2023年10月5日木曜日

司馬遼太郎記念館、石切神社、生駒山・宝山寺の旅その1

 2023年10月3日(火)から4日(水)まで1泊2日の旅をした。旅の目的は東大阪市にある司馬遼太郎記念館の見学である。記念館は司馬遼太郎の自宅横に隣接して建ててある。想像以上のりっぱな記念館で街中なのに雑木林に囲まれている。午前9時過ぎ、広島駅から新大阪駅まで新幹線のぞみに乗車。今回出かけた場所は2日間とも初めて出かける場所で、かなり入念に乗り換え情報などを調べて出かけた。旅の道連れは澤地久枝ではないが「好奇心」。そしてこの頃はこれに「スマホ」が加わる。

近鉄河内小阪駅前アーケードに司馬遼太郎記念館とある

 大まかな日程は決めて出かけたが初日は司馬遼太郎記念館を見学。翌日は近鉄奈良線沿いにある枚岡(ひらおか)神社か石切神社へ行くつもりだった。ところが記念館では館内で珈琲を飲むゆとりをもってもせいぜい2時間もあれば十分だ。ホテルは記念館のある河内小阪駅近くに宿泊。記念館は河内小阪駅と八戸ノ里駅の中間に位置する。新大阪駅で新幹線を下車後、おおさか東線に乗り換えてJR河内永和駅で下車。ここから近鉄に乗り換えて河内小阪駅まで乗る。河内小阪駅で下車後、歩いて記念館を目指す。駅員に地図(記念館情報で駅に地図を置いていると記載があった)を貰おうにも無人駅で誰もいない。通りがかった人に聞くと目の前のアーケードに大きな文字で司馬遼太郎記念館の案内がある。地面を見るとこれまた大きな標識が書いてある。アーケードを入って進んでいてふと気づく。まずは今夜のホテルに荷物を預けようと。ホテルは駅の真反対に位置する。リュックをホテルに預けてフロントで司馬遼太郎記念館までの地図をもらい、身軽になっていざ出陣。

地面に司馬遼太郎記念館の標識がある

 地図を見ると各ポストのそばには記念館の標識が建っている。それを見ながら、また途中で人に聞きながら歩く。途中に公園があった。そこには「21世紀に生きる君たちへ」の石碑が建っている。ここから先は後日、写真をアップしよう。
司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」の碑
 記念館見学後、入り口の案内人に枚岡(ひらおか)神社までの行き方を問うと八戸ノ里駅が早道と教わる。地面を見ながら歩くと駅まで何ヵ所か司馬遼太郎記念館の標識が描かれ、わかりやすくなっていた。八戸ノ里駅から近鉄に乗る際、ホームにいた人に声をかけると枚岡神社よりも石切神社のほうをすすめられる。そう聞いてすぐに石切神社へ方向転換。翌日に行こうとした神社へ初日に出かけた。翌日は同じ人から教えてもらった生駒山へ行くことにした。

 生駒山山上は遊園地になっている。こういう場所には興味がない。が、もしかして2度と来られないかもしれないと思い直してケーブルカーで642m上の山上へ。案の定、子どもの遊園地だ。ざっと辺りを見渡して再度ケーブルカーに乗って生駒山途中にある宝山寺へ行く。宝山寺駅下車後、宝山寺まで歩くのだがこれがまた大変なところだ。宝山寺までは整備された石段を登る。それも1000段近くあるとか。というのも一番上にある奥の院まで行ったからだ。

 宝山寺の登り始めの石段で家の外にいた人に声をかけると石段はこの先ずっと続くという。その人と立ち話をしているとお参りした人が下りてきた。その人は「おかえりなさい!」と声をかける。知った人だと思ったらその時すれ違った人だとか。急遽3人で立ち話となる。千葉から来た人で前日は興福寺や元興寺に参ったという。今年になって膵臓と腎臓の手術を受けたとか。お元気そうに見えた。それも生駒へ参ったお陰と話される。3人はここで別れて1人宝山寺へ参る。途中すれ違う人を見るとどの人もお賽銭をあちこちの寺社や祠に置いている。信者さんかもしれない。

 宝山寺奥の院まで参った後、下山しているとさっき出会った人の家の前に人がいる。何とお参り後に新幹線で、といって小さな紙袋に入ったお菓子を下さる。親切にしていただいてびっくり。1年前に再開した一人旅。どこへ行っても旅の道連れができる。まさか生駒でも親切にしてもらうとは驚き。

 この続きはまた後日のブログで!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年10月3日火曜日

旅のカタログ

 関西のJTBとクラブツーリズムから旅のカタログが届く。他にも昨日は地元の旅行社の新聞折込チラシが入る。コロナ禍になって以降、大手旅行社は広島から撤退し、このごろはもっぱら地元の旅行社を利用している。ところが利用する地元の会社は旅行範囲が中国・四国地方が主であり、他の地域へは行く機会が限られる。また以前のように大手旅行社が広島に支店を開設してくれることを望んでいるがそれも期待はできそうにない。

 大手旅行社の広島支店があったころは海外旅行も近場であれば広島空港発着便があった。そう思うと支店がなくなって残念な気持ちしかない。JTBの海外旅行のパンフを見ると行きたい国が何ヵ所かある。海外旅行ならば関西からの出発もいいかな、と思えるようになった。が、それもはっきりと決心がつかない。こうやって思いを巡らすうちにも歳だけは取っていく。それが怖い。

 地元の旅行社の折り込みチラシを見て12月の旅を1件申し込んだ。これがせめてもの気休め!?国内の近場の旅行であっても行かれるだけで由、と思うようにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年10月2日月曜日

3GB!?

 ネット記事を読んでいると「スマホの画面を上から下へ2回ほどスワイプすると……」とある。これが何の記事であったかは忘れた。9月末にこれを試すと「スマホのギガ数 2.9GB 警告」と赤字で「警告」が表示される。7月にスマホの料金契約を変更した。その際、以前の1GBから3GBに変更したのでまさか「警告」になるとは思わなかった。というのも家ではWIFIに接続している。外出先などWIFIが飛ばないところではあまりスマホを利用しない。たとえ旅行に出かけても新幹線や高速バス内ではWIFIが飛んでいる。もちろん宿もそうだ。

 それなのにまさか3GBを超えそうになるとはびっくり。道理で速度が落ちた、とこの時初めて思った。先に書いたスマホ画面を上から下に2回スワイプするとこのこととは別に9月のWIFI接続ギガ数の表示がある。それを見ると63GBを超えていた。ということは1日に2GBを使用していたことになる。これだけ使っても家のWIFIを使用なのでスマホの契約料金はただのように安い。3GBを超える、云々の前にいくら家で使ってもいいと思えば安い遊びである。とはいってもスマホ中毒にならないようにしないといけない。ナニゴトもほどほどに、というか程度がある。

 今朝はめっきり秋を感じる。それもそのはず、最低気温17度で最高気温は28度の予報。お天気も良くて過ごしやすい。そろそろ重い腰をあげてプールへも行きたい。さてそれはいつ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年10月1日日曜日

『街道をゆく(四十)』「台湾紀行」

 この何日間でやっと秋の訪れを感じるようになった。猛暑の夏は過ぎても秋は本当にやって来るのだろうかと思ったりした。が、「暑さ寒さも彼岸まで」と日本の慣用句にあるようにやっと秋の到来を感じている。

 以下は『街道をゆく(四十)』「台湾紀行」(司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九九年第一五刷)から気になる箇所をメモした。このなかに「どんな人生でも、その終末から逆算すればちゃんと帳尻があっている、という考え方がある」のくだりがある。長く生きてきて自分自身を振り返ってみても、この考えは合っている、と思う。とはいえ、まだ生きているのでこの先の人生はさてさて。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★明末の日本の海獠の代表的な者が鄭芝龍(一六〇四~六一)だった。その子が”国姓爺”とよばれた鄭成功(一六二四~六二)である。平戸の武士田川氏の娘を母とする人物で、学際と武勇があり、長じて明を回復すべく獅子奮迅の働きをした。日本では近松門左衛門の「国性爺合戦」で知られる。(11p)

★戦争をはさんだ人生は、みな数奇である。ここでことわっておかねばならないのは、漢語としての数寄には不幸という語感があるものの、李登輝さんの場合は、不幸はまったくあてはまらない。ただ、不思議な運命であることには、変わりがないのである。……この総統を生んだ台湾島そのものが、数奇なのである。(43p)

★中国は前漢の武帝以来、儒教が国教とされ、二千年もそれがドグマとしてつづいた。つらぬいて人治主義だった。身もふたもなくいえば、歴朝の中国皇帝は私(し)で、公であったことがない。その股肱(てあし)の官僚もまた私で、たとえば地方官のばあい、ふんだんに賄賂をとることは自然な私の営みだった。この台湾にやってきた蒋介石の権力も、当然私であった。一方、勝者になった毛沢東(一八九三~一九七六)の権力も、多分に私だった。毛沢東の権力が私でなければ、プロレタリア文化大革命のような私的ヒステリーを展開できるわけはないのである。歴朝の私(し)が人民にとって餓えた虎でありつづけた以上、ひとびとはしたたかに私として自衛せざるをえなかったのである。国族主義どころではない。王朝から害をふせぐには宗族で団結するほかなく、このため、国家という場からみれば”ひとにぎりの砂”たらざるをえなかった。ただ、台湾にあって、ふしぎなことがおこった。……台湾にとってありがたかったのは、持ちこまれた国家の体系が、孫文の理想である法的国家だったことである。(53-54p)

★「きょうは、尾牙(ベエゲ)の日です」そのように老台北(ラオタイペイ)が教えてくれたのは、正月八日である。……牙(ゲ)には、民間のある種のお祭りの意味があるらしい。「あ、尾牙(ベエゲ)ね」と陳舜臣大人(たいじん)、はすぐさま反応してくれた。お店で働く人達が、店主夫妻のもてなしでごちそうを食べる日だという。牙とは、旧暦で毎月二日と十六日、主として商家で土地の神様を祭ること。尾牙は、年の最後の牙の日で、旧暦十二月十六日のことだそうである。(115p)

★帰国して、小学館の『万有百貨大事典』の動物篇を繰ってゆくと、この動物は「白鼻心(はくびしん)」というものだった。ジャコウネコ科の一種だという。「台湾では、母親がよく泣く児に”バーアーのように泣かないで”と叱りますが、しかし私は菓子狸(かしだぬき)がなくのを聞いたことがありません」と、最後に頼芳英さんは、才女らしくユーモアで締めくくった。菓子狸のおかげで、私は台湾人の愛国心にふれることができた。ここまで書いて思いだした。高雄のホテルのフロントの女性は、菓子狸ブローカー(?)らしい私におもいとどまらせるために、「動物園に行ってごらんなさい」といったのである。国民的威厳というものだろう。(210p)

★高雄のホテルで、迦旗化氏の『台湾監獄島』を読んだ。迦旗化氏は、英語学者であり、高雄で出版社を経営している。……一九二九年、高雄から遠くない左営でうまれた迦旗化氏は、一九五一年、二十二歳のときに無実のまま思想犯として逮捕された。……「台湾に自由を、本島人に名誉を」といっただけで、この刑になった。(227-228p)

★『台湾監獄島』の著者は、当時、台北市の師範学院に在学していて、故郷の高雄のことを心配していた。台北に端を発した暴動は、一時期、政府側を圧迫した。やがて大陸から軍隊が送られてきて、政府側は鎮圧に出た。……この無用の政府の威信の誇示が、このひとつの島のなかで、「中国人」(大陸系)と「台湾人」(本島人)という、ふたつの人種を作る結果になった。本来、おなじ漢民族だったもの、がである。「中国人は、野蛮だ」と。台湾で話されているのを聞けば、それは台湾人のことではないと心得なければならない。(230-231p)

★清朝は、音楽教育を怠ったままで亡んだ。漢民族世界は、孔子が音楽好きであったように、古代は音楽がさかんだった。……ただ漢民族世界は、王朝が亡ぶたびに、音楽も亡んだ。前王朝に仕えた伶人が、殺されるのを避けて逃げてしまったからである。(246p)

★医院のなかでは、田中準造氏が、一個の涙袋になりはてている。伊沢理論どおり、純化された幼児にもどっている。軒下にいる画伯も、伊沢修二の教育理論どおり、純化されたままでいた。夕刻になって、画伯は、傍観者の私から”田中準造帰郷物語”のいっさいを聞き、すべてを知るのである。田中準造氏が、二十四年前、新営の駅前から沈医院をめざし、しかしたずねあぐねて路傍にすわって泣いた話も、画伯は知った。画伯までが、涙袋になり、ボロボロと涙をこぼした。同時に、二個の涙袋は、自分が涙袋になっているのがおかしくて、体がやぶれそうになるまで笑った。……こんな人間の精神現象は、台湾でこそありえたのだろう。なんだか、伊沢修二の偉大さが、実証されたような気がした。(251-252p)

★明末、私貿易者のことを”海獠(かいりょう)”とよんだ。獠というのは、野蛮人とか無法者といった意味で、ギャングという語感に似ていなくもない。……明からみれば、オランダ人も一種の”海獠”だった。十七世紀にオランダ人が台湾を根拠地にして活躍しはじめると、福建省の海獠が、大いに活気づいた。明はこれに手を焼き、海獠のなかでも知識人ともいうべき鄭芝龍を抱きこみ、官位をあたえた。ついには、都督にした。毒をもって毒を制したつもりだった。鄭芝龍のほうもしたたかで、かれは自分の官権を私物化し、同僚の海獠たちをつぎつぎに倒し、ついには富は王侯をしのぐといわれるまでになった。要するに中国世界は、上(かみ)は皇帝から海上の海獠にいたるまですべて私(し)だった。むろん魅力的な男だったろう。(271-272p)

★佐藤愛子さんの『スニヨンの一生』(文藝春秋刊)を読んだ。”高砂族”出身の兵士だった中村輝夫一等兵(アミ族としての名は、スニヨン)の生涯について書かれている。……「中村輝夫一等兵」が、同島の谷間で発見されるのは、終戦から二十九年経った一九七四年十二月だった。すでにうわさがあり、インドネシア共和国によって捜索された。……スニヨン・中村輝夫の出現について、新聞が盛んに報じた。……彼女は、夫の帰りを十年待った。ついにあきらめて、別の男を婿にとった。その婿も、仰天したはずである。かれはスニヨンが残した妻子を養って二十一年のあいだ、よく働いた。天に苦情を言えるとすればこの人こそ叫ぶべきだったが、かれにはかれの堅牢な道理があったらしく、だまって家を去った。七十二歳だった。……当人にとってそういう過ごし方がよかったとすれば、いうことはない。どんな人生でも、その終末から逆算すればちゃんと帳尻があっている、という考え方がある。とすれば、スニヨンの一生も、最後の四年間で、帳尻があったことになる。五十九歳だった。(377-385p)

★国家を造ったばかりの明治政府は、欧米の諸国家がキリスト教の上に成立しているのをみて、自国に何やらそういう塩味が欠けていることを感じたかと思える。それが、”国家神道”になった。といって、稲荷信仰のようにご利益があるわけでもなく、教義があるわけでもなかった。それを、固有の信仰をもつ台湾や朝鮮、あるいは南洋諸島にまでひろげたのは、乱暴だったといえる。台湾神社、台南神社などがそう。だが、戦後、一空に帰したのは、当然だった。(395p)

★この時代、河井継之助は新しい国家の青写真を盛った唯一に近い――坂本竜馬も持ちましたが、。――人物だったのに、歴史は彼を忘れてしまっている。台湾の運命がそうならないように、むしろ台湾が人類のモデルになるように、書きながらいつも思っていました。(対談・場所の悲哀 李登輝/司馬遼太郎 502p)

2023年9月30日土曜日

「思い立ったが吉日」

 昨日午前、日本画作品展の案内状を送付した人から電話がかかる。案内状に一度会いたい旨の一文を添え、その最後には「またTELします」とも書いて送った。それを見て電話をかけてくださったようだ。毎日暑い日が続いている。お天気が落ち着いたら電話しようと思っていた矢先に電話をくださった。

 「思い立ったが吉日」ではないが、急遽、昨日会うことにした。電話を切るとすぐにJRに乗って友だちの住む最寄り駅へ急ぐ。駅で合流して友だちの家の近くにあるというレクトへバスで行く。ここは数年前にできた複合商業施設で初めていく場所だ。が、どこを見てもキョロキョロしてしまう。大きな施設でフードコートも道の駅の何倍ものお店が入っている。ここでお昼をごちそうになった。食事中、話が弾んで長い昼食となる。その後は友だちのお宅に歩いて伺う。

 友だちと合流前、JRに乗っていて友だちとは長い付き合いになる、と思いを巡らせる。初めて就職した会社を満30歳になる時点で退職、やめてもその後の目的はなくしばらく家で遊んでいた。そのうちやめた会社の同僚の紹介で某公社でアルバイトを始める。そのバイト先の職員さんが昨日の友だちである。あれから40余年の月日が流れた。我が人生の一番暗い時期を知っておられるのでは、と思って聞くと何も話されなかった。その当時は今やっている大半のことはしておらず、思い出しても楽しい時代ではなかった。

 しかし、その時その人と水墨画を一緒に習ったりして大いに刺激を受け、今に至っている。元来、絵心もなく水墨画は1年でやめてしまった。が、友だちに誘われて山歩きなどしたり、といろいろその後も刺激を受けた。そのお陰もあったのか自分自身、徐々に行動的になり、いろんなことに頭を突っ込むようになった。今、楽しんでいるモノ、コトはその当時以降にやり始めたことが大半だ。

 お宅に伺って長居をしてしまった。スマホはまだ機種変更して1年。本好きの友だちはノートに読んだ本を作家べつにびっしり記されている。それを見てスマホ1年生が偉そうにギャラクシーNOTEを利用すれば紙のノートに書かなくてもいい旨の話をした。友だちのスマホでそのアプリを探すもよくわからなかった。が、何とかアプリは表示できた。しかし、スマホ画面にそのアプリを追加しようにも追加できない。どうやっても自分の頭では無理だ。途中でやめてしまって申し訳なかった。

 久しぶりにいろいろとお話しすることができ、ほんとうに楽しい時間を過ごした。感謝、感謝!またお元気そうで何よりと思う。友だちは木版画を長くされている。今、構想にあるのは住吉橋にかかる風景とか。A3かB4サイズの木版画のようだ。それをはがき大にして年賀状にするらしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年9月29日金曜日

行楽の秋!

 姪から6年ぶりに台湾へ行ったとの報告が届く。姪はツアー参加とは違って国内はもちろん海外旅行もすべて自分で計画して出かける。今回は4泊5日の旅だとか。その点ではいつも頭が上がらない。届いたメールを勝手に引用させてもらうと「3年前に生まれたパンダにも会えました♪平日はほぼ人がいないパンダ館。見放題でした。大満足🐼入管や税関などいろいろオンライン化が進んでましたよ。〇〇〇より」とある。姪と電話で話すとパンダが大好きな姪は帰った翌日の昨日も上野動物園のパンダを見に行ったという。

 わが家の狭い庭に10数年ぶりに赤い彼岸花が咲いた。母が亡くなって以降、シルバーにお願いしてイロハモミジなど切ってもらった。その時、庭にはびこる彼岸花を取り除いてもらったが球根が残っていたのだろう。今、10余年ぶりに花が咲いた。彼岸花が好きで家に植えている人もいる。しかし彼岸花に対していいイメージがなく芽が出れば抜いていた。今年はその隙間を狙って花を咲かせたようだ。そんな彼岸花も旅先で見ると悪いイメージがなく、カメラで写している。それはなぜなのか自分でもよくわからない。ともあれ庭に咲く彼岸花はこれ以上増やしたくない。

 日本画教室では自分で写した写真をもとにして絵に仕上げている。描こうとした写真も底をついてきた。(さて次は?)と思ってコンビニに行ってプリントアウトする。以前、コンビニでスマホ上にセブンイレブンのアプリを追加した。昨日、初めてコンビニでそのアプリを使って7枚ほどプリントアウトした。デジカメで写した写真もある。これはスーパーでプリントアウトしていたがテナントが撤退してしまった。それ以降、遠くのカメラ屋に出かけてプリントアウトしていた。昨日、(コンビニでもデジカメのプリントアウトができるのでは?)、と思って尋ねるとコピー機にSDカードを差し込めばできると教えてもらった。次回はコンビニでデジカメのプリントアウトをしよう。

 一昨日で携帯の機種変更をして丸1年が過ぎた。機種変更時は以前の機種がよかった、と思ったこともある。が、今となれば何かと便利なので変更してよかったと思っている。というか、機種変更の目的が一人旅にあった。一人で出かけるにはスマホは必需品だ。もしかして旅の道連れ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!?

2023年9月28日木曜日

四万十源流の旅その3

 (四万十源流の旅その2)からつづく。

 2023年9月24日(日) 

 16時半、バスは早めにホテル松葉川温泉に到着。今回も全国旅行支援のクーポン券がつく。この券を早く使いたくてホテルでお土産を購入。個人で行くときは荷物になるのでお土産は買わない。しかし、今回はバス旅であり、クーポン券を早めに使う。本来ならば夜のビール代に、と一瞬思った。しかし、それは現金で、と考え直してクーポン券をお土産代にする。早めの到着で外はまだ明るい。しかし、どこへ行こうにも山間のホテルだ。ホテルに入る前、添乗員からホテルそばに赤い橋が架かっている旨の話を聞いた。リュックを部屋に置くとすぐに外に出て赤い橋を探すとあった。が、この橋の向こうは何処なのかがわからない。ましてや山の中のホテルだ。行くのをあきらめて部屋に戻る。

つづらばし
つづらばしから川を見下ろす
 18時、夕食。夕飯の席は1人参加者8人のうち4人が同じテーブルになる。土佐は焼酎のダバダ火振がお土産にいいとか。焼酎は飲んだことがない。が、添乗員お勧めのダバダ火振を飲む人もいる。まずは見知らぬ者同士で乾杯!土佐といえばカツオのたたきが有名だ。お皿にたたきが並ぶが一切れが大きすぎる。どんどん料理がテーブルに並ぶ。そして同じテーブルの4人で大いに盛り上がる。生ビールで乾杯後、前の席の人はダバダ火振を飲んでいる。久々に旅で盛り上がる。ちなみに血液型を聞くと私以外は皆さんAB型だ。B型とAB型は合う!?それにしてもABに囲まれるとは驚き。
 
 土佐四万十のお米は仁井田米が有名らしい。このご飯が夕飯に出たがビールを飲んだので食べられなかった。翌朝、いただくと美味しい。お米はホテル売店でも売っていた。長い夕飯を食べ終えて部屋に戻る。今回の宿はいつもとは違ってとても広い部屋だ。松葉川温泉はこのホテルの専用らしく外からもお風呂に入りに来るとか。ちょっとぬるっとしたお湯で大浴場と露天風呂に入った。

 2023年9月25日(月)

 バスは日程表よりも30分早くホテルを出発。ところがバスが少し走ったところで立ち往生となる。橋が架かっている。この橋が渡れないのだろうかはわからないが、バスガイドはあちこちに電話している。しばらく経ってバスはホテルの人に誘導されて動き出した。よかった!

 10時半、バスは牧野植物園に到着。園に入ると植物園の人から簡単なガイダンスを受ける。この日は雨も降りそうな模様で傘がない人もいる。園内の周りはぐるりと屋根付きの回廊になっている。そこを通れば雨も大丈夫とのこと。牧野富太郎の妻を冠したスエコザサの場所など教えてもらって1時間半のフリータイムだ。

 スエコザサはすぐに見つかった。碑には「家守りし妻の恵みや わが学び 世の中のあらん限りや スエコ笹」と刻まれている。また牧野が愛したバイカオウレンもあった。
バイカオウレン

スエコザサの碑
特別展会場入り口
特別展で気に入ったのを写真に写す
 特別展会場には牧野富太郎の信念とも思えるような言葉があった。「植物に感謝しなさい。植物がなければ人間は生きられません。植物を愛すれば、世界中から争いがなくなるでしょう」と。
牧野富太郎の信念?
酔芙蓉
 どんどん先へ進むと赤と白い花が目立つ。酔芙蓉という花だ。この花はお昼には白い花を咲かせるが夜になるとまるで酔ったように赤くなるから酔芙蓉とか。
 
 園内から高知市内が見渡せる場所に着いた。大きな木が花をつけている。タイワンツバキ、と名前がある。-
園内から見下ろす

タイワンツバキ

ムジナモ
絵になりそうな多行松(タギョウソウ)
 昨年来たときは見ていない園内を歩いた。いろんな建物もあり、ガイダンスを受けた甲斐があった。個人的には園に隣接する五台山竹林寺にもう一度行ってもよかった気がするがどういってもツアーではそれも不可能だ。昨年11月末、土佐に出かけた時、個人で出かけた割にはいろんな箇所をよく歩いた。

 旅の最後は桂浜へ龍馬に会いに行く。龍馬は相変わらず太平洋を見つめて立っている。龍馬を見学した人々の言葉、「龍馬像が高くなっている」。以前をよく知らないので何とも言えないが工事をくり返して高くなったのかもしれない。

 この日のお昼は各自自由に食事をする。海のテラスの「神(じん)」に入ってカツオのたたき丼をいただく。土佐の旅で土佐のカツオのたたきをよく食べた。土佐の最後は桂浜に降りて一休み。久々にアイスを食べた。他の人もやってきてアイスを食べている!

龍馬像

桂浜
 昨年、桂浜に来たときは旅で道づれになった人と椿の小径を歩いて坂本龍馬記念館へ行った。急な石段の道だったがよく歩いたものだと我ながら驚く。今回はそれに比べて桂浜では龍馬像しか見ていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!