろしく寂しい孤独にひたるなかで、宿縁ともいうべき発見や人との出会いを体験し、そこから生還したときは、すでに次なる孤独へと自ら旅立たせるべき予感が、体のなかに沸いている。その輪廻の色が、堀文子の自立にはさらに織り込まれている。234p

※人の目のとどかぬ高山のがれ場にひっそりと咲く、植物でも昆虫でもなく、全身に鋭いトゲをまとい、地球の鳥や獣の攻撃を拒絶し、身を隠して生きている、この世の人間や動物が見たこともなかった宇宙からの未知の生命であるかのようなブルーポピー。あるいは人の目にはとらえきれぬ、微生物の躍動の神秘。この世の逆説とでも言うべき世界に、堀文子は深く強い眼差しを向けるようになってゆく。…堀文子による流転という奇跡のパラドックスは、現在もまだ依然として輝き続けているわけだが、もちろん私からのそんな形容は、今年九十五歳となられたご当人に言わせれば、これまた自然のなりゆきにすぎぬということになるかもしれない。235p

※堀文子は、極上と言える環境に育ちながら、自立の精神をはぐくみ”一所不住” をつらぬいて、孤高の旅をつづけている。その旅を自身では”流転”と呼び、”無一物”と”無尽蔵”を同義ととらえつつ、体の底に沸くエネルギーを汲み上げることを途絶えさせることなく、九十五歳の<現在いま>にいたっている。しかし、堀文子の生き方は、現代を生きる人々にとって、決して対岸のものではない。239p

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